3274.投資銀行の歴史



金融資本主義の歴史はp0002で見たが、もう少し詳細化してみたい。
金融資本主義の中心に位置づけられるのが、投資銀行の存在である。
日本は証券会社では1部門であるが、投資業務を中心においた投資
銀行が果たす役割が米英金融機関では大きい。利益も大きく、優秀
なスタッフには1億ドル以上の給与が支払われた。この投資銀行を
中心に証券化バブルを検証したい。  津田より

0.はじめに
 米国も時価会計を大幅に緩和して、15年を掛けて銀行の損失を
消化するしかないと判断したようである。現時点では実体経済から
の不良債権を修理するだけで、手一杯であり、証券化商品の損失を
埋めることができないと見たようだ。

しかし、証券化商品の中心的な存在である債務担保証券CDOの歴
史は、非常に新しい。この成立から、サブプライムローンを組み込
み破綻までをある程度見ると、人間の競争が行き過ぎるとトンでも
ない商品を生み出し、かつ人間の心理が、競争や報酬にこだわり、
危険性を無視し始めることが分かる。行き着くところまで行って、
やっと止まることになる。それが証券化バブル崩壊だ。

この証券化バブルの推移があまり良く分からないので、「p0002.金
融資本主義の始まりから終焉まで」で見たが、これは大枠の金融資
本主義の歴史であり、投資銀行の歴史が無かった。このため、もう
少し詳細に見ることが必要であるようだ。投資銀行の競争と証券化
商品が果たした役割が大きく、この詳細を見ることが今後の日本に
も必要である。

日本の製造業は世界企業化、アジア企業として生きるしかない。日
本の内需を期待できないために、中国やアジアの市場を開拓するこ
とが必要である。このため、製造業は工場などが世界展開になる。
シャープでさえ、中国での液晶パネル工場を建設して地産地消型に
シフトすると言う。トヨタたホンダなどは、すでに地産地消型の会
社になっている。日立、川重など鉄道車両会社や東芝のような原子
力製造会社も、工場は日本ではなく海外になる。日本の工場はキー
部品や研究所しかなくなり、どうしても金融業、特に投資銀行など
の金融業も手がけないと、日本の空洞化が来ることになる。

このためにも、農業、サービス業のような内需型産業だけではなく
、金融産業を活性化する必要があるが、この金融業は人間の倫理観
や倫理観を保証する規制設計が重要なことになる。

この制度設計を考えるために、米国の投資銀行の歴史を知る必要が
あると見ている。

お付き合いのほど、よろしくお願いします。

1.投資銀行の歴史
1970年頃から「クオンツ」と呼ばれる数理学者(量的分析による投
資判断を行うアナリスト)や数理モデルを駆使したトレード手法を
ウォール街でいち早く導入したのがソロモン・ブラザーズである。

また、資産担保証券(ABS)のはじまりは、1970年代に米国で開発さ
れたモーゲージ担保証券(MBS)にある。MBSは、住宅ローン
債権を集めて、これを裏付けに証券を発行して投資家に売却したも
のだが、このMBSは国有会社ジニィーメイが最初に作り、当初はパス
スルー証券でしたが、その後投資銀行が参入してきていろいろな種
類のリースやローンなどの債権も証券化されてABSとなっている。
しかし、その後、ジニィーメイはファニーメイになり民間会社とな
ったが、2008年国有化された。

1970年代のインフレーションによって名目の利益水準は相当膨らん
でいたため、世界中の割安な株式市場に流動性が流入し活況を呈し
たが、金融引き締め観測により反転した。米FRBの処置で克服し
たが、そのためにFRBは信頼を高めた。

1973年、株の先物取引である株式オプション取引所がスタートした
。同年、先物の適正価値を見出だすための理論であるブラック&シ
ョールズ価格算出式が学会誌に発表される。

1981年世界で最初の米IBMと世界銀行との間に通貨スワップ取引が成
立した。ここまでは必要に応じて、その都度、制度や仕組みを作っ
てきた。

1985年、米国は預金金利の自由化に踏み切るなど、規制緩和と減税
、小さな政府というサッチャーと同様な政策をレーガノミックスと
して実施した。

1986年に英国でビックバンという金融自由化を行う。これに伴い多
数の外資がシティに参入した。

1986年、ゴールドマン・サックスがヘッジファンドの仕組みを作り
、それを元に世界化して儲けの構造を作る。この構造が優れていた
ことと、米国の国益に合致したので、ルービン、ポールソンなどの
財務長官を送り出すことになる。

