【TK−Xに至る戦車開発の経緯】 …離島防衛に役立つ移動砲台… 元陸上自衛隊幹部学校教官・研究員 高井三郎 戦車装備化の経緯:米国製から国産へ 今年の2月13日に相模原の陸上装備研究所において、TK−X (新戦車)が、記者団に初公開された。防衛省当局によれば、2010 年に制式化し、単価は、7億円で生産期待数は、約800両である。 小生は、1952年12月、練馬駐屯地の第1連隊に新隊員とし て入隊し、米国製M24軽戦車の教育を受けた。それから15年後 に陸上自衛隊幹部学校において、機甲運用を含む現代戦の研究に従 事した。したがって、殊の外、戦車の価値及び果すべき役割を理解 する。 本文は、読者各位、特に若い人達が、戦車に寄せる理解を助ける ため、米国製から国産に移行した戦車装備化の経緯を先ず紹介する。 次いで、戦車の基本的な知識を説明し、TK−Xの特色を総合的に 眺めて見よう。 1950年代当時における警察予備隊とその後の保安隊、陸上自 衛隊の戦車は、すべて米国製であった。(時代的背景は、囲みを参照。) *かぎ括弧内は囲み(以下、同じ) 1『第2次大戦終結から早くも5年後の1950年6月15日に 北朝鮮軍が、半島中部の38度線を超えて、突如、韓国に奇襲侵攻 した。そこで、米占領軍当局は、在日米軍主力を半島に緊急展開し 、その穴埋めとして、日本政府に警察予備隊の新設を命じた。戦後 初の再軍備の端緒としての警察予備隊は、米軍顧問団の指導を受け 、当時の米陸軍歩兵師団に近い編成を採り、戦車、火砲など各種の 装備を供与された。やがて、日本は連合国と講和条約を結び、独立 を回復し、警察予備隊は、保安隊、次いで自衛隊と発展の道を辿り 、現在に至っている。』 米国は、小生が学んだM24軽戦車(75mm砲、18t)の他、 M41軽戦車(76mm砲、24t)、M4中戦車(76mm砲、35t) 及びM32回収車などを日本に供与した。1960年代に国産の60 式戦車、次いで74式戦車が逐次登場し、70年代半ばまでに米国 製戦車は、すべて退役した。ところで、国産戦車の研究は、保安隊 が自衛隊に改編された直後の1950年代半ばに既に始っていた。 中央部は、自主防衛には兵器の国産化こそ、不可欠と認識して業界 を指導し、戦車の開発を目指していたのである。この要求に応え、 第2次大戦以前から戦車製造の実績のある三菱重工がプライムにな り、明治以来の火砲の老舗、日本製鋼所及び戦後に芽生えた通信電 子業界が、戦車開発事業に参画した。 それ以来、防衛庁(省)技術研究本部の指導のもとに、車両本体 を三菱重工、戦車砲を日本製鋼所、通信器材等を複数の大手通信電 子企業が担当し、多数の中小企業が補助火器、弾薬、付属品等を提 供する体制が、現在も続いている。 2 官民の努力が実り、第1世代の61式戦車(90mm砲、35t) 、第2世代の74式戦車(105mm砲、37t)、第3世代の90 式戦車(120mm砲、50t)が実用化し、間もなく、第4世代の TK−X(120mm砲、45t)を迎える事になった。 61、74及び90は、防衛庁が制式化した西暦年度であり、 やがて、TK−Xにも、呼称が付与される。なお、第1〜第4世代 は、第2次大戦後に実用化した新旧各戦車の技術の程度を区別する ための呼称である。『第2次大戦以来、各国軍は、軽戦車、中戦車 、重戦車と重量を基準に戦車を区分した。これに対し、60年代以 降、主力戦車(Main battletank) 、水陸両用戦車、空挺戦車等、機 能別に分けるようになった。日本の国産戦車は、すべて主力戦車で ある。』 