2927.三鷹天命反転住宅 再訪記 その9-11



三鷹天命反転住宅 再訪記 その9   その人のことを知っているとは
from得丸


4月18日 19:00-21:00
鬼塚英昭著「日本のいちばん醜い日」(成甲書房)読書会報告

 月例の読書会鷹揚の会が高田馬場で開かれる。今月のテキストは
、鬼塚英昭著「日本のいちばん醜い日」(成甲書房)。レポーターは
、いつもピシッと決まったレジュメを作ってこられる安田さん。

 これは、昭和20年8月14日から15日にかけて、宮城内でおきた、陸
軍によるクーデター未遂事件を扱っている。著者は、多数の歴史的
文献を読み解いて、それぞれの本の間に存在するわずかな矛盾や空
白に着目することで、これまで誰も描いてこなかった「歴史の真実
」を浮き彫りにするという歴史学の新しい手法を打ち立てた。

 とくに友人知己や家族の書き残した私家版の歴史本の中にある記
述にまでも丁寧に目を通すという地道な努力によって、14日の晩に
斬殺された近衛師団長森赳中将の人物像を蘇らせ、クーデターの首
謀者として8月15日に皇居前で自殺した畑中健二少佐の生い立ちや性
格にまで光を当てる。

 ざっくばらんな人柄で禅を好んだ森赳中将が、偽装クーデターに
直面して、どのような発言をしたのか、誰の指示あるいは実行によ
って斬殺されたのか、なぜその遺体がゴミ焼却炉で焼かれなければ
ならなかったのかといった、これまでどのような歴史家も疑問にし
なかったことがらが歴史家の疑問として、スポットライトを当てら
れる。

 おそらく、森中将は、偽装クーデターを実行しようとした皇族に
対して、ずばり、馬鹿なことはやめろ、無益に若者の命を奪うなと
、直言したのだろう。それが皇族の逆鱗に触れたために、その場で
斬り殺されたのだ。本書を読み終わって、そのような場面が、自然
と思い浮かんできた。

 畑中少佐は、文学を愛好していたのに、たまたま四修で受験した
陸軍士官学校に合格し、それを地元の新聞が報道したために、辞退
するわけにいかなくなり、不本意ながら陸士に進んだのだという。
運命のいたずらに対して、自分を失ったまま押し流されていく彼の
性格が見破られたためか、彼はこの偽装クーデターの「首謀者」の
役目を押し付けられてしまったのではないか。

 陸軍による「8月15日のクーデター未遂事件」あるいは「玉音放送
音盤奪取未遂事件」については、これまで茫洋とした印象しか持て
なかったので、そもそも事件に対する興味もわいてこなかった。も
し誰かの本を読んだとしても何が本当なのかよくわからないという
感想しかもてなかったであろう。

 だが、鬼塚さんの本を読み終わると、歴史の闇に封じ込められて
いたものの正体が、生々しいものとして感じられるようになった。
これは、天皇が戦後を生き延びるため、平和天皇というイメージを
偽装するために、恐怖心と欲望にかられて、将校たちの尊い命を犠
牲にして企画・実行された、血も涙もない「偽装クーデター」であ
るのだと実感するようになった。鬼塚説こそが真実ではないだろう
か。

 長年、日本の歴史学においてタブーとされてきた昭和天皇の戦争
責任について、これほど肉薄した歴史叙述にこれまで出会ったこと
はない。じっくりと読み解くべき本である。だが、この本を読みと
くには、それなりの力あるいは心が必要だ。

 人数が少なめだったこともあり、和気藹々とした二次会のあと、
東西線の中野経由武蔵境駅に行き、歩いて家に戻ると午前様になっ
ていた。

4月19日 土曜日
 昨日の朝、三鷹で立ち食いそばを食べるとき、ふっとパンも食べ
たいと思った。しかし、昼はラッキー飯店の親子丼、夜は軍艦島の
宴会料理だった。

 朝、一週間分の汚れ物を洗濯機に入れてから、コンビニでサンド
イッチを購入してくる。乾かす段階になって、物干しハンガーや洗
濯ばさみが見当たらない。どうしようかとしばし考えてから、そう
だ、天井から吊り下がっているひもを物干し竿代わりに使ってみよ
うと思う。これが意外とうまくいった。

