きまぐれ読書案内 ☆☆☆ 問題なくして答えなし ☆☆☆ 浅山 各位 江戸時代のはじまり頃、家康の生存中、秀忠が伏見城に諸大名を招 集して武家諸法度13か条を。その直後、二条城に摂家華族をはじ め、公家殿上人を招いて饗応したうえ、禁中ならびに公家諸法度 17か条を発布。なども日本の歴史の中にはありました、其れに近 いことは他には無かったか。 そしてそれが生み出される、社会の状況は、現代の混迷に踏み込み 始めている日本の状況はいかなる位置に有るのか。 山本七平の日本歴史に人物・事件を取捨選択の上、自己の思想をイ デオロギー化する出版人の巧みさを能力に一種と、加えてキリスト 者の位置からのイデオログと言う条件も考慮しながら。今後も観察 して行きたいものです、小生の浅学、晩学では追いつかないところ であり、皆様のお話を聞きながら参ります。 前九年の役、後三年の役で特に後者の報償を頂いた義家に恩を感じ て子々孫々にその恩義を口伝された者としては、得丸様を煩わせま した「大願成就」のお札、これを抱き、新たな誓いを立てたいもの です。 何卒、現代にはそぐわない論理で恐縮です。 ============================== 浅山さん、 もともとの薩摩方言を、戦略的目的にもとづいてあえて変形させて、 敵味方識別機能を高めた薩摩弁は、おそらく人類の言語の歴史の中 でもきわだった存在であり、この薩摩における人工的な符号化技術 の研究だけでも、おもしろい本が何冊も生まれるのではないかと思 います。 そのような薩摩弁のもつ異化効果は、予想もつかないヒラメキを生 むこともあるのでは。少なくとも今日の僕にとってはそうでした。 要するに、前のメールで言いたかったことは、山本七平の評伝を読 んでも山本七平の思想についてあまり理解が深まらなかったという ことです。 端的に言えば、「あるべきやうは」を提唱したとされる明恵の考え は、クリスチャンである山本七平の慣れ親しんだキリスト教やユダ ヤ教の思想と相反するものではないかということです。相反しない ならそれでもいいですが、どうして相反しないのか、論じていただ きたいと思います。(山本氏が生きておられたら、ぜひとも山本氏 に。山本氏以外でも、かまいませんが) この根源的なところで発生していてもおかしくはない違和感につい て何も論じていない「日本的革命の哲学」は、どうしても鵜呑みに はできないというのが、私の言いたかったことです。 山本氏が賞賛する日本的な哲学を、クリスチャンである山本氏はど のように評価し、実践していたのか、知りたいものだと思いました。 得丸