3036.北京五輪についての雑考



北京五輪についての雑考


                           日比野

1.行った人、見てる人

なんだかんだで北京五輪は開催され、そして終わった。開会式や閉
会式のセレモニーは人も金もかけた派手なもので、面子に拘るお国
柄がよく表れていた。

日本のテレビは連日連夜、五輪特集を行っていた。日本のメディア
はあまり報道しなかったけれど、五輪の影に隠れてグルジア侵攻に
テロの続発があって、普通の五輪ではなくなっていた。

だけど競技そのものはなべて普通に行われ、選手は、その持てる全
力を発揮していたのが印象に残る。会場の外の事実は、白熱する競
技に掻き消され、テレビを見ている人の印象にはメダルや何やらだ
けの記憶が植えつけらる形となった。

今回の北京五輪は日本からのツアー客は少なく、TV観戦が殆どだ
ったという。逆説的ではあるけれど、そうであるが故に、現場で起
こっていることから目を逸らされてしまう危険に陥ってしまってい
るのではないか。

TVを見ている人よりも実際に現地に行った人のほうが、現実をよ
り認識して帰ってくることになる。

サブマシンガンで武装した特殊部隊に囲まれた北京駅、取材中当局
に拘束される新聞記者、観光客が陳情者に殺されてしまう劣悪な治
安。どれもこれも普通じゃない。

テレビで華々しく競技が報道されればされるほど、実際に体験した
人の言動に注視して、広く識っておくことも大切なこと。

「五輪おじさん」こと日本の名物応援団長、山田直稔さんは北京ま
で応援に行ったものの、最後まで競技を見ることなく帰国している
。五輪おじさんは産経新聞電話取材に対してこうコメントしている
。


 −どういう状況

 「柔道会場で空席がたくさんあるのに、多くの日本人が入れなか
  った。入れない人を入れてくれと訴えたが、真心が通じなかっ
  た。半世紀近くの五輪応援人生でこんなの初めてだ。満員だっ
  たら何も言わないけど」

 −中国のブーイングはすごかった

 「ブーイングはとんでもない。こんな五輪はなかったよ。五輪を
  やる資格はない。それに空気が汚くて、のどに痛みが出てきた
  。閉会式までいなかった五輪は初めてだ」

 −これで引退

 「今度はスポーツではない笑顔の触れ合い五輪をやりたい。それ
  が自分の使命だと思う。後継者? こんなバカをやる人はいま
  せんよ、ガハハ。昨夜も2時半まで家のテレビの前で応援して
  ましたよ。」



2.北京五輪がもたらしたもの 

北京五輪は、日本からTVで見ている限り、普通に行われたように
見える大会だった。懸念されていた大気汚染も、男子マラソンで大
気汚染による不調を訴える選手もなく、金メダルのワンジル選手は
五輪新記録で優勝したほどだから、心配されたほどではなかったよ
うだ。

中国政府は北京五輪は大成功だった、と国内に大きく宣伝している
。だけど、いくら宣伝したところで、大会そのものがかなり「粉飾
」されたものだったことは世界中に知られてしまっている。

競技中の応援は動員されたボランティアによる作られた声援。開会
式での少女の歌がやらせ口パクだったことや、打ち上げた花火の一
部がCGだったこと等が報道されている。さらには海外メディアを
含め、厳しい取材規制をしていた。海外メディアは施設や警備に対
して好印象は持ったものの、自由な報道を制限されたという不満を
表明している。

要は、外国のお客には、隔離された綺麗なところだけを見せて、見
栄えだけを良くした大会の側面があったことは否定できない。

問題はこれから。中国のこうした対応は、確実に権力を持つ側とそ
うでない側、一般の中国人民との溝をいっそう深くすることは間違
いない。抗議デモを一度たりとも許可せず、また、実際テロが起こ
っているにも関わらず、事故だ、単なる爆発だ、といって情報封鎖
して、世界に知らせないやり方は、次のテロの危険を自ら招いてい
るともいえる。

北京五輪は、政府が演出する中国の外面と、実際の人民の間にある
意識差を浮き彫りにし、溝を広げた。

北京五輪は中国共産党にとっては成功したかもしれないけれど、中
国人民・中国という国にとってはなんら資することのない大会であ
ったのではあるまいか。



3.オリンピックの甲子園化

北京五輪では、日本選手団はそれなりに健闘した。アテネ五輪には
及ばなかったものの、それでも、金9、銀6、銅8の計25個もメ
ダルを取っている。

近代オリンピックは元々アマチュアの祭典だったのだけれど、19
84年のロサンゼルス大会あたりから大々的なショーアップが行わ
れ、商業主義へと転化していった。それに伴って各国の誘致活動は
激しさを増し、半ば一大利権イベントと言えるような面も見せてい
る。

