2923.北京五輪聖火リレーについて



北京五輪聖火リレーについて 


                           日比野

1.デモの効果

今回の聖火リレーに対する抗議行動が持つ意味について考えてみた
い。

デモとは、ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそ
れら意思や主張を他に示す行為。それらを行うことで現実社会の変
革を期待する行為。

昔だったら一揆や打ちこわしだったものを、平和的にしたもの。当
然それらには目的が存在してる。

今回の聖火リレーに対する各国での抗議活動の目標と狙いを戦略・
戦術レベルで層分けすると次のようになると思う。

              
大戦略目標:弾圧の停止及びチベット独立または完全自治を認める
      勝利条件:チベット弾圧の停止の確認とチベットへの
           自由入国と取材

中戦略目標:チベット問題解決のためのダライラマとの対話開始
      勝利条件:中国政府からのダライラマとの対話の宣言

小戦略目標:五輪失敗による中共政府の統制力低下と民主化加速
      勝利条件:北京五輪中止または代替開催または開会式
           ボイコット
      準勝利条件:北京五輪のイメージ失墜

具体的戦術:聖火リレーに対する抗議活動
      勝利条件:リレーの中止またはコース変更および短縮



ここで各戦略目標を達成するための標的が中国だけじゃないことは
留意しないといけない。確かに大戦略・中戦略目標はかなりの部分
は対中国政府向けなのだけど、小戦略目標の相手はIOCと自国政
府。

デモは相手の国だけじゃなくて自国政府やその他団体をも動かす原
動力。

事実、イギリスのブラウン首相は、聖火リレーに対する激しい抗議
活動のせいで、リレーが首相官邸に到着しても拍手するだけで、聖
火トーチに最後まで触ることはできなかった。

また、抗議行動の激しさゆえに、各国でリレーコース変更や短縮が
行われているから、既に戦術レベルでは聖火リレーに対する抗議活
動は勝利を収めているといえる。

仮に聖火リレーの妨害行為も全くなく、粛々とした抗議だけで、リ
レーのコース変更や短縮が出来得たかどうかは分からない。少なく
とも、ロンドン・パリ・サンフランシスコでの激しい抗議行動が、
IOCにリレーの実施形態を変えさせたことは事実。

だけど、もっと大事な事はこの戦術レベルの勝利を、戦略目標の達
成にどう結びつけていくかということ。
 


2.小戦略目標の達成とその意味

聖火リレーへの抗議デモやオリンピックボイコットで、チベット弾
圧そのものが終わるかどうかはひとえに中国政府の対応にかかって
いる。中戦略以上は中国自身がその気にならないとどうにもならな
い。そしてその可能性は極端に低いであろうことは、これまでの中
国の対応と反発をみれば容易に想像がつく。

たとえ、小戦略目標を完全に達成して、北京五輪が中止になったと
しても、それでチベット弾圧が止む保障はない。むしろ低いといっ
たほうがいい。北京五輪失敗による中共政府の統制力の低下に結び
つくのは確かだろうけれど。

ではなぜ、直接チベット自治の実現に結びつくわけでもない「北京
五輪の中止または代替開催または開会式ボイコット」が戦略目標に
なるかといえば、聖火リレーのように世界的に注目を浴びるイベン
トに対する抗議活動には絶大なアピール力があるというのは勿論だ
けれど、中国が民意を反映することのない独裁国家だからという点
も見逃せない。

大目標である「チベット弾圧を止めさせ、チベット独立または完全
自治を認める」ということを実現するためには、まず今のチベット
弾圧のやり方を国際社会、国際世論は決して受け入れないというこ
とをはっきりと示す必要がある。

