2914.三鷹天命反転住宅 再訪記2



三鷹天命反転住宅 再訪記 その5 雨の日曜日
From得丸

4月13日正午

昨日の夕方、4時過ぎに、技術屋の先輩であり、かつてオープンして
まだ一年たっていないころに、僕の個人通信「地球浪漫28」を読ん
で岐阜の養老天命反転地に足を運んでくれた方がきてくれた。
彼にとって荒川修作の、無定形で限りなく自然に近い造形は、どう
評価すればよいのかわからないというのが正直な感想で、それは10
年以上前の養老のときも今も変わらない。しかしそれでも、そこに
足を向けて見ずにはおられないという探究心があるところがこの人
のすごいところなのだと思う。
 天文台のところから携帯に連絡をもらったので、彼の車に同乗し
て、天文台北の交差点にあるオダキューのコンビニの駐車場に車を
いれる。コンビニ店内から見えず、しかも道路から駐車しづらいと
ころに2台分の駐車スペースがあり、車で来る人にはここを案内して
いる。

 扉のところで、中と外の音や雰囲気の違いを味わってもらい、
それから中に入るなり、使用法をゆっくりと音読してもらう。
 養老でも、事細かに使用法が書いてあるのだが、それを丁寧に読
んでいる訪問者はあまり見かけたことがない。この三鷹でも、使用
法を尊重しながら住まないことには、せっかくの荒川さんの工夫や
仕掛けが、自分の身体や意識や心に伝わってこない。だから、どん
な人をこの家に導くにしても、必ず使用法を音読するようにお願い
している。それだけでも、この家との対話が生まれやすくなると信
じるからだ。
 室内は寒いし、床は冷たいのに、無理やり靴下を脱いでもらって
、家の中を自由に歩いてもらう。半信半疑な表情はさいごまで消え
なかったが、ゆっくりと時間を過ごしてくれた。

22:00過ぎになって、幼稚園から高校まで同級生だったSが、また
ここにきてみたいと、ガールフレンドといっしょにやってきた。彼
らは昨年の夏にも、ここに来てくれた。
真っ暗な部屋に入るなり、「こんな寒いところで、寝ているの」と
聞いてきた。
「そうだよ。自然の洞窟には、暖房も電気もないからね。でも、寒
ければ布団の中に入ればいいということがわかったよ」と答えた。
これは夕方の技術屋の先輩とも話したことだが、石油危機がやって
こようとも、ミニマムな食料と温かい思いをして眠れるところだけ
確保すれば、人間は絶望しないで生きていくことができるのではな
いだろうか。エネルギー安全保障も大事だろうが、ミニマムな生活
で満足できる心構え、エネルギーをたくさん使わなくても生きてい
けるのだということを教えたほうがいい。今、我々は不必要にエネ
ルギーを浪費しすぎている。これは、節約を呼びかける電力会社や
ガス会社が、同時に売り上げの増加を目指しているという矛盾した
行動をとっていることも大きい。
 Sはハンモックに揺られたいという。寒いというので毛布を渡すと
、少し温かくなったのか、すぐに眠りについた。Sのガールフレンド
も、球形の書斎の前にマットを敷いて、横になった。寒いというの
で、掛け布団を渡すと、これまたすぐに寝付いた。
 二人が寝付くのをみまもりながら、僕は合気道の呼吸を繰り返す。
両足を前後一直線上におく半身に構えて、両手を前につきだしなが
ら、ゆっくりと口から息を吐き出す。両手がいちばん前にいったと
ころで、両手を広げるようにしながら丸く後ろに回して、同時に鼻
から息を吸う。全身と両手のバランスをうまくとると、手の重みを
感じない位置にもっていけ、ぜんぜん疲れない。ときどき前足と後
ろ足を入れ替えて、左半身と右半身を切り替える。こうしていても
体は温まるものであることを確かめる。
 やがてSは、やっぱり毛布だけだと寒いといって球形の書斎から出
てきて、「ちょっと入れて」と彼女の布団の中にもぐりこむ。そう
だ、こうすれば、温かくなるんだ。一人でこもっているときには気
づかないことを、この二人は気づかせてくれた。
 深夜3時ごろ、彼女は今日仕事があるということで、二人はタク
シーで帰っていった。

