3248.明治維新の思想の源流を求めて



27日、28日と2日間で水戸に行った。Fより

上野から特急「スーパーひたち」で1時間の水戸は江戸に近いし、
同じ徳川家であり、江戸幕府に家系的にも近かった。しかし、その
水戸は、ある意味、江戸幕府を倒す思想の原点でもあったのである。

水戸藩は250年もかけて「大日本史」を編纂した。明治維新を起
こした理論的な支柱が水戸学や国粋思想である。この水戸学とは何
かを知るために行ったが、世界同時不況で米国が衰退して、次の覇
権国家が決まるまでは、大きな歴史的な混乱があると見る。

現在、米国幕府が潰れる可能性があるが、その米国の思考文化に近
いのが日本であるが、江戸時代の水戸藩と同じような位置に居る。
日本は、米国幕府を倒す思想と技術を持っている。

このように当時の水戸を今の日本に、当時の日本を今の世界にする
と、明治維新に匹敵する世界維新が起こる可能性が現在あり、水戸
学と同様な論理的な支柱が世界に必要になると思い、水戸に仲間3
人と行ったのだ。

この水戸学を西郷など維新に活躍する獅子たちに伝達したのが、藤
田東湖である。水戸藩主の徳川斉昭が、自分の息子である15代将
軍の慶喜を助けるために、江戸に出仕した時に、片腕として藤田東
湖を連れていった。東湖は、「回天詩」に見るように気有壮大な詩
に決意を込めている。これが、以後の天狗党や維新の獅子たちに大
きな影響を与えている。

この東湖の元に西郷やいろいろな獅子たちが、日本をどう変革する
かを日本の歴史などを見て議論した。そのときに東湖は先生役で、
日本の歴史を教え、日本の進むべき道を示唆したのだ。

この影響を受けて、西郷を中心とした薩摩藩は尊皇攘夷になってい
く。しかし、東湖は安政の大地震で惜しくも死んでしまったのだ。
そして、水戸では武田耕雲斉などが起こした天狗党が弾圧を受けて
、維新の主導権は薩摩や長州になって明治を迎えることになる。

この水戸学は、天皇を中心とした国家体制にすることであり、その
中心に神道哲学がある。水戸蕃士のための常盤共有墓地で格さんの
お墓を見たが、何々家奥津城というように神道風の墓がたくさんあ
る。榊が上げられているし、線香立てもない奥津城(オクツキ)が
ある。神道では奥津城とはお墓のことである。

水戸学の基本は天皇を敬う神道であり、質実剛健の気風である。水
戸納豆の豆が小さいように土地が肥えていなく貧土であり、このた
め、蕃の財政も豊かではない。普通、「衣食足りて礼節を守る」で
あるが、この水戸蕃は不作に備えるなどをして、衣食を粗末にして
も礼節を守るような教えにしたのだ。このため、華美を嫌う質実剛
健を出し、かつ弘道館を作り、礼節や水戸学の教育を行ったのだ。

その結果、水戸の偕楽園は梅で有名であるが、その中心にある好文
亭は250度以上の非常にいい見晴らしができるが、その庭には木
の花はあるのに草の花はない。土をそのままにしている部分も多い。
飛び石はあるのに、砂利もあまり引いていない。華美を嫌う文化が
そこにも影響しているように感じた。そう見ると、千波公園にも草
の花がない。端に少しある程度であり、町全体でも切り花があまり
ない。そこに水戸の特長がある。質素であり、質実剛健なのだ。

今後、世界的な混乱を納める指針は、自然と人間が調和した緊張の
ある関係を思想化することであるが、この方法として、貧困な国で
も受け入れられる質実剛健な水戸学的な文化のあり方は大いに参考
となるのではないかと見る。日本は水戸学として、世界に通用する
自然と人間のあり方と質実剛健にした思想を世界に向けて教育する
必要があるのだ。

しかし、質実剛健自体が、現在の日本には既にない思想である。そ
こが気になって帰ってきた。

さあ、どうなりますか??


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