3246.デジタルに話すサル



皆様

僕はMさんほど飛び回っていないですが、今週は木曜日に情報処理学会の全国
大会で、滋賀県にある立命館大学のびわ湖草津キャンパスにいって、人類の言語
はデジタル起源であるという講演をしてきました。 (「デジタルに話すサル:
 デジタル言語の獲得が人類を生み出した  −− 通信モデルに照らした人類
のデジタル言語のシステム解析 −−」)

人類言語がデジタルであることにいったい何の意味があるのか、正直なところこ
れまで自分でもよくわかっていなかったのですが、発表を準備するうちに、ひと
つとても重要なことがわかりました。

デジタル無線通信技術は、1970年には技術的には確立していたのに、その実利用
がどうしてそれから20〜30年も遅れて、携帯電話のデジタル化が 1990年代半ば
で、地上波デジタルテレビ放送にいたっては、2005年からというようになったのか。

これは、要するに、デジタル通信の要素は2つあり、ひとつは通信回線上をデジ
タル符号が送受信されること、もうひとつは送信前・受信後にデジタル符号化処
理をすることです。

このデジタル符号化処理のためには、ものすごくパワフルな演算チップが必要と
されます。技術的に確立されていたのに、一般消費者の利用が進んでいなかった
のは、携帯可能な大きさで、なおかつパワフルなマイクロチップの出現をまつ必
要があったのです。(演算時間がテレビ受像機によって異なるために、時報がズ
レるため、NHKはデジタル放送がはじまってから時報をなくしました。)

さて、もし人の言語がデジタル通信であるとすると、それは、人の脳内の中枢神
経回路が高速演算処理による符号化処理を可能としたからであるといえます。人
類の知恵、理性、思考能力、創造性といったものは、言語能力の副産物として進
化したのかもしれないと思います。

そして、この知恵の力で、人類の文明はここまで発展し、同時に、その知恵が全
面的には正しくなかったため、あるいはサル知恵であったために、地球環境問題
を引き起こして、自滅しているのではないでしょうか。

釈尊や最澄や道元のようなお坊さんたちは、知恵や理性のもつ落とし穴をわかっ
ていたのでしょう。無為自然を標榜した中国の老荘思想も、同じような悟りに到
達していたのでしょう。そして彼らこそ、人類の言語の限界、思考や理性の限界
を、よくわきまえていたのだと思います。

このあたり、白川静論、漢字文化論、あるいは松岡正剛論として、会の話題
にしうるかもしれませんね。

得丸公明



(無題)

 百年に一度といわれる現代世界を脅かしている不況は、もっと大きな枠組み、
つまり人類の文明史の枠組みでとらえるべきではないだろうか。別の言い方をす
るならば、成長の限界をとっくに超えてしまった地球の環境問題の最終局面とし
て捉えるのが妥当ではないか。

 人類は、言語という便利なツールを獲得したサルであるにすぎないのに、通信
の比較優位を利用して、世界中の動物、植物、土地、地下資源をすべて自分たち
だけの所有物であると勝手に決め、とどまるところを知らない森林伐採や野生動
物殺戮、資源乱獲を続けながら、人類の人口だけを等比級数的に増加させてきた
のだ。

 驚くべきことに、他のすべての動物がアナログ符号を使ってコミュニケーショ
ンをしているときに、人類のみ、デジタル方式の符号を使った通信を行ってい
て、それはデジタル言語の獲得とともに、脳の中枢神経回路の計算能力が高速・
多機能化していたことを物語る。

 人類は、デジタル言語とともに獲得した思考能力、計算能力、理性をはたらか
せて、その結果、自分たちは、この地球の資源や自然を支配する立場にあり、す
べての野生動物や天然植物を所有し略奪する権利があると誤った考えをもつよう
になった。

 その結果、19世紀初頭に10億人であった世界人口は、20世紀初頭には15億人に
増え、21世紀初頭にはなんと60億人を越えて、あっという間に70 億人になって
しまった。森林は消え去り、野生生物もいなくなり、人類が自由に世界から略奪
できる資源は、もう残っていない。

