2909.三鷹天命反転住宅 居住の記1



三鷹天命反転住宅 居住の記 (その1 4月9 −10日)

二度目の三鷹天命反転住宅滞在が始まりました。
またしても、旧石器時代の洞窟という想定ですみ始めたので、暖房
も、照明も、使わない。
寝るのも、できるだけ、床のデコボコを感じながら寝ています。

今回はいったい何を発見するのか、楽しみです。
得丸公明


4月9日
今日から反転住宅に住ませていただく。
夕方7時から帝国ホテルでアリアン・スペース社のレセプションだっ
たのだが、出席をとりやめ、中野でラボの松本輝夫氏と、元朝日新
聞ロンドン総局長の岩村徹氏と3人で飲む。
まだ闇市のあやしい雰囲気のある中野駅北口の第二力酒造、店員の
笑顔がすばらしい、日本のもっとも美しい部分が残っている店。
その後ブリックで一杯だけ二次会。
岩村氏は、別府大学での教授生活が終わって、三日前に東京に戻っ
てきたのだという。ロンドンでも何度か食事をご馳走になった恩人。
4月22日の夜、岩村氏の話を聞く会を天命反転住宅で開催することに
なる。

9時過ぎに三鷹駅についたので6番から21:35のバスで家のまん前の
大沢十字路バス停へ。21:50に家につく。

まずは、灯りを付けずに、家の中をあちこち素足になって歩き回る。
床はけっこう冷たい。昨年泊めていただいたのは8‐9月だった。
そのときに比べると、肌寒さを感じる。だが、30分くらいぶらぶら
歩き回って、室内のあちこちに立っていると、だんだん寒さを感じ
なくなる。まるで足の裏で家を感じ、挨拶をしている気分。
僕は、今回も、この家を洞窟として扱いたいのだなあと実感する。
家のあちこちを歩いていたら、クラシーズ河口洞窟の中で歩き回っ
たときのことを思い出した。

それから、球形の部屋のハンモックでゆらゆらゆれながら、胸を叩
き、声を出す。気持ちいい。

近くに住んでいる掘田君(今の会社の元同僚、3年前に脱サラ)から電
話があり、遊びにくるという。
彼は22:40ころくる。お茶が欲しい、明かりが欲しいという。仕方
がないので、お湯をわかす。部屋の照明も彼が勝手に付けた。暗い
ままのほうが、家の気配を感じやすいのにと僕は思うのだが、彼は
そういうふうには思わないらしい。
紅茶と倉富さんが置いていってくださった黒砂糖のお菓子をいただく。

お茶を飲みながら、衛星通信業界のことや、彼の事業の展開のこと
など、あれこれと話していたら、だんだん体を起こしているのが辛
くなってきた。昨夏、よく寝場所にしていた洗面所の円筒形の壁の
下にストレッチ用のマットがあったので、その上で横になって話を
続けた。
23:30ごろ堀田君が帰ったので、そのまま就寝することにした。ス
トレッチのマットの上に、シーツ、毛布一枚で寝てみる。床のデコ
ボコをなんとなく体が感じている。

01:30
寒いので目がさめる。掛け布団をとりにいってかける。これで快適
な暖かさになってぐっすり眠る。体のいろんなところが刺激される
のか、いろんな夢を見る。床はそんなに冷たいと感じない。上から
保温層をもつ布団をかければ暖かく眠れる。
心地よい疲れを感じて、なんとなく体がだるいので、ぐずぐず布団
の中で7:00まですごした。

神棚にお水をあげて、メールをチェックして、シャワーを浴びて、
出社 08:00

今日はバスで武蔵境駅にいったが、国分寺の変電所で火事があった
らしく、中央線の電車が完全に止まっていて、動く気配がない。
どうしよう、家に帰ろうか、それともと思って周囲を見ていたら、
線路沿いに三鷹方面に歩く人の群れが見えた。

