3218.次の経済思想はどうあるべきか?



米国の金融危機で、米国が世界の経済体制の中心にいられる状況で
はなくなっている。次の世界経済の考え方はどうなるのか検討しよ
う。   津田より

0.はじめに
欧米の金融危機からその軍事力に割ける予算が減少している。そこ
に比べて中国の軍事費は増大している。それと中国の経済発展に世
界はその需要に期待して、欧米は中国への傾斜を強めている。米国
の政治評論家からは、今後世界は米中2ケ国で覇権を維持していく
方向に米国の政策は行くべきと述べる評論家もいる。

しかし、経済的な中心に中国がなるには、人権問題や政治体制など
欧米諸国だけではなく、民主国家全体にとっての政治的・文化的な
問題を中国はクリアする必要がある。しかし、現時点ではこの人権
問題に批判が来ると内政干渉と中国は反発している。このような状
況では世界の中心になることは無理がある。

欧米、日本などの世界では人権の保証という問題では譲歩ができな
いレベルへ文明が高度化している。人間の尊厳に対して、それを政
治的に貶める政権を認めることはできない。このため、中国の政治
的な高度化がないかぎり、世界の中心に中国を存在させることはで
きない。民主化できるかどうかが中国に問われているのだ。

それでは、欧州かというと、東欧の国家破綻などの問題があり、こ
の解決をする必要があり、欧州も現時点では世界の経済体制を面倒
見る状況ではない。欧州でもドイツ経済は堅調であり、東欧の面倒
を見るというが、世界を見れるほどではない。ドイツの銀行も証券
化商品を大量に保有しているので、大きな損失を抱えている。

日本も世界的な耐久消費財需要が落ち込み、大変な状態である。と
いうように世界経済を牽引する国はなくなっている。

このため、世界は不安定になる可能性が高い。世界経済の60%で
あるG8だけでは経済問題が解決しないために、G20の80%経
済で議論することにしたのであるが、経済発展は新興諸国しかない
ことにもよるのである。先進諸国で買いたいものがない状態であり
、バブル崩壊時の2000年時点の日本の調査でも、生活に満足と
答える割合が80%も占める現実が、そこにある。

その意味では、日本のバブル崩壊後の経済体制は今後の先進国の姿
を表しているようだ。L字的な回復しかできずに景気回復の実感が
ない状態に先進諸国はなるのである。

L字回復でいいという思想が世界が求めることになる。そのために
は「足るを知る」という思想を広めることになる。その思想は、日
本である。マータイさんが、「もったいない」という日本語を世界
に広めたが、今後は「足るを知る」を広める必要があるのだ。

この検討をしたい。お付き合いのほど、お願いします。

1.覇権移行のシナリオ
大国の覇権が100年から120年の周期で交代すると、米国政治
学者モデルスキーが理論化した。大国は25年から30年間にわた
る世界的な戦争によって、覇権を確立した後、自らのリーダシップ
で世界規模での経済発展をもたらす。だが、やがて覇権を支える能
力が衰え競争者が出現し、国際秩序の崩壊が生じて、次の新たなサ
イクルへと移行するという。今回の米国からどこに覇権が移行する
か分からないが、このサイクルを取るとすると、軍事力強化をして
いる中国が覇権を取る可能性があるということになる。

しかし、どうもそうならないように思う。中国の政治体制は強権で
ある分、その政治的な体質は脆弱である。民主国家は選挙という手
段で政権交代ができるために、国内紛争をすることなく、政治的な
手段で政権を交代できる。しかし、中国の政治体制はそれを許さな
いので、紛争が起こり、その国内紛争を処理することで手一杯にな
ると見る。

そして、モデルスキーによると、過去500年間に、ポルトガル、
オランダ、英国、米国が覇権国として機能を発揮しつつ、交代して
きた。米国は120年の年数が経過して、次の世界大国は一体どこ
になるかを見守る必要があるが、まだその国家を見ることができな
い。しかし、どうも今までのサイクルとは違う道筋になる可能性が
高いように感じる。

というのは、モデルスキーによると、覇権を取る条件は、1に文化
、2に社会、3に政治、4に経済という。覇権を確立する過程は、
いつの時代も同じであるという。もちろん、政治の1つには、軍事
もあるが、それより重要なのが文化や社会である。このため、今回
は、日米の軍事的な同盟関係がキーになるように感じる。

