3068.『苦海浄土』ともののあはれ



『苦海浄土』ともののあはれ
                       得丸 公明

水俣病患者家族の母と娘たちのことは、まだ遠い物語のあわれとは
なりきれず、
---石牟礼道子著『苦海浄土 第二部 神々の村』(藤原書店、2006年p96)

はじめに:人情の文学としての『苦海浄土』 
 石牟礼道子の『苦海浄土』は、日本の四大公害病のひとつ水俣病
に苦しむ患者の魂の声を書き記した作品として、すでに古典の位置
づけにある。

 その『苦海浄土』第1部、第3部に遅れること30有余年にして、
第2部『神々の村』がようやく完成した。第2部だけ遅れたために、
気の抜けたビールのような印象を持たれたのか、本書はあまり話題
になっていない。

 なまなましい公害反対運動や国家賠償訴訟と同時期に出版された
第1部と第3部が記録文学という印象を強く与えるのに対して、第2部
はゆっくり熟成させた人情の物語に仕上がっている。

 そこでは国・チッソ(加害者)対患者(被害者)という対立の構図は
もはや消え去り、水俣病を人類文明の原罪がもたらした地獄として
とらえる、仏教の末法思想にも似た諦観が色濃くにじみ出ている。
この30年間で海洋汚染の問題は、不知火海という一地域海の問題か
ら、地球規模汚染へとじわじわと拡大し深刻化しつつある。

 第2部で著者が描こうとしたのは、水俣に生きた海辺の民のたくま
しく、人情味あふれる心である。それは、21世紀の地球環境危機の
時代を生きることになる私たちに、どのような苦難を受けようとも
絶望するな、逃れようのない運命として素直に受け入れなさい、大
切なのは人の情であるというメッセージを送りつける。

 この海辺の民の心を持てば、どのような苦難に遭遇したとしても
、私たちは憂いなき人生を送ることができるのだと。


1 地球環境危機への呪術的接近
・ 枯死寸前の本能を目覚めさせる文学

 南太平洋の島国が温暖化による海面上昇で沈んでいるときに、私
たちは何を読めばよいのだろうか。日本の山奥でひっそり暮らして
きた熊が、餌が足りずに里に下りてきて、次々と人間に撃ち殺され
ているときに、私たちが読まなければならない文学は何であるのか。

 今日、私たちはますます自然から遠ざかり、大衆消費社会がさま
ざまな手段で送りつけてくる消費願望や消費誘導の過剰刺激にさら
されている。このような状況では私たちが共感できる小説のテーマ
は、恋愛や性愛、家庭や職場で起きる少しだけ非日常な日常を描い
た作品に限られてしまう。

 自然との接触が減って、我々が生れながらにしてもっている野生
動物の本能は、しなびて枯死寸前である。にもかかわらず、21世紀
を生きる私たちは、きちんと認識しきれていないものの、地球環境
問題に由来する漠然とした不安を感じている。

 作家が、この漠然とした不安の正体を明らかにし、不安の先にあ
る絶望と、絶望の先にある希望を示してくれれば、我々の野生動物
の本能は、まっすぐ前向きに生きていくために目覚めてこないだろ
うか。その本能を刺激して、私たちを目覚めさせることが、文学の
はたすべき役割ではないだろうか。

 自然に触れることの少ない都会に住んでいると、地球環境問題は
ますます見えにくくなり、意識もしにくい。水俣のような文明の辺
境に生活してはじめて、感じることができる。

・ 報道は目に見えるものしか描けない
 一昨年は水俣病公式認定50周年で、西日本新聞社の水俣病50年取
材班は『水俣病50年-「過去」に「未来」を学ぶ-』という取材を新
聞連載し、出版した。

 本書は、患者被害者の立場にとどまらず、チッソ社員、国や地方
自治体の行政担当者、政府の委員会委員、写真家や文学者などの表
現者の聞き書きもまとめてあり、また報道のあり方についての反省
も行っていて、水俣病問題を多面的な切り口からとらえている。
1995年の政府解決が救済しきれていない被害者が今も多数いること
や、胎児性患者も両親もともに高齢化し生活が立ちゆかなくなって
いることも紹介し、なぜ今も患者救済が必要であるのかをわかりや
すく説明する。

 こういうすぐれた報道がなされているときに、文学が必要な理由
はどこにあるのだろうか。

 報道とは、あくまで眼前の患者や関係者の証言および体験談を、
自分は体験をもたない記者がまとめなおして書く行為である。記者
は苦しみや悲しみの直接経験をもたない上に、記事に客観性が要求
されるので、結果的に理性にしか訴えない文章になりがちである。

 たとえば同紙の2006年5月1日の社説は、水俣病事件を「何ら落ち
度のない不知火海沿岸の漁村部の人々が、私たちを等しく襲っても
よかった近代の毒を一身に引き受けた」と総括し、「この地域の人
々が負い続けている苦しみを自らの痛みとして感じる想像力」が私
たちに必要であると訴えている。

 患者は、過去のある時に、私たちの身代わりになってくれたから
、私たちは患者の痛みを自分の痛みとして想像せよというのか。
この説明では私たちは動かない。そういわれればそうかもしれない
ねで終ってしまいそうだ。

