2893.チベットデモと弾圧について



チベットデモと弾圧について


                           日比野

1.抗議デモの拡大

3月10日から始まったチベットの抗議行動は、多数の死傷者を出
しながら、その規模を広げている。民間活動団体「チベット人権民
主化センター」によると、武力鎮圧への抗議デモは四川、青海、甘
粛の3省計5か所に拡大しているという。

それに対して、中国当局は軍を出して鎮圧しようとしている。

中国当局はラサへの外国人立ち入り禁止措置を含め、情報統制・情
報封鎖しているから、実際のところ何処まで被害が拡大しているか
わからないけれど、チベットから帰国した邦人旅行者のインタビュ
ーを聞く限り、予想以上の規模になっていることは疑い得ない。

民衆を武力によって鎮圧しようとし、実際死傷者まで出してしまう
中国当局対応は、かの天安門事件を髣髴とさせる。

むろん国際的非難の噴出は避けられない。実際に欧米各国から非難
声明が出ているし、北京五輪開会式ボイコットの声もあがってる。

今回の事件に対して、チベット亡命政府は早々に国連介入を求めて
いる。また台湾での総統選挙でもチベット問題は争点のひとつとな
り、このまま状況が悪化するのであれば、勝利をおさめた野党国民
党の馬英九氏でさえも、北京五輪への選手団派遣を見合わせる旨の
発言をしている。

チベット人にとって、3月10日は独立運動が始まった重要な日。

ただ、北京五輪を中止できうるギリギリのタイミングであり、なお
かつ、世界の注目を集めるにはベストな時期をねらった同時多発的
な各地の抗議運動といい、コソボ承認問題や台湾独立問題にも密接
に絡んだタイミングでの出来事。

イギリスガーディアン誌は今回の事件を周到に準備したあとが伺え
ると分析している。

「2884.米国が仕掛ける紛争」でFさんが指摘しているように
、今回の事件には仕掛人が存在する可能性は十分にあると思う。

チベットの自由復帰を求める亡命政府に、今なら国際社会も亡命政
府への支援と中国への非難声明を出す、と唆されれば乗ってきたっ
ておかしくない。

チベット亡命政府は、チベット人難民の社会復帰とチベットの自由
復興を目指す目的で1959年に樹立した暫定政権で、チベットが
再び自由を取り戻した際、ただちに解散されることになっている。

だけどチベットの将来を見据えて、民主化を着々とすすめ、01年
からは選挙で選ばれた政府が発足している。決してダライ・ラマ1
4世の独裁政権というわけじゃない。



2.最後の抗議

ダライラマ14世は、今回の争乱に対して、原因や死者数を把握す
るため、国際的な独立調査団を要望するとともに、「中国指導部、
特に胡錦濤(国家)主席とはいつでも会う用意がある」と述べ平和
的解決を望まれている。そして今回の争乱が制御できなければ引退
する、とも。

今回のチベット争乱にしても、抗議行動に出れるほとんど最後のチ
ャンスではないかと思う。

なぜかといえば、今のチベット民衆の民意を代表し、制御できうる
存在としてのダライ・ラマ14世を継ぐ存在が見当たらないから。
後継者の問題。

中国は1995年、ダライ・ラマがパンチェン・ラマの転生者に認
定した6歳のチューキ・ニマ少年を抑留し、僧侶らに別の少年を認
定するよう強制している。

本当にパンチェン・ラマの魂が転生しているかどうかはともかく、
チベット最高権威のダライ・ラマが認定した転生者はそのように育
てられ、そのように育ち、そのように権威を持つ。それをチベット
の民衆も是としてる。

ダライ・ラマが認定した少年ではなくて、中国の要求どおりの別の
少年を認定したとしても、チベットの人々は決して支持しない。

もちろんダライ・ラマ14世没後の転生者についても、同じことが
言える。

このまま後継者問題が解決することなくダライ・ラマ14世が亡く
なった場合、チベット民衆が認める転生者としてのダライ・ラマと
中国が認定した後継者との二人のダライ・ラマが存在することにな
るだろう。無論、前者をチベットの人々は尊敬し、後者は中国当局
の息がかかる。