4月13日、午前6時。
 僕は球形の書斎の前のデコボコの床にマットを敷いて、毛布と掛
け布団をかけて寝ていた。
 布団から出ているのは頭だけ。髪の毛があるので頭皮は直接空気
には触れておらず、寒いという感覚はない。顔だけが部屋の空気と
触れていた。
 家の壁をつたわって雨がおちる音が聞こえる。雨が降ると、この
家の中は少し寒くなる。その少し冷たくなった空気を、顔が感じ取
って、ああ、外は雨なのだなあと、家の気分を共有しているのがわ
かる。
 トイレにいくついでにパソコンと携帯のメールをチェックするが
、誰からもメールは来ていなかった。再び布団の中にはいって、雨
の気配を感じながら、うつらうつらする。

*** きまぐれ読書案内 ***
吉田脩一著「ヒトとサルの間 精神(こころとふりがなをふってい
る)はいつ生まれたのか」

午前9時
 去年の夏に断続的に2週間この家に住ませてもらったときには、
僕はとにかく家と対話することだけを、家の中で自分が何を感じる
のかと実験的なことばかり追い求めた。あるいは、友人に家を紹介
することや、家のお掃除をすることを楽しんできた。日記をつけて
はいたけども、あくまで家と自分のことに限られていた。ここで自
分の読みたい本を読んだり、この家とは関係原稿を書くということ
は、一切しなかった。
 実験もそこそこはやったと思うのと、寒いのとで、今日は、この
家とは無縁な本を読もうと思った。金曜日に会社の近くの本屋で偶
然見つけた吉田脩一著「ヒトとサルの間 精神(こころとふりがなを
ふっている)はいつ生まれたのか」(文芸春秋、2008)。これは精神
科のお医者さんが書いた、人類の進化のプロセスについての本。
 球形の書斎に、マットを二枚敷いて、毛布と掛け布団をかぶって
、温かくして読んだ。雨の日曜日の読書に、この書斎は最高にふさ
わしい。3時間弱で読み上げることができた。

 精神科のお医者さんらしく、僕がこれまでに考えたこともないよ
うな、面白い指摘に出会った。
(1) 全能因子という人間特有の因子が「精神」を生み出したという
指摘は、よく吟味してみる必要があると思ったが、少なくとも権力
者(家庭から国家にいたるあらゆる次元の権力関係における権力者)
が陥る権力の乱用にはこの因子が作用しているのかもしれないと思
った。
(2) 農耕は自然破壊であると言い切るところは、まさに同感。

 本書の中で、一番感じ入ったのは、精神科医として書かれた以下
のところである。
(3) 著者は精神科医として、人間に精神の病が多いことに驚いた。
これは、「現世人が原人から生き延びるためになした脳」の変革が
、「大変な難事業だった」からであり、現世人類はうまれながらに
して、「必然的に多かれ少なかれ障害をもっている」という指摘だ
った。(p161-2)
 要するに、人類はみんな精神病患者であるということか。たしか
他の精神科医も同じようなことを主張していた気がするけど、それ
は現世人類の進化にともなう必然であったのか。そうかもしれない
なあ、だから地球環境問題が起きるんだ。
 このところ鈴木孝夫先生の本などで言語学について考えてきた私
にとって、著者のこの指摘は、以下のようなメッセージに受け取れ
た。以下、自分なりに感じたことを書く。

「鈴木孝夫の意味論(「鈴木孝夫 言語文化学ノート」)にあるよう
に、言語とは、個々の人間の体験と音素符号が結びつく個別な意味
体系、個別な概念作用の上に成り立っている、実に不安定なコミュ
ニケーション手段である。
通常、われわれは、この不安定なツールをなんの疑問も持つことな
く使っているが、そのこと自体はわれわれが正気でないか、無知で
あるからできることなのだ。もしわれわれが正気であったら、とて
も不安であり、恐ろしいことなである。たまたま言語学が起源論や
意味論を扱わないできたから、言語の不安定なメカニズムが明るみ
に出ずにいるだけのこと。
われわれは、実に不安定なシステムを、安定であると無理やりみな
して使っている。具体的にコミュニケーション不全や矛盾がうまれ
たときには、権力関係によってごまかすとか、誤解をそのままにし
たまま次のステップへと移っているだけなのだ。
これが人類文明のソフトウエア部分が、あらかじめ内包している危
険性なのである。これこそが精神の病が生まれる土壌である。」