三鷹まで歩けば総武線各駅停車が動いているのだ。バスを待つ長い
行列について、超満員のバスによるよりも、早いし、体にいいし、
気持ちがいい。人間には足があるのだ。何分かかるかわからないが
、たった一駅だ、歩いてやろうと、ついていく。なんとたったの15
分で三鷹駅に到着した。

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三鷹天命反転住宅 再訪記 その2
何もしないで一晩過ごすという贅沢

4月10日
職場を6時過ぎに出て、南北線飯田橋乗換えで東西線三鷹行きにのる。

朝とまっていた中央線快速電車は、復旧したものの間引き運転で
かなり混乱している模様。
各駅停車は影響を受けず、無事三鷹駅につく。遠くの人はバスで振
り替え輸送があるとアナウンスしている。
駅構内の立ち食い蕎麦屋でてんぷらそばといなりを食べ、6番のバス
停へ。
19:04の朝日町行きで天命反転住宅に着いたのが19:20
102号室の前の坪庭が雨と照明に輝いていた。

いつもどおり、灯りも暖房も付けない生活を試みることにする。
朝から雨だったせいか、今日は昨日よりも寒く感じられる。
それでも靴下を脱いで、上着を脱いで、部屋の中をデコボコのデコ
のところを踏みながらうろうろとする。

ジャージと長袖Tシャツに着替えると寒い。
ストレッチ用のマットを、昨日は3枚重ねだったのだけど、よりデコ
ボコを感じるように一重にして、その上で寝てみる。
シーツ、毛布、掛け布団をかけていると暖かい。

妹と大分の両親の金婚式をどうするかという話題で、ポツリポツリ
とメールをしながら、布団の中でじっとしている。
9時半過ぎまで。

* 何もすることがないから寝ていると垢落ちるごと頭冴え冴え
* 寒ければ布団かぶって寝ればよし静寂(しじま)の中で頭冴えゆく
* そうなのさ、貧乏こそが豊かだというパラドクス生きればいいさ
* することがないというのが豊かさと知れば人生楽しさが増す
* 人生は何も持たぬが豊かだと悟りひらけば気楽なものよ
* 夜の部屋灯り点けずに寝ていれば行動意欲徐々に湧き出る

都会のジャングルで引きこもるには、消費や文明から遠ざかるべきだ。
テレビもラジオも、新聞も雑誌も、音楽も映像も、何もいらない。
本もいらない。ただただ自分の自由な心を涵養する。
体を動かさないことで、逆に心に力がいくような気がする。
心の欲するものを察知する、本覚に目覚める。

山本陽子の晩年もこんな感じで時間が過ぎていったのだろうか。
3月2日の朗読会のとき、みんながどこに座っていたかを思い出す。
この家の不思議は、一人で住んでいると狭く感じるのに、たくさん
人がくると広く感じることだ。

水も食料もミニマムでいい。排泄もミニマムになる。
酒もタバコもいらない。
シャワーだっていらない。会社の同僚や電車で乗り合わせる人のた
めにシャワーを浴びる。

「○○がないと、俺は生きていけない」といったキザな言葉がある
けど、この台詞はキザでなければ、自己欺瞞か無知か。
それがなくても人間は生きていくことができる。
人間が生きていくのに必要なものは、本当に限られたものだけだと
いうことが、この部屋にじっとして、何もしないでいると実感できる。

しばらく眠ったようだ。
1:30 やはりマットレス一枚だと床の冷たさが体を冷やすので、3枚
重ねに戻す。

4:30 坪庭を見てこようと家を出る。
コンビニで石鹸とお菓子を買う。
お茶を飲みながら、この日記を書く。
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三鷹天命反転住宅再訪 その3 おそるべき来訪者