1987年のブラックマンデーである。ニューヨーク株式市場が過去最
大規模の暴落でダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、
この時の下落率22.6%にもなった。

同じ、1987年にマイケル・ミルケンがいるドレクセル・バーナム・
ランバート社がCDOを生み出した。債務担保証券CDO
(Collateralized Debt Obligation)は、金銭債権で構成される資
産を担保として発行される証券(資産担保証券、ABS)であり、いろい
ろなABSを複数を掛け合わせて証券化する商品の一つである。この
中にサブプライムが混入したことが今回の証券化バブル崩壊の原因
になった。

1990年にゴールドマンサックスのルービンは、企業のグローバル化
に焦点を当て、世界的なトレーディング業務を強化した。ニューヨ
ーク商品取引所のIT取引をリードし、初めての世界的サービスを
提供した。そして、ゴールドマンサックス商品指数( GSCI )を開
始した。

1992年には、ソロスのヘッジファンドが英国ポンドを売り浴びせて
、それを買い支えようとした英国金融当局が負ける事態になる。金
融資本主義での主役がヘッジファンドであることを見せ付けること
になる。英国は変動相場制に戻ることになった。

1997年にはアジア通貨危機が起きる。ヘッジファンドが通貨の空売
りを仕掛け、買い支える事が出来ないアジア各国の通貨は変動相場
制を導入せざるを得ないことになり、通貨価格が急激に下落した。
これに伴い、経済危機にも見舞われた。

翌年1998年にはロシア中銀の行った対外債務の90日間支払停止と、
これに起因するルーブル下落で、そこに投資していた米LTCMが破綻
した。ここでもFRBが基金を募り、影響を最小限にした。このこ
とで、ヘッジファンドが信奉するブラック&ショールズ価格算出式
が万能でないことをわかった。

1998年9月、資産担保証券(ABS)はやっと、日本において旧証券取引
法上の有価証券として認められた。

1999年には米国でグラム・リーチ・プライリー法が成立して、銀行
、証券、保険の垣根を撤廃した。1999年ITバブルが起き2000年には
崩壊する。1990年年代からデリバティブ取引が拡大し始める。ヘッ
ジファンドはここでも活躍している。

2001年12月にエンロンが破綻して、株価を不正取引で異常に釣上げ
ていたことが分かり、この不正防止するために2002年07月にSOX
法が成立する。

2005年にリーマンブラザースが最初にサブプライムを組み込んだ債
務担保証券CDOを作り売り出す。それがリーマンの命取りになる
が他の投資銀行も追従した。
そして、CDOの発行数量が急に増えたのも2005年からである。

米国では2003年後半から2005年にかけて、好景気と銀行間の競争激
化により、与信基準が大きく低下し、一大住宅ブームが沸き起こっ
た。この与信低下で低所得者層へサブプライムローンを設定・貸出
し、その債権を担保証券化して販売した。その問題点をFRBのグ
リーンスパン前議長も気がつかなかったというが、ソロスさんなど
の知識人は警告をしていた。

2008年03月にベアスターンズが危険になり、政府の公的資金の支援
を受けてJPモルガン・チェースが救済合併した。

2008年09月にリーマンブラザースが破綻した。ポールソン財務長官
は当初から公的資金の投入をしないとしたことで破綻したが、それ
は、最初にサブプライムを組み込んだCDOを発売したことが原因
で、この危機があると見ていた可能性がある。

同時にメリルリンチがバンクオブアメリカに救済合併された。
また、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーは普通銀行
になり、投資銀行の歴史は終了する。

2.ソロモン・ブラザーズ
ソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)は、1910年に設立され
たアメリカの投資銀行である。
1970年頃から「クオンツ」と呼ばれる数理学者(量的分析による投
資判断を行うアナリスト)や数理モデルを駆使したトレード手法を
ウォール街でいち早く導入し投資銀行として大きく成長していった。

1980年代には、著名なトレーダーであるジョン・メリウェザーら率
いる債券アービトラージ部門が莫大な利益あげるなど右肩上がりの
成長をつづけた。

ところが、ブラックマンデーの前後から次第に業績は下降に転じ、
1991年に元トレーダーのポール・モーザーによる米国国債の不正入
札発覚を契機として様々なスキャンダルに見舞われ「ウォール街の
帝王」としての信用を失うこととなった。