また、今回の北京五輪のように、開催国が国威発揚の場として利用
することもまま見受けられ、本来のあり方からどんどん離れていっ
ている。

もはや、健全なスポーツ精神で戦うのは選手だけで、外野は利権で
雁字搦めになっているようにも見える。

外野が商業主義染まると、必然的にスポンサーをどんどん増やして
いくし、国民の人気を煽ったりして視聴率を稼ごうとする。

視聴率を取る一番簡単な方法は、単純にメダルをより多く取ること
だから、勝てる競技や選手を持ち上げてさんざん煽るし、見ている
方もそれを期待する。何より国の名誉がかかっている。いくら選手
本人が自分の為に頑張ったといったとしても、世間はあまりそう思
ってはくれない。

勝つということに拘って、追求していくと、一番強い選手が出るべ
きだ、ということになるから、プロ選手の出場が認められるように
なることは、必然の成り行きだったとも言える。

また、自国にメダルが取れる強い選手が居ない場合は、そういう選
手をつれてこればいいとばかり、どんどん移住させてしまうことだ
ってある。現に中東の国は手っ取り早くメダルを獲ろうと、ケニア
選手などを移住させているケースもあるという。

これは、甲子園出場常連校が全国の中学校から優秀な卒業生を推薦
入学させて強くしてゆくのと殆ど同じ構図。

そのうち優勝請負監督ならぬ、メダル請負コーチが世界各国の代表
コーチにどんどん就任することだってあるかもしれない。中国女子
シンクロチームの代表コーチは元全日本女子シンクロコーチの井村
氏だった。
 


4.柔道とJUDO
 
「一本でなくてもいい、勝てばいい。」 

北京五輪男子柔道100キロ超級で見事金メダルを獲得した、石井
慧選手の言葉。

柔道が「JUDO」となってから随分経つけれど、今回の北京五輪
では、柔道とJUDOの違いが如実に現れていた。

日本の柔道は曰く、一本を狙う柔道。組んで技をかけて投げる、綺
麗な柔道。対して「JUDO」は、なるべく組まずに、タックルを
仕掛けて相手を倒してポイントを稼ぐ、レスリングのようなジュウ
ドウ。JUDOではなくてジャケット・レスリングだ、という声も
あるくらい。

ただそれでも、柔道には「朽木倒し」とか「諸手狩り」のようなタ
ックル技がある。規則上認められた技で戦うのはなんら不思議なこ
とではないし、「技あり」「有効」「効果」といったポイントがあ
る以上、優勢勝ちを狙う戦い方も理の当然。

陸上400mリレーでは、日本が3位になって銅メダルを獲得して
、80年ぶりの快挙だと喜んでいるけれど、米国、英国、ナイジェ
リアの有力候補が相次いで準決勝のバトンミスで姿を消したからだ
と言えなくもない。だけどラッキーで手にしたその銅メダルは価値
がないという人はいない。バトンミスした国はさぞかし悔しかった
だろうけれどミスはミス。ルールに則って正々堂々と日本は決勝に
進んでメダルを獲った。何ら恥じることはない。

それと同じで、世界各国もなんとかしてJUDOでメダルを獲ろう
として、ルールに則った上で、研究を重ねた結果、レスリングのよ
うなポイントを稼ぐスタイルに行きついただけのこと。

そもそも柔道は1882年に嘉納治五郎が日本の講道館において創
始した柔術に起源を持つ武道。

柔術は、武術でもあり護身術でもあったから、それはルール無用で
いきなり襲われても対処できなくちゃいけなかったもの。如何なる
ことがあっても「負けない」という大前提がそこにはある。勝つ必
要は必ずしもないけれど、負けることだけは避けなくちゃいけない
。負けたらその場で殺されてしまうのが戦場。だから武術は勝利至
上主義(不敗至上主義)そのものなのだと言える。生き残るために生
み出された技術だから当たり前。

そうした戦闘術のひとつであった柔術を武道に変容させて、精神鍛
錬にも重きを置いたのが柔道。

もともと、講道館で柔道が始まった当初は、講道館の人も柔術出身
者ばかりだった。明治後期に講道館柔道が全国に広まるにつれて、
試合を講道館のルールで行う柔術道場が増えたというから、柔術が
柔道に取って代わられたということ。

