天皇賞の馬身通過時間 かつて5月3日は、憲法のことについてあれこれと考える日であ ったが、今年はまったく何も考えなかった。 言語学や情報理論を学ぶと、ヒトの言語で定められた法について 考えたり、語ることが、いかに空しいことであるかを知る。もはや 憲法については、考えること、語ることが、なんとなく無駄に思え てくる。 むしろ今日私が考えたことは、マイネルキッツが競馬の天皇賞で 優勝したことだ。 「中央競馬の139回天皇賞・春(GI)は3日、京都競馬場の芝 3200メートルに18頭が出走して行われ、単勝12番人気のマ イネルキッツが3分14秒4で優勝し、重賞初勝利をGIで成し遂げ た」そうだ。 この馬の体長が正確にどれだけか知らないが、競馬では一馬身は 2.4mだという。 すると、3200mを194秒で駆け抜けたマイネルキッツの鼻 がゴールを通過してから尻尾が通過するまでの時間はどれだけにな るだろう。 まず馬の秒速を求め、3200 / 194 = 16.5 m/s その速度で一馬身 の距離を駆け抜けるのに必要な時間を求めると、 2.4 / 16.5 = 0.15 秒 もちろん文明も競馬も、初速と最終速度では最終速度のほうが速 いだろうから、平均速度16.5m/sではなく、最高速度である20m/sを 使って求めるべきかもしれない。そうすると、2.4 / 20 = 0.12秒と なる。 馬は一瞬のうちにゴールするように見えて、鼻から尻尾までがゴ ールを通過するのに0.15秒あるいは0.12秒かかっていることがわか る。 さて競馬の全コース走行にかかった194秒と、馬身がゴールを 通過する時間0.15秒(0.12秒)の関係をひとつの参考とし 、人類文明を7万年とした場合に文明が終焉に到達してから、崩壊 し終わるまでに何年かかるかを計算してみよう。 これは、0.15 / 194 x 70000 (= 52.5) または0.12 / 194 x 70000 (= 43.3)で求めることができ、52.5年あるいは43.3年という数字が 出てくる。 今われわれが文明の崩壊の真っ只中を生きていると考えるのは、 意外と的を得ているかもしれない。 得丸公明(2009.5.3) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 得丸さん 数値の追求には溜飲が下がる想いです。エヴァリスト・ガロアと呼 ばれた男がある時から数値が無機化して行き、長いトンネルの後、 もう数値のデジタルに戻れない、此れも運命かなと。 しかし、これを如何したら此れからの生に転化できるか。 あの6年の暗黒の後、川崎の小向厩舎で、泥にまみれながら自転車 を漕いでいたとき、早朝から起きて寒い朝にも、雨の日にも小柄な 体つきの騎手、名前から推して鹿児島弁で話しかけて親しくその後 、競馬のことを聞いた日を思い出しました、彼によると馬の速さを 見るのは足首の括れを見るのだとか、もう忘れてしまいましたが。 得丸さんの説かれる「進化」でしょうか。しかし、人間の射幸心の 根源は何処に有るのでしょうか、脳のある部分の興奮が見える気が します。 明日の、こどもの日、今の日本の子どもは何を喜ぶのか、その何パ ーセントかは社会の基準では量れない所に向かうのでは。 時として貴種は吉野の桜にもなり、人を楽しませる物にもなり、存 在の価値があると、他者を通してですが、評価が出るのでしょう。 ラボで谷川雁が「表彰制度を如何考えるか」を提案して、考えさせ ています、彼はラボを離れ、その後、そのことに触れることなく逝 きましたので。応用問題を解く気分です。 ともあれ、時候良く、楽しい時間を、皆々様へ。草々 浅山 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 浅山さん、 > > 「進化」でしょうか。しかし、人間の射幸心の根源は何処に有る >のでしょうか > いえいえ、私は競馬の射幸心も賭博性もまったく興味はありません。 私が競馬の話をしたのは、単純に、馬の鼻がゴールに達したときに レースは終って、それから馬の尻尾がゴールを過ぎるまでに十分の 一秒以上かかっているということを言いたかったのです。 そして、その0.12秒というものを、人類の歴史にあてはめて考えて みたのです。 人類がデジタル通信システムである言語を生み出したのが今から7万 年前の出来事だとして、文明を7万年だと考えると、その文明が終焉 を迎えてから、崩壊しつくすまでに40年以上かかるかもしれない。 そして、今我々が生きているこの時代は、競馬でいえば、鼻先は ゴールを通過したが、尻尾はまだゴールに達していない時間、 レースは確かに終ったのに、まだ終ったという認識が共有されて いない一瞬の時間の一部であるということです。 得丸