2.思想的な変革
経済発展が必要な局面というのは、人間の生活が満足ではなく、不
満足な状態にあるからで、人間の生活にゆとりができれば、それ以
上の消費は美徳ではない。消費は地球資源を使い、地球を痛めるこ
とになり、だれかの生活を不満足な状態にしていることになる可能
性もある。

このように考えると、先進諸国は、経済発展してはいけないのであ
る。経済活動として発展していいのは、地球に優しい設備にしてい
くことである。

経済発展や金持ちになることが、いいことであるという世界観や思
想を見直す時期に来ているようだ。日本には、この裏づけとなる思
想がある。冒頭でも述べたような「足るを知る」である。

欲を持って活動すると、それは多くの人にとって迷惑になる。自分
も分をわきまえて、行動することが必要であるという教えである。

この証明は、全体の有効資源をどう分けると、世界全体の人たちの
満足度が最大になるかという方程式をつくれば分かる。もちろん、
その答えは、分配を平等にすることで、全体の満足度が最大になる
である。これは自明の理である。この自明の理を欧米諸国はエゴと
武力で、世界の有用な資源を独り占めしてきた。

しかし、このような欧米論理を破綻させる技術が日本でできつつあ
るようだ。

3.技術的な変革
日本は炭素繊維、カーボン・ナノ・チューブや炭素吸着技術で、地
球に大量にある炭素を有用な資源に変えることができることで、有
用資源を独り決めできないことなる。このような大量にある物質を
加工してできることで、欧米の論理は破綻することになる。

燃料電池も2次電池もいろいろな素材、部品が必要であり、その多
くの素材を揃えないと、よい電池はできない。リチウムイオン電池
で有名な三洋電機やソニーも多くの素材メーカが良い素材を提供し
てもらう必要がある。触媒、セパレータ、電解液などという多様で
性格が違う素材の組み合わせが電池の質を決めることになる。この
素材のベースもどうも炭素系の素材になる予感が最近のショウを見
ていて感じた。

もちろん、電気自動車の車体は炭素繊維樹脂で重量を落としていく
必要がある。鉄の代わりとして、その加工が簡単にできるようであ
れば炭素繊維になることは、資源の確保からも容易である。炭素は
有用な物質であるが、地球上には大量にある。この加工方法だけの
問題となれば、それはいろいろな手段ができるようになる。このよ
うに欧米の思想が破綻して、「足ると知る」が必要になる。この論
語の発展系が報徳思想であろう。それを見る。

4.報徳思想とは
 このコラムでは仕事の思想として、何度も石門心学を取り上げて
いる。石門心学が江戸時代最大の学問である。この石門心学の影響
を受けたのが、報徳思想である。報徳思想は、二宮尊徳の思想であ
る。仕事の仕方とその抑制がバランスよく配されている思想である。

二宮尊徳(1787年〜1856年)は、江戸時代後期の農政家だ。
その生涯を簡略に述べれば、農民の子として生まれたが、水害や両
親の死などにより、家の没落に直面する。しかしながら、厳しい労
働と自らの才覚により、自家の復興をみごとに成功させた。さらに
、その経験を活かし、武家の財政再興や村落復興にも次々に成功。
その手腕を買われて、晩年には幕府の役人に登用されるまでに出世
する。戦前は、子供時代の二宮金次郎の像が各学校にあった。それ
ほど戦前の日本政府はこの二宮尊徳の思想を普及しようとしていた。

その二宮尊徳が財政再興の思想として用いたのが報徳思想である。

報徳思想は、独学で学んだ神道、仏教、儒教などの概念を自由に組
み合わせて説いた豊かに生きるための知恵である。前回見た石門心
学の発展系をそこに見る。石門心学が商業に即した教えであるのに
対して、報徳思想は農業に即した教えであり、このため自然を理想
化していない。そこが石門心学とは大きく違う所である。
それではその報徳思想をみよう。