国家間で抗議の意思を示すには二つのルートがある。ひとつは、政
府・国際機関レベルでの抗議。もうひとつは市民団体、個人レベル
での抗議行動。

彼我で大きく違う点は、軍事的・経済的圧力などの強制力というカ
ードを持っているか否か。

通常の民主国家であれば、民意は政府の意思に反映してゆくから、
たとえば、民主国家同士間での抗議行動は、強制力を持たない市民
団体、個人レベルから始まったものであっても、やがては強制力を
持つ、国家政策や経済的圧力になって働いてゆく。不祥事を起こし
た企業に対して、製品ボイコットが有効であるのは、その商品を買
わないという経済的圧力によって強制力を発揮するから。

だけど、中国のような独裁国家では、どんなに個人や民間団体レベ
ルで抗議を行ったところで、中国政府自身がその気にならない限り
ほとんど効果はない。なぜかと言うと、情報統制国家であるから、
他国の民間レベルでの抗議が中国国内に知らされることはないし、
中国人民が政府に対する異議でも唱えようものなら、それこそチベ
ットのように、たちまち弾圧されてしまう。

人民の民意は殆ど中国政府の意思として反映されることはない。も
っとも共産党政府の愛国教育が徹底するあまり、民意レベルにおい
ても共産党政府の都合の良いものになってはいることは、カルフー
ルやケンタッキーへの愛国不買運動が起こっているところをみれば
明らか。

つまり民主国家では政府と個人のふたつの抗議ルートとその窓口が
あるのに対して、中国においては政府レベルの抗議ルートとその窓
口しかない。

中国に対する抗議を考えた場合、強制力を持たない、市民団体・個
人レベルではなく、政府・団体レベルでの抗議でなければ即効性の
ある実効力は持ち得ない。

その理由は、どこの国でもある意味同じなのだけれど、国益という
実利面があるから。それでも普通の民主国家では、人権という規範
を尊重した上での国益になるけれど、中国ではそれがないから、ほ
とんど実利のみで動く国になってしまってる。

ゆえに、抗議の戦略目標を実効性という観点から考えた場合、ある
程度の強制力、実利を伴うものでないと効果は薄い。その意味で北
京五輪ボイコットというのは物凄く実利面で強制力を発揮する。

もちろん個人・民間レベルの抗議でも、具体的な中国製品や北京五
輪スポンサー製品の不買運動なりIOCへの非難に繋がっていけば
、ゆっくりとではあるけれど、経済的実利面での強制力を持つこと
になる。これが最も平和的かつ王道な抗議方法。

聖火に対する抗議活動のやり方の是非は、目的の為なら手段を選ぶ
か選ばないかをも含めて、どう抗議すれば各戦略目標を安全かつ効
率よく達成できるかという捉え方によって変わってくる。今回の場
合は、いかに強制力もつ自国政府や国際機関レベルで、チベット問
題解決に向けての抗議に持っていけるかということ。

抗議活動を行う主体が、どこまで抗議すれば自国政府やIOCが北
京五輪を考え直すだろうかという読みによって抗議の激烈さは変わ
る。

無茶苦茶なことをいえば、イラクやアフガニスタンみたいに、聖火
ランナーやその防衛隊に対してテロでもして、多数の死傷者を出す
事態なんかになれば、一発で聖火リレーは中止になる。もちろん今
ではそんなことはやれる筈もない。だけど、パキスタンでは自爆テ
ロを警戒して聖火はスタジアム内部を一周するに留まったという悲
しい現実がある。

すでにIOCも中国の人権問題が改善されないことに対して苦言を
呈しているし、世界中の人々が北京五輪が平和の祭典だとは思わな
くなってきている。勝利条件とまではいかなくても準勝利条件くら
いは満たしている。


 
3.異なる抗議レベル

今回の聖火リレーは、コース変更や短縮と激しい抗議活動があった
にも関わらず、中国政府は国外に対しては抗議活動を非難して、国
内には聖火リレーそのものは大成功だと喧伝している。

だから、彼らにとっては、形はどうであれ、聖火リレーを実施しさ
えすればよく、極端な話、聖火が当該国に到着さえすれば、その時
点で彼らにとっての聖火リレーは成功したことにできる。

