3293.米国覇権の盛衰



米国のストレステスト結果に対して、世界のエコノミスト達が懐疑
的になっている。米国の苦しさを反映していることが分かるが、そ
れを追認する会議が行われている。それはビルダーバーグ会議であ
る。欧米の権力エリート(王侯貴族、軍人トップ、国家元首、政治
家、金融トップ、多国籍企業オーナー、メディア、学術界など高度
な影響力を持つ人物)による閉鎖的会議であり、参加者は所属機関
とは無関係に自由に意見をのべ、そのミーティングで誰が何を言っ
たか口外を許さないルールで運営されている。
             津田より

0.はじめに
このビルダーバーグ会議がギリシャで開催されている。この会議で
のテーマが、今後の世界をどうするかである。

そして、その選択肢は2つであり、
1案としては世界を数十年間にわたる停滞と経済スランプする案
(日本の失われた10年以上の経済的な停滞にすることを意味する)

2案としては、強烈だが短期の大恐慌にして、その後新しい継続可
能な世界体制を作る案であり、ドル暴落で一時的に米国を極貧国に
することである。

の両案のどちらを選択するかを協議しているという。

会議者たちは、世界経済が回復しつつあるかの間違ったイメージを
情報操作で行い、投資家たちを安心させ,株式市場に資金投下をさ
せたあとで数ヶ月後、株を一斉に売り払い、今一度株価を下落させ
ることで、一般投資家たちに’甚大な損失を与え、経済的な苦しみ
を与える作業をすすめている、ということであり、現状の米政府と
FRBが行っている作業であることが分かる。

そして、今起きている世界的株価上昇がこれであることを私は読者
の皆さんに注意しているが、それを行っているとビルダーバーグ会
議で欧米エリートは暴露しているのだ。

2案を選択することに決まると、米国は未曾有の大恐慌に今後見舞
われることが確実であり、1930年代の大恐慌のスケールを遥か
に超える大型恐慌になるだろうことは確実な状況になっている。

GM倒産、世界最大のデパート、米国のメイシーズがこの第一四半
期で8800万ドルの損失、15店舗閉鎖、7700人を解雇など
、ベビーブーマー世代が引退する時期になり、消費を牽引していた
世代の数が激減することでこうなる。日本でも団塊の世代が引退す
る時期であるし、欧州も同様な世代が引退することになり、世界的
に消費が激減する事態にある。

このため、証券化商品バブル崩壊はこの消費激減へのスイッチを押
す役割であった可能性があり、今後、日本が経験したより深い景気
後退を長期に味わうことになるのだ。日本のバブル崩壊後の復活に
は外需という手があったが、今後の世界、特に欧米には、回復する
手立てがないのだ。期待できるのは、中国やインドの消費需要であ
るが、高級品が大量に出ることはない。欧米の経済を立て直すこと
はできない。

というように、欧米の没落、特に米国の覇権国家としての没落が明
確になってきている。次の覇権国家が出てくるまでは、欧米日中な
ど多極的な共同統治をしないといけない。まあ、非常に忍耐力が必
要な時代を迎えることになると見るがどうであろう。

ここでは米国覇権の盛衰を見て、今後の日本がどうすればいいのか
を見たいと思う。

1.米国の覇権誕生
 第2次大戦で米国は、勝利に大きく貢献したこととと国内が戦場
にならずに、工場などが温存されたこと、戦後復興での世界的な生
産財の需要拡大に対応できるのは、米国製造業しかないことで世界
のGDPの50%以上が米国となり、米国は世界に責任を持つこと
と引き換えにドル基軸通貨体制と覇権を手に入れる。それを保障し
たのが、ブレトン・ウッズ体制である。

1945年に発効した国際金融機構についてのブレトン・ウッズ協
定と国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)の設立を決定した
、これらの組織を中心とする体制のことである。米国が主導権を握
り、西側世界の経済的な中心に立つことが決定した。

、国際復興開発銀行(IBRD)は世界銀行とも言われている。世界銀行
とは、各国の中央銀行に対し融資を行う。

軍事力も世界最大であり、社会主義のソ連も米国に第2次大戦後の
冷戦で軍事力競争をしたが、1980年代後半には米国の軍事力に
対抗できずに、1991年にソ連は崩壊する。