 むしろ水俣病患者は、時代に先駆けて近代の毒を引き受けたと考
えるべきではないか。水俣病は過去の事件ではなく、発生地域や症
例を変えてこれから世界大で起きる悲劇を先取りしたのだと。した
がって、私たちがこれから体験する苦しみを先駆けて背負った患者
をしかと見よ、というべきではないのか。

 ただ、新聞社説がそのように予言めいて語ることは許されないだ
ろう。ここに文学が求められる理由がある。

 文学は人びとの心に生れる慟哭、嗚咽、喜悦、感動などの純粋な
感情を描くことによって、読者の心に共感を呼び起こす。理性では
なく、感性によって直接読者の心に働きかける。目には見えないが
、たしかなものとして実在している心を描くことができる。

・ 水俣の語り部
 人間が海に排出した汚染物質が魚に取り込まれ、その魚を食べた
人や動物が、水銀中毒によって苦しみ狂い死ぬ水俣病は、豊穣の海
を汚す者の運命、欲望にかられて邁進した近代という時代のなれの
果てを予兆する物語である。その物語を紡ぐ役割をかってでたのが
、水俣に住んでいた一主婦、石牟礼道子であった。

 私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原
語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合して
、近代への呪術師とならねばならぬ。(『苦海浄土』1969年)

 著者の決意を私なりに理解すると、以下のようになる。
「水俣はありとあらゆる場所に、生きるものの魂や死者の霊が漂着
し、さまよっている土地だが、水俣病のおかげでますますたくさん
の霊がさまようようになった。私は自ら霊となってさまよい(アニミ
ズムの立場)、感受性を研ぎ澄まして霊たちの声なき声を代弁し(プ
レアニミズムの立場)、近代の被害者を追悼するとともに、行き詰っ
た近代を乗り越えていくための希望を見つけるのだ」

 著者は、この決意のもと、人びとの心模様を物語に編んできた。
五木寛之が「いま『ひとの情け』という言葉を穢土を照らす光のよ
うに発することができるのは、石牟礼道子さんだけだろう」という
言葉を捧げているように、人の情を描くことによって、希望を表現
するのが石牟礼文学である。

・ あなたも加害者であると気づかされて
 『苦海浄土』3部作の中で第2部『神々の村』は長い間未完であっ
たが、2004年に全集本として発刊され、一昨年単行本として刊行さ
れた。著者が、30有余年ぶりに、空白だった第2部を完成させたこと
の意味は何であるのか。物語る行為は、現在の行為である。現代的
意味があるはずだ。

 もはやかつてのように患者被害者と水銀を垂れ流したチッソの対
立の図式はない。30有余年の歳月は、水俣病患者の心に変化を生ん
だ。

生き残った患者たちの胸の中では、水銀廃液を垂れ流して水俣病の
直接の原因を作ったチッソを許す感情が生れている。

「人を憎めば我が身はさらに地獄ぞ。その地獄の底で何十年、この
世を恨んできたが、もう何もかも、チッソも許すという気持ちにな
った。(略)」

「チッソの人の心も救われん限り、我々も救われん」(石牟礼道子全
集不知火第3巻、あとがき)

 怒りや恨みや憎しみの感情を乗り越えたときに、水俣病事件の本
質が明らかになる。国家責任や補償金の金額といった報道になじみ
やすい話題が一段落して、ようやく深層にある心象の次元を照らし
出すことができるようになった。

 水俣に住んでおられる緒方正人さんに『チッソは私であった』(葦
書房、2001年)という著作がある。近代の文明生活を送る私たちは
「もう一人のチッソ」であることに気づいたそうだ。また、西村肇
・岡本達明著『水俣病の科学』(日本評論社、 2001年)は結びで、
「私たちもまた加害者ではなかったのか? そしてあなたも」と問
いかける。

 私はこの2冊を6年前のヨハネスブルグ・サミットの準備段階で読
んだが、自分も加害者であるということが理解できなかった。水俣
病は文明の原罪として生れたといわれても、そもそも文明とは何か
がわかっていなかったので、私の意識上で言葉が意味を持ち得なか
った。

 今はそれがわかる。現生人類とは、言語を使うことによって、自
分たちは動物ではない、地球の支配者であるという考えをもち、自
然を破壊し文明を構築し、野生動物や植物を絶滅させている裸のサ
ルだ。

 文明は自然の反対概念であり、自然から文明へは不可逆反応であ
る。人類が自分たちの独占支配下におくと自然は文明に反転し、そ
の分だけ野生動物の生息数や森林面積は減少する一方である。

 おそらく石牟礼道子もまた、自らが加害者であることに気づいて
絶望したことであろう。だが、その絶望を乗り越える何かをつかん
だから、第2部を完成させることができたのだと思う。

 『苦海浄土』は、もはや「公害もの」というレッテルを貼って片
付けられるような作品ではなく、近代文明の終焉期をどう生きるか
を考える文明論あるいは人間論として読まれるべきである。

