3271.Re: no.3268. 日本文明力と中国文明力の比較



Re: no.3268. 日本文明力と中国文明力の比較
From: 國井

司馬遼太郎の講演を2度聞いています。
  若い頃、故郷の関西で、そして、当地で。
   
  彼は、講演の地を持ち上げる傾向がある。当然でしょうが。
  当地は、東北です。
  原敬が東京駅で暗殺された時の服装を話されていました。
  東北の人は、お洒落ですねと。
   
  司馬遼太郎が東北人は、お洒落だって、言ってましたよというと、
  東北の人は、白けた顔をします。
  余談ですが、女性に関しては、関西より、化粧が濃い感じがあり
  ます。
   
  本論ですが、中国文明と日本文化についてですが、
  文明と文化を比較するのは、問題がありますが・・・。
  これに関し、偉い先生に教えてもらったことがありますが、
  よく受け売りしてたのに、忘れてしまうとは、トホホホホ・・・
  自分なりに解釈すると、文明は、物質的。文化は、精神的。
   
  司馬遼太郎は、中国文明が衰退の一途辿ったのは、
  中央集権と科挙制度即ち、官僚制度であると。
  科挙試験に合格すると当該人の村の入り口に、
  合格した旨の看板が立てられるとかいった話をされてました。
  科挙試験が如何に難関であり、又、同時に合格すると名誉
  であるかを話されていました。
   
  日本も司法試験、上級職試験、外交官試験と難関である。
  これら職を目指す人は、大学入学と同時に必死で受験勉強をする。
  司法試験の門戸が拡大したようであるが、法科大学院を出ないと
  受験できないようで、資力が必要となってきている。
  外交官試験は、第一種国家公務員試験に統一されたかに聞く。
   
  外交官試験は、英語を母国語として話す人と変わらない位に話せ
  ないといけないとか、それで、日本文化を知らない外交官と揶揄さ
  れていては、将に属国です。
   
  司法界の腐敗は酷いし、キャリア官僚の腐敗も目に余る。
  このような腐敗に便乗して、甘い汁を吸う輩が闊歩する。
  合格すると、地方の出先で若殿扱いを受け、中央に戻って、
  幅を利かせる。ペーパー試験だけで、世の中を動かされては、
  狂いっぱなしです。
   
  日本が他のアジア諸国と違い植民地にならなかったのは、潘制度
  の存在に因るところが大きいと。即ち、地方分権であると司馬遼
  太郎は、説かれていた。
   
  今こそ、地方分権の時代と叫びたい所であるが、市民の資質も低
  下の一途を辿ってしまっているようです。
  戦後政治のもたらしたものは、民主主義とは、掛け離れたものの
  ようである。
  原因は、一体何処にあるのでしょうか。
   
  日本は、中国文明を受け入れ、旺盛にそれを文化として日本化し
  てきた。
  他者を受け入れ、自国の文化として、活力にしてきた。他者に埋
  没しては、いけない。
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(Fのコメント)
國井さん、ありがとうございます。そのとおりですね。
日本は、他国の文化や文明を取り入れて、自国のものにしてしまう。
文明と言うのは社会制度も含むので、憲法なども欧米の社会制度を
取り込み、文化としては服装などを取り込んで、日本の文明・文化
を豊かにしてしまう。自国のそれまでの文化・文明は残している。

この包容力が日本をここまでの経済大国にしたが、今後は自国文化
をブラッシュアップしないといけないように感じる。

戦後、省みられなくなった江戸時代の石門心学や二宮尊徳の思想な
どの復興が必要であるように感じている。現在企業コンサルをして
いて、一番おかしいのは、詐欺まがいの行為をする人たちが多くな
っている。大企業でも中小企業のアイデアを盗み、あたかも自社で
開発したような顔をしている。その開発した中小企業を製造などで
使うこともしない。

このように道徳が大きく崩れている現場を何遍も見るにつけ、日本
人の劣化が著しいと見ている。



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