軍事力を整備するために経済力が必要であり、戦後の米国は強大な
製造業の競争力があったことで、経済力も世界的にダントツの状態
になったのだ。

しかし、米国が世界復興資金を欧州や日本に貸し出して、復興させ
ると製造業で日本とドイツが台頭してくる。2ケ国は第2次大戦前
の技術力・工業力があり、その技術力がよみがえることになる。

2.日本との工業力競争
 1960年代になると、日本は衣料系の競争力が米国を圧倒して
米国は、日本の繊維業界の攻勢を抑えるために、繊維の自主規制を
盛り込んだ日米繊維協定を1972年に調印させて、その代わりに
沖縄を返還した。円高にさせるために1971年にニクソン・ショ
ックを起こし、1973年には円を変動相場制にする。

しかし、日米貿易摩擦は、1960年代の繊維、70年代の鉄鋼・カラー
テレビになり、米国は301条で日本を脅す武器を持って望むが、
80〜90年代の自動車・半導体と米国の主要産業部分になり、1989年
には日米構造協議を行う。というように摩擦の焦点となる製品は変
わってきた。しかし、その共通する背景には、日本の工業力の発展
によって、世界市場においてアメリカ製品が日本製品に凌駕される
ことへの、米国の強い危機感があった。

米国は1985年プラザ合意で円高にして、日本からの輸出が円高
でできないようにしたが、1990年前後には、貿易摩擦等に加えてプ
ラザ合意以降の急激な円高基調も重なり、日本メーカーは海外にお
ける取り組み方を、輸出から現地生産に重点を移しはじめ、現地生
産工場を相次いで設立した。

このため、日本の製造業が海外、特にアジアに広がり、技術ノウハ
ウの拡散が起こり、アジア諸国は工業化に成功して、経済的なテイ
クオフを成し遂げることになる。

米国は1990年代には民生の製造業を放棄して、日本の工業力を殺ぐ
ために、日本がノウハウを提供した中国や台湾の企業と組み、日本
企業を圧倒する方向にシフトする。1993年にクリントン政権になる
と、IT系に米国産業をシフトする。しかし、このIT系もバブル
を起こし、2000年には崩壊、それと同時にインドへシフトする。

3.米国の金融政策
 1981年レーガン政権になると、「減税をすればかえって増収にな
る」というラッファー教授の提案を受け入れる。総額70兆円に及ぶ
大減税を行なう一方で、強いアメリカを作るために軍事費を増額し
た。その結果、アメリカの財政はたちまち歳入不足に陥り、巨額の
財政赤字が発生した。さらに悪いことに、創出された有効需要のた
めに貿易まで赤字になった。財政赤字と貿易赤字、いわゆる『双子
の赤字』の発生である。

 1970年代から金融産業がいろいろな商品を開発してきた。この成
果を拡大するために、1985年に預金金利の自由化を行い、ヘッジフ
ァンドという仕組みを作り、1992年にはソロスが英国ポンドを売り
を浴びせて、固定相場維持ができないようにさせて英ポンドを変動
相場にする。このように金融産業を米国のメイン産業にしている。

1997年アジア通貨危機、1998年のLTCM危機で、海外投資は危な
いことが分かり、ヘッジファンドは国内回帰することになる。

1999年には、証券と銀行の兼業禁止をしていたがグラム・リーチ・
プライリー法で可能とした。このことで、金融業が米国のメイン産
業をしての位置を得ることになる。投資銀行は毎年新しい商品を開
発して、利益を上げることができた。

米国は伝統的に石油産業がメインである。この石油産業を維持して
きたが、その石油やエネルギーをIT系と結んだのがエンロンであ
る。一時的に大きな儲けを出したように見えたが、その多くは経理
操作であることが分かり、2001年に倒産する。このエンロン事件で
2002年にSOX法ができるが、実体経済を担う企業の経費は大きく
膨らんだ。このため、益々投資銀行の利益が米国にとって必要とな
っていった。

このため、米国内の住宅ローンや消費者ローン、CDSという金融
保険などを証券化するビジネスが本格的になり、2005年にサブプラ
イムローンを組み込んだ証券化商品をリーマンブラザースが発売す
る。これが今回の金融危機を作った大本である。

4.米国の崩壊
 1980年代から米国債を大量に発行してきた。今年も2兆円もの米国
債を発行する予定であるが、米国債の累積は総額10兆ドルにもな
っている。この米国債を返すことができるのであろうか?