 この3部作は、我が民族が受けた希有の受難史を少しばかり綴った
書と受け止められるかもしれない。間違いではないが、私が描きた
かったのは、海浜の民の生き方の純度と馥郁たる魂の香りである。(略)

 この列島の辺縁に生きていた漁民達は、日本の近代が一度も眼を
くれたことがなかった、もっとも淳樸で雄渾な、原初的資質を備え
た人々だったのではなかろうか。 (同、第三巻あとがき)

 この「海浜の民の生き方の純度と馥郁たる魂の香り」を放ち、「
もっとも淳樸で雄渾な、原初的資質」にしたがって生きる人たちの
自然体ぶり、たくましさ、まっすぐな心、人情の篤さ、生死にこだ
わらない恬淡とした態度は、環境危機の時代を生きることになる21
世紀の日本人への、水俣からの贈りものである。それを私たちに伝
えるために、第2部は書かれたのだ。


2 『神々の村』の伝えるメッセージ
 『苦海浄土』第2部は、昭和44年6月、水俣病患者互助会の訴訟派
28世帯が、チッソを相手取って裁判を提訴するころから、翌45年5月
東京の厚生省で開かれた補償処理委員会を経て、11月に大阪で開か
れたチッソの株主総会に、水俣病巡礼団が白装束で出席してご詠歌
を歌うところをクライマックスとする2年間が舞台である。

 この段の主役は、これまであまり表に出てくることも発言の機会
も与えられていなかった胎児性患者と、その母や祖母たちだ。そし
て、彼女たちの話し相手をつとめた山本老人、ご詠歌の指導をした
義光師匠、お伽噺のように蜜蜂の国のことを語る田上義春さんが登
場する。

 まずは、ひとつひとつのエピソードにこめられたメッセージの中
身を吟味してみよう。

・ 大自然のようにたくましい自然体
 苦海浄土の第1部で、いつもあぐら舟をして胎児性患者の孫の杢太
郎を抱いていた爺さまが死ぬところから、第2部は始まる。昭和44年
6月 自分の死期をさとった爺さまは、杢太郎を湯の児のリハビリ病
院に入院させる。爺さまが死んで3七日が過ぎて、婆さまは杢太郎の
面会に病院通いを始める。彼女はほかの子どもたちにも語りかけな
がら、重箱の手料理を口に入れて回る。婆さまが面会にくると、病
室にのどやかな世界が生れるのだった。

 彼女は、首をさしのべて待つ子どもたちのほっぺたを、ぴたぴたと
、ひとりずつ、重箱を持たない方の手の甲で、はじいてまわるのだ。

「こら、おどもんよい(いたずらものよ)、今日はまだ泣かんかい」
「千鶴ちゃんよい。きげんはどうかい。ま、よかおなごよねえ。こ
のようなよかおなごは、頬っぺたなりと、たたいてやらんばねえ」
などという。ぴたぴたとさすられた子どもたちの頬に、ぱあっと喜
色にみちた赤味がさす。(『神々の村』p25)

 老媼だけがもつ自然な、くったくのない権威。不知火海に沈む夕
陽がさざ波を照らして作りだす光凪のような、心なごむ光景。死ぬ
までひとりで孫を守り通した爺さまとは違った、婆さまらしい愛慕
がまっすぐに子供たちに向けられる。

 この飾らないまっすぐな心には我執がない、文明に犯されていな
い無垢な真心である。自己保身や組織防衛などとも無縁だから、憂
いも迷いも疑いもなく、すべてに前向きになれる。

・ 神となるべき運命
 第1章が葦舟と名づけられているのは、いざなぎといざなみが最初
にもうけた子供が、足腰のたたない水蛭子だったので、葦舟に乗せ
て流したという古事記の伝による。この水蛭子は、のちに恵比須様
になって戻ったという神話もある。胎児性患者は神であると著者は
宣言しているのだ。

 たとえば、28歳で死んだ坂本きよ子は、口もきけず、体もねじれ
て歩けなくなった体で、痙攣する体をあちこちぶつけながら庭に下
り、頸をゆらゆら傾けて、ふるえの止まらない曲がった指で、ひと
り、桜吹雪の中、散りゆく花びらをいつまでも拾うのだった。目に
見える動きは静かだが、彼女の魂は常人の考え及ばないほど躍動し
ていたことであろう。

 田中敏昌の母は、そのとき畑に出ていた。
 ちいさな段丘をつなぐ草の道を、あえぎあえぎ登ってくるひとた
ちをみていて、彼女はすぐに直感した。死者の使いというものは、
そのようにしてやってくるものだ。
(なぜ! かかしゃんが居らんときに!)
 そういいながら走り下る。なんども、草の上に坐りこみながら。
(p73)
 子供が生れてから13年間看病をし通しの母は、もし自分が先に死
んだら誰が子供の世話をしてくれるのかと心配になり、「親よりも
先に死んでくれ」と神に祈ったことがあったのだろう。彼女は、ず
っとそれを心苦しく思っていた。子を思う親心の愚直さである。

 一方、親思いの子はそれがわかるから吉田松陰の辞世「親思う心
にまさる親心今日のおとづれ何と聞くらん」のような歌が生れる。
おそらく田中敏昌は母の見ている前で死ぬのが偲びなかったのだ。
もうこれ以上母を悲しませたくなかったのだろう。