各世代戦車の生産・配備数 1961年以降、40年以上にわたる戦車の生産・装備化の実績 及び近い将来の見込数は、次のとおりである。 ・1961〜1975:61式戦車560両(90年代に全数退役) ・1974〜1990:74式戦車873両 ・1990〜2009:90式戦車338両(見込数) ・2010〜 :TK−X800両(見込数) 約半世紀間に、国産戦車1770両が部隊配備された。それは、 1年間に平均35両程度の増加という、ささやかな規模である。 ちなみに、1952年から1961年までの僅か9年間に、米国は 、日本の防衛力育成のため、警察予備隊、保安隊及び陸上自衛隊に 対し、M24軽戦車475両、MEA3E8中戦車366両、M41 A1軽戦車147両及びM32B1戦車回収車80両、合計1060 両も引渡した。 3 しかも、そのうちM24 351両、M4 197両、M32 34両を含む835両は、最初の4年間に集中している。この実績 から、米国の絶大な軍事力の一面を窺い知る事ができる。 冷戦後の防衛費の締付けが厳しく、現有戦車数は、以前の1100 両から950両に減少し、そのうち、90式は、約310両に過ぎ ず、残りは、74式が占める。 今後、日本特有の戦車無用論が強くなり、600両に落ち込むと いう予測もあり、TK−X、800両の確保は、予断を許さない。 悲観論はさておき、やがて、TK−Xは、90式より先に陳腐化す る74式の後継として逐次、部隊配備される。その後、74式が、 すべて退役すれば、TK−Xが90式の肩代りになり、新々戦車も 登場する。 ここで、西側諸国における90式戦車と同格の戦車の開発、生産 及び装備化の一例を確認する。フランスのルクレ−ル(120粍砲 、55屯、自動装填)は、1990年から2006年までに、アラ ブ首長国連邦向けを合わせて、90式の3倍に近い862両も生産 されている。 韓国は、1988年以降、K1(105mm砲、50t)とその強化 型のKI−A1(120mm砲、53t)を合計1000両、開発生産 し、部隊配備した。近い将来には、開発中のXK−2(120mm砲 、53t 、自動装填)が実用化する見込である。 4 なお、米国製M−47 400両、同M−48 850両及 びロシア製T−80U 80両を加えた韓国軍の戦車数は、実に 2330両に達している。要するに機甲の老舗、ドイツ軍の2000 両を遥かに上回る。 軍事大国、米国は、日本、フランス、韓国と は比較にならない。すなわち、1979年から1992年までの、 M1A1、A2各タイプの生産数は、実に8000両を超える。 エンジンは自主開発、戦車砲はライセンス生産 誇るべき事に、我が国の技術力と工業力は、4世代にわたる戦車 の自主開発を実現し、西側諸国の注目を浴びている。機動力を生み 出すエンジンと火力を発揮する砲の良否が、戦車の性能に影響を及 ぼす。 61式戦車の空冷4サイクル・エンジン(570馬力)には、戦 前に陸軍技術本部が、戦車用空冷デイ−ゼルエンジンを実用化した 経験が生かされた。既に1935年に旧陸軍の技術者は、ガソリン エンジンよりも燃費が良く、着火炎上の危険性が少ないデイ−ゼル エンジンを各国に先駆けて実用化したのである。 旧軍の戦車のものより、 強力で大型の61式戦車のエンジン開発は、当初は捗らず、ドイツ 又は米国からの輸入案が浮上した。それでも、開発当局は、技術上 の隘路を克服し、戦後初の国産戦車エンジンを実用化する事ができ た。