1997年11月、バフェットの仲介でアメリカのトラベラーズ・グルー
プ(Travelers Group)に買収され、トラベラーズ傘下の投資銀行で
あるスミス・バーニー(Smith Barney)と合併してソロモン・スミ
ス・バーニー(Salomon Smith Barney)となった。さらに、その翌
年トラベラーズ・グループがシティコープと合併してシティグルー
プとなり、その結果現在はシティ傘下のブランドとなっている。

3.マイケル・ミルケン
。1969年に、当時弱小投資銀行だったドレクセル・ファイアストー
ン(後にドレクセル・バーナムを経てドレクセル・バーナム・ランバ
ート(en:Drexel Burnham Lambert))に入社し、投資銀行家としての
キャリアをスタートさせる。

焦付きリスクが高めの高利回り債権、いわゆるジャンクボンド(ハイ
イールド債)への投資が有用なことに気がつき、この市場を開拓し、
わずか数年で株式、債券に負けず劣らないシェアを獲得する。

ミルケンはジャンクボンドの開拓で得た名声を武器にウォール街へ
の影響力を増大させていく。一方、ドレクセルもゴールドマン・サ
ックス、モルガン・スタンレーなどの一流の投資銀行をおさえて、
ウォール街ナンバーワンの投資銀行に躍り出た。

しかし、1989年、インサイダー取引や顧客の脱税幇助など95の罪で
起訴され、その名声は地に落ちた。ジャンクボンド市場は崩壊した
。ミルケンを解雇したドレクセルも顧客を失い倒産した。

4.リーマン・ブラザース
リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)は、アメリカのニュー
ヨークに本社を置く大手投資銀行及び証券会社であった。ドイツか
ら来たユダヤ系移民、ヘンリー、エマニュエル、マイヤーのリーマ
ン兄弟によって1850年に創立された。

1977年には、当時経営が低迷していたクーン・ローブと合併し、リ
ーマン・ブラザーズ・クーン・ローブへ改称。ピーターソンは、多
額の赤字経営からリーマンを救済し、投資銀行の中でも特に収益率
の高い、記録的な黒字決算を5年連続で実現させた。

こうして会社全体としては成長を続けたものの、花形である投資銀
行業務を担当する社員と、その一方で実際の収益拡大にはより貢献
していたトレーダー社員との間で確執が生じるようになった。この
ためピーターソンは1983年、社長兼COOでトレーダー出身のルイス・
グラックスマンを共同CEOに就任させた。グラックスマンは賞与制度
などの改革により、競争的な社風を築こうと試みたが、かえって社
員の精神的ストレスの原因を作ることとなった。
 
1984年4月、グラックスマンはリーマンの身売りを迫られ、同社をア
メリカン・エキスプレスに3億6,000万ドルで売却した。

しかし、1994年アメリカン・エキスプレスは同事業を分離し、リー
マン・ブラザーズ・ホールディングスとして株式をニューヨーク証
券取引所に再上場させた。

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件での世界貿易センタービ
ル崩壊により、隣接する世界金融センタービルに入居していたリー
マン・ブラザーズも影響を受ける。

2004年にリチャード・ファルドがCEOになる。2005年にサブプライム
を組み込んだCDOを作り売り出す。それが命取りになる。

2008年9月15日に連邦倒産法第11章(日本の民事再生法に相当)の適用
を連邦裁判所に申請すると発表し事実上破綻した。

5.ゴールドマン・サックス
ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs, NYSE: GS)は、アメリカ
の金融グループであり、世界最大級の投資銀行である。歴史は古く
ドイツ出身のマーカス・ゴールドマンによって1869年に設立された。

現在のCEOはロイド・C・ブランクファイン、前CEOは第74代米国財務
長官のヘンリー・ポールソン。

1986年、ゴールドマン・サックスがヘッジファンドの仕組みを作り
、それを元に世界化して儲けの構造を作る。この構造が優れていた
ことと、米国の国益に合致したので、ルービン、ポールソンなどの
財務長官を送り出すことになる。

1990年にゴールドマンサックスのルービンは、企業のグローバル化
に焦点を当て、世界的なトレーディング業務を強化した。ニューヨ
ーク証券取引所のIT取引をリードし、初めての世界的サービスを
提供した。そして、ゴールドマンサックス商品指数( GSCI )を開
始した。