 室内に洗濯物を干し、見栄えも悪いし、歩くのにも不便だが、エ
アコンを入れて室内の気温を上げて、除湿機をかけると、家がまる
ごと乾燥機になったようなものだ。ものすごくよく乾き、2,3時間
ですべて乾いた。

 この日はひたすら家にこもる。

4月20日 日曜日
 ペットのための予防接種の研究をしているネットで知り合いにな
った友人が遊びにくる。

 人類進化についての考えを、白蟻やハダカデバネズミとの比較も
しながら、説明する。僕がそもそも進化の問題に興味を持ち始めた
のは2002年のヨハネスブルグ・サミットのときに、水俣病の患者も
研究者もジャーナリストも、口を揃えて「水俣病は文明の原罪によ
って発生した」と書いてあるのを見たからだ。それ以来、文明とは
何かということに興味をもったのだった。

 だから、今から10万年ほど前に、南アフリカの砂岩洞窟の中で、
人類が概念作用をもつ音声言語を獲得し、裸化し、利他主義(altruism)
、身贔屓や外来者恐怖症(xenophobia)を身につけたかどうかに私が
興味をもっているのは、今日の地球環境問題の原因を知りたいから
]である。一言でいうと、地球環境問題は、近代や現代の問題という
よりは、むしろ人類の文明が誕生して以来、人類文明に内在する問
題であったということを確かめたいのだ。

14:00
 彼が帰ってから、ハンモックの上でうたた寝する。ちょっと人恋
しい気分になったので、息子の奨学金の申請用紙が届いたという連
絡もあったし、記入のために自宅に帰り、外泊(三鷹天命反転住宅に
とって外泊)する。

4月21日 月曜日
 ラッキー飯店でお昼ご飯に餃子ライス、夕飯に中華丼を食べ、三
鷹に向かうが、一人であの家にいることの寂しさが僕を寄り道させ
、中野駅で途中下車して、読書会で使える本を探すことにする。

 北口の居酒屋街からブロードウエーまで歩いたところ、本屋はな
い。ブロードウエーの3階の明屋(はるや)書店をのぞいてみるが、財
テクやハウツー本ばかりで読みたくなるような本がない。

「医心方」の訳者である槇佐知子さんの本はないかと探してみるも
、店頭在庫なし。仕方なく、三鷹か武蔵境の本屋で探そうと、中央
線に乗る。車窓から見えたロンロン隣のユザワヤのビルの地下の啓
文堂を覗くことにする。ここはわりと在庫が豊富だ。ちくま文庫の
「野菜の効用」を買う。

 今日もちょっと人恋しい気分ではある。吉祥寺に住んでいる堀田
君にメールをするが、仕事で千葉にいるという。誰か家に呼べる人
がいないかなあと思うが、他に誰も思いつかない。

 吉祥寺駅南口からバスで大沢へ。

4月22日 火曜日
 少し早めに家を出て、三鷹駅まで歩くことにする。小一時間。

 駅の立ち食いそば屋でわかめそば+生卵。総武線で飯田橋まで行
き、小石川後楽園の塀沿いに歩いて会社にいく。昼ごはんに、ラッ
キー飯店でもやしそばを食べる。

 今日は、子供の奨学金の申請をウェブから行うために、午後休み
ととって、いったん家に帰り、夕方から再び天命反転住宅でミニ鷹
揚の会だ。

 家に帰る途中で立ち寄った新宿駅南駅で、高田馬場の軍艦島の常
連で、マージャン友達であり、能研究家でもある長谷部君に声をか
けられる。今彼は塾講師として生きている。たまたま今日は休みを
とっているのだそうな。かなり久しぶりに会ったからか、逆に非常
に時宜を得た言葉が出てきた。なんと、「今度反転住宅を見せてく
ださいよ」というのだ。ちょうどいい、今晩おいでよと誘い、お互
いの携帯電話の番号を交換して別れる。

18:45 
 今日の鷹揚の会は、元朝日新聞論説委員の岩村立郎さんを囲んで
話を伺う会であった。松本さん、日比谷さんと岩村さんが3人でやっ
てくる。岩村さんが昨年手術をされたというので、エアコンで部屋
を暖めておく。

 松本さんと日比谷さんがこの家にくるのは、それぞれ3回目と2回
目。二人ともこの家に入るときからなじんでいて、照明をつけてい
ないこともなんとも思わない。それぞれ好きな場所、松本さんは球
形の書斎のハンモックの中、日比谷さんは洗面所の隣のデコボコの
床の上に、陣取って、思い思いにくつろぎはじめる。