 幕末の思想家吉田松陰は、兵学者で朱子学者であったが、人情を
極めることが大切だと断言する。獄中で同囚者と行った『孟子』の
勉強会の記録である『講孟剳記』の中で、「情の至極は理も亦至極
せる者なり」(人情を極めれば道理にも自然と一致する、滕文公・上
5)といっている。人情は自然にわき出る感情であり、無私で自然な
ものは正しい。つきつめれば道理にかなうのだ。

 同じ章で松陰は、「人情は愚を貴ぶ。益々愚にして、益々至れる
なり」(人情は愚直が肝心。愚直であればあるほど、人情は切実にな
る)ともいっている。これらの言葉はともに『孟子』の原文にはない
。松陰自ら切思精思した結果生れた独自の思想である。

 愚直な人情は、まっすぐで誠があり、余計なことは考えないで、
大宇宙の法則に即している。

・人間理性が間違いを犯すのはどうしてだろう
 著者は、雪の降りつむ冬の夜になると、「しんけい殿」と呼ばれ
ていた祖母の亡魂に逢いにゆく。しんけい殿とは、精神に異常をき
たしたという意味である。

 世の常の秩序からずり落ちたまま、そこからもどるすべを知らず
、魂あそんで帰らぬものたちを、むかしこの町の人々は愛していた
。日常社会のあつれきや苦悶を一身に負って、魂解きはなたれたも
のの姿をそこに見出していたからにちがいない。(p107)

 土や木や水や石にさえ、ここの土地柄では神が宿っていた。肥料
工場とともにやってきた文明があやかしの神にみえたのももっとも
だった。(p108)

 祖母の感受性を受け継いだ著者は、文明に距離を置いて、山野を
さまようことが心地よかった。山野を歩いて自然と一体化すると心
が清められ、感受性が高まる。日本では奈良時代から各地で修験道
や回峰行が実践されており、山野を歩くことはそのまま浄霊であり
修行であった。

 さらに水俣では不知火海の景色が、人々の心をおだやかで暖かい
ものに作り上げる。著者は山野をさまよい、海辺を歩くことで霊力
を高めたのであろう。

 一方、著者の意識には「母の背中に負われて行って聞いた、源光
寺の彼岸会の説話」が焼きついてもいた。

 ものごころつきはじめにわたしは、現身のあるところすべてこれ
地獄であるというリアルな認識につきおとされた。たぶんその幼児
体験は、水俣病事件に出遭うための、仏の啓示であったにちがいな
い。(p110)

 存在するものすべてが仏性をもつという本覚の教えそのままの自
然の中を歩いていると、患者たちが病み狂い死んでいき、いわれな
き差別や非難を受ける地獄絵は別世界に思えたことであろう。この
世が地獄であるのは、すべて人間に責任があることなのかもしれな
いと、人間の原罪を直感しなかっただろうか。

 著者を慰めるかのように、ふらりと田上義春さんがやってくる。
田上さんは、常に水俣の山野をさ漂れ浪いていて、四季のうつりか
わりのどのようにかそかな変化にも精通し、土の中にいとなまれて
いる根茎類の世界や地下虫たちの生態にも熟知しており、アニミズ
ムの神たちとも通じていた。

 養蜂家である田上さんは、本能に忠実にしたがって群れを作る蜜
蜂の社会について物語る。それは、人類文明がどれほど本能から逸
脱したかを測る基準となる。

 ムレから始まる生きものの集団の、とくに蜜蜂は神秘力のおもし
ろかですもんな。知れば知るほど奥行きの深うして、下等動物ちゅ
うても人間よりはよっぽど上等に出来とるごたる。(p139)

「華を採る蜂、余香を損せず」と道元はいう。(永平広録、上堂語一
八三)蜂は花の蜜を吸うだけで、花の香すら損なうことがない。なぜ
人間はそのように生きられないのだろうか。

 裸になった人類は、自分たちの都合だけで自然を改造してきた。
とくに今から1万5千年前に定住生活を始めてから、農耕や家畜飼育
をするようになり、自然からの逸脱は質的なものとなる。

 蜜蜂は野生の性質を多く残したままの家畜であり、養蜂は人間が
彼らの野性に合わせて飼養する技術を発達させた珍しい業態である
。養蜂家は、野生社会の仕組みを間近に見て、自然に逆らわずに生
きようとするので、自然に対応する生き物の本能の働きにも敏感と
なるのだろう。

 人間には判断力のあるわけでしょうばってん、なまじこの判断力
のある為に、その、チッソのごたるやりくちになって間違うわけで
(p140)

 政治家や経済人や官僚たち指導層は、水俣病への対応で判断を誤
ったことについて、きちんと反省したであろうか。二度と間違いが
起きないよう対策を考えたであろうか。人びとの意識は、水俣病が
発生した時代からあまり進歩していないのではないか。むしろ後退
してはいないか。

