3219.麻生政権の支持率回復の可能性について



麻生政権の支持率回復の可能性について

                                                      日比野

1.麻生篭城
久々に国内政局について。

支持率が低迷し、政権末期とも言われる麻生政権。

かんぽの宿、郵政見直し発言、小泉発言、中川財務相辞任と俄かに
政局が騒がしくなってきた。現今の状況を少し戦国時代風に、敵味
方を整理してみると次のようになろうか。

味方:与党:麻生総理、閣僚、麻生派、外資族以外の自民党議員、
      公明党
敵:与党離反組:自民党上げ潮派(外資族)、自民党若手の一部
敵:対立勢力:民主党、その他野党
敵:敵対勢力:マスコミ
中立:中立勢力:国民
味方:支援勢力:地方自民党県連、国民のネット主体の麻生応援団

麻生総理の味方は、官邸と麻生派議員に外資族以外と、一部のネッ
ト上の麻生応援団。あとは多数の敵。

ここで問題になるのは、麻生総理に対する敵味方双方の距離。

政権に一番近い与党でも、総理の郵政見直し発言を期に離反勢力と
して、小泉元総理、中川秀直元幹事長などの郵政見直し反対派を中
心とした離反勢力があって、その直ぐそばには、対立勢力としての
民主党がいる。さらにその外側に大手マスコミがいて、麻生政権叩
きを繰り返している。

肝心の麻生総理の味方となる県連や国民はマスコミのさらに外側に
いる。

麻生政権を戦国時代の城に例えると、麻生城の周りには、郵政見直
し反対派軍、民主党軍、マスコミ軍と主に3つの敵対勢力に囲まれ
て、すっかり包囲されている。

麻生総理は、自らの居城に篭って、篭城戦を余儀なくされている。
 


2.包囲する勢力

篭城戦に入っている麻生総理。味方の県連や麻生総理を応援する国
民はいることはいるのだけれど、敵対勢力にすっかり城が包囲され
ているから、味方とは分断されている。

麻生城下の民衆の数、つまり有権者は物凄く多いから、彼らを味方
につけることができれば、包囲している敵など蹴散らせる。だけど
城下の民衆は、じっと様子を伺っている。篭城している麻生軍もも
う駄目じゃなかろうか、と見ている。

篭城戦で大切なことは、ただ立て篭もってじっとしているのではな
くて、援軍を呼んで、包囲している敵の背後から急襲させるか、包
囲の隙を突いて突破を計ること。なにもしなければ、兵糧が尽きれ
ばおしまいになる。

麻生城内の兵糧は9月まで。どんなに粘っても9月には総選挙をや
らざるを得ない。

麻生総理および政権の動きを見る限り、国内政策はとにかく守備に
専念して、外交で点数を稼ごうとしているようにみえる。ねじれ国
会では法案は全然通らないから、そういった邪魔が入らない外交に
力を入れるのは当然のこと。

現に、麻生総理は、外交に手腕を発揮して、世界の経済危機を克服
しようとしている。外交的成功および経済対策の実効を挙げること
によって支持率の上昇を図っている。

あたかも僅かな手勢で、城を抜けては他国に救援を求めているよう
なもの。そして現実に目覚しい実績を上げている。

IMFのストロスカーン専務理事は日本のIMFへの1000億ド
ル拠出に対して「人類の歴史上、最大の貢献だ」と謝意を表明して
いるし、イタリアはG7において日本が保護主義に反対の意思を示
したことを高く評価している。

他国は麻生城へ援軍を送っているといっていい。

だけど、麻生城を包囲する敵対勢力の民主党軍やマスコミ軍はそん
なことを麻生城下の民衆に知られないように、周囲を固め、情報封
鎖している。援軍が向かっていることを知らない城下の民は諦めて
開城すればいいのに、と思ってる。

城を包囲された篭城戦。多勢に無勢。これでどこまで持ちこたえら
れるのか。
 


3.上田城合戦

「ことごとく腰がぬけはて、震えて返事も出来ず、下戸に酒を強い
 たるが如し」

大久保彦左衛門『三河物語』より。


戦国時代には、圧倒的少数で篭城戦をして攻城側を撃退した例がい
くつかある。中でも有名なのは、なんといっても上田城合戦だろう。

天正十三年(1585)八月二日、徳川家康は鳥居元忠を総大将と
して平岩親吉、大久保忠世らにおよそ7千から1万の兵を率いさせ
 真田領に侵攻させた。

この報せを聞いた、真田領当主の真田昌幸は、築城の途中だった、
上田城での籠城を敢行する。その兵わずか2千。

真田昌幸は自ら率いる4〜500余を上田城本丸に、城の横曲輪
(よこぐるわ)を初め諸所にも兵を配置、城の東南の神川(かんが
わ)に200の前衛部隊、伊勢山(戸石城)には嫡男である真田信
之の800余を配置してこれを迎え撃った。