 岩村さんはといえば、もう還暦も過ぎておられるにもかかわらず
、お二人同様になじんでおられる。球形の書斎の敷居(?)を「ああ、
これはちょうどいい枕だ」といって頭を乗せて、デコボコの床の上
に気持ちよさそうに寝そべっておられた。

 松本さんが「ここは洞窟だ。『15少年漂流記』の中でも、子供た
ちは、無人島に流れ着いたとわかると、すぐに洞窟を探し始めたの
だから。」

 そうか、大工の経験者を探したり、板材になるような木を探した
わけではなく、本能的に洞窟を探したのか。人類が洞窟で進化した
という仮説も、可能性があるか。

 しばらく15少年の話題が続くが、僕はついていけない。みんなよ
く本の内容を覚えているものだと感心する。岩村さんが、登場人物
のブリアンのことが英国人に通じなかったという。ブライアンと発
音するのだそうだ。僕はそういう気の利いた会話をイギリス人とし
たことないなあ。岩村さんは、すごいなあと感心する。

 岩村さんは、僕と同じ時期にロンドンで朝日新聞欧州総局長をし
ておられ、松本さんの紹介で何度か食事をご馳走になったのだった。

 30分ほど送れて袖川さんが参加。前回は、「お願いだから明かり
をつけて」といった彼女だが、今回は、暗い室内に何の違和感もな
いらしく、いきなり日比谷さんと岩村さんの間に陣取って横になる
。仕事で緊張した体をほぐしたくて、ほぐしたくてたまらなかった
という感じ。部屋の中が暗いから、最初のうちは寝ていた岩村さん
が人であることにも気づかなかったようだ。

 5人で部屋の中にいて、使っているスペースはデコボコの床の3分
の1程度でしかない。あと10人くらいやってきても、それぞれに羽を
伸ばしていられる気がする。日比谷さんも、僕と同じように感じた
らしく、人がたくさんいればいるほど、この家は広くなるといって
おられた。

20:15
 みんな忙しいから泊まっていけない。だからできるだけゆっくり
したい。でも食事もしたい。立ち去りがたい気持ちで家を出て、居
酒屋モードでにぎわう竹寿司へ。

 岩村さんが飄々とした語り口で、さりげない質問を女性陣になげ
かける。ビリヤードの名手とでもいえばよいだろうか。絶妙の角度
で軽い質問をぶつけると、核心をついた答えが続々と飛び出してく
る。さすがだなあ。

 袖川さんがロンドンでBBCの通訳の仕事をしていたことや、カナダ
に留学していたことなどを聞きだしていく。日比谷さんについても
、あれこれと質問が投げかけられる。彼女がまっすぐに返したり、
適当にぼかしたり、かわしているのがわかる。

 読書会仲間というのは、いつも集団で会って、本に沿った話しか
しないから、かなり長い付き合いで気心も知れた間柄のようなのだ
が、実はお互いのプライヴェートなことを意外なほどに知らないこ
とがわかった。

 読書会で話すことは哲学的、思想的であり、それはそれでその人
の本質的な部分である。また二次会ではそれなりに私的なことも交
えて気ままに会話を楽しんでいるつもりでいたから、その人のこと
をそれなりに知っている気分だったのだが、実はもっと泥臭い部分
、体臭のする部分、物理的・身体的な部分を知らなかったのだ。
これはその人を知っているということにはならないのかもしれない
と思った。

21:22
 三鷹駅から長谷部君が電話をくれたので、6番のバス停のバスに
のって、大沢で降りるように伝えた。こないのかと思っていたら、
おそくなって来た。当然泊まっていくつもりだ。立派だ。住み慣れ
た自分の布団で寝たいという人間の願望を帰巣本能と呼ぶのかどう
か知らないが、この本能を少し失ったほうが、自由で楽しく生きら
れるのかもしれない。

22:00
 松本さんたちは誰も泊まっていかないというので、タクシーで三
鷹駅に帰るのをお見送りして長谷部君を待つ。長谷部君はバスを降
り間違えたらしく遅れている。携帯で連絡を取ることはできるのだ
が、彼が今どこにいて、そこがどっちの方角にあって、どれくらい
遠いのか、どうやったらこちらにたどり着けるのかが、お互いにわ
からず、手間取った。
22:30
 長谷部君がやっと天命反転住宅に到着。電気スタンドをつけて、
二次会の余りものをかたづけがてらお酒を飲む。彼は球形の書斎、
僕はデコボコの床の上で、お互いにすぐに眠ってしまった。