今はまだ、北京五輪が平和の祭典ではないということを民間レベル
で抗議している段階。これが北京五輪ボイコットなどの国レベルで
正式決定となると、北京五輪は虐殺五輪であることを国家レベルで
宣言することになる。4月12日に中国の王毅外務次官が日中両国
のメディア交流会合で講演し「北京五輪の国際聖火リレーが成功裏
に終わった後、誰が中国人の本当の友人かが分かる」と語ったと報
道されているけれど、国家レベルでの抗議に踏み込めば、敵国と認
定するぞ、言っているようなもの。

チベット問題と北京五輪という二つの対象に対する抗議レベルが異
なっていることはとても重要なポイント。

チベット問題の抗議は政府レベル。北京五輪の抗議は民間レベルで
あって、国家レベルとしては開会式ボイコットを匂わせているだけ
、決定しているわけじゃない。

今の段階でも、北京五輪を失敗に追い込むことは簡単だけれど、中
央政府の統制力の低下が地方軍閥の暴走を招き、更なるチベット虐
殺や周辺国の脅威を加速する危険があることは留意しないといけな
い。EUのように中国から遠い国はその脅威は小さいけれど、日本
のような周辺国ではバカにならない。

既にこれまでの抗議活動で準勝利条件はほぼ満たしていて、小戦略
目標での大勢は既に決している。
 


4.平和の祭典

長野での聖火リレー当日、スタート地点を辞退した善光寺では、チ
ベットでの犠牲者の追悼式が行われた。犠牲者を弔いつつも、新た
な犠牲者を増やすなというメッセージでもあった。

それはもともと五輪が「平和の祭典」であったということを思い起
こさせるという意味において、とても深い意味を持つ。

五輪は平和の祭典であるが故に、平和の祭典であるがこそ、犠牲者
を出してはならない、というメッセージとなって、日本から世界中
に発信された。チベットで人命が失われていることそのものへの抗
議。

もちろんこんなことで、チベットの弾圧・文化的虐殺を即座に停止
させることを期待できるわけじゃないけれど、今現実に虐殺が行わ
れていることをまずなんとかするべき。

兎にも角にも、まだ生きている命を救うこと。どんなにチベット文
化を把持したいと思っていても、チベット人が全員殺されてしまっ
てからでは取り返しがつかない。

いずれにせよ文化的虐殺が止まない限り、チベットでの抗議の火種
はくすぶり続ける。だからといって、その火種を消すために命ごと
潰してしまうやり方は決して容認できるものじゃない。

ダライラマ14世睨下の、チベットの独立を求めない、高度な自治
を求める、というのは一見消極的であるし、その発言を疑問視した
り、いや立場上それしか言えないのだ、といった意見もあるけれど
、実は、ものすごく挑戦的かつ現実的な要求。この要求が実現する
ならば、中国はゆるやかな連邦制にならざるを得ないから。

中共独裁政権にとってそのような要求は飲めるはずもないという意
味で挑戦的で、中国の他の少数民族や世界全体をみた上で、今より
良くなるという意味で現実的な案。

実現すれば、チベットだけでなく、他の少数民族の文化的虐殺を食
い止めることができる。

中国を擁護するわけではないけれど、今こそ「真の友人」として、
安易に人命を奪うやり方を国際社会は絶対に受け入れない、と誰か
が忠告してあげないといけない。

この瞬間にも犠牲になっているチベットの人たちの魂を弔い、平和
を願うための抗議。今はこれが大切なこと。


 
5.人権vs中華思想 

CNNを始めとする西欧諸国の中国糾弾は凄まじい。人権をキーワ
ードに対立は激化している。それに対して中国は、西欧諸国による
攻撃ととらえ、徹底的に反発している。英字紙チャイナデーリーに
よると、チベット騒乱に対する見方について、北京市などの905
人に電話調査を行った結果「欧米メディアの報道を信じる」はわず
か2%しかいなかったという。