このことについては、またゆっくりと考えてみる必要があるだろう。

一方で、この著者は、犬やライオンには心がないといってみたり、
精神をこころと同一視してみたり、人類は7万5千年前の環境危機を
乗り切った少数者から繁殖したといいながら、その危機の実態を解
明していないし、危機の時代に何が起きたかについても、論じよう
としていない。物足りなさを感じた。
 また、言語の起源も不明朗であるほか、人類が裸の哺乳類である
という事実についても、関心をよせているようには見えない。西原
克成の「内臓が生みだす心」や島泰三の「親指はなぜ太いのか」や
「はだかの起原」は、人類学を論じる上で必読書ではないだろうか
と思うのだが。
人類が、生まれたときは平和愛好者だったというのは、レイモンド
・ダートやロバート・アードレイらの「狩りをするサル」派の論調
とは反対であるが、そのあたりの議論も欲しかった。
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三鷹天命反転住宅再訪記 その6 快適な書斎

4月13日 日曜日 
 午後2時すぎに、洗濯物を抱えていったん自宅に帰る。長男の奨学
金の申請書類を書かなければならない。
はじめて武蔵境の駅まで歩くことにする。タクシーで1000円と
いうことは、30分もあれば、歩けるはずだと思って、歩き出す。
歩いてみると、たいした距離ではないことがわかった。バスを待つ
時間や渋滞を考えたら、駅から住宅まで歩くのも悪くなさそう。

 武蔵境で中央線快速に乗ったが、おなかがすいていたので三鷹の
駅で蕎麦を食べてから、新宿周りで渋谷に。バスで自宅に帰る。

4月14日 月曜日
 今日は日商岩井の同期会があったのだが、三鷹生活にともなう金欠
病を理由にドタキャンさせてもらう。

 仕事帰りに神保町でマイミクさんの個展を見る。おおきなボタン
雪が東京に降った日の写真。名前だけ知っていた神保町の北京亭で
湯麺を食べてから、19時45分ごろ水道橋から各駅停車で中野に
いき、そこから中央線快速で武蔵境についたのが20時20分ごろ。

 駅前にバスがいなかったので、歩くことにする。20時50分ごろ。

 家の中は寒い。顔を洗ってから、球形の書斎にマットを4枚敷い
て、毛布と布団をかけて寝る。

 夜中に目がさめる。何時かなあと体内時計に聞いてみると午前2
時くらいだという。携帯電話の時刻は1時54分だった。意外と体
はどれくらい眠ったかを正確に覚えているものだと思う。

球形の書斎からデコボコの床の部屋を見ると、なんともいえず味わ
いが感じられたので、写真に取る。それから、じっと布団の中で朝
を迎えた。

4月15日 火曜日
午前6時、部屋が明るくなったので、ユージン・マレイス著「白蟻
談義」(永野為武・谷田専治訳、日新書院、昭和16年)を読み始
め、8時に読了。

 これがとてもおもしろい。白蟻は、そもそもアリの仲間ではなく
、蜉蝣(かげろう)やカマキリに近く、ゴキブリ目シラアリ科に属
している。
ゴキブリが環境が厳しい時代に、サバイバルのために地下で洞窟生
活を始めるようになって、一組の女王と王とのカップルのもとに兵
隊アリと働きアリで構成する社会を作るようになった。
ん?、どっかで聞いた話だぞ。

