3078.次の産業革命と覇権の移行



日本から次の産業革命が起こる予感がする。その前兆現象がある。
前の産業革命である英国の歴史を見て、今後起こる革命と覇権移行
を検証しよう。            津田

0.はじめに
 今、石油の時代が終わり、電気の時代が始まろうとしている。す
でに電気自動車に必要なインホイールモータとその制御系の特許は
すべて日本で抑えている。モータの小型化も日本で抑えた。残すは
電池系かエネルギー源であり、その研究開発に重点が移っている。

これは、環境問題と石油の高騰で非資源国の日本がその環境や価格
高騰で大きなダメージを受けていることで起こるのだ。そして、周
辺技術を抑えているので、何が重要かを体感できる環境にある。

私も電気自動車の先生の近くに居て、世界のいろいろな国からの特
許を使わせてほしいという依頼を見ている。そして、今、もっとも
重要な技術革新項目が電池である。

この方向性を知っている日本の企業やその研究者はいろいろな研究
をしている。しかし、その成果が違う分野から出てくると見る。今
話題のリチュームイオン電池でも燃料電池でもない。あまりにも微
細な技術に偏り、かつ複雑すぎる。

日本は物性の研究が優れている。その視点から見るとゼオライトや
クラフト重合法、カーボンナノチューブなどナノテクノロジーの研
究から物性研究が発展して、いろいろな物質を生み出している。
この延長上で石油に代わるエネルギー源か電池を探し当てると見て
いる。

この考察の基は英国の産業革命史からであり、この英国史を見てい
るとそう思う。そして、小さい島国がどのように覇権国になるかが
わかる。

1.イギリス産業革命
 産業革命とは1760年代から1830年代にかけてイギリスで起こった
「最初の」産業革命を指した言葉である。

英国の植民地であるインドからのキャラコによって綿織物に対する
需要が生み出された。しかし、英国の需要の伸びから毛織物業者が
綿織物にも手を出した。このため、インド産などの海外キャラコの
輸入は禁止された。この措置は国内綿織物産業の保護策として働き
、国産綿織物の躍進へつながった。

しかし、コスト的に英国産は劣勢であり、織機・紡績機の改良が必
要になる。この必要性から1733年ジョン・ケイが、織機の一部分で
ある杼を改良した飛び杼を発明して織機が高速化された。1764年に
ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明した。これは、従来の手挽
車が1本ずつ糸を取る代わりに、多数の糸を同時につむぐことのでき
る多軸紡績機であった。この時点でコスト的にもインド産よりよく
なった。

1769年リチャード・アークライトの水力紡績機を開発した。これは
綿をローラーで引き延ばしてから撚りをかける大形の機械であった
ので、水力を利用した。このため、工場を設け、機械を据え付けて
数百人の労働者を働かせて多量の綿糸を造り出すことに成功した。
この発明で、本格的な工場制機械工業がはじまった。

そしてこれらの特徴を併せ持ったサミュエル・クロンプトンのミュ
ール紡績機が1779年に誕生し、綿糸供給が改良され、細くて丈夫な
糸をつくれるようになった。それらを受け、アメリカのエドモンド
・カートライトがワットの蒸気機関を動力とした力織機を1785年に
発明し、さらに生産速度は上がった。

石炭の採掘が盛んになると、炭坑に溜まる地下水の処理が問題とな
った。こうした中、1712年にニューコメンによって蒸気機関を用い
た排水ポンプが実用化された。

1785年、ワットが蒸気機関のエネルギーをピストン運動から円運動
へ転換させることに成功、この蒸気機関の改良によって、様々な機
械に蒸気機関が応用されるようになった。それまで工場は水力を利
用するために川沿いに建設するほかなかったが、ワットが蒸気機関
を改良したことによって、川を離れ都市近郊に工場を建設すること
が可能となった。

1807年のフルトンによって蒸気船が発明された。また1804年のトレ
ビシックにより蒸気機関車が発明され、その後蒸気機関車はスチー
ブンソンによって改良された。

1830年代後半になると鉄道網の整備が進み始め、1850年までには6000
マイルの鉄道が開通した。鉄道・蒸気船技術が英国の世界覇権を助け
た。植民地から迅速かつ大量に物資を運び出すことができた。

