2963.戦後思想の行方



戦後思想の行方  渡辺京二

(渡辺京二 評論集成III 「荒野に立つ虹」より)

(初出「戦後相対主義の泥沼」、1985年9月1日、熊本日日新聞)

 私は近ごろ、戦後思想というものが果たして在ったのかどうか、はなはだ疑わ
しい気分になっている。常識的にいえば、戦後の思想は戦前の思想に対立するも
のだのだろうが、射程を長くとるなら、大正末期から昭和三十年代までは、思想
史的にひとつの時期と見ていい。

 私がこのことに気づいたのは、いまの若者に、私たちに常識となっている思想
的問題設定がまったく通じないようになっているという事実からである。四十年
代の前半、大学闘争が吹き荒れたころまでは、若者と私たちは話が通じていた。
つまり当時の反逆的な若者たちは、ポーズはいくら過激であったとしても、たと
えば「人民に奉仕する学問」といったスローガンひとつ見てもわかるように、は
なはだ古典的な問題提起を行っていたのである。

 状況の全面的な転換は四十年代の後半に訪れたようだ。それがちょうど、高度
成長による社会構造と大衆意識の変革が一段落ついた時期であったということは
いうまでもない。

 私が大正末から昭和三十年代までをひと続きの思想史的一時代ととらえるの
は、国家・社会・共同体・家族・個人・思想・文学などの範疇が組み合わされて
問題が設定される、その基準と枠組みが、この五十年間を通じてほぼ同一であっ
たからである。

 戦後思想とはなにかということをせんじつめれば、個人の存在は国家的ないし
共同体的な大義より優先するという原則と、政治・経済システムに対する一般大
衆の参加あるいは監視の権利という二点に集約されざるをえない。そしてこの戦
後思想の精髄についていえば、それはふたつながら大正末期から進歩的な知識分
子の頭脳を支配する公準だったのである。むろん、戦前から戦後への過程におい
て、ある種の徹底化はなされた。だが巨視的に視るならば、戦後の原理が戦前圧
迫を蒙っていた原理の制覇した姿であることは、だれの目にも明らかである。

 そして、この五十年の過程を通じて実現したのはあらゆる価値の相対化であった。

 戦後思想の精髄が相対主義にほかならぬ事実は、司馬遼太郎と田辺聖子という
二人の人気作家によく現れている。ヒューマンネーチャーというものはたかが知
れた代物である、おたがい聖人でも英雄でもない凡俗として、その凡俗の欲求を
聡明な目で冷徹に見通して行こうではないか。妥協と取引による快適の獲得こ
そ、人間という有限の存在の望みうる最上のものではないか、というのがその人
間観・社会観のエッセンスで、要するにこれは大阪の商売人の哲学といってよ
い。この司馬・田辺風のリアリズムは、いまや国民レベルの合意を得ていると
いってよいだろう。「またも敗けたか八連隊」というのは大阪人にとって腹の立
つ俚諺だったろうが、逆にそういう八連隊のほうが人間として正しいということ
になったのである。

 私は皮肉ではなく、そのことを大きな達成と呼ぶにやぶさかでない。しかしこ
こで確認しておかねばならぬのは、このような既製の価値の相対化は、それが拠
る原理が相対主義であるだけに、一切の価値の解体に至らずにはやまないという
ことである。戦後思想はその運動法則にしたがって自己自身を解体するに至っ
た。戦後民主主義の破産と呼ばれる現象は、そういう帰結のひとつにほかならない。

 私には、最近鳴り物いりで登場している「脱構築」なるものは、こういう相対
化の最終局面にしか見えない。相対化の極限に残るのは、それこそ、「差異の戯
れ」であり「遊び」であるだろう。一切のパラノイア的価値観を脱構築したあと
に残るのは「遊びの共和国」である。

 私は、今日の経済的繁栄に支えられた「遊びの共和国」が長続きするはずがな
い、とは考えていない。高度テクノロジーに支えられた今日の産業化社会は、意
外に自己保存能力に富んでいる。しかし、危機はだからこそ深いのである。テク
ノロジー社会は一切の価値を解体し、人間の生を恣意的な戯れと遊びに解消しつ
つ、それ自体は延命するであろう。エコロジー的な終末観はおそらく実現しま
い。われわれの危機は終末が訪れそうだという点にはなく、おそらく到来すまい
という点にある。

 われわれは一切の価値を解体され、たださまざまな人生の遊戯的な意匠を生き
るしかないのだろうか。相対主義の泥沼から抜け出せないかぎり、われわれはそ
うするしかない。数々の文明論的提言が、われわれに与えられている。だがわれ
われが、個を超えるからこそよりよく個を生かしうるような展望と祈りをもちえ
ぬかぎり、一切の文明的な提言は、いわゆる仏作って魂入れずのたぐいであろう。

 そのような展望と祈りを求めて、私は戦前の思想史をかえり見てきたつもり
だ。私は天皇制や共同体の問題にとらわれてそうしたのではない。私の求めて来
たのは、生の意味を再建する生命の全体観であって、それこそこの五十年の思想
過程の枠組みを乗り越えた先にある幻であったのだ。

得丸



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