だから、いくらチベット民衆がダライ・ラマ14世の転生者だと言
ったところで、中国当局は相手にしない。

また、逆に中国が当局が認定した後継者の言うことを聞けといって
も、今度はチベット民衆が認めない。

互いに交渉できる窓口は遮断されてしまう。

もし、この状態で、今回のようなチベットの民衆の抗議行動がダラ
イ・ラマ14世没後に起こったとしても、それに対して自制を呼び
かける存在がいなくなる。

これは、中国にとっては望むところ。

チベットの声を何一つ聞くことなく弾圧できる。今、現に行ってい
ることをもっと遠慮なくできるようになるから。もっとも今だって
遠慮などしていないのだけれど。

たとえ、名目上であったとしても、チベットの代々続いてきたダラ
イ・ラマ制のままに次の権威を継承してゆくプロセスを蔑ろにして
はいけない。

権威は、権威から権威に継承されることによって保たれる。その流
れを途中で切断することは、時のながれと共に元の権威を失わせて
ゆく。

中国歴代王朝は王朝交代期に旧皇帝を排斥するにあたって、その位
を剥奪してただの平民にたたき落して時間をかけて権威を失わせて
いった。そういうやり方はお手のもの。

ダライ・ラマ14世は今回の争乱についても、「暴力に走ることは
自殺行為だ」として、チベット民衆に自制を呼びかけている。北京
五輪そのものについては支持を表明し、あくまで非暴力によるチベ
ットの自治獲得を目指している。とても現実的な考えであると同時
に、仏教の権威を守っている。

今ならまだ対話の余地がある。だけどダライ・ラマ14世没後には
、それすらなくなってしまっているかもしれない。

 

3.胡錦涛国家主席訪日の目的

今回起こっている抗議行動は、今までと違って同時多発の抗議デモ
。一番中共が恐れるパターン。

チベット、四川、青海、甘粛省だけでなく、内蒙古やウイグル自治
区でも同じようなデモが起こったら、鎮圧も大変になる。情報統制
にも限界がある。

今回のチベット抗議行動で、中国政府はダライ・ラマ派との「人民
戦争」だと声明を出した。人民戦争という文言は、日中戦争時の人
民解放軍のスローガンであった言葉で、これをダライ・ラマ派に対
して使うということは、徹底的に弾圧するぞと宣言したに等しい。

全人民の利益(実質は漢民族の利益)を守るという旗印に使われる人
民戦争を使った以上、狭義の意味においてダライ・ラマ派、広義の
意味においては、チベット族全てが人民の敵であり、人民の範疇で
はないと言っている。

中国領であるとしていた筈のチベットに対してこうした定義付けす
ることは、却ってチベットの独自性・独立性を認めていることを暴
露してる。

中国政府は武力鎮圧を一生懸命になって否定しているけれど、それ
だけ、海外からの非難に神経を尖らせている証拠。天安門の時の様
に人民を殺害する場面を放映させてしまう事だけは何があっても避
けなくてはいけない。むしろ、チベット族が暴れている姿だけを選
んで流して、情報操作を行っている。

いずれにせよ、このまま事態が収拾せずにズルズルいくと、天安門
の時のように国際社会からの孤立する可能性がある。目先では、北
京五輪(開会式)のボイコット。

天安門の時は、昭和天皇陛下の訪中によって国際圧力が緩和してい
ったけれど、北京五輪開催有無に関わらず、皇太子殿下または皇室
の訪中が重要な鍵を握ることは論を待たない。

また中国が日本に泣きついてくる可能性が高まった。おそらく皇太
子殿下のみならず今上陛下の訪中を横柄に要請してくるだろう。

これで胡錦涛総書記は、なにがなんでも訪日しなくちゃならなくな
った。しかも洞爺湖サミットの前に来ないと皇室のスケジュールも
組めないから必死だろう。

今回、胡錦涛総書記の訪日に際して、中国側は新たな日中共同宣言
を締結するよう求めているという。

どんな声明になるかは明らかではないけれど、2007年12月に
高村外相が胡錦涛総書記と会談した際、胡総書記の早期訪日の期待
を述べた上で、「台湾問題で、日本側は今後も日中共同声明で決ま
った原則を貫いていくつもりで、この立場が揺らぐことはない」と
強調したというから、台湾問題が議題にあがる可能性は十分ある。

とすると訪日の目的は大きくふたつ。

ひとつは、さっきも述べたように、今上陛下または皇太子殿下の訪
中約束の取り付け。もうひとつは、日中共同声明での台湾独立を支
持しないという明確な文言を入れさせること。