この産業革命で、鉄の需要が増えたことで、従来の製鉄法では需要
に追いつけなくなり、1856年イギリスの技術者ヘンリー・ベッセマ
ーがベッセマー転炉を発明する。1878年にイギリス人書記シドニー
・ギルクリスト・トーマスと製鉄所技術者パーシー・カーライル・
ギルクリストが共同で塩基性耐火煉瓦を使用するトーマス転炉を発
明する。この転炉でベッセマー転炉の欠点を解決し、鉄の大量生産
の道を開いた。

1800年にボルタが電池を発明し、1837年ホイートスとクックが磁石
式電信機を実用化して鉄道で使われた。1835年には米モースが電磁
式通信機を発明した。1866年に英トンプソンが技術的に問題を解決
してドーバー海峡を渡り、大陸と通信できるようになった。1831年
ファラデーの電磁誘導電流の発見をする。この発見が現在の電気文
明の礎を築くことになる。

1851年には第1回ロンドン万国博覧会(万博)の開催で、産業革命
を完成させたイギリスの技術と産業を見せつけた。

全ての技術が、その時の必要から生まれている。それは相互に技術
が影響している。複数の技術蓄積が次の技術開発に生かされている
し、理論が転用されている。英国の狭い範囲でお互いが影響しあい
ながら技術が発展している。この状態に現在、日本がある。電気自
動車の基本技術は既に手にしている。残すは電池であると、全員が
考えている。そして、トヨタをはじめ、皆がその方向性を知ってい
る。

2.植民地獲得と東インド会社の独占権廃止
 1805年トラファルガーの海戦で偉大な業績をあげ、フランス・ス
ペイン連合艦隊を相手に決定的勝利を手にした。トラファルガーの
勝利は、ヨーロッパ諸国の制海権に勝るイギリスをより有利な立場
にし、イギリス海軍は世界の制海権を握ることになる。英国は産業
革命と同時進行で、海外植民地を獲得した。

この英国は断続的にインドを侵略して、その税金徴収権を獲得する。
1600年に東インド会社を作り、1744年から数次の戦闘を経て1858年
に英国がインド直接統治になる。当初、インド産のキャラコが英国
に輸入されたが、産業革命で反対にインドは市場になる。1813年に
は、東インド会社がインド貿易の独占権を無くしている。これは産
業革命で商業資本が発展して、市場としてインド貿易を商業資本が
自らできるようになったことによる。それだけ商業資本が発展した
のである。

そして、1837年にエリザベス女王になる。1901年に亡くなるまでが
英国の最絶頂期であり、英国は世界を制した時代であった。

現時点の日本もすでに日本企業が世界に工場を建てて、世界に拡散
している。数次の貿易摩擦も周辺国に技術移転して、摩擦を拡散し
て乗り切っている。米国も中国を味方にして日本を潰そうとしたが
できずに、米国自体が潰れた。そういう意味では間に合わなかった。
そして日本企業が拡散した時点で米国金融システム崩壊が起こる。
このことと、日本の技術革新でエリザベス時代の英国のようになる
可能性が高くなっているように感じる。トラファルガーの海戦が
日本には必要がなく、覇権国の米国は自滅した。

3.産業革命の波及効果
この産業革命から、世界各地から原料を輸入し、良質で安価な工業
製品を世界中に輸出して世界市場で圧倒的な地位を占め、「世界の
工場」としての地位を獲得した。 

イギリスは、産業革命の技術的成果の独占をはかり、1774年に「機
械輸出禁止令」を出し、他国や植民地への機械輸出や技術者の渡航
を禁じた。その後、機械輸出禁止令は1825年に一部が解除され、
1843年には全面的に廃止された。しかし、それ以前から技術者が他
国に招聘されて漏れていた。

産業革命によって、それまでの道具を使用する小規模な手工業に替
わり、機械を使用する工場制機械工業が成立・発展し、安価で良質
な商品が大量に生産されるようになり、従来の手工業や家内工業は
急速に没落した。 