人があって、国家がある西欧と、天子がいて人民がいる中華。人権
と中華思想の衝突。

オーストラリアのラッド首相がダライラマ14世との対話を呼びか
けたのに対し、胡主席はチベット問題は民族問題、宗教問題、また
は人権問題などではなく、国家の統一を守るか分裂を進めるかの問
題だと答えている。明らかに人権の上に国家を置いている。

中華思想は、文化文明的に周辺国を中華帝国に帰属させるものだか
ら、彼らの論理でいえば、チベットは、せっかく鉄道も通したり、
資本も投下したりして、王化して豊かにしてやったのに独立とは何
事だ、となるのだろう。

中国は歴史上、偉大な大人(たいじん)、傑出した人物を輩出してき
た。鷹揚というか、臣従するものには徳を持って報いる大人物。国
士。

中国は、そういった大人(たいじん)が思想を残し、文明を興し、周
辺諸国に影響を与えてきた歴史を持っている。だけど、いまはその
歴史が仇になってしまってる。過去の成功体験が未来の成長を邪魔
してる。

彼らは偉大な中華文明・中華帝国でいたいのだけれど、近代になっ
て列強に蹂躙され、あまつさえ小日本すらやられ、そのプライドは
ズタズタになった。アジアでもずっと二番手の地位に甘んじてきた
。今やっと目覚しい経済成長によって世界に冠たる中華文明として
立ち上がろうとしているのに、なぜ世界は自分たちの邪魔をするの
か、きっと嫉妬しているに違いない、と。

一旦、中華思想を脇において、もう少しニュートラルにみることが
できれば、違った対応もあったかもしれないけれど、海外での聖火
リレーの抗議に対する反発を見る限り、なかなか難しいように見え
る。

だけど、それでも世界的視座で自らを見つめ、提示し、自らの命を
も顧みないような優れた人物も存在することは確か。政府のチベッ
ト政策は誤りだと声明を出した、一部の中国知識人なんかはそうだ
し、たとえば、南方都市報論説委員の長平氏であるとか、サンフラ
ンシスコでチベット支持者と中国人留学生を仲裁しようとして、売
国奴扱いされている王千源さんとかも、その仲間に入れていいかも
しれない。

だけど、悲しいことに彼らの声はかき消されてしまう。その他大勢
の声によって。

統治の原理として中華思想をみれば、天子の徳によって、その他人
民が教化されるということだから、天子が持っている価値観なり、
考え方に従いなさいということと殆ど変わらない。

その天子の考えに従って、幸せでいられるのなら、まだいいのかも
しれないけれど、どこの地域でも、どの時代でもそうとは限らない
。不幸になるときだってある。そんなとき起こるのが、天命が下っ
たとする天子交代の動乱。易姓革命。

ある意味においては、易姓革命が「永遠の独裁」を拒否するシステ
ムだったといえなくもない。ただ民主によってではなくて、百家騒
乱・群雄割拠の末に勝ち残ったひとりが正統だという選択方法は、
今の時代にはそぐわないこともまた確か。

人権と中華思想の対立。まだ、どちらが勝つのか分からないけれど
、少なくとも人権が勝利を収めないとチベット自治は覚束ないよう
に思える。とても難しい問題。

少なくともオリンピックは、国威発揚の道具じゃない。先進国とし
ての、世界のリーダーたる国々の仲間となるための歓迎の場。


 
6.業火は神風に消え、歓迎されない五輪が始まる

長野聖火リレーは、平和裏に終わったことになっているけれど、混
乱はそこかしこであった。よくぞ表向きにせよ数人の逮捕者で済ん
だものだと思う。どうみても警察当局の3000人程度で抑えられ
るものではない。日本人の自制心と徳性が最悪の事態を防いだ。

長野での聖火リレーは、業火は神風に消え、歓迎されない五輪の始
まりを告げるものだった。

偶然か必然か、長野だけの雨と風。出発式では、聖火をおさめてい
たランタンの種火は神風に吹き消され、予備から再点火することに
なった。業火は日本で消えた。その後も何度となく、神風によって
「火」は消え、日本人が締め出されたゴール地点に「火」がやって
くると一段と雨脚が強くなった。まるで天意を示すが如く。