 モグラの一種だと思われていたハダカデバネズミが、実はネズミ
であったように、アリの一種だと思われていたシラアリがゴキブリ
であったというところがよく似ている。
真社会性の社会を作るところ、女王が生殖を独占して君臨するとこ
ろ、仲間意識が高い一方で、巣穴が遠い別のシラアリに対しては攻
撃的であるところ、洞窟生活者には共通の本能が身につくようだ。
この本は、ノーベル賞作家であるモーリス・メーテルリンクの「白
蟻の生活」の種本であり、メーテルリンクのこの本は、アフリカー
ンス語で出版されたマレイスの作品を盗作したものであったという。

8時15分に家を出て、武蔵境まで歩いたら25分で歩けた。
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三鷹天命反転住宅 再訪記 その7  正統派の設計コンセプト

4月15日 お昼は会社の裏にある中華のおいしいラッキー飯店で
カツ丼を食べる。僕は毎日ここで食べている。この店はなんでもお
いしいのだが、親子丼とカツ丼も実にうまい。朝から何も食べてい
なかったので、いつもだとボリュームあるなあと思うところを、ペ
ロリと平らげた。

午後は休暇をとって、市ヶ谷で開かれた某財団の助成説明会にでか
ける。時間もあったので、腹ごなしもかねて小石川から飯田橋経由
、お堀端を歩いていく。
南アの洞窟のレーザー三次元測量を申請できないかと思い、「アジ
ア隣人ネットワーク」というプロジェクトがアフリカを対象としえ
るかどうか聞きにいったのだ。財団の回答は、申請書類の門前払い
はしないが、優先度はかなり低くなるでしょうというものだった。
かなり厳しそう。我々のプロジェクトは金額も大きいし。

 技術屋さんたちが楽しみにしているのに、この回答じゃあ心もと
ないなあと、やや凹みながら、次の予定地虎ノ門まで麹町、平河町
、清水谷公園、赤坂を抜けて歩いていく。清水谷公園とホテルニュ
ーオータニの間の八重桜が、ピンク、白、赤と色とりどりできれい
だった。

 先だって、神谷町の西久保八幡神社での花見会に呼んでくださっ
たフランス人のコンサル会社社長に表敬。
 彼とは、いつも、哲学的な話になる。文字によるコミュニケーシ
ョンがいかに誤解ばかりを生んで、コミュニケーションが成立しな
いかという話題になったので、僕の最新の思い付きの珍説である「
南アフリカ共和国に2−3万カ所ある、ブッシュマンの洞窟絵画の
目的は、誰かが主張しているようにシャーマニズムではなく、実は
、言葉が現実から乖離しないように絵によってつなぎとめるためで
あった」という説をご披露する。
 つまり、南アフリカで、最初に概念を使いはじめたブッシュマン
たち(コイサン族)は、ことばの恣意性に最初から気づいており、
ことばによるコミュニケーションが恣意性によって混乱しないよう
に、常に言葉と現実の対照表を洞窟の中に用意していたのだ。
 これが単なる珍説であるのか、多少なりとも的を得ているのかど
うかは、洞窟絵画の描き方を丹念に調査してみるとわかると思う。

 アメリカ大使館の前から泉ガーデンのビルが見えた。日商岩井時
代の同期がそこにいたなあと電話し、今日は忙しくないというので
、夕方お茶でもと誘う。
「じゃあ、5時過ぎに泉ガーデンにいくから」
「え?、僕は今双日に戻っているよ」
 ああ、そうだった。同期社員の中で、双日に戻っていく流れがあ
るが、彼も昨年戻ったのだった。国際新赤坂ビルの地下のスタバで
コーヒーを飲む。