現時点、日本生産方式が従来の工場生産方式を陳腐化させ、かつ
TOCで一時的に日本を仰臥した欧米生産方式も再度、日本のセル
生産方式に負けて、駆逐されかけている。

この金融恐慌でGMやフォード、クライスラーは、駆逐の瀬戸際に
いる。中国やベトナムも生産方式や工作機械はほとんど日本から持
っていっている。しかし、日本生産方式は日本の文化が裏打ちされ
ているために、企業を金儲けとしか捕らえない欧米中国の企業に、
日本の発展的な仕組みを真似することはできないようである。

日本人が経営する企業しか、従業員と経営者が一体的に取り組む経
営はできない。従業員の自主性を最大限に認める日本的経営は無理
がある。日本企業の従業員も滅私奉公で対応しているし、企業もそ
れに対応して非常に従業員を優遇している。

このため、性悪説を取る欧米中企業には文化的な意味での日本方式
まではできず、形を真似するしかできない。逆に日本に欧米的な企
業文化は定着しなかった。ストック・オプションも多くの企業が止
めている。

英国ような門外不出の法律はないが、他国には真似ができない。
このため、品質管理に日本人を中国企業も韓国企業も必要としてい
るし、両国ともに日本の機械、部品を必要としているのだ。

欧米企業は日本人より自分たちの方が上と文書主義のISO基準を
作り、感と経験の現場主義の日本方式を拒否しているが、このため
、感覚的な従業員が行う生産向上や品質向上ができないことになる。

効果を見せるためにレバレッジを効かして、利益を底上げするか、
ブランド品として、高く売ることしか考えない。大きな意味で嘘で
売ろうとしているが、その嘘はいつか皆が分かり、誰も見向きもし
なくなる。本当に良い日本方式や日本製品に回帰してくる。

フランスは歴史が長い分、日本の文化を理解できる素地があるよう
で、浮世絵や漫画など日本文化をいつも認める。このように欧州に
も、日本の感覚に近い文化はあるが、こつこつ地道に積み上げるこ
とはフランスでも嫌いのようである。

また日本を良く知る中国、韓国の人たちはその文化が違うために、
日本の真似ができないと認める。日本を知る人たちには親日家も多
い。

4.各国の産業革命
イギリス産業革命は、1843年禁止令が廃止する前から世界各国に波
及した。1831年にオランダから独立したベルギーでまずおこった。
(ベルギー産業革命)

同じく1830年代の七月王政期におけるフランス産業革命も、リヨン
の絹織物から始まった。さらにラインラントを中心に1840年代から
発展したドイツ産業革命も大事で、勃発のきっかけは1834年のドイ
ツ関税同盟の結成である。ここでは重化学工業が発展した。

木綿工業中心にはじまり、南北戦争(1865)以後に北部の工業と西部
の農業機械が発展・本格化したアメリカ産業革命や1861年の農奴解
放令以後に進展したロシア産業革命、そして明治維新(1868)後の
1870年代、殖産興業による軽工業でスタートし、八幡製鉄所の設立
と日露戦争(1904-5)で本格化した日本産業革命もある。

日本も、世界に日本生産方式を広める必要がある。その日本生産方
式は、日本製の機械、部品と日本人を必要としているので、そのセ
ットで世界に広めることである。今後の覇権の獲得は武力ではなく
、文化に裏打ちされた生産技術や日本文化そのものの世界展開で行
うことになると見ている。

そして、高性能の電池ができると、石油の内燃機関がなくなり、中
東諸国などのイスラム教諸国との関係が薄くなるので、ジハードと
いう脅威がなくなり、欧米はテロ戦争をする必要がなくなる。当面
日本はインド洋で給油支援をしていれば、アフガン戦争も必要なく
なる。

電気は原子力発電でできるために、資源国がカナダやオーストラリ
アやカザフスタンなどになるためにテロの可能性が少なくなる。太
陽電池、風力発電など電気を生み出す方法は、どんどん進化する。
太陽電池で発電して水を水素化して、それを日本に輸出する赤道直
下のオーストラリアなどが出てくると見ている。

このため、今後開発されると見る日本発のナノ技術を応用した電池
またはエネルギー源に期待しているし、それを欲しいと世界各国が
日本に来ることになると見る。日本の時代は直ぐそこにある。

参考資料:
1.フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.世界史ノート
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/66-sangyou4.html

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