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三鷹天命反転住宅 再訪記 その10   消費文明を反転させる生き方

4月23日 06:00
 お互いに早起きして、シャワーを浴びると、他にやることがない
。天井から吊り下がっている紐につかまって、体のストレッチをし
ながら、四方山話をする。

 長谷部君は、塾で子供たちに地球環境問題を教えることもあると
いう。

「得丸さんは、2002年のヨハネスブルグ・サミットに行かれたので
したね。どうでした」

・人間は地球環境問題の意味をわかりえない
「そうだね。まず、言語学的にいって、言葉の意味というのは、記
号が体験と結びついてはじめて生まれるものだ。シニフィアン(記号
)とシニフィエ(意味)が結びついて概念になるのだが、このシニフィ
エは個々の人間の体験がなければ存在しないんだ。

 たとえば、「クスクス」という料理を食べたことのない人の場合
、クスクスは笑い声以上の意味を持たない。それが食べ物だと説明
されても、想像することすらできない。

 あるいは、「ラーメン」という記号に対して、とんこつラーメン
しか知らない人もいれば、醤油ラーメンしか知らない人もいれば、
はたまた即席ラーメンしか知らない人もいる。それはこれまでどん
なラーメンを食べてきたかによって、意味が作られているというこ
とだ。

 この意味論にもとづくと、人間は地球環境問題の意味を理解する
ことはできない。人間と地球ではあまりに規模が違いすぎるから、
人間は地球で起こっている環境問題の現象を全地球的に把握するこ
とは不可能なのだ。

 人間の胴回りを80cmとしよう。地球の胴回り、すなわち赤道の長
さは4万キロだ。(メートル法は赤道を4万キロとすることを基準と
している。)さて、地球と人間で胴回りは何桁違うでしょう。」

 4万キロは4千万mだから、それを4分の5倍すると、赤道の長さは人
間の胴の5000万倍ということになる。これは7桁(1000万倍)と8桁(1
億倍)の間だよね。常用対数を取ると、5は0.7だから、7.7桁違うと
いうことができる。音響や電波の世界で使うデシベルというのは、
常用対数をとって10倍するので、77デシベル(dB)だ。

 一方、地球が誕生してから45億年といわれている。人間の寿命は
80年。これも5000万倍の差、つまり7.7桁、77デシベルの違いだ。7
桁も8桁も大きさの違うものの上で起きていることを体験することな
んて、できっこない。

 つまり、人間は地球環境問題という記号を口にするけれども、そ
の本当の意味を理解することはないということになる。

・意味するものの同語反復
 ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」という本の中で、消
費社会が進んでくると、人々は言葉を記号としてしか認識できなく
なり、言葉のもつ意味を考えなくなると書いてある。「意味するも
のの同語反復」と呼ばれる現象である。

 環境問題のように、個人が意味を体験できない言葉の場合も、こ
の現象が起こりやすい。

 2002年のヨハネスブルグ・サミットは、「持続可能な開発のため
の地球サミット」という名称だった。WSSDだ。ところがこの会議で
は、サステナブル・デベロップメントの意味を誰も問わなかった。
政府代表も、NGOも。誰も環境問題が何であるかを知らず、持続可能
な開発がどのような意味を持つかも気にすることなく、まるで念仏
かお題目のように持続可能な「開発」をやろうといっていた。本音
は、いつかベンツに乗りたい、という程度だったのだ。

 僕は、持続可能な開発が「意味するものの同語反復」になってい
るということを、環境省や環境NGOが参加しているメーリングリスト
で訴えたけれど、誰一人反応しなかったよ。

 だから、このヨハネスブルグ・サミットは、人類が自らの力で地
球環境問題を食い止めることは不可能であるということを確認した
会議、あるいは、持続可能な開発という言葉が呪文のように使われ
ただけで何の成果も生まれなかった会議ということができるだろう。

・国連環境会議の系譜
 しかし、これは2002年に人類が失敗したというのではない。1972
年以来、敗北が運命づけられていたといってもよいだろう。

 1972年にストックホルムで開かれた国連人間環境会議は、地球上
に35億人いる人口は多すぎるというメッセージをもっていた。だが
、先進国は、後進国の人口増加が問題であるので、後進国は人口抑
制せよといい、後進国は、先進国がぜいたくだからいけないといい
、対立を生んでしまったんだ。