その成果を受け、74式の空冷4サイクル・エンジン(720 馬力)、90式の水冷2サイクル・エンジン(1500馬力)、 TK−Xの4サイクル・エンジン(1200馬力)が実用化した。 5 ちなみに、先に触れた韓国のK−1、K−1Aは、すべてド イツ製デイ−ゼルエンジンを搭載する。ただし、彼等も戦車エンジ ンの自主開発に取り組んでいるが、実用化は、かなり先になる。 なお、米軍が供与した戦車は、すべて、ガソリンエンジンを搭載 していた。第2次大戦直前の米軍の戦車は、僅か20両であった。 このため、戦争が始る頃に自動車業界は、実力を発揮して戦車を急 速に増産し、これらにガソリンエンジンを搭載して、軍に納めたの である。それは、米国流の実際的な管理技法に他からない。彼等が 本格的に開発して実用化したデイ−ゼルエンジンの戦車は、M60 が最初である。 エンジンとは裏腹に、戦車砲の自主開発は、経費と効率の面から 容易でなかった。中世以来、西欧で培われた砲の設計製造技術は、 工業後進国の追随を許さない。それにも関わらず、日本製鋼所は、 スウエ−デン製90mm砲及び米国製90mm砲(M26中戦車と日本 に4両供与されたM36自走対戦車砲に搭載)をモデルにして、戦 前に培われた実力を生かし、61式の戦車砲を設計し、製造した。 74式には、英ビッカ−ス社の51口径105mm砲、90式と TK−Xには、独ラインメタル社の44口径120mm砲が選択され た。これらの砲は、当初、製品を輸入したが、その後、日本製鋼所 がライセンス生産を担当した。ただし、駐退復座装置及び砲架は、 自主開発による。 6 120mm砲の44口径とは、砲身長が口径の44倍を意味す る。口径と弾薬が同じ規格の場合、砲身長に比例して、射程が長く なる。弾丸は、所望の射距離(注、射程距離ではない!)を飛翔し て、目標に正確に着弾するため、旋転(回転)が必要である。90mm 砲と105mm砲は、旋転を与えるため、砲腔(砲身の内壁)に腔線 (rifle)を刻んだ施線砲(rifled gun) である。120mm滑腔砲 (smooth bore gun)は、腔線がなく、発射後の弾丸は、尾部の4枚 の翼を開き、旋転する。 1950年代に各国は、施線砲から発射するAPDS(装弾筒付 徹甲弾)及びHEAT(対戦車榴弾)の威力が落ちる事に気が付い た。このため、翼安定型のAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾) 、HEAT及び滑腔砲を開発した。 TK−X:M−24とは隔世の感 TK−Xを、小生が学んだM−24軽戦車に比べると、火力、機 動力及び防護力が飛躍的に向上している。中でも、特に進歩した点 は、火力戦闘能力にある。すなわち、火砲の口径と弾薬が大きくな り、精度を左右する射統(射撃統制装置、FCS)が、複雑高度化 した。 そこで、M−24の75mm砲と90式及びTK−Xの120mm砲 の仕組みの違いを確かめて見よう。M24の場合、装填手は、車長 の指示により、筒尾(砲身後部)の閉鎖機をレバーで開き、薬室に 弾薬を込めると閉鎖機が閉じる、 7 次いで、砲手が引金を引いて発射すると、弾丸を押し出す装 薬の燃焼ガスの反動により砲身が後座して、閉鎖機が自動的に開き 、真鍮の空薬莢が蹴出される。これが終ると砲身は、閉鎖機を開い た状態で、復座装置の力で前進し、定位置にもどり、再装填が可能 になる。このような、半自動機構による連射速度は、20発/分で ある。一方、120mm砲は、弾薬が肥大化したので、4ないし 6発/分になったが、精密に射撃諸元を算定し、1発必中の凄まじ い加害力を発揮する。 