3012.循環社会―江戸時代を見習おう



循環社会―江戸時代を見習おう
                    平成20年(2008)7月31日(木)
                    「地球に謙虚に運動」代表
                         仲津


 暑中お見舞い申し上げます。

人類の居住とともに廃棄物はつきものです。特に集中して住むようになると
排泄物の処理などが重要な事項となります。

19世紀のロンドン、パリなど欧州の都市においては、下水道が普及する前の
便所はオマル方式でした。一定量溜まると、川や排水溝に捨てていたのです。
中には道路へ直接2階から捨てる庶民もおり、汚物が歩行者を直撃したこと
もあったようです。私はこのことを司馬遼太郎の「街道を行く」で知りまし
た。街中は異臭を放っており、そこで臭消しのために香水が発達したと言い
ます。

 フランスより一足先に産業革命が起こったイギリスのロンドンでは、上下水
道が未整備のまま、産業革命が進展し、テムズ川にはロンドン中の人間の排泄
物を含む生活排水が流れ込み、川沿いに立ち並ぶ工場からは廃棄物が未処理の
まま川に捨てられていたのです。結果、街全体が悪臭を放ち、不衛生で伝染病
が流行し、人口が伸びなくなりました。そのような多くの問題を抱えたロンド
ンは、生活環境改善のため、上下水道を整備し、テムズ川沿いに新しい護岸を
造り、公共空間を創出するなど都市改造を実行したのです。

19世紀半ば頃のパリはまるでスラム街のようだったと言います。道の真中は
必ず窪んで溝になっています。人々は日々この溝に排泄物や、汚水や生ごみ
などを捨てており、その行き着く先のセーヌ川は、泥、動物の糞、廃棄物、
汚物、腐敗物などでいっぱいになっていました。パリの住民はこの川の水を
飲んだり、浴びたりしていたのです。経済的余裕のある貴族は、レマン湖へ
エヴィアン水を(スイスローザンヌの近くの町で湧出するアルプスの湧き水)
その効能と、水質の良さのため、争って求めたと伺いました。

ロンドンの改造に刺激された、皇帝ナポレオン3世は、1853年にオスマン男
爵をパリ県知事に任命して、大改造に着手させました。具体的事業としては、
都心に一定高さのアパートを建設し、街並みを統一すること、上下水道を整備
し、汚水を雨水から分離して郊外に集めることなどでした。その結果花の都
パリが地上に出現したのです。

ロンドン、パリとも都市大改造に追い込まれたとも言えましょう。この大改
造する前のロンドン、パリの人口は精々人口50−60万人で限界に達しま
した。衛生問題などで人口の壁にぶち当たったと推定されています。

 一方、同じころの江戸時代の都市、特に江戸においては町民の殆どは長屋で共
同生活し、長屋の奥に共同便所がありました。長屋の大家はその排泄物をお百姓
さんに売り、家賃以外に別収入を得ていたのです。金肥と呼ばれていたと言いま
す。私は下肥という言葉を記憶しています。

小・中学生であった昭和35年頃まで、自宅も水洗化されていませんでした。
信じられないでしょうが、大阪市内でも住吉区、東住吉区など大和川に近いあた
りでは狩猟が可能でした。田園風景が広がり、田舎の香水と揶揄した臭いの発
生源である肥え壷が至るところにありました。一緒に連れていた犬がそれには
まり、往生したことがあります。

お百姓さんは、金肥をしばらく寝かせて、自然発酵させ、田畑に肥料として活
用していました。そして収穫した米などの作物を税金として納め、残りを町に
売りに行って生計を立てていたのです。結果江戸始め日本の都市は、綺麗な河
川が流れ、清潔な街だったのです。伝染病の発生もロンドン、パリに比べ、少
なかったことでしょう。

まさに江戸など日本の都市は、循環社会を形成していたのです。リユース
(再使用)、リサイクル(再利用)の徹底した都市でした。そして19世紀中
ごろ、江戸は人口が120万人に達する世界最大の都市であったと推定されて
います。

 19世紀半ばのロンドン、パリと江戸の決定的な違いは、一方通行社会と循環社
会の差と言えるでしょう。表現を変えれば、ロンドン、パリは持続不可社会であり、
江戸は持続可能社会であったと言えます。江戸は都市大改造を必要とせず、日本
文明を滅ばすこともなく、古代から持続発展してきた都市の象徴ではないでしょ
うか。循環社会が多くの人口を吸収・維持することに成功したのです。

 しかし現代の東京に象徴される日本の都市はいかがでしょうか。19世紀半ばのロ
ンドン、パリのような不衛生都市ではないにせよ、一方通行社会であることは間違
いありません。典型的な例として、人間の排泄物が殆ど循環利用されていません。
家庭排水、事業所排水とともに下水処理場に集められ、微生物による分解処理をし、
流入水と発生水は河川か海へ放流されています。残る汚泥は灯油を使って焼却処分
され、残った灰は肥料になるか、スラグ化して骨材で活用する程度です。排泄物
の多くは水と炭酸ガスに戻っているとも言えますが、自然動物のように他の動物と
植物の栄養にはなっていません。

日本の都市部では人間の遺体も斎場で灯油か天然ガスを燃やして焼却処分されて
います。私は昨年、今年と実姉を亡くし、斎場で殆ど煙となり天国に昇った二人
を見送り、悲しみを抑えながら、このままで良いのか、と思った次第です。我々
の排泄物も遺体もいずれは自然に返すべきときが来つつあると思うに至っている
からです。今のままでは大地から収奪するばかりだからです。しかし用地の問題
もあり、私も解決案がありません。ただ、人間系だけが地球上に他の生態系と別
枠では住めなくなるときがいずれ来るように思うのです。

 循環社会に切り替えないと、色々な壁にぶちあたり奈落の底に向かいそうな気が
します。

 例として我々の生命を維持する農作物は、石油、石炭などを原材料とした合成化
学肥料で大半が育成されています。土は借り物のような状態に置かれています。こ
れを長く続けますと、土壌の劣化が始まるのではないかと思います。化学肥料が本
格的に使われだしたのは第二次大戦後です。わずか数十年では答えは出ないでしょ
う。古代のメソポタミア、インダス文明は、塩害により土壌が劣化し作物が取れな
くなり、遂に滅んだという説が有力です。私は土壌の専門家ではありませんが、
土壌も循環されなければならないと思っています。

 原油生産がピークを迎え、原油価格の高騰が基調になってきました。石炭もいず
れ枯渇します。肥料の三要素と言われる窒素、リンとカリいずれも輸入頼りなので
す。我々の排泄物にはそれらが含まれます。人間の排泄物も含めた有機肥料の活用
暑中お見舞い申し上げます。が循環社会の原点だと考えます。皆様いかがでしょうか。

 本エッセイを書くにあたり、下記ホームページ等を参考にさせていただきました。
村田 和彦氏
http://www.kanagawa-iguren.com/c-and-s/magazine/90/90-6.pdf )
パリ大改造とロンドンの先例

「オスマン男爵によるパリ改造計画---」相良 憲昭 京都ノートルダム女子大学学長
 http://www.notredame.ac.jp/ningen/news/071020_2.htm

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仲津
「地球に謙虚に」運動代表


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