現代という芸術 私たちは結局言葉を信じていいない 言の葉は虚実を含むものならば心清めて虚を吹き飛ばせ 得丸公明 日本人は言霊信仰もあり、我々は言葉を真に受ける傾向がある。 じゃあ、われわれは嘘をつかないかというと、けっこうついたりす るから、世の中ややこしくなる。でも、みんなが嘘をつかなくなっ たら、耳がいたい心にグサリとくる本当のことを聞かなければなら ないから、それを思えば婉曲表現や多少の嘘は仕方ないことなのか もしれないが。 さて、嘘って何なのだろう。嘘を定義してみよう。「嘘とは、心 にある真実と違ったことを言葉にすること」というのはいかがだろ うか。相手の心を傷つけないための嘘は、思いやりや真心から生ま れ出るから、許されてもいい。 数学的にいうと、真実はR (Real, 実数)と表現できる。これに複 雑を意味するC (Complex, 複素数)をかけると、嘘になるといえない か。 嘘 = CR = (a + bi) R (iは虚数単位) ということになる。 どうしてこんな操作ができるかというと、人類は、心にあるアナ ログな感情を、言葉とよばれるデジタル符号に変換してコミュニケ ーションをとっているからだ。 問題は、受け取る側が、(a+bi) Rを聞いて、言葉の奥にある真実 Rを感じ取ることができるかどうかということにある。そこに相手の 思いやりを感じて、厳しい真実Rを察する場合は婉曲表現として許さ れる。そうでない場合は、真に受けて、思い違いや判断誤りが起き ることになる。いわゆる騙されることになる。これはいただけない。 言葉によるコミュニケーションが、相手の心を読むために大変な 気を使うのはこのためだ。人の言葉に騙されて、お金を取られたり 、人生を棒に振ったりするのは、ごめんこうむりたい。みんなが みんな正直になれば、生きていくのは楽なのに。だが、言葉づらだ け見て、それが真実なのか嘘なのかを判断するのは実にむずかしい。 おそらくこの言葉の面倒くささをわかっているから、日本人は、 あえて言葉を使わないコミュニケーションを発達させたのだろう。 以心伝心、「男は黙って」、「皆まで言うな」、空気を読む、腹芸 などの日本的な習慣は、真偽を確かめながら言葉を使うより、もっ と簡単に真実を伝え合えるという経験に根ざしているのだ。 禅をはじめとして、禊ぎ、清め、お祓いといった自分自身の心の ホコリを振り払い、自らの心の真実を見つめて、迷わず行動すると いうのも、言葉を使わずに判断して行動するほうが正しい結論を導 くと思っているからだろう。 日本には、俳句や短歌などの短詩詩人が何百万人もいて、言霊の さきはふ国である。詩の言葉は、かならず心の感動と結びついてい るので、人を騙したり裏切ることはない。もののあはれも、言葉に なる以前の心の震えを大切にしようとする特殊日本的な感動の味わ い方なのであろう。21世紀がどんな時代になろうとも、もののあは れに心を震わせて生きていけたら幸せだ。