 資本主義が、成長を止め、崩壊しつつあるのは、外部から只で持ち込める利潤
がなくなったからではないだろうか。経済学の用語でいえば、「人類の発展は、
自然や野生動物という外部経済の取り込みによって可能であったのだが、ついに
自由に略奪できる経済外部が消失してしまった」、それが現在起きている不況の
真の姿であり、百年に一度の不況というよりも、文明の終焉とよぶべきであろう。

 実は、世界人口が50億人を超えたとき、我々はその予兆に出会っていた。1986
年のことだ。

 1986年1月、アメリカのスペースシャトル「チャレンジャー?号が打上直後に爆
発した。それからわずか3ヶ月後、ソ連(当時)のチェルノブイリ原子力発電所が
爆発し、世界に放射性物質が撒き散らされた。ヨハネ黙示録に登場する「ニガヨ
モギ」は、ロシア語でチェルノブイリである。黙示録に描かれた世界が地上に実
現したのだ。
「第三の御使ラッパを吹きしに、灯火のごとく燃ゆる大なる星、天より隕ちきた
り川の三分の一と水の源泉との上におちたり。この星の名はにがよもぎといふ。
水の三分の一はにがよもぎとなり、水の苦くなりしに因りて多くの人死にた
り。」(ヨハネ黙示録より)

 株価の大暴落であるブラックマンデーも同じ頃おきた。これが文明の試合終了
時刻であったのか。チェルノブイリ以後の時代は、試合時間が終了したものの、
人類が最後に残された時間で何をするか、審判がホイッスルを手にしながら、成
り行きを見守っていた「ロスタイム」である。

 チェルノブイリ以降、人類がやったことを振り返ってみると、我々は文明の終
了時間をむしろ早めるためにあくせくしてきただけだと思えてくる。
 
 あわてて東西冷戦を終焉させて、グローバル化に走った。このグローバル化こ
そ、理念もルールもない、金儲けだけを考えた、無慈悲なもので、地球上に最後
に残されていた森林であるシベリアの寒帯林の木材を叩き売りし、ブラジルの熱
帯雨林を伐りつくして新たな農地開発を行なった。そして、インドや中国の安い
労働力を世界経済を運営するために使うことによって、先進国労働者を低賃金で
不安定な地位に追いやったのだった。

 また、民営化という美名のもとに、国家の共有資産を叩き売りして、一部の者
たちの利益を生み出す行為が、先進国、発展途上国を問わず、世界中で行なわれた。

 その結果、昨年秋におきたリーマンショックや製造業の販売不振は、ついに審
判が「ノーサイド」の笛を鳴らしたと捉えるべきだ。

 だから今の不況から脱皮すること、回復することは、もしかするとありえない
ことなのかもしれないといった覚悟をしておいたほうがよいだろう。環境問題も
深刻化するばかりである。世界はこれから大絶叫マシーンとなって、我々が予想
もしていなかった悲劇をまざまざと見せ付けてくれることだろう。

 しかし絶望する必要はない。これは、人類文明の数万年の帰結として起きてい
ることであって、あなたの責任でおきたことではないのだ。むしろあなたは、巷
でおきている悲劇と心身ともに一体化することで、今までにないカタルシスを楽
しむことができるかもしれない。一日を生きのびることの大変さや辛さを人々と
共有できる千載一遇のチャンスである。忙しい仕事一途の人生から自由になっ
て、人類文明の行なってきた数々の過ちを反省するための物語をする時間である
のだ。厳しい時代におたがいが助け合って生きていくことを求めなければならな
いのだ。

「狂気にみちた夜にこそ、人は真理を垣間見る」(ブレヒト)というが、文明の
終焉段階を迎えて、人類はやっと人間とは何かを理解し、これまでに人類が冒し
てきた多くの過ちを反省し、宇宙の真理を見据えて生きていく時代を迎えたの
だ。そのことをとにもかくにも喜んで、明るく、元気に、正しく、前向きに、生
きていこうではないか。(2009.3.14)


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