例えば、75mm砲のAP(徹甲弾)は、射距離1000m の装甲 の貫徹力が、僅か5cmである。これに対し、120mm砲のAPDSFS は、射距離2000m で厚さ1m の均質鋼板を貫徹する。 75mm砲は、閉鎖機の開放及び薬莢の蹴出を繰り返すと、装薬の 燃焼ガスの煙が戦闘室内部にただよう。この煙を大量に吸えば、人 体に悪影響を与えるが、その量は、比較的少なく、ハッチを開き、 又は換気扇を回せば退散する。 90式及びTK−Xでは、自動装填装置を採用した結果、装填手 が不要になった。更に120mm砲の弾薬は、非金属材料の焼盡薬莢 であり、装薬とともに燃え尽きて、金属の基部だけが蹴出される。 ところが、75mm砲とは、比較にならない程、大量で、しかも超 高熱の燃焼ガスを、そのまま狭い戦闘室内に吐き出すと、車長と砲 手が危険に晒される。このため、120mm砲は、砲身の中央に円筒 状の排煙器(fume evacuater) を設けている。 燃焼ガスの主力が、砲腔内部で砲弾を押し出す一方、ガスの一部 は、排煙器の内側に入る。やがて、弾丸が砲口を出る頃に、砲腔内 と排煙器内のガスは、一斉に砲口から排出される。その効果により 、閉鎖機を開いた時に戦闘室に出る燃焼ガスの量を極限する事がで きる。 8 120mm砲の砲身は、内側からの燃焼ガスの熱に加え、外側か らの太陽熱に晒されると曲りを生じ、射撃精度の低下を来す。この 曲りを抑制するため、砲身の表面は、長軸沿いに、強化プラスチッ クとアルミ合金を重ねた被筒(thermal jacket) で覆われている。 砲口左側の円盤型の砲口照合ミラ−(muzzle reference system) は、砲身の曲り具合を検知して、そのデータを砲塔内部の弾道計算 機に入力し、正確な射撃諸元の算定に役立てる。現代の戦車砲の砲 身は、唯の鉄管のような単純な作りでなく、サブシステムの一つで ある。 M−24の75mm砲の弾薬は、戦闘室の床下に格納される。その 定数は、榴弾、徹甲弾、黄燐弾を含む48発であった。育ちの良い 竹の子程度の大きさで、せいぜい8kgの75mm砲弾は、両手を使い 、床下から砲尾の薬室まで上げて装填する事ができた。 今や、約19kgに届く120mm砲の弾薬は、戦闘室の床下から、 人力で抱え上げるのは容易でない。したがって、90式とTK−X では、弾薬の格納位置に工夫を凝らしている。 90式の場合、携行弾数40発のうち、砲塔後部の弾薬架及び車 体右前方で操縦席の右側の弾薬庫兼燃料庫に設けた空洞に各18発 を水平に格納する。別に準備弾薬として戦闘室の右側壁に4発を立 て掛ける。 9 砲塔後部の弾薬架の弾薬は、最短距離を移動して、自動装填装 置に入り、薬室に装填される。戦闘中に砲塔後部の弾薬架に給弾する 場合、砲塔を回して、弾薬架を車体前方の弾薬庫の近付けて、格納 弾を取り出す。 TK−Xの携行弾数とその収納要領は、90式と 殆ど同じであるが、車体前方の弾薬は、中央の操縦席の左右に分け る事になる。 ところで、危険物が隣合わせになる弾薬庫兼燃料庫を問題視する 声が聞かれるが、心配無用である。燃料庫が被弾した場合、中身の デイ−ゼル油は、ガソリンと違い、急速に着火炎上しない。むしろ 、白煙を上げて、ゆっくり燃焼し、弾薬に燃え移るまでには、時間 がかかり、この間に、近くの自動消火器が働き始める。 90式とTK−Xは、燃料を車体の各所に分けて搭載し、危険度 の高い弾薬庫を兼ねる前方タンクの燃料を早く消費する。