 そういう問題ではなかったのだが。これは、本来人類の問題であ
るものを、先進国と後進国という対立軸を持ち込んでどちらが悪い
かという水掛け論を行うことによって、人類全体の問題であること
を見えなくする効果があった。

 いずれにしても、人間は、地球環境問題など気にせずに、自分た
ちはどんどん開発を続けるぞと宣言したわけだ。そして、10年後に
は大きな会議は開かれずじまいで、1992年にリオデジャネイロで開
かれたのは、国連環境開発会議。人口問題を思い出させる「人間」
という言葉を取り払ってしまったんだ。

 人間は、言葉の意味を求めることに関しては、鈍感というか、無
頓着、無責任であるのだけど、危険な言葉を排除するという点では
、きわめて用心深く周到である。このこずるい小心さ加減には、恐
れ入る。

 そして、極めつけのヨハネスブルグでは、とうとう「環境」とい
う記号すら取っ払ってしまった。人類が、環境問題の解決を拒否し
ているということは会議の名称からもわかる。そして、みんなで経
済発展して、みんなベンツに乗れる社会を築きましょうというアリ
エナイ世界を求めてお茶を濁したのが、ヨハネスブルグ・サミット
だったんだ。

 エコツーリズムなんか、自然にとっては、迷惑この上なく、ます
ますの環境破壊をもたらすから、してはいけないことなのに、当時
はもてはやされた。これなどは、我々人間の心が、徹底的に消費社
会化されている、消費文明に染まっている、徹底的に経済原則だけ
で動こうとしていることの現れである。

・消費社会という地獄を天命反転する
 そもそも環境問題が悪化していることの背景には、我々が消費社
会を生きているという重たい現実がある。消費社会とは、お金第一
主義、金儲け第一主義。お金になることが正しく、お金にならない
ことは正しくないという一般的な風潮である。

 電力会社もガス会社も、環境にやさしく、エネルギーを節約しま
しょうと口では言いながらも、なんとかして売り上げを伸ばしたい
と思っている。自然を壊さなければいいのだとわかっていても、食
べていくためにはお金が必要だといって、自然破壊を正当化する。

 やや大胆な単純化になるが、経済が成長するということは、自然
が破壊されるということだ。文明が広がるということは、自然が文
明に反転されることであり、その分自然が減るのだ。

 お金、お金、お金、お金儲けのためなら、どんなことでも正当化
されるような時代の風潮は、世界の野生生物を絶滅させ、その先に
到来する人類の滅亡を早めるだけだ。実際にそうなっているのに、
まだ金儲け第一主義、消費社会から抜け出せないでいる我々。

 どうすれば、この地獄から抜け出せるのか。世界のエリートたち
が一堂に会して話し合っても、まるで解決が見えないときに、荒川
修作は、天命反転住宅を作って、私たちの生活スタイル、日々の生
活を改めることによって、消費文明を乗り越える新しい文明を提示
したのだと思う。

・天命反転住宅の扉は文明の境界
 天命反転住宅の使用法によれば、この家に入るときには、とにか
くゆっくりと入ることが大切である。外と中に違いがあることを意
識して、外の社会の常識をなるべく持ち込まないようにする。これ
まで常識であると思っていたことを、できればすべて忘れ、無心で
住宅と対話するのだ。

 あるいは、これまでに我々が、記号と意味のセットとして構築し
てきた語彙あるいは概念の体系、記号と意味の結びつきのルールを
、いったんすべて忘れてから入室せよというのだ。概念装置を使わ
ない野生動物の心で、室内を眺め、自分の身の置き所を丹念に探す
のだ。

 住宅の使用法が、家への入り方を、とくに丁寧に規定しているの
は、家の中が外とは違った新しい文明であるからだ。


・消費意欲が消え、ただ生きてある生き方
 この家の中で生活が始まると、不思議なほどに消費意欲というも
のが沸いてこなくなる。何かを買いたいとか、何かを欲しいとか、
何かが足りない、あるいは、何かを飲みたいとか食べたいといった
意欲まで消滅あるいは減衰するのだ。