真田昌幸は、負けたフリをしてわざと徳川の三河兵を城内深く誘い
込んでから弓・鉄砲で反撃、城内の500の兵と横曲輪(よこぐる
わ)に集結した兵を押し出させ、上田城の町家には折からの強風に
乗せて火を放った。

山野に伏兵していた武装農民はこの火を合図にいっせいに徳川勢に
打ちかかり、真田信之の指揮する800は戸石城より討って出て徳
川勢の退路を遮断。徳川勢は大混乱に陥った。

撤退する徳川勢は、戸石城から討って出ていた真田信之の突撃によ
り陣を崩され、 四散した兵は神川で溺死するという被害を出した。

この戦いでの徳川方の死者は1300余、一方の真田方の死者は4
0余とされている。圧倒的勝利といっていい。

麻生政権は、今こそ、この真田昌幸の上田城合戦に学ぶべきだろう。

上田城合戦で特筆すべきは、守り手の真田軍が、農民・商人など民
衆を篭城戦に参加させていたということ。真田昌幸は、周辺の村々
の住民を呼び寄せ、惣構えの内部に屋敷地を割り振って、彼らを移
住させていた。人工河川の矢出沢川で囲まれた丸の内の中に、農民
をも住まわせ、彼らをして篭城戦に参加させたのが勝利の鍵であっ
たという説がある。

これを今の麻生政権に応用すればいい。つまり政治を政治家だけに
させるのではなく、一般国民にも政治参加させるということ。

 

4.真田忍者とアルファブロガー

「日本の歴史と文化に敬意を表したいから」

先に来日したヒラリー・クリントン国務長官が、明治神宮を訪れた
際、沿道からの記者の呼びかけに対する答え。

実は、クリントン国務長官は、来日中記者だけでなく、一般ブロガ
ーも同行させたそうだ。同行したブロガーはフリージャーナリスト
の中岡望氏で、自身のブログでその顛末を公開している。

このブロガーを同行させて取材させるという手法を麻生総理も取れ
ばいい。自分の周りにマスコミ記者しかいないから、城が包囲され
てしまう。自分の都合の良いところだけを切り取って叩くマスコミ
なんかは相手にせず、一般のブロガーにも同行取材をさせて、ネッ
トで発信してもらう。武装農民を上田城に住まわせた真田昌幸と同
じことをする。

一般ブロガーにネットで配信した情報と、マスコミが報道する内容
の食い違いがあれば「祭り」にすればいいし、マスコミの広告主へ
電凸なり、広告引き上げを依頼するなりすればいい。

また、麻生総理も、嫌いな記者をさし置いて、ブロガーの単独取材
に応じたっていい。一般国民の声を聞きたいのだ、とかなんとか言
って。

各地を遊説するときなんかも、その地方の地元ブロガーに依頼して
同行取材してもらえばいい。希望者は大勢いるだろう。

できれば、地元の有力者とブロガーの二人一組で同行するのがいい
。なぜかというと、ブロガーの同行取材の狙いは、正確な情報を配
信することと、ネットのみならず地域に密着した情報配信にあるか
ら。

ネットが普及したとはいえ、まだまだ高齢者はネットなんか使わな
い。だからそういう層には、地元の有力者に情報伝達してもらう必
要がある。

同行取材したいくらいのブロガーであれば、メディアリテラシーが
しっかりしてる。メディアの嘘には簡単にだまされない。鋭い質問
を浴びせつつ、客観的で公正な報告をしてもらえる筈。今のメディ
アによる総麻生叩き報道よりはずっとマシ。

そうすることで、総理の本当の思いややっていることを発信する拠
点が全国各地にできることになる。あとはネットなり口コミでもな
んでもして広げていけばいい。

大阪冬の陣で活躍した真田幸村が設けて、奮闘の拠点となった真田
丸。全国各地の同行ブロガーが真田丸としての役目を果たすことで
、麻生城を包囲しているマスコミ軍を後ろから挟撃することもでき
よう。

真田忍者ならぬ麻生忍者軍団。麻生総理がこれを得ればまだまだ頑
張れる。落城はまだ先の話。

尤も、事ここに至っては、どうやったところで、大勢は変わらない
かもしれないけれど、少なくとも気に入らない政権はマスコミが包
囲して落城させる構図からはそろそろ脱却すべき。政治は国民の為
のものなのだから。
 
(了)



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