要するに 開発主務者は、戦車固有の限られた空間に、各種の器材、燃料、弾 薬などを合理的に搭載するため、想像以上の工夫を凝らしている。 車体前方の弾薬庫兼燃料庫には、弾丸の中身が金属だけで炸薬を 詰めない徹甲弾(APDSFSなど)を、弾先を前に向けて挿入す る事が望ましい。こうすれば、正面から直撃弾を受けた場合の被害 を軽減す事ができる。ただし、徹甲弾でも、薬莢を前方に向けては ならない。 最新の設計技術は、炸薬入りの弾丸から成る弾種(HEATなど )を挿入(当然、弾先を前方)しても、被弾時の被害を極限するた め、増加装甲、弾薬庫兼燃料庫の難燃化などに配慮している。 なんと言っても、90式とTK−Xが、旧世代の戦車よりも傑出 している点は、射撃の精度を飛躍的に高める射統にある。M−24 の照準機構は、単純であり、射撃統制装置という用語さえなかった。 10 車長用の砲塔旋回レバーと簡素な作りの金具の照準器、砲手 用望遠鏡が、照準装置のすべてである。別に車長、砲手とも、専用 の視察用の潜望鏡を有していたが、どれも昼間用で暗視機能はない。 射距離の決定は、車長が、地形地物と目標の形状から判定する目 測(双眼鏡を併用)に頼っていた。目測でも、射距離1500m前 後までの射撃では、初弾が逸れても、その修正値を加え、射角を直 せば、2発目は、命中するので次弾必中と呼んでいた。ただし、 1500m 以上の目標の射撃は、例え、距離判定が正確でも、弾丸 に及ぼす横風の影響が大きくなり、精度は著しく落ちる。 なお、敵の観測及び射撃を遮る地形の手前まで、前進して止り、 砲塔を出して射撃するのが、基本原則であった。当然、行進射(移 動中の射撃)、夜間射撃、雨霧など視度不良時の射撃は、制約を受 ける。 これに対し、90式とTK−Xの複雑高度な射統は、瞬時に捉え た目標を初弾必中による撃破するという瞬間交戦能力を与える。更 に、行進射、移動目標射撃、夜間射撃、視度不良時の射撃を可能に する。 戦闘室では、砲の作動部の右に車長、左に砲手が座り、それぞれ 照準潜望鏡、テレビ型モニタ−及び砲塔の旋回、砲の俯仰・発射用 のハンドルなどがある。射統の中枢を成すデジタル弾道計算機は、 射距離、射撃方位角、射角を含む射撃諸元を瞬時に算定し、各照準 潜望鏡に付与する。 弾道とは、簡単に言えば、弾丸が砲口を出て飛翔し、目標に至る 経路である。射撃学では、弾道を弾丸の重心が描く軌跡と定義する。 11 抛物線を成す弾道は、幾何学的に描く事ができるが、実際 には、砲の傾斜、横風、弾丸を押し出す装薬の温度、砲身の曲りな どが影響して、偏差(ゆがみ)を生ずる。このため、弾道計算機は 、弾道の偏差に及ぼす影響を把握して、正確な射撃諸元を算定する。 砲手用照準潜望鏡の隣のレーザ測遠器は、距離300〜5000m の目標を瞬間的に照射して測距する。弾道計算機には、レーザ測距 諸元に加え、砲塔上面の横風センサ、砲塔内部の砲耳傾斜計、装薬 温度センサ、砲塔旋回・俯仰角検出器の各データも入力される。 砲耳傾斜は、砲の左右の傾き具合であり、射撃精度に多大な影響 を与える。なお、先に触れた砲口照合ミラーからの砲身の曲りのデ ータも弾道計算機に入力される。 砲塔上部の熱線映像装置は、目標から出る熱線(赤外線)を検知 し、各モニタ−及び砲手用照準潜望鏡に映像として表示する。熱線 映像は、夜間又は悪天候下の目標追随と射撃に利用する事ができる。 自動追随装置は、戦車が高速移動中でも熱線映像により、一度、 捕捉した移動目標に砲身を向けて、狙い続ける事ができる。