 その理由はいくつか考えられるが、たとえば、ひとつには天井か
ら吊り下げて収納するという収納のやり方の違いもあるだろう。

 一般の家は、平たく、四角く、ひたすら安普請することだけを考
えて作られている。だが、この四角さ加減と、女性雑誌・家庭雑誌
でしばしば特集が組まれる「上手な収納」というのは、消費文明の
要請もあるのではないだろうか。どんどん新しいものを買いなさい
。古いものは、上手に収納すれば、また新しいものを買うことがで
きますよ、というわけだ。

 この家の収納は、天井から吊るす方式だ。頑丈なフックがたくさ
んついているから、少々の荷物は天井に吊るせばいい。それがどん
どんと成長して、森や林のようになって、我々はその下をくぐり抜
けて移動し、その文明の重圧を感じながら生活をする。これはなん
だかブラックユーモアみたいだ。欲しいと思って買ったものが、天
井から重荷となって吊り下げられてある。こういう仕掛けは、消費
願望を否定することにつながるであろう。

 また、マスメディアが送りつけられてくる広告や広告まがいの記
事・番組に接しなくなるために、消費刺激を受けなくなるためだろ
う。テレビ番組や新聞雑誌を開くと、これでもかこれでもかと消費
願望を書き立てる広告や番組・記事ばかりである。これらの刺激か
ら絶縁するだけで、心はおだやかになる。


 だがそれら以上に重要なことは、意識も、身体も、家の空間の中
で、一瞬、一瞬、心地よい刺激を視覚や体の各部で受け取っている
ために、体全体が満足感に満ちあふれていて、不足感がないという
ことだ。満ち足りているときには、何かが欲しいという気持ちは起
きにくくなる。

 足裏が感じるデコボコ、それに合わせて全身でバランスをとる。
そういったこまかな動きや刺激を体は喜んでいる。目に入ってくる
さまざまな色の光線とさまざまな形状は、視神経を通じて心にやさ
しくしみわたる。

 この家に長く住めば住むほど、家は私の意識の一部となり、私自
身が家の意識を共有するようになる。この家は、私の意識の延長と
して、ここを訪問する友人たちを歓迎し、疲れを癒し、楽しい気分
にさせる。そして、私の友人たちも、この家を私として認識して付
き合ってくれる。

 そこに存在しているだけで満ち足りた存在である家は、ある意味
、悟りの境地である。21世紀、人類はこれから滅びの時代を迎える
ことになる。そのとき、どのように生きればよいかを、家は示して
くれるのだ。

 その家と意識を一体化する私自身、家のように、静かに、何も語
らず、だが、美しく、ただ生きて、ある。人々の心をなごませ、い
やすためだけに、ただ生きてある。これからの時代、消費ではなく
、そういう生き方を目指すのがよいのではないだろうか。

 3月2日に朗読会を開いた、山本陽子の「神の孔は深淵の穴」の一
節を思い出す。

          (略)/善をひろめるのはすばらしい、しかもた
  だ単にあることはなおすばらしい 無限でなんの実証も要しないか
  ら、善と悪とを超越する/神はただ神であること、よりいっそう神
  であることを欲するのだ/(略)
   ――別の日に、外国で ぼくの前に ひとりの若い男があらわれ
  る。彼は ぼくの身に起った変化に気がつき、ぼくに「幸福な岩」
  という異名をあたえるであろう。それこそは、偉大な宇宙の神が
  「汝なにものぞ?」と問うたとき、ぼくが答える 名となるだろう
  (略)
  (山本陽子「神の孔は深淵の穴」より、1966年)


 荒川修作が示した新しい文明とは、新しい家であり、新しい家の
住み方である。家と心をひとつにして、何ものにも動じない心をも
って、ひたすら明るく前向きに生きていくことであるのだ。

 荒川修作は、このような家を作ることによって、地球環境危機の
時代を生きる人たちに、できるだけ家と同じ気持ちをもつようにと
いいたかったのではないか。我々のわがままに家を合わせるのでは
なく、この居心地のよい家に我々の意識を合わせればよいだけのこ
とであるのだ。

 家のおかげで、出勤前の二時間を、普段あまり話さないようなこ
とを話して過ごすことができた。

 8時にいっしょに家を出る。バスで武蔵境に出て、中央線快速電
車で三鷹で降り、立ち食いそばを食べてから東西線に乗る。

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三鷹天命反転住宅 再訪記 その11  人恋しがりやの家と気分を分かち合う

