3102.日米交渉史から見た今後



日本と米国の関係が難しくなる。米国は覇権を維持しようとするが
、米国債などを日本・中国に押し付けようとしてくる。この検討。
               津田より
0.日米史の概観
日本と米国の戦後史を見ると、日本は米国の要求をどうしてきたか
が分かる。米国は最初、1期:日本の経済成長を西側陣営のショウウ
インドとしたが、2期:日本の成長がある限度を超えて、米国経済を
弱体化させてからは、反対に日本潰しを行い、3期:日本の自滅で、
日米関係が正常に戻っている。4期;米国が自滅し、世界を危機に陥
れた時点が今である。

この日米史ではもう1つ、米国は日本を足がかりに農産物輸出拡大
を行い、成功したことで世界に農産物輸出を広げている。それが、
2008年金融商品化して高騰し、米国が安定供給と言っていた事
が嘘であることを見せ付けている。

日本は、米国関係のみを重要視したために、米国は日本を操る方法
をだんだん身に着けて、反対に米国に睨まれることを嫌う日本の首
相が出てきて、日本の外交・内政は雁字搦めにされている。

この最初で最後が田中首相の陰謀である。田中元首相の容疑は不当
なものである。自国の人間の証言を他国でさせておきながら、その
人物の証言を自国の事件とはしないとして、日本の裁判所で証言さ
せている。これなどは、田中元首相が米国からのエネルギー自立を
目指した動きを封鎖することであったのだが、その陰謀に乗せられ
る日本のナイーブさが気になる。どうも今でも、このナイーブさが
あり、陰謀に弱い日本は世界の権力中心から外されているように感
じる。

この反省と対策を見る必要があると思う。

1.戦後の日米の貿易摩擦史
最初に問題なのが、貿易摩擦である。1960年代初頭の「繊維」
で、日本からの輸出によって米国の繊維産業が打撃を受けたので、
日本に輸出規制を求めてきた。

政府間で調整が行なわれた結果、1972年の沖縄返還の見返りと
して、日本は輸出を自主規制することで決着。日本は「糸」を売っ
て「縄」を買った、といわれた。

まずは、貿易摩擦解消に輸出の自主規制で対応した。日本はこれま
で繊維、鉄鋼、カラーテレビ、自動車などで自主規制を行ったが、
この自主規制を乗り越える方法として、1970年代に台湾の高雄に自
由貿易港を作ってもらい、そこに日本企業の工場を作り、出来た製
品を米国に輸出した。これにより、台湾製となり、日本への貿易圧
力が減ることになる。

この方法が、延々と続いて、現在アジア地域全体が世界有数の工業
地域となっている。この米国との貿易摩擦解消という一面を持って
いたのである。

米国は、輸出の自主規制が貿易摩擦解消にならないと、円高誘導
にシフトする。1985年のプラザ合意でドル高是正(=円高誘導)が
実施され、日本からの輸出にブレーキをかけようとした。
1ドル=240円だった為替レートは、その後2年あまりの間に
1ドル=120円になってしまった。これで輸出は止まるはずだっ
たが、日本企業は乾いたぞうきんをさらに絞るような努力を重ね輸
出を増やし、価格の合わない商品は、アジア各国に工場を作り、
安い労働力を使い、米国に輸出し始める。このため、貿易摩擦は拡
大する。

米国は、貿易摩擦の原因が日本国内の内需が少ないことであると、
内需拡大策を要求してきた。このため、政府は公定歩合を2、5%
まで引き下げ、未曾有の金融緩和政策をとったが、この結果「バブ
ル」が発生してしまった。このバブルで、米国の不動産まで日本企
業は買い捲った。

米国は不公正貿易であるとして、自動車を規制する方向で検討して
いると日本企業は現地生産を展開し始める。そうすれば貿易統計上
、日本の輸出は増えない。1993年、ついに現地生産台数が輸出台数
を上回るようになる。

米国は、1988年に包括通商・競争力強化法(スーパー301条)を成立
させ、その301条には「不公正な貿易慣行によりアメリカの産業が損
害を被った場合、適切な報復措置をとることができる」とした。
これは事実上日本を狙い撃ちしたものであったが、WTO違反という指
摘もなされた。

スーパー301条とは、不公正な貿易慣行や輸入障壁がある、もしくは
あると疑われる国を特定して「優先交渉国」として、米国通商代表
部 (USTR) に交渉させ、その改善を要求し、3年以内に改善されない
場合は報復として、関税引き上げを実施するという条項で、非常に
強い力を持った条項である。

このスーパー301条を基に日米構造協議が1989年に開始される。
円高でも、日本企業は乾いたぞうきんをさらに絞るような努力を重
ね輸出を増やしていった。これに業を煮やした米国は、貿易摩擦対
策の第2弾として日本の系列取引や、建設業界の入札などの閉鎖的
な市場の開放を求めてきた。米国の輸出を増やす方向に変化した。
この一環として農産物の日本の輸入規制緩和があった。