仮に目 標が、小山、家屋などの影に隠れ、再び姿を表しても、継続的に追 随する。すなわち、照準線の中間の地形地物に惹かれない。米軍の 機甲学校機関誌によれば、日本とイスラエルだけが、自動追随技術 を実用化した。 車長、砲手とも、光学視察も可能である。砲手席の直接照準望遠 鏡は、戦況又は技術上の理由から電子射統を使えない場合の代りに なる。 12 戦車砲に限らず、どの火砲でも、精度向上のため、射撃に先 立ち、砲架を水平に配置しなければならない。90式とTK−Xは 、先に触れた砲耳傾斜計の他、砲安定装置の他、車長用、砲手用各 照準潜望鏡にも安定装置がある。更に、戦車全体の姿勢を制御する 油気圧懸架装置は、錯雑地を高速移動中でも、砲架を水平に保つ役 割を果す。 M−24は、75mm砲の砲架を前後に水平に保つジャイロ安定装 置を有していたが、砲耳傾斜修正機構はない。したがって、操縦手 は、移動して射撃陣地に進入する車体を、努めて水平に置くように 訓練を受けた。 レーザ検知装置は、センサが検知した敵のレーザ 情報を車長の器材に音響及び灯火でっ警告表示し、自動又は手動で 砲塔両側の発射装置8基から煙弾を投射して煙幕を張る。レーザセ ンサは、熱線センサと同様に砲塔上部に配置されている。 現代戦場で、砲の測距、砲弾、ミサイルの誘導に使われるレーザ は、危険な存在である。このため、レーザを検知次第、煙幕を張れ ば、脅威を及ぼすレーザ照射を減衰し、自衛目的に寄与する事がで きる。 90式とTK−Xには、米軍のエイブラムスと同様に深さ5m程 度の河川を潜水渡渉するシュノーケル装置はない。ただし、車体が 水に隠れるまでの渡渉は可能である。一方、中国、ロシア、ドイツ 、韓国の主力戦車は、シュノーケル装置を備えている。 13 小生が幹部学校で研究した結果、我が国土は、大陸と異なり 、幅が広い河川が非常に少ない。万が一、異質の戦場で戦う際の戦 車の渡河行動は、施設(工兵)隊力などに期待する事になる。運用 要求を踏まえ、元々限られた全体構造に組み込む機能の取捨選択が 重要である。要するに、経費との兼ね合いもあり、あれもこれもと 言う訳には行かない。 M−24、M−4は、旧軍時代と同様に、長距離移動に鉄道を利 用した。ところが、90式とTK−Xは、重量と容積が嵩み、車幅 も広くなり、いよいよ、日本の鉄道事情に合わなくなった。したが って、今では、もっぱら、特大型セミトレーラ牽引車に頼っている。 C4Iシステム Commamd,Control,Communications,Computers,and Intelligence の略語、C4Iは、指揮統制、通信、電算及び情報と訳される。半 世紀間に電子器材も発達を遂げた。M−24は、戦車間の連絡用の SCR508/528(27〜27.9MC(メガサイクル))と 協同戦闘の相手、普通科部隊との連絡用のAN/VRC−3 (40〜48MC)を搭載した。いずれも、当初、米国製で、やが て、ライセンス生産型が出て来た。 60年代になると、SCRシリ−ズが、米国製AN/VRC・GRC シリ−ズのライセンス型に切換えられた。次いで、70年代には、 国産のJVRC−F5/6/7/8が登場し、帯域が20〜60MC と広くなって、普通科との連絡専用器材が消滅した。 80年代のJVRC−F10/11/20シリーズは、帯域が 28〜60MHzに変更されたが、使用周波数は、1280チャン ネルに及び、音声通話の秘話機能及びDATA、画像各伝送機能が 付加された。現在は、新技術のF70/71/72/80に更新中 である。 