自然に行われるのは天道であり、人道は人為によるものである。自
然に放置すれば人道は行われない。人道を行うには人の意志が必要
であり、それに伴う勤労がいる。

人がいやしむ畜生の道は天理自然の道である。人の尊ぶ人道は、天
理に従うとはいっても、作為の道で自然ではない。

人道は人為のものであることを強く説いている。人道というものは
天然・自然の道に相対するもので、天然・自然に放置しておけば、
人の生活は成り立たない。そこで教えを立て、刑法を定め、礼法を
制して、やかましくうるさく言って、ようやく人道はたつものだ。
自然の道は永久に廃れることはないが、作為の道である人道は怠れ
ば廃れる。

人道は勤めることが尊しとして、自然にまかせるのを尊ばないのだ。
しかし、天道と人道は相和して百穀も実るのだと説く。人間は自然
にまかせておけば私利私欲に陥る。それを抑えるのが人道だ。

しかし、モラルは時代や環境で変わると相対化してみて、善悪を絶
対なものと見ないから、絶対の善人がいないと同様に絶対の悪人は
いないと考える。人には長所も短所もある。その長所を導き出して
短所を矯めるのが教化であるという。

この思想は経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく、
社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く。

その実際の行動を報徳仕法と呼び、「勤労」、「分度」と「推譲」
の三原則を基本である。「勤労」は生活の基本であり自助努力の大
原則ですが、同時に知恵を働かせて労働を効率化し、社会に役立つ
成果を生み出すという自覚を重視します。

「分度」は経済的には、収入の枠内で一定の余剰を残しながら支出
を図る生活、経営の確立。計画経済の基本です。この余剰が、明日
の、来年のそして未来の生活、生産の発展と永安のための基礎資源
となります。このため、復興の対象とする家や領地の歳入歳出を
数十年分にわたり、徹底的に調査し、そこに見合った経営規模の枠
を決定することで二宮尊徳は多くの農村を復興した。

「推譲」は、分度生活の中から生み出した余剰、余力の一部を、各
人が分に応じて拠出します。これが報徳資金になり、相互扶助、公
共資本あるいは弱者、困窮者救済に宛てられ、家政再建、町村復興
、国づくりが進められます。尊徳は桜町領復興に当たり、小田原の
田畑家屋敷、家財を全て売り払い、それを仕法の資金として推譲し
ました。 

「積小為大」は小を積んで大を為す。大事をなそうと思ったら、小
さいことを怠らず勤めよ、小が積もって大となるからだちいうのだ。

尊徳は、方法論の位置づけ体系化として「一圓融合」と言い、宇宙
万物の生成発展は、太極を根源としている。この根源から諸相が生
まれるとする。

現代人の多くは経済的拡大を目指すあまり、権利意識、自己中心的
風潮を高めすぎており、「道徳を忘れた経済は罪悪である」を行な
っているといっても過言ではない。
このため、「経済を忘れた道徳は寝言である。道徳を忘れた経済は
罪悪である。」と道徳と経済一元化を説いた尊徳の思想は、今の日
本に必要な思想であると思う。

そして、尊徳のいう「一圓融合」の中での「分度」を考え、調和の
取れた「持続的発展」を維持するための行動が重要になっていると
いうが、これを現在風に方程式にすると、最初のような最大多数の
幸福式になるように思うが、しかし、ある幅の格差は必要である。
人間は向上心がなくなると、怠けることになるし、努力をしない。

ブータンの国王は、ブータンに生きる全生命の幸福というようなこ
とを言っていたが、日本に生きる人間を最大幸福にするためには、
道徳と経済を同一的思想にする必要がある。しかし、平等が言い訳
ではない。経済的な格差をある程度の幅にしておくということを必
要なのである。

平等すぎると、国家にぶら下がる人間が大量に出てくると、これも
大変なことになるので、格差を広げずに、かつ格差を付ける必要も
ある。

==============================
「激しい弾圧」続く 米の人権報告書、中国を強く批判 
(nikkei)
 【ワシントン=弟子丸幸子】米国務省は25日、諸外国での人権改
善への取り組みをまとめた2008年版の人権報告書を発表し、中国に
ついて「激しい文化・宗教弾圧」が続いていると強く非難した。中
国政府の取り組みは乏しく、「悪化している分野がある」と指摘。
北朝鮮、イラン、ロシア、ミャンマーなどの人権問題への対応も批
判した。

