2898.チベット問題について



チベット問題について


                           日比野

1.いつもの手口 

チベット騒乱について再考してみたい。

チベット騒乱で、デモ隊の中にチベット人を装った警察官が刀を手
に潜入していたのを目撃していたとの報道がされている。

本当だとすると、チベット族弾圧の口実のための自作自演か、上海
閥による胡政権への揺さぶりなのかもしれない。

これまでの経緯について一連の流れを整理してみると、驚くほどギ
ョーザ事件と似ている。

ここでも、都合の悪いことは隠して無かったことにして、自分は悪
くない、被害者なのだ、悪いのはダライ・ラマ14世の集団なのだ
と言い張るパターンを使ってる。

ギョーザ事件は証拠隠滅または隠蔽までの日数がかからなかったの
で、わりと直ぐに天洋食品工場を取材させたけれど、実際はわざと
らしいくらい掃除したぴかぴかのクリーンルームを見せただけ。

デモ発生から12日も経って、中国はようやくラサでの取材を指定
した報道機関にだけ許可した。

「チベットには自由がない」と訴えるチベット僧侶達を中国政府当
局が、記者らと引き離そうとしたところを見る限り、都合の悪いこ
とは隠そうとしていることは明らか。

だから、この取材許可は海外からの圧力をかわすためのアリバイ作
りの意味合いが強い。

いったんアリバイを作ったらもう安心。あとはひたすら自分は悪く
ないと言い張ればいい。もう引くに引けない。

強いてギョーザ事件と違うところをあげるとするならば、メタミド
ホスのような物的証拠にあたる、虐殺の証拠を集めるのが難しいと
いうこと。

いくつかの正視に堪えない虐殺の画像がネットに上がってきてはい
るけれど、画像だけでは決定的な証拠というには少し弱い。遺体か
ら中国軍の銃弾が取り出されたくらいの証拠があれば別だろうけれ
ど。

チベットから帰国した邦人旅行者が、中国当局に口外しないよう脅
されたと聞く。どんなに取材したところで、ラサでの取材であれば
尚のこと、虐殺の証拠はもう出てこないのだろう。
 


2.独立の代償

チベットは独立を訴えている。無論その意思は尊重すべきであるし
、支持すべきものではあるのだけれど、仮に独立できたとして、本
当に独立を維持できるのかという問題はまた別にある。

独立国というのはなにも完全な自治を行っているというだけじゃな
い。外部に対する備えと窓口がなくちゃならない。軍備と外交がそ
れ。

チベットは天然資源が豊富だし、なによりヒマラヤを擁した水源が
ある。それは中国にとって、長江の水源にもなっているから、常に
水に苦しむ中国にとっては宝の山。

中国から北朝鮮にかけては、石油パイプラインが走っている。その
おかげで中国はパイプラインを閉めるぞ、と言っていつでも北朝鮮
を脅せるようになっている。

それと同じ様に、チベットが独立してしまうと、今度は中国が、チ
ベットに水源を塞き止めるぞ、と脅される立場になってしまう。

もちろん元来穏やかなチベット人がそんな脅しを使うとは思えない
。だけど中国はそう思ってはくれない。敵国にされてしまう。

遠交近攻の原則に基づけば、中国は自身の武力からみて、相対的に
より弱い周辺国は敵国として「勝手に」侵略対象に設定する。

これでは、チベットが仮に独立を果たしたとしても、水源を巡って
、やっぱり中国と対立してしまう。潜在敵国としていつも狙われる
。

それを防ごうとすると、強力な軍隊が必要になるし、諜報活動も含
めた強力な外交組織も要る。経済的負担はいまよりずっと重くなる
。

また、中国ではなくて、心理的に近いインドと協力関係を結んで対
抗しようとしても、インドからみたら、チベットは対中国の最前線
。国境警備にインド軍を借りるにしても、相応の対価は払わないと
いけないし、場合によっては、インドの核ミサイルを配備すること
になるかもしれない。当然中国を今より遥かに刺激するし、返って
危険は高まるかもしれない。

だからダライラマ14世のチベット独立ではなくて、高度な自治を
求めるというのは実に現実的な考えだと思う。

肝心なのは中国による弾圧を止めさせること。命も文化も。



3.法灯を継ぐ

チベット仏教の聖地はラサ。だけど仏教そのものの聖地というわけ
じゃない。仏教の聖地は無論インド。

チベット仏教はインド仏教のいわば分家筋にあたるものだけど、本
家のインド仏教は13世紀にイスラム教徒によって滅ぼされてしま
った。

だけど、そのときインドの大僧院の座主がチベットへ逃れて、大切
に守り伝えてきた教えや戒律の全てをチベットの僧侶に託したこと
で、仏教の本流はチベット仏教が受け継ぐこととなった。

こうした教えを次に託すことを仏教では「法灯を継ぐ」というのだ
けれど、文字通り、法の灯を絶やさないという意味。

今度はチベット仏教が滅ぼされる危機に瀕してる。

仏教の法灯を継いでいる存在は無論、ダライラマ14世。だけどダ
ライラマ14世は高齢で法灯を継ぐべき後継者も決まっていない。

次の法灯を受け継ぐべく、次期パンチェン・ラマに認定したニマ少
年は中国当局に拘束されている。法灯の灯が消えるのは時間の問題
。

もちろん解釈の仕方の話として、ダライラマやパンチェンラマがい
なくても、チベット高僧が合議して、自分達でダライラマを選出し
て、それをたてることで法灯を守ってゆくことは十分あり得る。だ
けど中国のやり方で問題なのは、虐殺や民族浄化によって、チベッ
トそのものを塗り替えようとしていること。

ダライラマ14世は中国による文化的虐殺が行われていると表明し
ているけれど、そのとおり。大きな目でみれば、チベット仏教だけ
ではなくて、仏教そのものの灯が消えようとしているといえる。

だから、チベット仏教の法灯を受け継ぐ存在をいまのうちから確保
しておかなくちゃいけない。それはひとつではなく、複数あったほ
うがバックアップとしては安心できる。

徳川将軍家には御三家制度があった。徳川宗家の嫡男が絶えたとき
のバックアップ制度でもあった。実際それは見事に機能した。

暴論だとは思うのだけど、徳川家と同じように、チベット仏教の御
三家にあたる存在を作っておくのはどうだろうか。

インドのチベット亡命政府がそのひとつにあたるのだろうけれど、
たとえば中国以外の周辺国にチベットの高僧を迎え入れて、法灯の
一つを継いで保持してもらうとか。

もし日本が迎え入れ先のひとつになるのであれば、チベットへの弾
圧を忘れっぽい日本人にいつまでも訴えるという効果もある。なに
より、仏教の保護者としての日本を強烈に世界にアピールすること
ができる。

ダライラマという活き仏を擁したチベット仏教を絶滅させるという
ことは、仏教そのものの権威を消滅させるということと同じ。その
損失はとんでもなく大きなものになる。仏教が世界三大宗教の一角
から滑り落ちることになる危険をも孕んでいる。それだけはやって
はいけない。
 
(了)


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