14 歴代のシリーズとも、指揮官車は、送信機1ないし2基、 受信機2基を搭載するが、一般車は、送信機、、受信機各1基にと どまる。なお、歴代の無線機の各送信機には、乗員が交信する車内 電話機能を内蔵する。 TX−XのC4Iシステムには、在来の無線機の他に情報共有機 能が付加される。例えば、上級部隊、指揮官車、隣接車相互に、当 面の戦場の景況、地図、計画・命令文書などの画像を瞬間的に伝送 する。 車体外部のカメラからの景況を車長席及び操縦席に広く写し出す 機能及びGPS航法装置も新機軸の一つである。操縦席のパッシブ 暗視装置は、肉眼に有害なレーザ光及び赤外線を遮る機能が付加さ れている。 TK−Xの評価:既存の技術の活用 半世紀を顧みるに、各国の戦車は、火力の優越を競うと同時に相 手の火力に耐える防護力を施すため、重量と容積が嵩む道を辿って 来た。そこで、肥大化した車体に満足な機動力を与えるため、強力 なエンジンを載せれば、おのずと膨大な燃料を消費する。これまで の代表的な戦車の1?当りの平坦地における走行距離は、次のとおり である ・M−24:約400m …ガソリン ・74式:約500m ・90式: 300〜400m ・エイブラムス:約250m…タービン 15 錯雑地で発進、停止を繰り返す戦闘行動になると、平坦地走 行の2ないし4倍の燃料を消費する。更には巨大な車体が、強力な エンジンにものを言わせて、駆け足すれば騒音が激しく、大量の熱 気を出すので、敵のセンサに探知され易い。一方、経済性を追及し て軽量化するために、火力、防護力を犠牲にすれば、最早、主力戦 車の価値を失う。 ところで、TK−Xは、90式の火力と防護力を落さずに、50t から45t へと10%減量し、車体長を約1m 縮める事ができた。 それは、開発当局の優れた着想の表れである。ただし、今回の軽量 化の実現は、既存の技術の相乗積による設計上の工夫であり、技術 革新ではない。 TK−Xのエンジンは、90式のものより、出力が20%小さく 、幾分、コンパクトな1200馬力型を採用した。その結果、90 式に比し、省燃費になり、携行燃料が1100?から880?に減少 し、タンクの容積がドラム缶1本分、節約された。同時に、車体長 が短くなって鋼材の所要が減り、軽量化した。 鋼鉄を減らし、セラミック、炭素繊維等で補う装甲も軽量化に結 び付いている。ただし、対戦車火力の脅威の度合いに応じ、鎧の重 ね着のようなモジュラ−方式を採る。先ず、基本装甲は、銃弾、砲 迫弾の破片、RPG(対戦車ロケット擲弾)などに対応する。これ に対し、125mm戦車砲、強力な対戦車ミサイルなどに遭う状況下 では、全面、側面に増加装甲を施す。そのセットの重量は、2ない し3t 程度になる。 薄型モニタ−等を採用する新技術の通信電子器材は、コンパクト 化して、車体が短くなったが、戦闘室は、意外とスペースに富む。 16 軽量コンパクト化すると、省燃費になり、燃料補給の隊力を 減らす事ができる。更には、陸海空各輸送手段に、良く適合し、長 距離移動が容易になる。現代各国軍では、燃料を節約し、無用の故 障を避けるため、戦車を師団後方地域まで、鉄道又はトレーラで運 ぶのを原則とし、長距離の連続機動は、決戦の時期に限られる。 自動装填装置は、装填手1人分の車内空間と設備が不要になり、 車体重量と容積の増加を抑制する。したがって、旧ソ連・ロシア、 中国は、戦車砲の大口径化と大型化に伴い、自動装填を採用した。 今後、戦車砲が、140mm、152mmになれば、砲弾は、30kg を超えるので、人力では扱えず、自動装填にならざるを得ない。 