 会社利益のために嘘をつき、してはならぬことをあえてするのは
、ずるがしこいというより、おろかしいことである。正しくないと
わかっていることを、どうして人間は実行するのか。組織の収支決
算のため、自分が組織の中で出世するため、いじめられずに生き残
るためなら、間違ったことをしてもよいのか。そもそもどうして法
人組織がそのような無理なことを構成員に強いるのか。水俣病事件
で、会社や国の組織やその構成員の判断が誤っていたことの原因究
明や反省は行われたようにはみえない。当然、予防策も講じられて
いないだろう。

 自然から略奪すれば仕入れは只になる。だから森林は切りつくさ
れ、多くの野生動物が絶滅した。環境に垂れ流せば、ゴミ処理の経
費がかからない。この誘惑に負けたから公害が起きた。このような
人間の過ちは、なにも最近始まったことではない。ただ、大航海時
代以降、あるいは近代産業革命以降、人間の環境破壊力が飛躍的に
発展し、過ちの規模も大きくなった。

 そして、有史以来つねに対数曲線で増え続けてきた世界人口は67
億人になっているのに、私たちはその数字のもつ意味をまるで理解
せず、今だに地球は無限大に大きいと思っている。ちょっとくらい
ゴミや汚染物質を海に捨てても大丈夫と考えて、かつてのチッソと
同じ過ちを続けている人がほとんどではないか。

 これが私たちの今日の判断力の前提である。前提が誤っていれば
、判断も誤らざるをえない。だったら判断力などないほうがよい。
個別の判断など予定されていない蜂の世界のほうがよほど安心感が
ある。

 女王蜂はひょっとすれば、見方によっては、奴隷かもしれん。
(p141)
 蜂それぞれに、生まれながらに持っている役割があり、それを一
生懸命に生きる。それ以上でもそれ以下でもない。
 人間の場合も同じだ。この世に生を受けた限り、必ず役目がある
。胎児性患者もそれは同じだ。

・ 言霊の力で気持ちを表現する
 第3章では、義光どんを師匠として、婆さまたちが、ご詠歌の稽古
をする場面が描かれる。ご詠歌は、月末に大阪で開かれるチッソの
株主総会に「死んだ霊とわが身で、仏になって」乗り込んでいくた
めの準備である。昭和45年11月。

 学校にろくすっぽ通ったことのない字の読めない婆さまたちは、
なかなかご詠歌をうまく覚えられず、指導する師匠がかっかしてい
る光景が、ほほえましく描かれる。

 話がこのように展開した背景にはいろいろな事情があるが、彼女
たちの気持ちを推し量って言えば、裁判や補償処理委員会の現場を
経験して、自分たちの気持ちがチッソや国の人にいかに伝わらない
かを思い知ったからだ。

「やっぱりなあ、東大出ちゅうのは、嘘のつき方まで一風ちごうと
るばいなあ」(p172)
 それは、法廷での、原告側が証人として呼び出した工場長に関す
る感想だった。あきれることを通りこして、感心する。異星人に遭
遇した気分だったろう。

「あんひと。厚生省の、あのほら、橋本政務次官ちゅうひと。あん
ひともなあ、東大出ちゅうばい。やっぱり並のもんじゃなか。魂の
ちがう人間じゃ」
「あはは」(pp172-3)

 国も、政治家も、官僚も、みんなチッソと裏でつながっていて、
苦しむ患者を虫けらのように踏み潰そうとしているように見えたの
だ。
次の言葉などは、昨今の国民生活を無視した、血も涙もない、国家
を解体するかのような政策を先取りしていた感情といえないだろう
か。

 東京にゃ、国はなかったなあ。あれば国ならば国ちゅうもんは、
おとろしか。(略)むごかもんばい。見殺しにするつもりかも知れん。
(p173)

 言葉が霊力をもち、対象物に不思議な力を発揮することを、言霊
という。これについては、祝詞や古代の詩文の研究が行われている
が、それとはまったく別に、言葉の起原という点から考えてみたい。

 人間の言葉は、人間がアフリカで洞窟暮らしをしていたときに始
まったと私は考えている。洞窟の中は安全で静寂だが、真っ暗だか
ら音を出すより他に楽しみはなかった。寝ころがって胸を叩いてド
ラミングし、あるいは水や風の音、獣や鳥の鳴き声をまねて唇を動
かし舌打ちし口笛を吹き、アーとかオーとか声を出すことが、今か
ら約十万年前のアフリカの洞窟の住人たちの暮らしに潤いを与えて
いた。

 舌の筋肉は心臓に直結する鰓弓筋であり、歌のリズムは鼓動と共
振していた。歌から詩が生れた。だから詩の言葉は、音と記憶を記
号的に結びつける概念装置として作用する以前の言葉であり、嘘や
偽りが入り込む余地はない。詩は邪心のない、心の真実を伝える。
真心がそのまま言葉に変換されるから、詩の言葉は言霊をもつので
はないか。

 婆さまたちは無学だが、死者を思い出し、病人を思いやりながら
、ご詠歌のひと言ひと言に心をこめて稽古をしていたであろう。東
大出のチッソ執行部に気持ちを伝えるためには、ご詠歌の言霊にす
がるしかないということを直感していたのだ。

