3270.今こそ希望をもって生きることができる時代



今こそ希望をもって生きることができる時代になったのだ  得丸公明

経済評論家でブロガーの池田信夫さんが「希望を捨てる勇気」とい
うもっともらしいようで、実は完全に間違った見解をブログに掲載
しておられた。それについていろいろな意見が出ているので、彼の
考えが間違っていることを明らかにしておく必要があるようだ。

 それは、ひとことでいうと、今こそ希望をもって生きることがで
きる時代であるということだ。

「日本は現在の欧州のように落ち着いた、しかし格差の固定された
階級社会になるだろう。ほとんどの文明は、そのようにして成熟し
たのだ。「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気をも
ち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。」

 これが池田さんの結論。人類の文明が成熟して今の厳しい経済状
況がこれからもゆったりと続くという前提にたっておられる。この
現状認識は、甘い。

 トンデモナイ。少し早く生まれたからリッチな生活を堪能してお
られるオジ様の思い通りに世界は「成熟」しない。人類の文明は
もうすでに終焉しているのである。オジ様も若者の同じ苦しみを味
わう時代がすぐにくるのだ。みんなまだそれに気づいていないだけ。

 競馬は、先頭の馬の鼻先がゴールを通過するときに勝負が決まる。
水泳でも陸上競技でも、選手の体の一部でもゴールに到達したら、
残りの部分がゴールに到達していなくても、試合の決着はつく。

 人類の文明は、もうとっくに終わっている。おそらく鼻先がゴー
ルを超えたのは1986年1月のスペースシャトル、チャレンジャー号の
爆発と、同年4月のソ連のチェルノブイリ原子力発電所の爆発の時で
あった。この年、世界人口は50億人を越えた。株の大暴落であるブ
ラックマンデーもこのころ起きた。

この後に起きていることは、残りの体の部分がすこしずつゴールラ
インを超えているだけである。馬のお尻や尻尾にしがみついている
蚤たちには、ゴールがまだ見えていないから、ノホホンと生きてい
るだけなのだ。

 これからしばらくして、馬の体が全部ゴールを超えたときには、
もっとすごいカタストロフが起きるだろう。人類文明は勢いをつけ
て崩れ落ちるに違いない。食糧危機、環境危機、失業、なんでもあ
りだ。赤木智弘さんのように戦争を願望する必要はない。日々の暮
らしが戦地のように厳しくなるのだから。

今は、大絶叫マシンのジェットコースターが、最高点に到達してし
ばし水平に移動している時間なのである。これから、想像もしなか
った波乱万丈、阿鼻叫喚、なんでもありの恐怖の時代がやってくる。

 だけど、希望はそこにある。

 ハチャメチャな悲劇の時代にあっても、人は美しく生きることは
できる。どんなに厳しい時代でも、希望を失わないで、前向きに生
きていくことはできる。これが希望である。

 これからやってくる人類文明の破局は、人類が自分で引き起こし
たものだ。だから人類である以上、この破局に責任がある。だが、
これは原罪であるのだから、あなた自身には責任はない。あなたは
悲劇の時代にあっても、人間の尊厳を保ち続けて、美しく、輝いて
、生きることができるのだ。

そのような生き方を実践できたときに、あなたの魂は、おそらく
高度経済成長やバブルの時代を生きた人々よりも、より深くて大き
な喜びで満たされ、キラキラと輝くことであろう。

 人類文明7万年の歴史の結末としておきた文明の破局を心静かに見
据える時代、物質的・表面的な豊かさにとらわれないで生きていけ
る時代、人類の本当のすばらしさを確かめることができる時代、人
類の本源的希望を胸に生きていける時代になったのである。

 これは大いに喜ぶべきことである。

得丸公明
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得丸様、皆様

ご無沙汰しています。丸山です。今こそ希望を持って生きる時代が
来たと言うお話に感銘を受けました。希望の裏返しは絶望です。表
裏一体です。でも、それでも前向きに生きて真理を求めたいなと思
いました。

婚約者のお母様から頂いたおだまきの鉢植えの花が散りました。後
に残された薄い黄緑色がどんどん膨らんで種を宿し、頭を下げて来
ました。気が付いたのは昨日の事です。婚約者と巡り会うまでの私
の人生は切り花のブーケのようなものでした。鑑賞し、枯れたら捨
てていました。花の命は短いのだからと。でも鉢植えを頂いて花の
咲く意味がわかりました。受粉して種を宿し、さらに広がりを持つ
ことと。

私は単純な言葉でしか表現できませんが、花より、膨れ上がった黄
緑色に摂理を感じました。切り花を次々と捨てる時代は終わり、土
に根ざした素朴な幸せを感じて、一歩一歩歩んで行く時代がやって
来たのだと思います。本当に大切なものは目に見えないものだよ、
と言うのは星の王子様の言葉ですが、これから気が付く人が増えて
いく気がします。

良い時代が来るのだと思います。ありのままの自分を受け入れて、
ありのままの他人を受け入れて。お互い助け合って。わだかまりが
癒えて。私は人類は一生懸命生きて来たと思います。真剣に生きて
来たと思います。だから今の現状を受け入れます。どうしても、私
には、これからどんどん良くなるとしか思えないのです。良くした
いのです。
丸山
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丸山様、
ご婚約おめでとうございます。どんな時代が来ようとも、一人より
は二人で力を合わせていけば、楽しい、幸せな人生となるでしょう。
人類だけが特殊な脳の進化をとげて、地球上で特別の存在になった
ことは、自然の恩寵であり、奇跡ではありますが、善の行いであっ
たと思います。人類は数々の思い違いや間違いを行いましたが、そ
れらは巨大隕石のもたらした破滅的状況に比べれば可愛いもの。

人類の本性が善であることに変わりはありません。人類の善性にめ
ざめ、善性を生きることができれば、たとえ人類が滅びかけていよ
うとも、あるいはすでに滅んでいたとしても、一人一人の人生は輝
かしくすばらしいものとなるでしょう。

今の時代、余計なものに心を奪われたり、時間を奪われることがな
いので、今までよりもより充実した時間を過ごすことができる時代
になったのもよいことだと思います。
得丸
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(Fのコメント)
 得丸さんの意見は、キリスト教右派の福音派の最後の審判と同じ
ような雰囲気である。得丸さんの説には、自分たちだけが救われる
という章がないだけだ。

その代わりに、得丸さんの説は希望を捨てて美しく生きることがで
きるという反語の説が挿入されて、福音派も結局同じことを言って
いるのではないかと思わせるような構成になっている。

この反語的な部分は精神的な訓練などが必要で、普通人にはできな
い。普通の論理性としてはおかしいので、得丸さんの説はすでに、
宗教領域に入っているような気がする。そういえば、オウム教の麻
原も、人類滅亡説でした。その上で希望をどう持つかを説いていた。

このように、池田信夫さんと得丸さんは前提条件が違い、池田さん
は、人類は永遠と見るし、得丸さんはもう少しで人類は終わると見
る。そして、その方向が違うのに、希望を捨てて美しく生きるとい
う部分が同じと言うことになっている。

丸山さんも賛成しているが、死より新しい生に着目した視点でこの
得丸さんの意見を見ている。得丸さんの意見が宗教的な見解なので
いろいろな解釈が出てくることになる。これが最終的にいろいろな
宗派ができる芽がある。


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