ところで、自動装填装置は、省力化のためと言われるが、乗員が4 人から3人に減ると、必ずマイナスの面が出て来る。 戦車は、日常の点検、整備、清掃、給脂給油、部品交換などに多 大な時間と労力が必要である。しかも、車体だけでなく、通信電子 器材、車載機関銃、付属品、それに個人装備火器の面倒も見なけれ ばならない。 戦闘行動になれば、弾薬の搭載、移動路の簡易補修、戦車掩体の 応急構築、自衛警戒なども必要になる。このため、米軍のエイブラ ムスは、120mm砲を搭載するが、依然として4人編成である。 ただし、砲塔後部の弾薬架から閉鎖機への装填動作を楽にする構造 を採っている。 5人編成のM−24は、仮に2人の死傷者を生じても戦えるが、 90式とTK−Xの3人編成では、2人欠けれと万事休す。ロシア 軍、中国軍では、3人編成の戦車に問題が生じた場合、即時、別の 戦車と交替させる運用原則を採っている。 17 90式と同類項のルクレ−ルの連隊では、乗員は、戦車の操 作と最小限の手入れに専念し、中隊の管理要員が、給弾、給油及び 整備に当る体制を採る。今後、益々複雑高度化する戦車は、現在の 戦闘機のように、戦闘、支援各機能が完全に分業化するであろう。 ところで、既に研究が始っている将来の戦車は、液体装薬砲、電 磁砲又はプラズマ砲及び超小型ミサイルを主装備とする。電動エン ジンと衛星からのミリ波エネルギ−を動力源とし、新素材と電磁波 を併用する新装甲により、総重量は30t 以下になり、乗員は2人 で足りる。要するに、TK−Xは、技術革新に至るまでの過渡期の 存在である。 日本国土の防衛における戦車の価値 戦車とは、路外機動力及び防護力を備えた強力な直接照準火器で あり、歩兵との協同戦闘及び機甲戦闘を主任務とする。言うなれば 、動く火器掩体(堅固な陣地)である。 一時期に戦車よりも軽量、安価な上に比較的威力があると主張し て、携帯ミサイル、ロケット発射筒を推す向きがいた。ところが、 これらの歩兵火器には、相応の利点を有するが、防護力がなく、車 両の支援なしに、効率的な移動は、不可能である。 鈍重な戦車は、大陸用であり、山地や市街地が多い島国の日本に は不向きと言う意見が絶えない。しかしながら、小生は、現代戦の 戦訓の研究及び自分自身の訓練演習の経験から、ダンプトラックの 行く道は、戦車の通過が可能と確信する。更に戦車は、トラックの 通過を許さない灌木林、湿地、水田を踏破する事ができる。 18 第2次大戦末期、武山以南の三浦半島より幾分狭い硫黄島の 戦いに、米軍海兵隊は、戦車150両以上も運用した。1950年 6月に北朝鮮軍は、ソ連製T−34戦車120両以上をもって、奇 襲侵攻し、米韓軍の虚を突いた。開戦前に米軍は、山地と水田が多 く、道路も悪い朝鮮半島は、戦車に向かないと見ていたのである。 2006年夏のレバノン作戦において、イスラエル軍は、ヒズボ ラの対戦車ミサイルの伏撃に遭い、戦車400両のうち、40両が 被弾した。 そのうち、20両にミサイル又はロケット弾が貫通し、乗員30 人が犠牲になった。しかしながら、テルアビブ当局は、主力戦車、 メルカバの強靭な装甲が功を奏し、この程度の損害で済んだと見て いる。なお、完全喪失車両は、数両に過ぎなかった。 今、宮古島、石垣島などの離島に戦車を移動砲台として配備でき れば心強い。一方、本格侵攻する敵軍は、水陸両用戦車を差し向け て来る可能性が十分にある。更に、ガザ、イラクの治安作戦の戦訓 から見て、戦車は、市街地のテロ掃討にも重要な役割を果すに違い ない。