月11日 午後から4月12日午前8時まで
お昼ごはんは、ラッキー飯店で餃子ライス。いつもは半ライスなの
だが、今朝は朝食を食べてこなかったので、普通のご飯にする。
18時、早稲田鶴巻町にある立ち飲み屋「銀のヘルメット」が新装開
店するというお誘いをいただいたので顔を出すことにする。
適当なところで三鷹に移動するつもりで、顔見知りの客たちと雑談
をしていたら、1月に新春徹夜麻雀を対戦した利一君がきた。彼は
コンピュータの世界で生きている。
仕事は衛星通信だけど、最近はやることがなくって、英文の翻訳ば
かりしていると自己紹介した。
せっかくだからと、シャノン限界、符号化理論、符号化利得という
デジタル通信の世界の話をしたら、「物理層の話ですね」とノッて
きてくれた。
利一が、「自然思想家でもあるんですよね」と振ってくれたところ
で、一番最近の僕の仮説は、南アの洞窟に描かれた動物や人の絵は
、言語の恣意性を乗り越えるための絵辞書、シニフィアン(音声符号
)に対応するシニフィエ(意味)を固定化するためのものでなかったか
というものだが、これを紹介。利一といっしょにいた英太が、これ
に異論をさしはさみながらも、よく理解してくれた。
話題は、そこからさらに、人類の起源、言語の起源、裸の起源、ハ
ダカデバネズミ、人類のゆりかご、クラシーズ河口洞窟、とノリに
ノリつつ、洞窟のレーザー三次元測量をやってみたいと思っている
、そのために来週会社を休んで財団の助成金の説明会にいくのだと
いうところまで発展した。
利一が、昨年一時期僕が天命反転住宅に住んでいたといったところ
、英太が「荒川修作の作品が好きだ。著作もあれこれ読んでいる」
という。じゃあ今日ついておいでということになり、昨晩23:50の
三鷹駅発深夜バスで大沢まできた。

いろいろな人をこの家に案内したが、これほど感動しながら家に来
た人はいない。
どうやって入ればいいのですかというから、「ドアを開けて中を覗
くだろ。それから閉めて、外を見るだろ。また中を覗いて、外をみ
て、中と外の雰囲気の違いをよぉく味わってから入ってきなさい」
といったら、1,2分かけて丁寧に言われたとおりにしてから入って
きた。

入ってきたときに、ハンガーを手渡して上着をこれにかけなさいと
いうと、上着をハンガーにかけて、いきなり天井のフックにつるし
た。彼はこのフックに吊るすことがえらく気に入ったみたいで、
手提げかばんも天井のフックに吊るしていた。「この家は床にもの
を置いたらダメで、すべて天井から吊り下げないといけないんです
よね」と、入居するなり核心をついた発言。すごい。
24歳で、学生時代から興味があったのだが、自分がわかったことを
友人に話してもだれも喜ばないし、理解もしてくれないので、自分
のこの部分は殺してコンピュータネットワーク関連の会社の営業マ
ンをしているという。だから水を得た魚のように、この家のもっと
も正統的な使い方を自然にしはじめたのだ。
そこらじゅうを歩いてデコボコの床を足裏で感じている。実に楽し
そうに。「ちょっと電気点けてもいいですか」というから、「つま
らない景色になるけど、いいよ」といってつけた。彼はすぐに「た
しかに消しているほうがいい」と反応したので、すぐに消した。
球形の書斎に入って、声を出したり、胸を叩いて反響を楽しんでい
る。ハンモックで寝たいという。高さを調節して、毛布を渡す。
この家は一人で住むのではなく、大勢で住むためのものですよねと
いう。僕もそう思う。今回の再訪は、そのあたりを感じることにな
るだろうという予感をしていた。前回は一人で家を対話したのだが
、今回は誰かを引き込んできて、いっしょに家を楽しむというシチ
ュエーションを期待していたのだが、期待以上のパートナーが現れ
たというわけ。
夕べはトイレも行かず、お茶ものまず、ひたすら暗い部屋の中で、
部屋を感じ、天井の吊り下げを楽しみ、ハンモックの中で彼は眠り
についた。僕もいつもの場所で寝た。

6時に起きてきて、一人であちこちうろうろしている。お茶を飲み、
使用法を読みたいというので、音読しなさいと手渡すと、デコボコ
の床の上を歩きながら、言葉をかみ締めながらよんでいた。ミクシ
ーでマイミク登録。
8時。彼はさきほどシャワーを浴び、今ひとりでハンモックの中で座
禅をしている。空中で結跏趺坐しているのだ。それもとても幸せそ
うに。
複数の人間が部屋の中にいて、お互いに沈黙を尊重しあう関係もい
いものだと思う。
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三鷹天命反転住宅再訪記 その4 文明の重圧を吊り下げる?