これは、日本の柔道が世界のJUDOに取って代わられる可能性も
同時に示してる。
 


5.世界標準化との戦いと許容

「ストライクゾーンがまったくほかの世界でやっているような感じ
だった。それで戸惑った感じだった。」

北京五輪でメダル無しに終わった野球の星野日本代表監督のコメン
ト。

国際試合でも、何がしかのルールに沿って行われないと競技になら
ないから、ストライクゾーンとて、何かには決められる。それは国
際基準と呼ばれるもの。ボールだって、公式球を採用する。同じ条
件での勝負でないと不公平だから、当たり前の話。

確かに選手は必死に頑張っていた。だけど選手はグラウンドでしか
その力を発揮できないのだから、試合前の事前調査なり、選手選考
を含む環境整備などは監督・スタッフ、ひいては協会の仕事。

尤も、宮本主将は、アテネと北京を比較してストライクゾーンに違
いはあるかと問われて、そんな感じていないと答えているから、選
手レベルでは十分対応できるレベルだったかもしれないけれど。


また、代表選手決定後にルール変更となって騒ぎとなった、タイブ
レーク制の導入や、試合1時間前のメンバー表提出後も2人まで選
手交代可能となったことなども、協会ないしスタッフが注意してい
ればもう少しなんとかなった筈。

タイブレーク制は全日本アマチュア野球連盟・松田昌士会長がIB
AFのシラー会長に日本の社会人野球での同制度実施を紹介してい
たし、メンバー表提出後の選手交代についてもアジア予選の対韓国
戦でやられた経験があるのだから、対策を立てておく時間はいくら
でもあった。

星野JAPANの敗退が決まった後、野球ファンの多くから非難の
声が一斉に上がった。あれほど金メダルを取ると広言し、期待もさ
れて、メダルなしになった途端にこれほど叩かれたという事実は、
どれだけ金メダルを期待されていたかを物語る。

少なくとも国民の側もかなりの部分勝利至上主義になっているのか
もしれない。日本のお家芸と目されている野球や柔道なんかは尚の
ことそうなのだろう。

国民が願うのが勝利なのか、内容なのか。なにがなんでも勝てば官
軍とするのか、参加することに意義がある。オリンピック精神を発
揮して恥ずかしくない戦いさえ出来ればよいとするのか。結局は国
民自身が何を望んでいるかによって、対応は変わって行かざるを得
ない。

1992年のバルセロナオリンピック柔道で金メダルを獲得した総
合格闘家の吉田秀彦氏は、北京五輪の日本柔道について、こう語っ
ている。

「1回負けてしまうと、気持ちが切れて、やる気が出なくなるのは
、自分も経験してるんでよくわかるんだけどね。金メダルじゃなき
ゃ、銀を獲っても、銅を獲っても一緒だっていう雰囲気が、最近の
日本には出てますからね。逆に、欧米はメダルを目指して必死に闘
ってましたよ。」



6.日本文化が世界化するとき

柔術から柔道に、柔道からJUDOに変容するのと同じように、あ
る競技が世界化・グローバル化してゆく過程で、より広く受け入れ
られる形に変容していくのは、ある意味自然な流れ。

それは、文化の世界でも同じ。古くはアレキサンダー大王の東征で
、伝播したギリシア文化はアジアの古代オリエント文化と融合して
いったけれど、そこに生まれ土着した文化は当然、ギリシャ文化そ
のものではなかった。出土した彫刻をみても、ギリシャ彫刻風の仏
像といった「ヘレニズム」な文化に融合・変容していった。

今や日本のアニメや日本食など日本文化が世界に発信されているけ
れど、日本文化が世界に広がり、受け入れられていくとき、それが
、受け入れられれば、受け入れられるほど、その文化は段々土着化
して歪み、変容していくことはほとんど避けられないと考えたほう
がいい。

それは、その文化の中に普遍的なものが宿るが故に広がるのであっ
て、見た目はただのスタイル。その奥底にある本質部分が伝わって
、残っていくかどうかが大切なこと。

だけど、往々にして日本人は、日本文化がそのままのオリジナルな
形で海外に伝わらないと気がすまないように考えているのではない
か。それだけ自国の文化に潜在的な誇りを持っている。

お寿司のカルフォルニアロールはまだいいとしても、フランス人が
ご飯に甘ダレ醤油をかけて食べる姿をみたとしたら、潔癖な日本人
がそれに耐えられるだろうか。

今後、日本文化が世界化してゆくのであれば、それは日本文化が世
界に受け入れられたというのではなくて、日本発の文化が世界各国
に土着化していく過程だと受け止めるべき。

その土着化の過程で、日本文化のより本質的な部分、普遍的な部分
がより分けられ残っていく。日本人自身が、それを自然に受け入れ
られるようになったとき、日本文化が世界化したといえるのだろう
。

(了)

参考 http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080819/oth0808191223005-n1.htm



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