「昨日、同期会こなかったね。どうしたの」
「ちょっと金が足りなくてね。今、三鷹で篭っているんだ。そっち
を優先させた」
 しばらく同期の話題をしてたら、家族の愚痴?になった。
「こないだ一人で日帰りでスキーにいったら、嫁さんにえらく怒ら
れた。彼女のストレス解消法は僕にガミガミいうことらしい」
「そのあたりは、うちも同じかな。先週4泊外泊して久々に日曜日
に帰ったら、すっごい剣幕でびっくりした。ストレスたまってたの
かなあ。
そういえば去年のインドと南アフリカ旅行のときも相当言われた。
DVみたいにも発展したし。」
「定年になったらね、嫁さんと娘からちょっと距離を置いて生活し
たいんだ。」と彼。
「離婚したいの?」
「そういうわけじゃあないのだけど、何日間か、一人でぼぉっと暮
らしたい。」
「ふうん、そんなの、今でもできるじゃん。というか、僕はやって
るよ」
「そうだね。うらやましいね」
「お金はないけどね。時間はあるよ。幸い家族元気で、手がかから
ないし。
読売ウィークリーの4月6日号だったかに、友人の篠田香子の取材
記事で、世界中からお金持ちが集まってくるスイスの村のことが紹
介されていた。お金持ちは、消費することにも辟易していて、この
村にきて、何もしないで過ごすというんだ。
 僕はスイスに行かなくても、ここで同じことをしている。テレビ
も、ラジオも、新聞も、照明も、およそ文明的なものはすべて拒否
して、ただ家と床と布団と自分がいる。朝が来れば明るくなり、新
しい一日に感謝しつつ、前日の疲れを取って準備を終えた体が自然
に起きてくる。
 人間に必要なものは、暖かい布団と最低限の食事だけだと思うよ。
大金持ちがスイスまでいってやっていることを、今ここでできるっ
て、やはり荒川修作の家のすばらしさだと思う」

 ちょっとおでんでもつまんで帰ろうというのに誘われて、近くの
おでん屋に。そんなに酒を飲みたいと思わないし、金もないので、
お茶でつきあう。
 本居宣長が『紫文要領』で語っている「もののあはれ」について
、話題にする。
「もののあはれは、自発・純粋・脱文明。
 自然とわきあがってくる感情。下心や目的意識のない純粋さ。
そして、社会的地位とか、損得とか、善悪とか、いっさいかまわな
い、野生の思考が脱文明。
演歌の心がはののあはれだと思うよ。家族、兄弟、ふるさと、そし
て不倫、かなわぬ恋。このテーマは、ニューミュージックでもしっ
かり踏襲されている」
 食べ終えてから、彼は赤坂、僕は溜池山王に別れたのだけど、無
理やり三鷹に拉致すればよかったかなあと後から思った。家族から
ちょっと距離をおきたければ、ふっと、姿を消せばいいだけのこと
じゃないか。

20時、国際赤坂ビルの1階を抜けて溜池山王の駅に。喫茶BUNと、
とんかつ和幸が、25年前からずっとここのテナントとして生き残
っていることに感動。
四ツ谷で中央線快速に乗り換えて、武蔵境に着いたのが20:40.駅前
にバスが待っていたのだけど、家まで歩くことにする。

21:10 帰宅。いつものように灯りをつけず、暖房を入れず、家の
中に入る。
 今日は日中暖かかったからか、これまでみたいに冷え冷えとはし
ない。シャワーを浴びて、メールをチェックして、前の晩と同じよ
うに、球形の書斎にマットレスを敷いて、毛布と布団をかぶってね
る。22:30
 マットレスのおかげで底面の冷たさは伝わってこないけれど、堅
さは感じる。体のあちこちが、堅い底面に支えられていて、家との
間に作用と反作用の関係を構築している。仰向けになったり、横向
いたり、作用点によって家に支えられてねた。
 目の前にハンモックが吊り下がっている。ハンモックに寝たとき
の曲線と、この球形の書斎の曲線は、相似形かなと思う。ハンモッ
クの心地よさを、堅い底面の上に寝ながら感じていた。同じ場所に
寝ても、二日目になると体が心地よい寝方を覚えてくるものかもし
れない。前日よりもぐっすりと寝た気がする。
 ここに誰かが一緒に寝たらどうだろう。子供のとき、寒くて、冷
たい布団に入るときに、親と「背中合わせ」といって、文字通り背
中を合わせて暖をとったことを思い出す。エネルギー危機が起きて
も、人と人が集まるだけで、それなりの効果はあるはずだ。銭湯や
茶室に見られる日本人の裸の付き合いは、寝室においても可能かも
しれない。
 川田順の「西行」に紹介されていた文献に、西行たちが歌会を開
くにあたって、寒かったから、大の大人の男たちが背中を寄せ合っ
て暖をとったという記述をみた記憶がある。男同士が背中を合わせ
ている風景をとても微笑ましく思った。