・ 無垢なまま死んでいった少女たち
 心ない男たちは、会社のために嘘をつき、相手をみて物言いを変
え、自分の責任逃れに汲々とする。計算高くこずるい男どもが、目
先の利益や欲望や面子や嫉妬心にかられて、間違った判断を下すの
に対して、女はどうだろう。

 漢字の母は海の一部だし、フランス語の母une mereは海la merと
そっくりな綴りだ。発音も等しく、名詞の性別も女性だ。やまとこ
とばでも「産み」は「海」に通じる。産む行為によって、女は生命
が生れ出てきた海と結びついている。男は精子を出すと用なしにな
るのに対して、女は子育てをするので、未来にも責任をもとうとす
る。

 もしも、あるがままの自然というものが人類に残されるとすれば
、最後の神秘として性は残るはずだった。(略)女の胎と海とが、お
なじ潮であることを人びとはまだ充分に思いつかない。(pp222-3)

 女の胎に直接毒が注入されて生まれてきたのが胎児性患者である
。一般の人類よりもひと時代早く、災厄を一身に受けた子供たちは
、母が体内に取り込んだ毒を小さな体に引き受けて生れ出て母の命
を救い、人生で一度も間違いを犯すことがないまま神話的な生を生
きた。彼らは、まもなく人類全体を見舞おうとする大災厄の時代に
、無力化した既存の神仏になりかわって、人びとを救うべく待機し
ている。

 20世紀が終ってみると、政治家も、官僚も、企業家も、労働運動
家も、学生運動家も、宗教家も、およそ人間という人間が頼りにな
らないことが明らかになった。黙々と胎児性患者たちの看病と世話
を続け、彼らを励まし支え、そして自らも子供に励まされ勇気づけ
られて生きてきた母たちは、胎児性患者が純粋な心を持ち、生きる
希望を与えてくれる神であることを知っている。

 王たちは民衆の為にいのらなくなり、かわりにここらあたりのま
だ絶息せずにいるものたちは呪祷を深くして、たぶんまだ名づけら
れない神になりつつあるのだった。(p235)

・ 原罪を引き受けた人
 水俣病患者互助会の山田亦由会長は、婆さまたちのよき相談相手
であった。市民の冷たい視線と心ない言葉に脅えた女性患者が半狂
乱で飛び込んできて不安を訴えたとき、山本氏は女性を励ましなが
ら、いっしょに泣いた。

「バカいえ、何ばいうか、いまから会社と交渉せんばならんとに。
そげんこついうた奴ば、連れて来え、俺家に! 俺がな、いうてや
る、俺たちがこらえとるけん、水俣市は治まっとるとぞ。(略)俺が
ね、一人で引き受けてやる。(略)」

 女性患者も、「小父さん」も、わたしも涙がとまらなかった。(p306)

 いっしょに泣いた山本氏は、童女のように感じやすい人であった
のだろう。無垢な少女の過敏な心にこそ真理は映しとられる。平安
王朝文学の時代から、21世紀に至るまで、女流文学こそが日本文学
の本流である。

 山本会長は訴訟派と一任派の板ばさみとなって、「訴訟提訴をし
た人びとよりも、より深い苦境」に落ちこみ、急激に水俣病が発症
するようになって、死んでしまう。

 無垢な会長の心を慕いながらも、見かけ上路線のちがう訴訟派の
方に心ならずもついてゆかざるをえなかった著者は、亡くなる3日ま
えに会長を病床に見舞いお別れをする。

 一人の人間に原罪があるとすれば、運動などというものは、なん
と抱ききれぬほどの劫罪を生んでゆくことか。人の心の珠玉のよう
なものをも、みすみす踏みくだかずにはいないという意味で。(p310)

 運動に勝利すること、裁判所に会社や国の責任を認めさせて、患
者の生活を支援するための補償金を得ることは、必要なことだった
のかもしれないが、一番大事なことではなかったのだ。もっと他に
大切にしなければならないものがあったのに、気づかないまま踏み
潰していったのではないか。一人ですべてを引き受けていた山本老
人の命を縮めてしまった運動のあり方については今でも疑問が残る
ようだ。

 ある晩、夢の後で、著者は山本亦由老人の遺した「人間の絆」と
いう言葉を思い出す。

 それはどんなに体をよじっても、そこから自分を切りとることの
できない大地の絆、大地化した人間の内なる絆をいうのではないの
か。(略)より深いところで文明の毒を注入された精神の土壌の苦悶
が、彼の頬に滲み出た(p315)

 おそらく山本老人は、水俣病に対して、自分も責任があると思っ
ていたのであろう。死期が早まることを感じながらも、原罪の結果
を一身に引き受ける覚悟で、すべての人に誠実に付き合っていたの
だろう。

 この人も神となるべき人である。

・ 人類の災厄を時代に先がけて受けた水俣
 1970年は、大阪万博があり、安保闘争もあった。田子の浦、洞海
湾、黒部川、多摩川など全国各地で水質汚染が深刻化し、東京では
光化学スモッグや排ガスが問題となった。チッソの株主総会の翌日
である11月29日、巡礼団が高野山にお参りした日は、公害メーデー
として全国各地で集会が開かれた。