 日米構造協議は、1993年から日米包括経済協議と改められ、
より一層の規制緩和や市場開放を迫るようになった。1993年の
ウルグアイラウンドでは、ついにコメの部分開放が始まったほか、
2000年には大規模小売店舗法(大店法)が廃止された。日本の
経常収支黒字削減とアメリカの財政赤字削減というマクロ経済の協
議がなされたほか、政府調達、自動車、半導体など分野別協議も行
われた。しかし、日本のバブル崩壊で、日本の景気が後退したこと
と中国の存在が大きくなり、日本は問題にされなくなる。

クリントン大統領は日本経済問題対策として、中国のケ小平の改革
開放政策と組み、日本を素通りするジャパン・パッシング政策を取
り、中国で米国企業も製造として日本製品に対応することで、日本
を素通りする状態にした。日本もバブル後の暗黒15年で、GDP
も米国の1/3程度になり、世界における重要性が低くなっていっ
た。バブル崩壊が日米関係を破局から救った面もある。

経済界は、摩擦を乗り越えるために、いろいろ手段を開発して対応
したが、政界は米国の陰謀にまんまと乗せられている。

2.日本の首相への工作
 歴代、首相で米国の意向を日本の政治に反映しなかった首相は、
田中元首相である。田中首相は米国に相談なく、中国との国交正常
化を行う。しかし、その前に米国は電撃的に中国との国交回復をし
ていた。

田中首相は、エネルギーの自立をも目指していたが、この政策自体
が、米国メジャー離れと米国には写っていた。このため、米国キッ
シンジャーは田中潰しのために、コーチャンを送り田中首相がロッ
キード社製の飛行機を全日空に売り込む手助けをしたという証言を
日本でさせ、田中首相を逮捕することになる。

防衛機器ではなく民間航空機の売買であり、言いがかりとしか思え
ないし、朝日新聞や評論家が米国CIAからの資料で叩くという構図で
あり、田中首相を米国がどうしても排除したいという気持ちが出て
いた。そして、米コーチャン氏は米国本国では不問としたのだ。

この後に出てくる首相は米国の意向を気にするようになり、橋本首
相が、円が1ドル=80円以下までに高騰したことで、外貨準備し
ているドルの米国国債を売ると発言した。このことを米国から問題
視させて、発言を撤回する騒ぎがあった。このように、米国の気に
障ることは、日本の国益から正当であることでも、言えなくなって
いった。

今も米国の意向を気にしている日本の政界がある。米国発の金融危
機には、ハッキリというべきことがあるし、日本を中心にしないと
、傷ついた欧米では世界を仕切ることができない。

しかし、英国や欧州は自分の利益でしか見ずに自国経由で、新興国
資金を回そうと企んでいる。これをすると、世界がおかしくなる。
この面から日本はガンバルしかない。世界のためにである。自国の
利益ではない。

3.日本の思いやり予算
2000年で日本の在留米軍経費支援は40億ドルで、欧州全体で
24億ドルに比べても多い。今後、日本から米軍はグアムに引き上
げるが、この引上げ経費も日本は出すことになる。その額が5億ド
ルである。日本の防衛経費が4兆円であり、約1割を米軍に払って
いることになる。

だんだん、中国軍の潜水艦の脅威から米軍がグアムまで引上げる方
向であるが、この軍事的な穴埋めを日本がする必要がある。対潜哨
戒機の増強が欠かせない事態にある。なぜ、日本から出て行く米軍
経費を日本が出さなければならないのが、おかしいと見る。

反対に日本の自衛隊を増強することが重要であり、その経費に振り
向けないといけない事態であるのにであるが、自衛隊予算は毎年減
額されている。

日米の共同利益という観点から、言うべきことを言う姿勢を日本は
持つことが必要になっていると感じる。逆に日本の甘えを出すこと
もおかしい。対等な関係にすることである。

4.日本の自立が必要
米国GHQの日本統治が成功して、日本は戦後米国化が進み、米国
文化を吸収した。この吸収した技術で世界に通用する製品を作り、
気がつくと、日本は米国を追い抜いていた。しかし、現時点でも米
国が怖いのと、中国より米国の方が組む相手として良いという意識
があり、米国との同盟関係を維持しようとしている。

しかし、米国は力がなくなり、日本からの金を頼りにし始めている
し、金融問題やアフガン問題など多くの懸案を抱え、日本への負担
を米国は期待している。

しかし、日本も少子高齢化で国力は衰退しているために、米英など
の期待に沿わないような意見を民主党など野党は言っている。この
ため、米国も日本より、中国を頼りにし始めている。その表れが、
米国民の意識調査に現れている。

日本を素通りにすることが米国でも当たり前になっていて、日本も
米国を見るだけではなくて、アジア・欧州を見た外交をする必要に
なっているが、一番大事なのは、米国など世界の期待=自衛隊の派
遣を実現する国内統治能力である。

日本の甘えを許せるほど、もう米国にはその力がないようである。
欧州のフランスやロシアが覇権を米国からもぎ取ろうとしているが
、仏露より、米英の方が日本にとっては都合がいい。