 朝、台所で誰かがご飯の準備をすれば、そこから熱が部屋中に広
がって、この書斎にも伝わってくるだろうなと思いつく。これはま
だ試していないが、いつかやってみたいことだ。
そもそも家の暖房は、かまどから取るというのが世界の建築におけ
るつい最近までの主流である。寒いところでは囲炉裏型、暖かいと
ころではかまど型。この2種類の台所を中心として、家屋がつくら
れるということを、宮崎玲子さんの「世界の台所展」で見たことが
ある。この家も、台所が中心に位置しているというのは、実に正統
派の設計だということだ。

 起きて着替えてやることがないので、デコボコの床の上を、何も
考えずに、ひたすらぐるぐると歩き回ると、とりとめもなく、いろ
いろなことが思い浮かぶ。
財テクがよくないのは、四六時中自分の資産の管理を頭にいれてお
かなければならないことだ。それが自由な発想を生まれないように
しているのではないだろうか。野生動物には資産がない。資産がな
ければ考えることが減って、その分自由な発想が生まれてくる。
 昨日読んだ白蟻の本には、白蟻の女王は最初の卵を産むとき、産
みの苦しみを味わうと書いてあった。産みの苦しみは、生まれてき
た子供の世話をする本能をよびさますのだという。実際に、最初の
子供たちの世話をする働き蟻や兵隊蟻がいないので、女王は自ら子
供達に授乳のような給餌をするそうだ。
 人間も無痛分娩よりも、痛みを伴うお産のほうがいいのだろう。

 白蟻もハダカデバネズミも、地下のトンネルの中で生活するので
、目が見えない。ヒトが洞窟暮らしをしていたときはどうだったの
だろう。ヒトとチンパンジーで、ものの見え方は違うのだろうか。
 気になるが、誰に聞けばいいのだろうか。お互いがどのように世
界を、色彩を、感じ取っているのかということを確かめ合うことは
非常に難しい。人間同士でも難しい。人間の言葉を話さないチンパ
ンジーとどうコミュニケートすればいいのだろう。
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三鷹天命反転住宅再訪記 その8 お金も概念、死も概念、だけど
心は実存

 4月16日 お昼はラッキー飯店で肉うまに定食。どうも脂肪酸系が
不足しているのか、肉料理を求めてしまう。
 会社を6時に出て、再びラッキー飯店でタンメンを食べてから、
後楽園から南北線、飯田橋で東西線に乗り換えて三鷹に移動。体が
なんとなくだるいのは、体が早く家に帰って寝転がりたいと思って
いるからかもしれない。
 三鷹駅に19:00ごろ到着。6番のバス停で朝日町行のバスに乗り、
19:20に家に着いた。

 さすがにまだ眠くない。暗い部屋の中では何もやることがない。
まだ眠くなる前、テレビもラジオもなければ、いっしょにいる人た
ちといろいろと話し合う時間になるのだろう。人生について、知恵
について、今日あったことについて、明日のことについて。団欒の
時間というのかな。
 今の世の中、テレビが家族を分断している。会話を生まれなくし
ている。
 一人だったのでブラブラ室内を歩き回っていた。ふと思い立って
、朝の夢にでていらした大学時代のゼミの先生の奥様のご機嫌伺い
の電話をした。先生が亡くなられてもうすぐ10年になる。奥様は最
近現代俳句で特選の賞をもらわれたということで、お元気そうで安
心。

21:00 本日で三日目になるが、球形の書斎の中で寝る。
 午前2時ごろ目がさめる。デコボコの床の部屋を見ると、街灯の明
かりが入ってきていて、天井や壁や床を照らしていて、味わいのあ
る景色が見える。見ているだけで楽しい。何もなくても幸せな時空間。
 荒川修作は、天命反転によって新しい文明を作るといっていた。
新しい文明とは、家とその住み方であるといってよいのではないだ
ろうか。

