里山復活で、生物多様性を守ろう。 Fより 日本には、戦前まで現実的な生活の上で必要として里山があった。 今でもあるのでしょうが、化学肥料や農薬、石油などを利用するの で、必要がなくなり手入れがされていないと聞く。しかし、里山復 活が、石油脱却の日本農業復活の証になる。 森の地面には太陽が入らないので、いろいろな動物や植物に必要な 太陽がないことで、生物多様性に限界がある。しかし、人間が木を 手入れし、間伐することで、太陽が地面まで入るようになる。また 、笹などが生い茂るが、それも人間が除去する。肥料として下草は 緑肥かするが、その場所がカブトムシの産卵場所である。 人間と共生して生きている昆虫達の産卵場所も再生できることにな る。農業に石油が利用できなくなる可能性が高い。この代わりに里 山が現代風に復活してくると見ている。 自然の利用した農業をまず復活することが重要な気がするが?? ============================== 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 里山(さとやま)とは、集落、人里に接した山、あるいはこうした 地形において人間の影響を受けた生態系が存在している状態を指す 言葉である。 里山は様々な形で利用されて来た。単に木材の供給源としてだけで なく、落ち葉や下生えは田畑の肥料に利用されていた。また農作業 の合間に里山に入って薪やキノコを得ることは、近世の農民にとっ て現銀収入を得る最も簡便な方法であった。緊急時の木材・現銀供 給源を兼ねた水源涵養林として意図的に森林の伐採を行わない里山 もあった。 里山の植生は以下のように利用されていた。 広葉樹林の場合:10年から20年ごとに根を残して伐採され、薪や木 炭に利用された。残された根からは再び芽が出るので、再び10年か ら20年が経過すると同じようにして利用された。 アカマツ林の場合:アカマツは建材に利用する為、長期的に育成さ れた。アカマツの枝やアカマツの下に生える低木は燃料となった。 灰はカリウム肥料として田畑に入れられた。 その他の大木も貴重な木材として生えている状態から1本単位で藩や 代官に登録され、管理された。 下草は緑肥として用いられた。 落ち葉も燃料として用いられ、灰はカリウム肥料として田畑に入れ られた。 アカマツ林で獲れる松茸の多くは売却され、現銀収入をもたらした 。換金性の低いキノコ類や山野草は自家消費の食料となった。