3298.改革には卑弥呼が必要



世界的な経済不況から抜け出すには、新しい物や仕組みの改革が必
要である。しかし、日本は閉塞状況にある。  Fより

CO2排出量削減の4案に対して、日本経団連は2020年の目標
値として+4%の案を選択したことで、多くの人たちから怨嗟の声
が上がっている。

地球温暖化自体には私Fも懐疑的であるので、単純なCO2排出量
削減を主張する訳ではないが、脱石油は迅速に遂行する必要がある。

勿論、ウランなどを利用する原子力発電もいいが、ウランも日本で
は出ない資源であり、世界的に原子力発電が増えるとウランも足り
なくなる。

企業としては、電力や資源などの使用を制限されるためにCO2排
出量削減には及び腰であるのは分かるが、企業や社会に大きな閉塞
感がある。経営者の集まりでは、仕事が無くなりどうしていいか分
からないという話ばかりである。

この状況を乗り越えるために新しい物を作ろうと提案しても、いろ
いろなできない理由で行動をしない。閉塞感が経営者にもあり、拒
否から話が始まるので解決案などない。このような経営者はほとん
ど男性である。

それを打破する方法を探さないと、日本の中小企業は本当にダメに
なり、中小企業がなくなると、日本の大企業も力を失う。日本沈没
は近いと思うこの頃であった。

しかし、日本の閉塞感を打破する光があると希望が持てる状況も出
てきた。それは50歳以上の女性経営者たちである。資産のある女
性たちは暗い日本を元気にする力を持っているようである。資産と
いっても、お金だけを意味しない、知識や技術などを含めた無形固
定資産も含む。

このオバサンたちの力は凄い。子供を育て上げている50歳以上の
女性たちを失礼かもしれないが、オバサンたちとここでは言う。
このオバサンたち、私の妻も含めて、社会への見方が男性とは違う
ようである。怖いものしらずである。

私のように50歳以上の男性には社会の不文律という重石と戦い、
敗れているので不文律を乗り越えようとしない、無理という言葉に
なって行動を起こさない。しかし、このオバサンたちは、それがな
い。不文律を物ともしない。そして、閉塞的な社会に果敢に攻めて
いく。そして、その技術や考えに賛同する人たちが出てくる。

どんどん、誰のところにも行き、主張する。中年男性以上のトップ
層も苦笑いをしながら聞くしかない。しかし、それで道は開かれる
ことがある。改革や新しいことは、何か今までの社会の成立ちを
一部でも破壊することが含まれる。これは不文律を知る男性にはで
きないか躊躇してしまう。このため、改革ができない。

そういう改革に取り組むオバサンに聞くと、子供を育てるとき、自
分の子供に良かれと思うことは、学校の校長や教育委員会に抗議し
たし、先生にいろいろと注文もした。しかし、それが社会のために
なると思うから主張できたし、それを学校などが取り上げてきた。

今、社会に良かれと思うことが多くあるのに、誰も主張しない。こ
れは社会を子供たちと思うことで、主張できるという。自分のため
ではなく、社会の子供たちのためにするという意識が、社会を変え
ることに繋がると思っているという。

このようなオバサンたちはパワーがある。ときどき、空回りもする
が、それを助けることで社会が変われば、日本にとってはいいこと
になる。日本は古代の卑弥呼ではないが、将来や社会全体の利益が
分かる女王の時代にもう一度、戻ったほうがいいのかもしれない。
それをサポートする社会経験が豊かな男性が必要かもしれないが、
その女王が空回りしたときにアドバイスすればいいだけである。


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