台湾の独立への動きと今回のチベット動乱と弾圧を見る限り、台湾
侵攻の可能性を考えておく必要がある。現に「台湾とただちに開戦
すべし」と書いた血判書を北京、南京両軍区の若手軍人らが相次い
で提出していたらしいことが報道されている。

ここは日本にとっても正念場。今までのように「台湾は中国の一部
とする中国政府の主張を理解し尊重する」という立場を堅持できな
いと、あとあと面倒なことになる。
 


4.ショー・ザ・フラッグ

今回の中国政府によるチベット弾圧が一向に改善されない場合、欧
米諸国と中国との対立はどんどん先鋭化していくだろう。そのとき
に世界から、日本はどちらの側なのか、というショー・ザ・フラッ
グが求められる。国の意思レベルとしての立場を問われる。

本当の意味において、人権というものを、人の命というものをあな
た方は理解しているのか、と。

たとえば、アメリカ側から昨今の日本を眺めたとすると、例のギョ
ーザ事件で明らかなように、BSEとはうってかわった甘い対応に
疑いの眼差しを向けられていてもおかしくない。

ゆえにこそ、今回のチベット弾圧に対するショー・ザ・フラッグは
とても重要な意味を持つ。人権意識は、自由主義的価値観の根幹を
成しているから。

これを徹底して守るという意思を示すことは内外に日本はれっきと
した自由主義国家なのだ、という宣言をすることになる。

だから、日本は自由主義国圏からも、世界からも注視されているこ
とを忘れてはいけない。そんなときに、胡錦涛総書記が訪日し、さ
らにはサミットまで行なわれようとしている。

日本は中国に対して明確に、チベット弾圧の即時停止の要求とダラ
イ・ラマとの対話を始めとしたチベット問題解決を要請すべきであ
るし、要求できないといけない。もしかしたら、そうすることで、
イコール台湾独立を日本が支持することにも直結するという思惑か
ら、なかなか言い難い事情があるのかもしれない。

だけど、それとこれとは次元が違う。現に、今、この瞬間にも人の
命が失われている。その現実を忘れて政治をする資格はない。

中国が、チベットその他の独立運動を武力を使ってでも弾圧して、
かつ北京五輪も成功させることがベストシナリオとして描いている
とするならば、胡錦涛総書記の訪日は物凄く重い意味を持つ。

訪日そのものを許すのかという問題もあるのだけれど、今の日本か
らは出すべきものは何もない。あってはならない。チベット弾圧を
辞めさせてから考えるべきこと。

中国はマイナスをゼロにしてやるから何か寄越せという外交がとて
もうまい。自分の懐を決して傷めないやり方をする。

今なら、ギョーザ事件の犯人を「第三国」から出してやるから、天
皇を訪中させろ、くらいは平気で言う。もしもそんなことになった
ら、日本も人権弾圧国家になる。そんな馬鹿な話はない。

おそらく、東シナ海ガス田は議題にもならない。すでに現時点で緊
急に解決する問題でなくなっている。既にプラントを建設している
中国にとっては特にそう。

日本ではまだまだギョーザ事件が記憶に新しい。福田総理が世論を
恐れて動かない場合、これらの問題は国民世論に委ねられることに
なる。「世論を恐れる」ということは、裏を返せば世論の後押しが
あれば動けるということだから。

外交における政府の無為無策は、国際社会と国内世論をダイレクト
に繋ぐ。

表だって批難らしい批難すらしない日本政府。だけど、世界からは
日本並びに日本国民の意識と民度と、何より人間としての価値を、
今や問われているのだと認識するべき。

幸か不幸か、政府の無為無策が、海外各国と日本国民と直結させて
いる。日本人ひとりひとりの意思が、北京五輪はもとより、中国共
産党政権そのものの命運を握っている。ボールは国民が持つことに
なった。

世界における日本という国のポジションを考えると、日本国民の意
識と意思は、世界を大きく動かす力を十分に持っているし、動かし
てみせないといけない。



5.北京五輪が失敗するとき

中国にとって、もしも五輪成功が第一に大切なものでない場合、そ
の扱いは変る。

中国政府が五輪ではなくて、政権維持を第一目的に置いていた場合
、特にまだ政権基盤が盤石でない胡錦涛総書記が自身の権力を揺る
ぎないものにしようとしたときには五輪ですら捨石になる。