 11月24日、水俣病患者高野山巡礼団十九名が、菅笠に白木綿の手
甲脚絆と袖なしの笈摺、頭陀袋を身につけて水俣駅を出発した。輪
袈裟のかわりに、水俣病患者巡礼団と墨書した白い襷をかけていた
。これは三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した前日であった。

 行きの列車の中で著者は、義光師匠から般若心経からいただいた
という娘の名の由来をきく。
「日本の真実・・・・、なあ、真実ですよ日本の、この水俣の姿は
。わが身にそれを負うて、実る子はうまれたわけじゃ(略)やっぱり
こりゃ、逆世の、末法の世が来たんじゃろうと。水俣に先がけてそ
ういう知らせが来たんじゃろうと」(pp335-6)

 何の罪も犯していない子供が、なぜ水俣病を背負って生れてきた
のかと問い続けて、そのような意味づけに至った。科学的な根拠や
証拠があるわけではないので、愚かで未熟な感情といえなくもない
。だが、愚かな感情こそが、本質を言い当てることもあるのだ。

 水俣が世界の絶望の先端に位置していたのなら、そこで最初に希
望の曙光が見えてもよいだろう。


3 もののあはれに心をふるわせたなら幸せ
・異形を凝視せよ、そこに希望が生れている
 NHKの「写真の中の水俣 〜胎児性患者・6000枚の軌跡〜」と
いう番組をみていたら、胎児性患者の半永一光さんが、自分は言葉
がしゃべれないから、聞くこともできないと思われて、幼児言葉で
話しかけられることが多いとこぼしていた。実際は、言われたこと
は普通にわかるし、新聞も読んでいるのに。

 おそらく、幼児言葉で話しかけた人は、しゃべるのに不自由な人
は聞くのも不自由だと早合点するのだ。話しかけられた方は、普通
に話してくれていいですよという一言がいえないから、もどかしく
、無駄な時間を過ごすことになる。

 胎児性患者は、異形である。だが異形だからといって、目をそむ
けてはならない。むしろ、異形だからこそ凝視せよ。そうすればす
ぐに見慣れて驚かなくなる。


 母親の胎内で、単細胞の卵子が、魚類、両生類、爬虫類を経て、
哺乳類へと300日で5億年の生命進化を系統的におさらいしている最
中に、有機水銀がどこかの神経を破断するものだから、病状もその
進行も個々の患者によって違う。水俣病の症状は外見からでは判断
がつかない。

 個別の患者と心を通わせるためには、何度も付き合う、ていねい
に相手の反応を読み取るなど、一切の先入観を捨て、相手を対象化
せず自分と一体化することが必要である。

 母や婆さまは、食事や身の回りから入浴や下の世話に至るまで、
なにからなにまで面倒をみて喜怒哀楽をぶつけあうので、患者の心
と通じ合う機会を得る。

 そのようにして患者の心と出会ってはじめて、そこに希望が生れ
ていることに気づく。著者はそれを示すために、30年の歳月を費や
したのだ。希望を語ることが、近代の呪術師にとってもっとも重要
な仕事である。

・ 『苦海浄土』をもののあはれで読み解く
 おそらく、第1部を読んだ人の多くは、『苦海浄土』は水俣病に罹
った漁民の苦しみと闘いの記録であると受け取ったであろう。した
がって第2部『神々の村』にも、公害被害者の苦しみを描いた文学で
あるという先入観をもつであろう。 

 しかし『神々の村』は、チッソと患者という対立図式を乗り越え
て、「チッソの人の心も救われん限り、我々も救われん」という地
平に到達した21世紀の水俣に生れた文学である。人類文明の原罪と
どのように付き合うか、近代の終焉にあたってどのような生き方が
あるのかを問う21世紀の人類のための物語に昇華している。

 水俣病が公式認定されてから50年以上経過したが、地球の自然環
境は、ますます悪化している。温暖化、異常気象、地球規模海洋汚
染、森林喪失、生物種絶滅と、我々の気づかないところで人類によ
る破壊や汚染が進行している。いつ、どのような形で、我々もまた
環境破壊の影響を受けて苦しむ立場になるかわからない。だが文明
生活の中にいる我々は、自らが環境破壊、環境汚染を続ける加害者
なのである。

 なぜ私たちは、「この地域の人々が負い続けている苦しみを自ら
の痛みとして感じる想像力」を必要とするのか。それは、ひと足先
に末法の時代を生き、苦しみ、絶望した人たちが、ついにチッソを
許し、苦しみや絶望を乗り越えたからだ。患者や家族の苦しみや悲
しみや絶望を知り、彼らの感情と一体化してはじめて、私たちも彼
らの到達した喜びや希望を共有できる。

 『苦海浄土』三部作は、我々の心を患者や家族の心とつなぐため
の現代の古典である。私たちはどうすれば水俣の心と通ずることが
できるだろうか。

 私は最近たまたま本居宣長の『紫文要領』を読む機会を得たのだ
が、宣長が説く『もののあはれ』にしたがった『源氏物語』の読み
方は、そのまま『苦海浄土』にもあてはまると思った。