 4月23日は18時から財団法人井上育英会の公益法人制度改革に伴う組織制度検
討プロジェクトチームの検討会(昨年7月からほぼ月例で開催)が麹町の育英会事
務局である。いつもながら白井先輩の周到な準備と絶妙な運営のおかげで、新た
に生まれる公益法人の定款と、検討プロジェクトチームの報告書素案が形をなし
てきた。後一回集って、6月の理事会・評議委員会にチームの検討結果を報告で
きる見通しとなった。

 いつもは理事会評議委員会を1時間でこなして、場所を変えて立食の懇親食事
会を開くのだが、今回は懇親食事会をやめて座席で弁当を食べることにして、2
時間以上を議事と報告にあてることにするよう提案した。

 20時半に事務所をでて、麹町から四ツ谷まで歩く。中央線快速電車で武蔵境に
行き、家まで歩いて、22時に帰宅。

 いよいよ最後の夜。作務の時間とする。お世話になったこの家を掃除すること
で、家への感謝の気持ちを表したいと思った。

 洗面所とシャワールームとトイレの入っている円筒の壁のほこり落とし、床を
水洗いする。家中の天井に張り巡らされている大小のパイプの上にたまったほこ
りを雑巾でこそぎ落とす。電線や温水のパイプが部屋の天井を走る姿は、文明の
可視化かなと思う。それから箒で床を掃く。約2時間。

 翌朝は5時に起きてシーツとタオルを洗濯機で洗う。

 洗濯機を回している間に、一階の庭を見納めてくる。たくさんの種類の花が咲
いていて、味わい深い。この家の壁に使われているピンクや緑は、この草花の色
からもってきたのだと気付く。

 狭い坪庭だが、この庭には野趣が漂っている。それは人間の作った規則に従っ
て植わっているのではなく、花同士、草同士が、お互いに勢力を競い合いつつも
縄張りがぶつからないように遠慮しあって、絶妙の入り混じり方で生えているか
らだ。

 狭い庭だが(野趣は広さで決まるわけではないが)、小さな花同士が入り混
じっている姿に、野生の命の勢いと秩序と調和を感じた。植物たちによる自主管
理。何年か前に大阪で仁徳天皇陵の堀の中に人間の手が長年はいっていない森を
見たときに、植物たちによる自主管理のすがすがしさを感じたことを思い出す。

 洗濯が終ると天井から吊り下げた紐でシーツを干し、エアコンと除湿機をかけ
て部屋を丸ごと乾燥機にする。けっこう絵になる。撤収の朝にふさわしい光景だ。

 かつて建築都市ワークショップで訪れたシンガポールのアパートでは、ベラン
ダから突き出た一本の竿に洗濯物を干す。それがなんとなくお祭り行事のように
見えたことを思い出す。私はその洗濯物干しをワークショップの作品のテーマに
すえたのだった。

 掃除や洗濯って神聖な仕事であるのかもしれない。詩人山本陽子は、早すぎた
晩年を新宿の高層ビルで清掃婦として生活していたし、パリのユネスコ本部で勤
務していたとき、6時を過ぎると、ポルトガル人の清掃婦がファドを口ずさみな
がらやってきていたのも味わい深かった。

 部屋を出る時間が迫ってきたからか、ちょっとさびしい気分になったので、藤
枝守の植物文様のCDをかける。この部屋の雰囲気にあっている。

 シーツの周りをうろうろと歩いていると、この二週間、ここにきてくれた友人
たちがあちこちでくつろいでいた姿がフラッシュバックのように思い浮かんできた。

 初日に来てくれた堀田君、金曜日に初対面でついてきた澤田君、技術屋の先
輩、幼馴染のS、生物学者の岩田さん、鷹揚の会のみんな、長谷部君、さらに3
月2日の詩の朗読会にきてくれた聴衆も含めて、みんなの居た場所、とっていた
姿勢などが、スナップ写真のように頭をよぎる。死ぬときに人生の場面が走馬灯
のように思い出すのと似ているかも。いよいよ部屋を出るときになって、部屋が
僕のことを名残り惜しんで、思い出を喚起してくれているのかもしれない。彼ら
は、家と僕を不可分一体のものとして受け止めてくれただろうか。

 乾いたシーツをたたみ、ゴミをすて、部屋の中の写真をとって家を出る。建物
全体の写真も撮る。大きな荷物を持ってバスで三鷹に。駅の立ち食いで月見そば。

4月24日 午後5時。久々に自宅に戻るつもりでいたら、突然携帯電話が鳴る。

「もしもし、津山ですけど、今職場ですか。メールを見てください。今日、天命
反転住宅にお伺いしてもよいですか」

 日本国際ボランティアセンターの南アフリカ駐在代表であり、社会人になって
以来の友人である津山直子さんがたまたま出張で東京にきていたので、家にお誘
いしていたのだった。