という疑問が当然、浮かんでくる。工業力もなく、金融危機で金融
商品も売れない。石油も原産国の企業の力を強くなり、米国の取り
分は少なくなっている。このような状態では、米国経済にその余力
はない。このため、財政支出を抑え始めている。抑えるところは軍
事力や教育・福祉などになるが、それはセーフティネットを破壊す
ることにもなる。もう1つが、ドルを暴落させて、ドルベースの米
国債の価値を激減させることである。どうも米国債を償還するため
には、ドル暴落しか手が無いように感じている。

120億円もするF−22戦闘機を買わないことが決まり、生産中
止になるし、オバマ大統領は核兵器の縮小をロシアと協議すること
になるが、これも軍事費の削減である。米軍再編も軍事費削減であ
り、日本は移転経費を出して、その削減を助けることになっている。

覇権の維持に必要な軍事費を削減していくと、米国は覇権力を失い
世界の反米国も親米国も米国の言うことを聞かなくなる。

5.米国の教訓
 日本が米国の歴史を見て、教訓として学べることは実体経済、特
に製造業を手放してはいけないことである。もし、競争相手が出て
きても研究開発などを通じて維持する努力を行うことである。為替
のレベルなどを調節しいくことも考えることである。

金融産業に国の経済を頼ることはできない。もし、頼るといつかは
国自体が破綻することになる。

実体経済、製造業を強化していくことであるが、競争者が追いつけ
ない素材などの目に見えないものや、そう簡単に真似のできない物
を作ることである。

6.日本の進むべき道
 米国の崩壊で、日本にもチャンスが出てきている。米国の教訓を
生かして、日本は経済覇権を狙うことである。

その覇権取得では中国との競争になっていく。その競争で日本は足
腰が強くなるし、アジアの時代を担う両国が益々強くなる。日本文
化は中国文化より世界的な共感を得ることができる。中国には中華
思想で唯我独善的なところがあり、覇権国としての謙虚さが無い。
そこで日本にお鉢が回ってくると見ている。

しかし、安心せずに日本を経済覇権取得で努力していきましょう。

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1944年 ブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議
                       (45ヵ国参加)
1945年 ブレトン・ウッズ体制
1950年−1953年 朝鮮戦争
1959年−1975年 ベトナム戦争
1971年 ニクソン・ショック
1971年 スミソニアン体制
1972年 日米繊維協定調印、沖縄返還
1973年 日本が変動相場制
1979年 サッチャーが英国首相
1981年 レーガン政権が米国に誕生
1985年 プラザ合意
1985年 米国は預金金利の自由化
1986年 英国で金融自由化(ビック・バン)
1987年 ブラックマンデー
1987年 ルーブル合意
1988年 スーパー301条が成立
1989年 日米構造協議
1989年 11月にベルリンの壁が崩壊
1991年 ソ連が崩壊
1992年 ソロスのポンド売りで英国が変動相場制へ
1993年 クリントン政権が米国に誕生
1997年 アジア通貨危機
1998年 LTCM破綻
1999年 グラム・リーチ・プライリー法
2000年 ITバブル崩壊
2001年 エンロンが破綻
2001年9月11日 米国で同時多発テロ事件
2002年 SOX法が成立
2003年 イラク戦争
2007年 サブプライム問題が判明
2008年9月 リーバン破綻で金融危機
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世界銀行
http://kw.allabout.co.jp/glossary/g_politics/w007629.htm

世界銀行とは、各国の中央銀行に対し融資を行う、国際連合の専門
機関。一般には国際復興開発銀行を指すが、1960年に設立された国
際開発協会とあわせて世界銀行と呼ぶこともある。

1944年、ブレトンウッズ協定により、IMF(国際通貨基金)とともに
設立が決定され、1946年に業務を開始、1947年には国連の専門機関
となった。当初は第二次世界大戦後の復興と開発促進が目的だった
が、現在は特に発展途上国に対する援助機関としての役割が中心で
、長期のハードローン(条件の比較的厳しい融資)を行っている。
日本は1952年に加盟。本部はワシントンD.C.。加盟国は184カ国。
各国の出資によって運営されているが、資金不足が悩みで、組織の
改革と効率化が課題となっている。 



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