3207.森の再生



NHKで、森の再生のプロが出演していた。日本には昔から森を資
源として使っていた歴史がある。この森が衰退したのは、戦後であ
る。海外の安い木材が日本に流入してきて、日本の林業を衰退させ
た。しかし、世界的に伐採が進み、木材が不足し始めた。日本の森
林は木材価格が低いために、切り出されていない。このため、今復
活のがチャンスになっている。このチャンスを生かすプロがいるこ
とに安心した。

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀
「森に生きる、山に教わる
〜森林再生人・湯浅勲〜」
日本の人工林が危機に瀕している中、京都府日吉町で大規模な森の
再生を成し遂げた森林組合の参事、湯浅勳(57)、全国から注目
を集める湯浅の森林再生の現場に密着する。

日本の森林の4割を占めるスギやヒノキの人工林が危機に瀕(ひん
)している。安い輸入材の影響で手入れもされず放置され、倒木や
土砂崩れなど、深刻な被害が続出。そんな中、熱い注目を集める男
がいる。湯浅勲(57歳)。京都府日吉町の森林組合を束ねるリー
ダーだ。荒れていた日吉の人工林の7割を生き生きとした姿に生ま
れ変わらせ、関係者をあっといわせた。日々、全国各地の森をよみ
がえらせようと奮闘する湯浅の姿を描く。


手をかければ、森はよみがえる
今、日本の森の三割が、倒木や土砂崩れなど深刻な被害に見舞われ
ている。森の手入れには金がかかる。しかし、戦後、国策で造成さ
れた広大な人工林が、安価な輸入木材の影響で、間伐など必要な手
入れもされずに放置されていることが原因だ。湯浅は知恵と工夫で
コストを大幅に削減し、荒れていた故郷の森を劇的によみがえらせ
たことで、全国から注目を集めている。「きちんと手をかけてやれ
ば、人工林でも天然の森と同じように、恵み豊かな森となる。人間
が始めたことだから、最後まで責任を持って木々を育てなければな
らない」と湯浅は言う。

答えは、山に聞け
日々、荒れた森に分け入り、再生に挑む湯浅。100年先の姿を思
い描きながら、太く育つ木々を選び、その成長を阻害する周囲の木
は伐採する。その選択眼は森に生きてきた湯浅ならではのものだ。
地中深く根を張り、土砂崩れから森を守っている木を切り倒さない
よう、地形を慎重に見極める。間伐材の運搬などに使う作業道の設
置も同様だ。雨水や地下水が流れる場所に安易に道を作ると、すぐ
に崩れて使えなくなる。「まっすぐに行きたい所へ行くと、不自然
になります。山が通してくれるところを通ってやらないと。人間の
身体でも、多少切れてもすぐに治る場所があるじゃないですか。
そういう所が、山にもあるんですよね」。
 
心が納得してこそ、前に進める
湯浅は35歳の時に転職し、故郷の森林組合で働き始めた。だが
当時は財政難で荒れた森は放置され、仕事は地元のダム工事の手伝
いばかりだった。さらに現場の作業員たちは低賃金の出来高払いと
いう、劣悪な労働条件の下で働いていた。「現場作業員たちの犠牲
の上に自分たちの生活があり、しかも本来の仕事である森を守り育
てる事業は一切行っていない。これでは、心が納得しない」。湯浅
はわき上がってくる思いを抑えきれず、改革に乗り出した。それが
、奇跡と呼ばれた故郷の森の復活劇につながっていく。今も湯浅は
、自らに問い続ける。この仕事に心が納得しているかどうか。そう
でなければ、前には進めない。
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湯浅さんは、「森の探偵」だ。
投稿者:すみきち 

スタジオで、具体的な森の写真を見ながら足を踏み入れたとき、
どこをどう観察して、なにがわかってくるのか?
というお話をうかがっていたら、
ピンクパンサーの音楽がわたしの頭の中で鳴った(ピンクパンサー
は逃げるほうだけど)。
タラッタラッ、タラッ、タラッタラッタラッタラッタラ〜〜、タラ
ララ〜ン♪だって、なんの変哲もない森の写真から、
土の下にある沢、掘ったときに見えるであろう地層、木の根っこの
場所、どんなことが起こってこの地形ができたのかまで、
まるで、現場に立った名探偵が証拠をめざとく見つけて犯人を割り
出すように、解き明かしてみせるのですから!
 
しかも、自分の住む京都府日吉町の森は、ぜんぶ、手に取るように
わかるらしい。地図なしで一日山に入っても、ぜったいに迷子にな
ることはないそうだ。裏庭のようだ、という。すごい!!!

きっと、わたしたちが毎日の通勤路や地元の住宅地で迷うことがな
いのと同じように湯浅さんは、地元の森をマスターしているのだろ
う。
 
そんな風に森を知り尽くし、読み尽くせる湯浅さんの「森林再生」。
それは、ただただ、自然の森を守ろう!というようなものではない。
日本の暮らしの中に、昔から身近にあった「山の森」を、今後、
まったくの自然林に戻すのか、それとも、人が定期的に手を入れて
管理していくのか、それを評価・判断し(アセスメント)、実行し
ていく仕事なのだ。

理念を唱えるのみならず、まず予算ありきの計画を考えるため、非常
に現実的だ。
例えば、急勾配すぎるところにある荒廃した人工林は、管理に入るの
に費用がかかりすぎるので、敢えて自然林に戻そう、などと判断して
いく。
 
そう考えると、湯浅さんは、「森の医師」でもあるかも。
森を診察し、今後、薬を飲むのか、自然治療でいくのか、病院に通
うのかなどを、プロの目で決めていく。
感情じゃなく、経験と論理と知性で、テキパキと決めていく。
机上ではない、“山上のプラクティカリティ”だ。

天職のようなこの仕事に湯浅さんが出会ったのは、なんと35歳に
なってからだ。日吉町で生まれ育った湯浅さんは、一度は都会に出
て会社勤めをするが、すぐに自分に合わないと気づく。
「自然の近くにいたい」「ふるさとに帰りたい」とずっと思ってい
た。湯浅さんが35歳のころ、森林組合の職員だった湯浅さんのお
父さんが定年を迎え、自分の代わりに働いてくれる職員を探してい
たそうだ。
 
「父は、当時の組合長から、『辞めるんなら代わりを探してこい』
と言われて、あっちこっちに若い人がいるところへ行っては頼んで
いたんですよ。ところが当時、高度成長期で、森林組合なんて、と
いう状況で、誰もいなかったんですね。
 半年ほどその様子を見ていて、あるとき、ふと、『俺やってみよ
うかな』と、こう、ひらめきまして。
 おやじに『そんだけ探していないんやったら、俺あかんか』と言
ったら、『お前、そんな給料安くなるの、やっていけるか』みたい
なことを言われました」
 
そして、湯浅さんは、「生活さえできれば、給料の金額よりも日々
の充実だ、それが積み重なってこそ、初めて、いい人生だ」
と考えて、森の再生人の道を歩き始めたのだ。
おおお・・・!
お父さんから継いだ形になっていたこと、そして、半年ほど経って
急にひらめいたという話に興奮した。
偶然とは思えない巡り合わせで、人生は動いていく。
パワフルに目標に向かって活動する湯浅さんの姿に、
そして、空に向かって力強く、まっすぐに伸びる森の木々の姿に、
ダイナミックな確信をいただいた。


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