3132.現代という芸術



現代という芸術

フォーディズムの終焉

 アメリカのサブプライム問題による金融危機のあと、ビッグ3をはじめとする
世界の自動車産業の販売不振ぶりを聞いて、いよいよフォーディズムの時代が終
わるのかとしみじみと思った。今年はT型フォードが発売されてちょうど100年
の節目にあたる年である。「奢れるものも久しからず」という平家物語の冒頭を
思い出す。自動車産業ですらわずか100年の命であったのかと感慨深い。

 労働者が将来稼ぐ賃金を担保にローンで自動車を買わせ、それによって大量生
産の売り先を作ると同時に量産効果で価格を下げる。この流れに人々をうまく巻
き込むために、広告業界は、マイカーの夢をまき散らし、家族や恋人とのドライ
ブを憧れるように仕向けてきた。百年前にアメリカではじまった20世紀型の資本
主義は、住宅や家庭電化製品など他の多くの分野に及ぶとともに、世界に広がった。

 このシステムがいよいよ機能しなくなったのだと思う。なぜ? それは地球の
自然環境がもうこれ以上の人類による破壊や略奪の余地がないほど、破壊しつく
され略奪しつくされてしまったからだ。今回の大不況は、地球環境問題と表裏一
体ではないか。成長の限界を超えてもロスタイムの時間が続いていたのだが、つ
いにノーサイドの笛が鳴ったのだ。

 わたしはこれまで、地球環境問題は異常気象と穀物不作によって、食糧問題の
形をとって人類に逆襲してくると予想していた。ところが、現実には、ガソリ
ン・道路・その他の文明的な破壊行為によって、自然界から無限の略奪を続けな
がら成長しつづけてきた自動車産業が、ついに略奪すべき自然を外部に失って、
内部崩壊する事態を迎えることになったようだ。

 自動車産業がつくりだしたモータリゼーションは、20世紀人類文明を代表して
いたライフスタイルである。おそらく自動車産業で火を噴いた不況は、他のあり
とあらゆる産業を巻き込みながら、滝つぼあるいは奈落へと人類をみちびいてい
くことだろう。この流れは太くなったり加速することはあっても、逆流すること
はない。一時的な利益を求めて戦争を起こせば、ますます地獄に近づくだけのよ
うな気がする。

 そろそろボートは滝つぼに落ちるのだろう。悩んだり心配してもはじまらな
い。文明の原罪なのだ、逃れるべくもない。かくなるうえは、覚悟を決めて、野
生動物の心にもどるのだ。ひたすら自由に、純粋に、今を、自然に、生きるほか
はない。日本の風土の中に、われらが伝統の中に、脈々と生きている「もののあ
はれ」の心を取り戻し、ただ詩心だけを磨いて生きていくがいい。

(得丸公明 2008.12.3)


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