今日の日記です。
得丸

4月12日 14:45
 朝8時過ぎ、座禅の格好でハンモックに揺られている英太の邪魔し
ないように玄関の扉の前にマットを敷いて布団をかぶる。寒いので
、膝を抱えて丸くなる。この形が一番温かいかな。
 天井を見上げると、夕べから英太が気にしている天井の吊り具が
見える。このひとつひとつの吊り具をつかって家具をつるし、室内
を熱帯雨林のジャングルのようにして、森林の中に分け入っていか
なければならないのだろう。
 1991年の荒川修作の実験展や1997年のグッゲンハイム・ソーホー
のWe have decided not to die.で展示されていたグレーのビニール
カーテンの中に分け入っていく装置を思い出す。あれは「極限で似
るもの」という名前だったか?
 この天井に、文明のさまざまな消費財を吊るせば、壮観というよ
りも、茶番あるいは重圧である。我々人間が文明を発展させて到達
した物質文明、消費文明が、我々の未来に重たい影としてのしかか
っていることが、具体的かつビジュアルに提示されることであろう。
 
 起きて少し活動すると疲労が生まれ、それを癒すために少し寝る
。これがなかなかに気持ちいい。再び起きることにする。英太も起
きてきて、四つ足になって、のっそりのっそりとデコボコの床を廻
る。ぼくも同じ格好で180度(π)だけ位相をずらしてついていく。
この格好って、便秘で苦しむ女性に効果があるのではないかなとい
う思いが頭をよぎる。

英太は、12時少し前に帰っていった。帰る前に再び、デコボコの床
をあちこちと歩きながら、なおかつ天井の吊り具を見つめながら、
この家の使用法の最後の部分を音読していた。

・この家に引っ越してきたらすぐに、天井の中央部に名前、あるい
は表題をつけましょう。それから1ヶ月ほどしたら、いくつかの天井
からぶらさげる家具用の吊り具に持っているものを差し込んでみま
しょう。そしてそれをあなたの好きなようにグループ分けし、再度
、天井の中央部に、そこから吊り下がっているもののことも考慮し
ながら、もっとふさわしい名前、あるいは表題(たとえば「インフ
ラストラクチャーの美術館」、「連続していくオーバーハンギング
の庭」、「気配のモニター」などというふうに)をつけてください。

・住戸のあらゆる部分の祖納理由について、一度に、それもセンチ
メートル刻みで考えて見ましょう。このことをできるかぎり頻繁に
やりなさい。

・住戸には、それぞれ何組ものぶら下げ家具用の吊り具が常備され
ていますが、それと各部屋に備えられている棒とを組み合わせれば
、林や森を作ることができます。」

・すべてのぶらさげ家具を、自分の動きの延長として扱いましょう」

「この家にはたまに実験的に住むのではなく、一年くらいかけて家
具を天井にぶらさげて、自分の身体の延長として家を育て上げるこ
とが必要なのですね。頭で考えるのではなく、家で考えるようにな
るくらいまで、自分と家とが一体化する。それが荒川修作の狙いで
しょう。もっともそうなりやすいように細心の配慮をして、この家
はできているのです」

 たった半日いただけで、ここまでズバリという英太に脱帽。「建
築的身体」、「建築する身体」というのは、このことかもしれない
とひらめいた。つまり、「建築する身体」を言い換えるならば、「
自分の身体の延長として思考し、生きるように、家を作り上げる」
という意味で荒川さんは使ったのではないだろうか。

13:00 一人になったので、掃除をする。ほうきで床をはき、球形の
書斎は拭き掃除する。

13:30 ちょっと疲れを感じたのでハンモックでぶらぶらする。約1
時間。だんだん疲れが取れてくるのを感じる。



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