このため、麻生首相と中川財務・金融相の活躍が重要なのである。
麻生首相は良い時に日本のトップになった。本当の国民世論を見た
上の国内統治に必要な決断力・実行力がある。
よって、大いに、期待したい。
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歴史年表
(戦後混乱期)
1945年:敗戦
1946年:新憲法公布
1950年:朝鮮戦争、警察予備隊設立
1951年:サンフランシスコ講和条約、日米安保条約締結
1954年:自衛隊発足
1956年:国連加盟
1959年:ベトナム戦争 1975年まで
(高度成長期)
1960年:池田内閣成立、高度成長が始まる
1964年:OECD加盟
1964年:オリンピック東京大会、新幹線開業
1968年:小笠原諸島返還
1970年:大阪万博
1971年:ニクソンショック
1972年:日米繊維協定調印、沖縄返還で、糸と縄の交換と言わ
      れる。
1972年:田中内閣成立、日中国交正常化、列島改造論
1973年:円変動相場制で、1ドル=360円から円高になる。
1973年:第一次オイルショック:高度成長が終わる
1975年:沖縄海洋博
1976年:ロッキード事件発覚で、田中首相は退陣し、その後
      逮捕される。米国の陰謀が大成功したが、日本国民
      に米国との関係を疑念で見る習慣を作ることになる。
1978年:日中平和友好条約調印
1978年:第二次オイルショック
(貿易摩擦・バブル期)
1982年:中曽根内閣:「ロン・ヤスコンビ」
1985年:米国議会で貿易不均衡問題紛糾した。
1985年:プラザ合意で1ドル=150円になる。円が強くなり
      バブルが発生する。
1988年:スーパー301条施行(ジャパンバッシング)で、
      日米関係はギスギスした関係になっていく。
1989年:昭和天皇崩御
1989年:日米構造協議で、日本国民は米国に対する反感のよう
      な感覚を持つようになる。
1989年:ベルリンの壁撤去で、社会主義の死が確定した。
1990年:大蔵省の総量規制でバブル景気崩壊
1990年:東西ドイツ統一
(バブル崩壊後)
1991年:湾岸戦争で日本は50億ドル支援したが、感謝されな
      かった。自衛隊の派遣が必要と気がついた。
1991年:ソ連解体で、米国の覇権が世界に及ぶことになる。
1992年:国際平和維持活動(PKO)協力法成立で、自衛隊を
      カンボジアに派遣する。
1993年:クリントン大統領就任で、日本をターゲットにした経
      済政策を行う。
1993年:日米包括経済協議と同時にジャパン・パッシング政策
      を取る。この一環として中国との経済連携を模索する。
1993年:非自民党政権である細川内閣成立
1994年:自社さ連立政権である村山内閣成立
1995年:米兵問題で日本が揺れる。
1997年:橋本首相はアメリカのコロンビア大学での講演を終え
      た後の質疑応答でのコメントで、ジョーク交じりに、
      日本保有の米国債売却の可能性について触れた。する
      と、翌日のニューヨーク市場は大幅な下げ幅になる。
1998年:日本の金融ビックバン
     (英米に10年以上も遅れたために効果なく、逆に証券
      化ビジネスが行われることはなく、幸いした。)
2001年:ブッシュ大統領、小泉内閣成立
      で「ジョージ」、「純一郎」と呼び合うほどの仲で、
      日米関係は良くなる。
2001年:米国で同時多発テロ
2003年:イラク戦争勃発、自衛隊派遣をサマワに送る。この自
      衛隊のODAと合わせた民政が大成功を収める。世界
      は自衛隊の期待し始めた。
2005年:郵政民営化の関連法成立
(不安期)
2006年:安倍内閣成立
2007年:福田内閣成立
      同時に改革から逆行して内向きになっていると見られ
      ジャパン・ナッシングへ
      欧米の期待を実現できないとの理由で辞任する。
2008年:金融危機
2008年:麻生内閣成立


参考文献:
日米貿易摩擦
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/h-minami/note-masatu.htm
外交史料Q&A
http://www.mofa.go.jp/Mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sengo.html#04
日本政治・国際関係データベース
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/index.html
戦後日本半世紀の軌跡
http://homepage3.nifty.com/katote/SENGO.html

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米国人の意識調査、「日本より中国が重要」が51%に
(2008/10/29-nikkei)
 【ワシントン=弟子丸幸子】国際問題研究などを手がける米シカ
ゴ・カウンシルが28日に発表した米国人の日本に関する意識調査で
、日本よりも中国を重視する人が過半を占める結果が出た。米国の
利益にとって日本と中国のどちらが重要かとの二者択一の質問に「
中国が重要」との答えは51%となり、「日本が重要」(44%)との
回答を上回った。

 米国にとって「非常に重要な国」のランキングでも、中国が3位で
、日本は4位となった。1位は英国、2位はカナダだった。ただ、国際
社会において中国が急速に台頭していることに関しては「日米両国
が協力して中国の権力を制限すべきだ」との意見が54%に達するな
ど中国への警戒心が残ることも分かった。

 調査はマイケル・グリーン米国家安全保障会議(NSC)前アジ
ア部長が監修し、7月上旬に実施した。有効回答数は1505人だった。
(19:11) 


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