それにしても、チベット支援として長野入りした日本人の多さは驚
くべき。ネット中心の呼びかけで、手弁当で駆けつけたのだから。
中国のように国から動員をかけ、金まで援助して集めたのとはわけ
が違う。その意味で、おとなしい日本人が自由意思であそこまで集
まったことに、中国は戦慄しているのではないかと思う。

海外メディアでもおおむね、双方の抗議をそれぞれに取り上げてい
る。この「火」は日本でも歓迎されているものでは決してないこと
が伝えられている。

善光寺の追悼式に500人近くもの人々が集まったのは大変なこと
。国境なき記者団も善光寺の参道で抗議の座り込みを行い、メナー
ル事務局長は「チベット側と中国側の双方が平和的にデモをしてい
る。中国では不可能なことだ」とコメントしている。

今回のリレーで、中国支持者達は明らかなミスを犯した。

ひとつは、自ら五輪を国威発揚の場であると宣言したこと。もうひ
とつは、潜在的テロ組織として、日本人の意識に位置づけられたこ
と。

前者は、五星紅旗だけを大々的に掲げ、五輪旗ひとつ掲げることな
く、「中国はひとつ」と叫んだ。五輪の意義と意味を理解していな
いことを露呈した。また、後者は掛声ひとつであれだけの人数を動
員してみせる中国人に対する恐怖と警戒心を、多くの日本人に植え
付けた。

もはや深層意識レベルで抜き差しならぬ状態になりつつあるように
思える。北京五輪ボイコットは政府レベルではなくて、個人民間レ
ベルの動きとして起こりつつあるような予感すら漂わせる。



7.想いの同盟 

長野聖火リレーでの抗議デモの様子が参加者達から動画としてネッ
トに次々とアップされている。そこにはチベット支持を叫んだ人た
ちの奮戦の様がありありと映し出されている。報道されているほど
生易しいものでは全然なかった。

4月27日に行われたソウルでのリレーにおける、中国人の乱暴狼
藉をみる限り、彼らは暴れる度合いまで本国から指示されているの
ではないかとさえ思わせた。長野では暴れてはならぬとでも指示が
あったのか、日本人の気迫に押されたのか、はたまた八百万の神々
の御加護か「あの程度」で済んだというべきなのだろう。

ただ、それにしてもまったくの無傷というわけじゃない。当日警備
にあたった長野県警の対応には疑問をもった人も多い。

逮捕者は日本人ばかりであって、明らかに法を犯している中国人は
一名も現行犯逮捕されていないところをみると、おそらく上層部か
ら指示が出ていたのではないか。中国人を刺激するな、取り押さえ
るな、万が一逮捕するようなことがあれば、モラルのない彼らのこ
とだから暴動に繋がる、と。

実際そうでもしなければ、とても治められるものではなかった。人
命最優先、地域の安全最優先で考えた場合ある程度やむを得ない部
分もあったと思うけれど、感情レベルでは到底納得できるものじゃ
ない。

チベット国旗を持っている側が旗を取り上げられ、長野駅のモニュ
メントに上って五星紅旗を振る彼らを取り押さえることもせず、箱
乗りで調子に乗る中国人を道交法違反に問うこともなく、ただひた
すら日本人に忍従を迫る対応。日本人の自制心と徳性に甘えること
で事なきを得た。

だけど、できるだけ早い時期に、政治活動をした留学生や違反者を
逮捕・検挙する等のなんらかのアクションがなければ、日本人の不
満と非難はさらに高まる。警察への信頼が揺らぎかねないほどに不
満が溜まっている。