 人のおもきうれへにあひて、いたくかなしむを見聞て、さこそか
なしからめとをしはかるは、かなしかるべき事をしるゆへ也、是事
の心をしる也、そのかなしかるべき事々の心をしりて、さこそかな
しからむと、わが心にもをしはかりて感ずるが物の哀也、そのかな
しかるべきいはれをしるときは、感ぜじと思ひけちても、自然とし
のびがたき心有て、いや共感ぜねばならぬやうになる、是人情也 
(本居宣長「紫文要領」、「伝統と現代」、現代人の思想14、篠田
一士編、平凡社、1969年所収) 

 桜吹雪の下で花びらを集めていた坂本きよ子の神々しい姿から彼
女の感動の深さを読み取り、それを自らの感動として受け入れて、
心ふるわせることができるか。

 花びらば、かなわぬ手で、拾いますとでございます。いつまでで
も坐って。(p48)

 きよちゃんあんた、そげんして花びら拾うても、賽の河原ぞ。風
邪ひくけん、家にはいろ、ちゅうても、耳だけは不思議ときこえと
りまして。耳のきこえんごとなった奇病人さんたちも、おんなさい
ましたけれども。(p49)

 視覚障害者が、失った視覚のかわりに聴覚や触覚が鋭くなるよう
に、体が不自由になった分だけ、彼女の残された感覚や意識は研ぎ
澄まされていたはずである。その分も考慮して、彼女の気持ちを推
し量る必要がある。

 それにしても、よくそこまで純粋に花を愛でるものである。宣長
の「敷島の大和心を人とはば朝日に匂う山桜花」という歌のままに
、彼女は大和心を生きた。寝たきりの部屋から毎日庭先の桜を見つ
づけていた彼女の心は、すでに桜の木の心と一体化していたのか。

 桜の木もそれをわきまえていて、彼女のことを思いながら流した
涙が桜吹雪となった。あるいは、汚れることないままに死んでいく
彼女が、これから霊となって自由に飛び回るための天女の羽衣とし
て、花びらを手向けたのかもしれない。

 第六章に、もうひとつ、花の物語が描かれている。

 鉄道自殺を思いつめて、胎児性患者のトヨ子を背負って線路道を
行ききする母に、背中の娘が、桜吹雪を指し示す場面。生れてから
一度も歩いたことのない、母より先に短い一生を終ることになる娘
が、自らの感動を一生懸命に母に伝える場面。
ががしゃんとしかいえずに、花ともいえませずに、あな、というて
。背中でずり落ちながらのびあがって、苦しか声でいうとですよ。
ーーー ああ、あな(花)ち。(p382)

 悲劇の極みのすさまじき逆転劇。太棹三味線の義太夫節でもの言
わぬ浄瑠璃人形に演じさせたい。

 体も不自由、言葉も不自由な娘が、母に桜を見せて勇気づけ、死
を思いとどまらせた。人の心はそんなにも桜に感動できるのか。そ
のようにうちふるえる心を持っているだけで、その人の一生は幸せ
であったと断言してもよい。

 たとへばいみじくめでたき櫻の盛にさきたるを見て、めでたき花
と見るは物の心をしる也、めでたき花といふ事をわきまへしりて、
さてさてめでたき花かなと思ふが感ずる也、是即物の哀也(「紫文
要領」)

 桜吹雪に心をふるわせた彼女たちは霊となって今も不知火海の近
くをさすらっているのだろうか。これから人類は未曾有の苦難に見
舞われるかもしれないが、彼女たちは我々をみまもり、励ましてく
れることだろう。

 これから人類が経験する苦しみは、人類文明の原罪の結果だから
、人類はそれを引き受けざるをえない。じたばたするな、恐れるな
。淡々と篤実に誠実に生きていけばいい。原罪を引き受けて苦しん
だその先で、花に心うちふるえることあれば幸せだと、水俣の呪術
師は希望を示してくれる。

 日本列島はつくづく神々に守られているところである。その地で
人びとはつましく暮らし、四季折々の自然に共感して生きてきた。
そのようにして育まれた心は、おそらくこれまで人類が到達したな
かで、もっとも清らかで、もっとも輝かしく、もっとも躍動的な心
の状態であろう。

 もののあはれを知る心は、我々の本性の中にある善なるものを、
日本の自然と一体化させて磨き上げ、まっすぐに育てたものではな
かろうか。それは涙もろく、感じやすく、繊細であるが、同時に明
るく、たくましく、柔軟である。水俣の海と山に囲まれて生活する
水俣の漁民たちは、国学や歌論を学ぶまでもなく、自然と対話する
ことによって、その心を育んだ。

 著者が描こうとした「日本の近代が一度も眼をくれたことがなか
った、もっとも淳樸で雄渾な、原初的資質」は、本居宣長の説くも
ののあはれを知る心と同じであったというのが、本稿の結論である。

 それは文明の中にあっても、常に自然の原理に即していて外れな
い。人間が勝手に決めた善悪正邪賢愚の基準を超越していて、大宇
宙の法則に一体化する心のあり様である。(終わり) 

とくまる


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