6.まとめ
 金融工学という分野ができたのは、1970年と新しいが、その
理論はリスクも分散ということである。情報の非対称性で投資銀行
が大きく儲けられる証券化商品が機関投資家に売れたことで投資銀
行はリスクに敏感ではなくなり、だんだん、大胆なリスクを取った
ことが分かる。

そして、投資銀行同士の競争と成果主義という給与体系があり、人
間は競争に追い立てられて、リスクを考えないようになっていく。

そして、リスクがある程度、大きくなったとき、突然爆発したので
ある。

金融は規制が必要であり、この規制を外してしまうと、今回のよう
な事態になる。規制をどうするかを投資銀行の歴史を見ながら議論
していくことである。

さあ、どうなりますか??
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Goldman Sachs
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Goldman_Sachs
In 1986, the firm formed Goldman Sachs Asset Management, 
which manages the majority of its mutual funds and hedge 
funds today. In the same year, the firm also underwrote 
the IPO of Microsoft, advised General Electric on its acquisition 
of RCA and joined the London and Tokyo stock exchanges. 
1986 also was the year when Goldman became the first 
United States bank to rank in the top 10 of mergers 
and acquisitions in the United Kingdom. During the 1980s 
the firm became the first bank to distribute its investment 
research electronically and created the first public offering 
of original issue deep-discount bond.

Robert Rubin and Stephen Friedman assumed the Co-Senior 
Partnership in 1990 and pledged to focus on globalization 
of the firm and strengthening the Merger & Acquisition and 
Trading business lines. During their reign, the firm introduced 
paperless trading to the New York Stock exchange 
and lead-managed the first-ever global debt offering 
by a U.S. corporation. It also launched the Goldman Sachs 
Commodity Index (GSCI) and opened a Beijing office in 1994. 
It was this same year that Jon Corzine assumed leadership 
of the firm following the departure of Rubin and Friedman. 
The firm joined David Rockefeller and partners in a 50-50 
join ownership of Rockefeller Center during 1994, 
but later sold the shares to Tishman Speyer in 2000. 
In 1996, Goldman was lead underwriter of the Yahoo! IPO 
and in 1998 it was global coordinator of the NTT DoCoMo IPO. 
In 1999, Henry Paulson took over as Senior Partner.

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It's easier to ask those questions than it is to answer them. 
But let's try.
http://bonds.about.com/od/derivativesandexotics/a/CDO.htm

Collateralized debt obligations were created in 1987 
by bankers at Drexel Burnham Lambert Inc. Within 10 years, 
the CDOs had become a major force in the so-called derivatives 
market, in which the value of a derivative is "derived" 
from the value of other assets. 
But unlike some fairly straightforward derivatives such 
as options, calls and credit default swaps, CDOs were 
nearly impossible for the average person to understand 
(heck, back when I was an editor at Bloomberg News, 
my boss led us on a series of meetings with Wall Street 
insiders in a an attempt, largely unsuccessful, 
to get someone to explain the more arcane corners 
of the derivatives market to us.)

And therein was the problem.

CDOs weren't "real." They were constructs. And one could 
argue, they were constructs built on other constructs.

In a CDO, an investment bank collected a series of assets 
-- often high-yield junk bonds, mortgage-backed securities, 
credit-default swaps and other high-risk, high-yield products 
from the fixed-income market. The investment bank then created 
a corporate structure -- the CDO -- that would distribute 
the cash flows from those assets to investors in the CDO.

That sounds simple enough. But here's the catch: CDOs were 
marketed as investments with a defined risk and reward. 
In other words, if you bought one you would know how much 
of a return you could expect in exchange for risking your 
capital. The investment banks that were creating the CDOs 
presented them as investments in which the key factors were 
not the underlying assets. Rather, the key to CDOs was 
the use of mathematical calculations to create and distribute 
the cash flows. 
In other words, the basis of a CDO wasn't a mortgage, 
a bond or even a derivative -- it was the metrics and 
algorithms of quants and traders. In particular, 
the CDO market skyrocketed in 2001 with the invention 
of a formula called the Gaussian Copula, 
which made it easier to price CDOs quickly.

But what seemed to be the great strength of CDOs -- 
complex formulas that protected against risk while 
generating high returns -- turned out to be flawed. 
Because as often happens on Wall Street, we learned 
the hard way that the smartest guys in the room are 
often pretty dumb.



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