「大家さんが帰っているかもしれないけど、それでもよければどうぞ」といっ
て、彼女とその仕事仲間の女性と3人で、雨の中、大きな荷物を持って、中央線
各駅停車で三鷹に戻る。

 三鷹からバスに乗って、雨の天命反転住宅に着くと20時だった。雨に濡れた庭
の草花が味わい深く迎えてくれる。

 温かくなっているので、エアコンで暖房する必要性は感じない。使用法どおり
に、ゆっくりと部屋に入ってもらい、照明をつけず、デコボコの床をぐるぐると
歩き回ってもらい、 藤枝守の植物文様のCDをかける。

 お二人はこの部屋が一発で気に入ったようだ。仕事仲間の女性は、登り棒は無
理だからと、はしごに登ってあたりを見渡して満足気。

 一時間ほどで帰るつもりだから、くつろがせていただくわと、津山さんは球形
の書斎の床に寝そべる。仕事仲間は津山さんの上のハンモックに横になってくつ
ろぐ。球形の床とハンモックと、二人の寝姿は相似形だ。

 狭いところに二人寝ているのに、ぜんぜん圧迫感がない。僕も敷居のところに
座って話に参加したが、3人の顔がお互い50cmくらいの近さであるのに、高さ
が違うからか、うっとおしさを感じない。床で津山さんの隣に寝ころがってみた
が、床にあと2人寝て5人になっても大丈夫だと感じた。

 今回の出張はとくに忙しく、体を休める閑がなかったという。津山さんは、球
形の書斎の鉢状の床もデコボコの床もともに、気持ちいい、疲れが取れるとい
い、「やっぱりここに泊まるわ」という。いっしょにきた友人は家に帰るという。

「二人っきりになるのは、危険かしら」「君が襲わないかぎり大丈夫だよ」「で
も、荻窪に城島さんが住んでいるから、きてもらおう」と、もと毎日新聞のヨハ
ネスブルグ特派員の城島さんを反転住宅にお招きする。たまたま今日は早く帰宅
されており、車でやってくるという。

 帰宅する仕事仲間をバス停に送りがてら、近くのコンビニで売れ残って半額
セールになったサンドイッチとおにぎりと弁当と缶ビールを買う。ご馳走より
は、質素な夕食のほうが、この家には似合っている気がする。

 城島さんがやってきたときには、津山さんは球形の書斎でほぼ沈没していた。
城島さんにはヨハネスブルグ・サミットのときにずいぶんとお世話になった。お
嬢さん二人のベビーシッターとして、黒人居住区ソウェト各地を回ったりもし
た。久々にお目にかかった城島さんに、昨年の南ア再訪の話をし、零時を過ぎて
帰る城島さんを見送った。

4月25日、午前6時 ぐっすりと眠って疲れが取れた津山さんが起きてくる。天井
からぶらさがっている紐につかまって、ストレッチをしながら、四方山話。食卓
に座って向かい合って話をするよりも、お互いにストレッチをしながらのほうが
話がスムーズになるような気がする。

 津山さんと三鷹駅の立ち食い蕎麦を食べようということになって、8時ごろ家
を出る。津山さんはコロッケそばをお気に召したようだ。

午後8時 ホテル・オークラで、南アフリカで1994年に実施された初の全人種選
挙の記念日であるフリーダム・デイのレセプションに、JVC津山さんの配偶者と
いう肩書きで、出席。

 主催者側の挨拶は、経済発展中心だった。日本側の出席者もビジネスマンばか
りで、僕は今ひとつ落ち着かない気分だった。僕は経済発展とか経済成長という
ことにまるで関心がなくなっているようだ。

 僕の頭の中にある南アフリカは、人類発祥の地であるが、そういった話題はあ
まり興味をもたれない。当然といえば当然なのだろうが、このレセプションの会
場に自分の居場所はないなあとしみじみと思った。

 南アの人に、「僕も南ア人だよ。7万年前の先祖が南アの洞窟でハダカになっ
たのだから」と自己紹介したが、あんまり受けなかった。一人だけエリトリアの
外交官が非常に興味を示してくれた。




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