 そもそも現生人類は、裸であるところに特徴がある。
 おそらく裸になったときに人類は、洞窟の中に住んでいた。そう
でなければ生きていくことができない。
 実際、我々は洞窟が大好きだ。子供も大人も洞窟の中にいると安
心する。洞窟を見ると中に入ってみたくなる。若者に限らず、男た
ちが自家用車を欲しがるのも、動く洞窟として受け止めているから
ではないか。子供のころ、車庫に停めてあった父親の車に一人で乗
り込んで、内側からドアを閉めたときに、なんともいえない幸せな
気分になった。これは走る機能よりも、密閉された洞窟のような空
間として、むしろ魅力があるからではないか。
 洞窟を出た人類は、夜風や夜露や夜寒から裸の体を守るために家
を作り始めた。家を作ったから、移動生活が定着生活に変わり、農
業を始めるようになった。都市が生まれた。現代文明はこの延長に
ある。
 古来、人間が作り出した家は、洞窟の自然の造詣をまねするより
は、むしろ建築材料である木や石の形状や、職人の手間がかからな
いようにという点で、四角い部屋、平たい床に出来上がってしまっ
た。
 とくに消費社会においては、我々は四六時中購買意欲をかき立て
られ、買ったものをしまいこむのに便利なように、ものを並べやす
い部屋の形状、ものを収納しやすい、収納スペースの大きい家を欲
しがるようにしつけられてきた。
 荒川はそれをすべて改めよといっているのではないか。

 文明とは、人が日々どのように生活するかということの集積であ
る。だから家は文明の基本単位である。
 消費社会は異常であり、本来あってはならないものだ。何も消費
しなくても、幸せになれる時空間があることを荒川はこの家で示そ
うとしたのだ。
 この家に住んでいると、だんだんそれがわかってくる。

 そのあたりの家が大衆車カローラであるなら、この家はフェラー
リだ。値段だって、10倍くらい違ってもおかしくないくらい、価値
がある。だけど、フェラーリを理解するためには、フェラーリの心
をもたなければならない。
 お金はいざとなったら紙くずになることを、日本人は60数年前に
体験しているはずなのに、もうみんな忘れてしまったのだろうか。
 心は、環境が多少悪化しても、エネルギー価格が高騰しても、石
油が枯渇しても、何があっても、変わらない。
 お金は実存的には紙くずでしかないので、純粋に概念である。心
の存在を意識している人は少なく、たとえ自分の心であっても対象
化して考えることが少ないので、純粋に実存である。

 この家に住めば、死が概念であることに気づく。
 「死」(名詞)あるいは「死ぬ」(動詞)は、実存的な部分がない。
目に見えないだけでなく、そのものとして存在していない。死を絵
にすることはできない。たとえば眠っている人の姿と息が止まって
いる人の姿と、外見ではすぐには区別がつかない。
 実存的にいえば、息をしていたものの、息が止まるということは
ある。心臓が止まって、血が流れなくなるということはある。だが
、死ぬという言葉は、具体的ななにかの行為を示しているわけでは
ない。それは頭で考えているだけのことだ。具体的に示すことがで
きない、実態のない概念だ。この家では概念は否定される。
 我々は白蟻やハダカデバネズミと同じ、裸化した動物だ。彼らと
の違いは、我々は概念を操るところにある。我々はこの概念を操っ
ているつもりで、実は概念に操られている。そこに人類の不幸があ
る。
 概念を否定して生きてごらん。死を思いわずらうな。ここで、静
かにしていたらいい。マスメディアなどによって外部から情報操作
を受けることもない。満ち足りた気分になって、何も不足しないか
ら、概念に思い悩むこともなくなる。

 荒川修作の養老天命反転地は、しょせんテーマパークであり、せ
いぜい2,3時間で来訪者を解放する。だが、天命反転住宅は、家に
入ったときから、出るまでの間、家と居住者の間でずっと相互作用
が生まれる。だから家のほうがより重要である。
 仮に、天命反転都市ができたとしても、外部の景色よりも、住宅
の中の設計、そこでの暮らし方がより重要であるだろう。

7:50 家を出てJR武蔵境まで歩く。


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