今回の抗議行動は中国政府のみならず、日本政府をもかなり震撼さ
せている筈。なんの組織的動員もなくて、あそこまでの抗議行動が
起こった事実を直視しないといけない。

前回の総裁選当日に、自民党本部に麻生応援団が集まり声援を送る
光景を見て、どの団体がどれくらい金を払って集めたのだろうか、
と呟いた議員がいたそうだけれど、そんな感覚で長野抗議行動を見
ていたとしたら大きな誤りを犯す。

中国人の他国・他人を尊重しない態度は、日本人の多くに衝撃を与
えたことは間違いない。それは毒餃子を更に超えるもの。毒餃子だ
けであれば、まだ中国政府だけが、とか一部企業だけが悪いのだ、
とか言い逃れをする余地があったのだけど、2000人とも400
0人とも言われる中国人が、あたかもマニュアルが存在していると
思われるほどの一糸乱れぬ行動と発言を行った今回のデモ活動は、
日本人にえもいわれぬ不気味さを印象付けた。

もはや国民感情レベルで「中国はヤバイ」ランプが点灯してしまっ
た。

外国人参政権法案であるとか留学生受け入れ問題にも影響すること
は間違いない。日本政府はこの国民感情に十分配慮すべき。

その一方で善光寺の追悼式を通じて、チベットと日本の間で深い縁
が出来たことは注目していい。

長野デモでは、チベット支持者側は相当に不利な環境に追いやられ
た。リレーのゴール地点の若里公園には入ることさえできなかった
。それ以外にも、数々の制約を県警から強いられた。

国家権力によって漢人が優遇されたという事実が、日本人に一層チ
ベットの人たちの心情を実感させることになった。チベットの人達
は、こんな「2級市民」の扱いを60年も受けているんだぞ、と同
情と共感の涙を絞ることとなった。

心情的に日本国民とチベット人は繋がった。「想いの同盟」が結ば
れた。

これは大切にすべきこと。

留学生の受入れでも中国人ばかり受け入れるのではなくて、チベッ
トの留学生もどんどん受け入れるべきだろう。

 

8.原理の奥に潜むもの

ダライラマ14世睨下の徹底した非暴力の姿勢は、仏教=平和主義
という根本を抑えつつ仏教最高指導者としての権威を揺るがせにし
ていない。

こうした態度は世界中に平和的メッセージとして発信される。世界
も好意的イメージを持ってそれらを受け取っている。

だから、中国がダライラマ14世睨下を口撃すればするほど、どん
どん中国のイメージが悪くなるばかり。悪循環に陥っている。

そうであるにも関わらず、虐殺も止めず、対話も行わず、ただただ
ダライラマは反乱分子であるとか、西欧メディアは事実を伝えない
などと逆切れしてみせる中国政府。

これでは世界からの信頼は得られない。やればやるほど中国自身の
信頼は無くなり、ダライラマの声望は高まる。それが分かっていな
がら、やらざるを得ない国内情勢が哀れではあるけれど、真摯に受
け止めるべき。因果をくらますことはできない。

どんな主義主張であれ、その原理の中に暴力的なものがあるかない
かということは、その主張に対するイメージを決定付ける。

イスラムの原理主義は過激に流れることがあるけれど、仏教の原理
主義は釈迦存命時の原始仏教、上座部に立ち返る。そこには争いは
ない。自らの心を磨き、悟りを得んとする姿に辿りつく。

先般、日本仏教界の中で、チベット弾圧に対する抗議声明を出した
、天台宗圓教寺の大樹僧正の声明もその原理に立ち返るもの。

中国を直接に非難するのではなく、宗教の自由が失われる事に対し
て、チベット人の苦しみに対して、自らの心が、姿勢がなにもせず
にいるのを是とするのか、と問うている。

その意味でチベット弾圧から聖火リレーに至るまでの抗議運動を含
めた世界の反応は、自らが奉じる原理の是非と、その原理に従った
行動を取っているか否かを強烈に問いかけているとも言える。

今回の一連の事件に対峙するということは、自らが一体如何なる存
在なのかを問うということなのだ。

(了) 


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