3269.決済システムこそが、金融の中核



決済システムこそが、金融の中核     虚風老
   −経済における金融の位置−

野村証券編集の「金融の本質」という本があって、そこに現代の金
融機能について、具体的な市場−商品の取引きを例示しながら金融
のハタラキを解説してあったんじゃが、これが意外の理解し易かっ
たので、ワシの考えを述べてみたい。

金融の本質は前提として、「資源の配分」に関わるとしているが、
これは、<経済学>そのものの性質が「分配と配分に関する適正さ
と効率」についての学問であると考えられるから、当たり前じゃろ
う。

このばあい、<生産>もまた、<分配の原資>の創出であり、ミク
ロな経済学の問題とは、ある「目的」を設定はした内部、あるいは
所与の条件下での、資源(資本資材労働等)の適性=効率的な配分
によりその目的(財・効用の発生)が達成できるかということじゃ。
そして、この、(財・効用)をいかに分配{移転=交換}され消費
されるかまでが、経済学が取り扱うテーマなわけじゃ。

この場合<目的>を何に置くかは任意なので、それに対しての条件
の違いによって、たくさんの解がができるわけじゃな。幸福を目的
に置いたって「幸福」の概念そのものは規定できないので、経済学
では扱えんわけじゃけどね。
まあ、製品の作成にどのような資源をどれだけ投入するとか、販売
にどのような資源を投入するとか考えればええじゃろう。

まあ、「金融の本質」が分類した主な機能は以下の6つになるので
、紹介しておこう。

@ 取引きを円滑にする決済の方法の提供。
A 資源をプール化したり小口化したりする仕組み
B 異なる時間・時点、そして産業間で経済資源を移動する方法
C リスクを管理する方法の提供
D 経済の様々な分野における分散的意志決定の調整を助ける価格
  などの情報の提示
E 取引きの一方だけが情報を持っているとか一方が他方の代理人
 である場合に生じる情報の非対称性に基づくインセンティブ上の
 問題に対処する方法の提供。

まあ、こうなるのであるが、わしの考えるのはこうじゃ。
ここに実体の「財・効用」があるとすると、金融という<虚構の情
報空間>「マネー=信用」を通じて交換が行われるが、その<信用
空間からの出入り>これを<リアル決済>と呼んでみよう。
(もちろん、通常、決済は、マネー信用空間内でも行われるがいわ
ば概念的にそれらの請求権(債権債務関係の契約)を一つの実体的
な財とみなしているわけじゃが、本質的には、権利という名前の情
報にすぎないわけじゃ)

実体経済においては、実体の財や効用(物理及び心理的な)のみが
生命の運動に関わってくる。(財は時間的に効用を発生するものと
考えるなら、<効用>こそが実体であるわけじゃな)生命の運動と
関わるからこそ、経済は運動であり俗に「生きている」と表現され
ても違和感はない。運動しているから流れとしてみることができる。

ところで、マネーを通じて、実体空間から仮想空間に移動した価値
は(請求権にばけるが)、次に実体空間に戻ってくるまでにリスク
を伴うわけじゃ。
つまり債務が不履行(全面でなくとも一部の減損も含めて)される
かもしれないというリスクである。契約には相方がある訳じゃから
ね。つまりこのリスクの発生の可能性が利子を生むと考えてみる。
リスクはリスク空間において、時間的・空間的・信用的な隔たりが
大きくなるほど拡大するとみることができる。空間的には為替の発
達を生み、時間的には、預けることの利子を生み、信用的には貸し
付けの利子を生むという具合じゃな。
現金にはこの隔たりが最小ということじゃな。

こう考えると金融の本質は、決済とそれに伴うリスクの処理にある
といえよう。

この決済のいろんな方式と場所に生じる<差>を利用することで、
金融の儲けというのは生じてきた。また、権利の束を一つの商品と
いう括りにして、べつの権利で縛ることで、金融商品はできている。

所有権とは排他的使用権のことに他ならないが、どうようのことは
、権利の権利…と言う具合につけられていく。(歴史上最初の権利
の権利の話しは、ギリシア哲学の中にでてくる。
ある哲学者が、糸繰り機の所有者達に対して使用の権利を先ずけで
買い取り、それを他者に貸し出すことで、大きい益を得たという話
しじゃ。所有なのではなく、「使用権利=権利の権利」を確保する
というのが金融の本質にある。(マネーというのは、保留=保存さ
れた決済権であるといえるな)

これは、もちろん「契約」の神聖さ担保されいなければならない。

西洋の神学はこの契約概念に基づいておる。(旧約とは神とのギヴ
アンドテイクの契約だし、新約とは新しく更新された契約のことだ
し、ロックの社会契約は、近代法と秩序の基盤が神ではなく人と人
同士の集団間での契約という考えであることは知っていよう)
同時に法学者(神学者)というのは、この条文がどのような条件の
細則にあてあまるかを理屈をつける、弁護士というのも法の解釈が
どのように有利に解釈できるかをあらそうわけじゃな。
まさに、言葉(契約の概念内容)が神なわけじゃね。

少し長くなったので、また書くが金融の本質からいえば、世界の
「決済システムの構築」とそれを担保する世界的で公的な「法の整
備」こそが、金融を健全なものにするといえるじゃろう。(あるい
は、国際間の決済にかかわる手数料の一部を国連の運営資金として
、拠出金に替える方法もかんがえられよう)
もし世界の経済がグローバル化を免れ得ないのならば、(わしは
そう思うが)決済システムの世界システムをきちんとすることじゃ
ろう。

虚風老
 


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