 米国務省は例年、同報告書で中国を批判しているが、チベット自
治区の弾圧問題、北京五輪における反政府活動家の厳しい取り締ま
りがあった08年は、例年にまして批判のトーンを強めた。中国では
プライバシーの権利、言論・集会・結社の自由について「市民が制
限を受ける状況が続いている」と強調。政府当局による拷問、自白
の強制、強制労働があると指摘した。

 ヒラリー・クリントン米国務長官は同日、人権報告書について記
者団に「人権の推進は、我々の外交政策の本質的要素だ。国務長官
として、私は自分のエネルギーを人権に注ぎ続ける」と語った。
 (18:11) 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「人権口実に内政干渉」 中国、米に反論 
(nikkei)
 【北京=佐藤賢】中国外務省の馬朝旭報道局長は26日の記者会見
で、中国の人権状況を非難した米国務省の2008年版人権報告書につ
いて「人権を口実とした中国への内政干渉に断固反対する。米国は
自国の人権問題をよく反省すべきで、もう人権擁護の国だと自任し
ない方がよい」と反論した。オバマ米政権下でも米中間の人権問題
を巡る対立が表面化してきた格好だ。 
(22:59) 
==============================
2496.江戸の思想1(石門心学)
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/181022.htm

江戸時代の代表的な思想は、儒教(朱子学)、国学、石門心学、蘭
学でしょうね。この思想を見てみたい。   Fより

石門心学が一番、現在に影響を与えている。日本の資本主義精神の
基礎は、この石田梅岩の思想である。欧米の資本主義の精神がプロ
テスタント教の精神が基礎にあるのと同じような状態にある。

このため、欧米資本主義と日本の資本主義は、その基礎のレベルで
違うことになる。日本は契約より話し合いをベースにした社会であ
り、企業と言う共同体の一員としての雇用のために、終身雇用が定
着している。

そして、その精神的な部分は、石門心学によっている。その石田梅
岩の思想の基礎は江戸初期の鈴木正三の思想である。
正三の思想は、「仏法則世法」で生活の業を立派な行為と考え、心
がけ次第で労働をそのまま仏行となしうるとした。農業則仏行なり
となる。農業を修行と考えて行動することを求める。商人の利益も
否定しないで、正直の道にいれば修行である。人に奉仕した結果が
利潤を生むことはいいことになる。

この鈴木正三の思想を発展させたのが、石田梅岩の石門心学である。
正三が宗教家として説いた修行方法を、梅岩は非宗教家である思想
家として思想に置き換えた。役に立つ物は真理であるので、古来の
思想のいい部分を使って証明しようとする。その根本は「本心」の
存在においている。「本心の学」から心学となった。梅岩の基本も
正直であり、「本心」に対して正直であれの意味になる。

これに比べると、聖書には「本心」は登場しない。梅岩は「本心」
とは何かを問い詰める。「本心」は自然である。自分の中に天然自
然があり、それが「本心」を構成していると見る。このため、日本
では「不自然」という言い方が、批判になる。

「心」すなわち内心の秩序と、宇宙すなわち天然自然の秩序は同一
であり、この2つをつないでいるのが「形」であり、「形」に従っ
ているのが自然であるように、人と社会をつなぐのが「形」であっ
て、この「形」に従っているのが自然であり、それに従うのが「道
」であり、その基本をきわめたものが聖人ということになるのであ
ると。

世俗の業務に宗教的な意義を感じ、すべてを度外視して専念し、人
間の倫理=道と考えて、これを実行し良心を満足させ、さらに倹約
しているなら、資本が蓄積して、その結果として利潤が世界最高に
なってしまうのも不思議ではない。

そして、梅岩は倹約を説く。その基本は「自制」であり、それが社
会秩序の基礎と考えている。

以上、現在の日本の資本主義は、その精神が梅岩の石門心学の思想
でできている。それを変えようとしても無理で、この石門心学にあ
る精神で日本流の資本主義を営むしかない。それと日本の心学を徹
底した方が、日本人には分かりやすい。欧米の資本主義思想を持ち
込んでも、言葉だけが流行して、その後は廃れることになる。

CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)
を梅岩は説いている。「二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、自死する
やうなこと多かるべし」「実の商人は、先も立、我も立つことを思
うなり」と、実にシンプルな言葉でCSRの本質的な精神を表現した
石田梅岩の思想は、近江商人の「三方よし」の思想と並んで、「日
本のCSRの原点」として脚光を浴びている。

二宮尊徳は日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕
法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家であるが、
その二宮金次郎にも多大な影響を与えている。日本の倫理的な資本
思想は鈴木正三、石田梅岩が築いたのです。

根本に日本人としての神道的な思想が染み込んでいる。この観点を
戦後、封建主義として捨てているが、その復興が必要な気がする。
そうしないと、今後もライブドア事件や構造計算偽造事件が起こる
でしょうね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本の私塾一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本の私塾一覧では、江戸時代半ばから幕末にかけて、当時の教育
の一翼を担った代表的な私塾の一覧を提供する。江戸時代の教育水
準は国際的にみても高かったと考えられ、武士はもちろん、商人や
農民の間にも読み書きなどを学ぼうとする教育への関心が高かった。
僧侶や浪人らが子どもに読み書きそろばんを教える寺子屋から、名
の通った学者が指導し人材を輩出した著名な塾まで、さまざまな私
塾が存在していた。さらに幕末に近くなると蘭学塾、兵学塾、医学
塾など多様な学問の私塾も見られるようになった。塾として教育を
行った期間は短いが後代に大きな影響を残したものや、また明治以
降も、近代教育制度の中にその伝統が続いていったものなどがある。

・漢学塾 
護園塾(江戸) - 荻生徂徠 
心学講舎(江戸) - 石田梅岩 
藤樹書院(滋賀県・青柳) - 中江藤樹 
明倫舎(京都) - 手島堵庵 
古義堂(京都) - 伊藤仁斎・伊藤東涯 
懐徳堂(大阪) - 中井甃庵・中井竹山ほか 
洗心洞(大阪) - 大塩平八郎 
黄葉夕陽村舎(広島県・福山) - 菅茶山
(黄葉夕陽村舎はのちの郷学 廉塾の前身) 
青谿書院(兵庫県・宿南) - 池田草庵 
松下村塾(山口県・萩) - 吉田松陰・玉木文之進 
咸宜園(大分県・日田、大坂、江戸) - 広瀬淡窓・広瀬旭荘 

・主な心学講舎
京都:五楽舎、修正舎、時習舎、明倫舎、恭敬舎 
大坂:明誠舎 
江戸:参前舎 

・西洋医学の塾 
鳴滝塾(長崎県・長崎) - シーボルト 

・蘭学塾 
芝蘭堂(江戸) - 大槻玄沢 
適塾(大阪) - 緒方洪庵 
天真楼(江戸)- 杉田玄白 

・書塾 
楽群堂(江戸) - 亀田鵬斎 
蕭遠堂 (江戸)- 巻菱湖 
小山林堂 (江戸)- 市河米庵 
須静堂(京都) - 貫名菘翁 

・画塾 
写山楼 (江戸)- 谷文晁 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
実心実学の発見−いま甦る江戸期の思想
From: gesell

日本・東アジア実学研究会さんから、小川晴久編著、
『実心実学の発見−いま甦る江戸期の思想』、論創社刊

目次

序論 実心実学とは何か、その視点 小川晴久
*
貝原益軒の『楽訓』の世界/自然と読書
−−二つの楽しみの源泉  小川晴久
熊沢蕃山の”民衆的儒学”と”生態学的文明論”  荻生茂博
宮崎安貞−−孤高の農哲学者−−  黄用性
石田梅岩−−心学の本質−−  山崎益吉
安藤昌益−−収奪の世から自然の世へ  古藤友子
三浦梅園−−天地の人と天地の道−−  小川晴久
山片蟠桃−−上方町人の無神論的合理主義−−  別所興一
大蔵永常における自立経済  森野榮一
二宮尊徳−−人道としての至誠実行の学  古藤友子
渡辺崋山−−徳治主義と”世界普遍の道理”の自覚  別所興一
横井小楠の実学  山崎益吉


 

コラム目次に戻る
トップページに戻る