中国共産党最高指導部は胡錦涛総書記含め全部で9名いて、そのう
ち上海閥は6人、北京閥は胡錦涛総書記を入れても3人しかいない
。中国共産党最高指導部にはまだまだ上海閥である江沢民の影響力
が強い。

もし、胡錦涛総書記が自身の権力基盤を強化しようと思ったら、上
海閥を追い落とさなければならないのだけど、一番手っ取り早いの
は、上海閥で最も力を持つ者を失脚させればいい。

中国共産党最高指導部として今回大抜擢されたのが、上海閥出身で
ポスト胡錦涛とも目される、習近平共産党政治局常務委員。

この習近平常務委員は先ごろ五輪指導責任者に就任している。

胡錦涛総書記の権力基盤強化という面から考えると、政敵を、いっ
たん北京五輪の責任者に据えてさえしまえば、その中止如何に関わ
らず簡単に失脚させることができる。

五輪が開催できたケースで考えてみると、運営の不手際を問えれば
いいから、ヤラセの事故かなにかを仕込めばいい。

たとえば、何人かの選手に事故に見せかけた、食中毒や怪我を負わ
せたりして、棄権させる。そしてその責任を取らせる形で失脚させ
るとかいくらでも手はある。

また、北京五輪が中止になった場合は無論、開催できなかった責任
を問えばいい。対外的にはその責任を諸外国に擦り付けるだろうけ
れど。

中国の最高指導者は、軍、人民解放軍をコントロールできなければ
権力を維持できないから、今後の権力基盤を考えると、チベットの
武力鎮圧を黙認して、軍の不満が高まらないように配慮するのは彼
らの論理からすれば当然ともいえる。

胡錦涛総書記は、チベット自治区党委書記を務めた1988年から
1992年までの間、チベット弾圧の徹底で党内の評価を上げた張
本人。なおのこと今回の事態で軍を静止するとは思えない。

中国にとって、チベットはどこまでいっても国内問題。外国がなん
と言おうとあくまでも国内論理で動く。

だから、中国にとって、政権維持がオリンピックの成功より上位に
くる場合は、五輪ボイコット自体は殆どダメージにならない。

たとえ、五輪中止による中国のイメージダウンの影響で、国内経済
が停滞あるいは急降下したとしても、もともと加熱しすぎてコント
ロール不可能だったものを冷やすことができて丁度いいくらいに考
えているかもしれない。人民の不満は、五輪を開催させなかった諸
外国のせいで経済が停滞したのだ、と言って責任転換すればいい。

その裏には、世界は中国なしでは成り立たないのだ、という読みが
隠れてる。

だから、先進諸国がこの問題で中国を非難したとしても、一時のこ
とでやがて戻って来ざるを得ないのだ、と多寡を括ってる。そして
その読みは相当程度当たってる。

EUもアメリカも非難声明は出すけれど、五輪全体のボイコットま
で踏み込んでいない。開会式のボイコットにとどまっている。中国
と完全な敵対は避けている。

だけど、もっと大切な視点がある。それは、この問題の奥底に「命
」と「金」を天秤に掛けている考えがあるということ。

中国が、たとえ世界が一時的に自分と距離をおいたとしても、いず
れは自分のところに戻ってくるだろうと考える根底には、中国と付
き合うことによる経済的見返りには勝てないだろうという考えがあ
る。

いくら人権弾圧だとうたっていても食うに困れば、中国に頼らざる
を得ないのだ、として人の命なんかいくらでも金で取り戻せると思
っている。だから平気でいられる。

「命」と「金」を天秤に掛ける考えそのものについては、中国だけ
でなく、日本や諸外国にもおそらく自省すべき点はあるのだろうと
は思う。だけど、それを克服しようという意思があるかないかで未
来は大きく変わる。

未来をより良くしたいという意思は、未来を確かに変える。

だから、日本は現在および将来にわたってどのような国として世界
の中で生きてゆくのかという選択と中国といかに付き合っていくか
、または付き合わないのかを考える岐路に来ているといっていい。

私たちは、日本、ひいては世界の未来をかけた分水嶺に今立ってい
る。

繰り返しになるけれど、中国のチベット弾圧を絶対に許してはいけ
ない。金に目がくらんで未来を捨ててはいけない。

過去を振り返れば、戦争であるとか、植民地政策であるとか、悲し
いことは沢山あった。それらの反省があってこそ、今の世界がある
。彼らの命と涙と希望の上に今の世界が成り立っていることを忘れ
てはいけない。

ダライ・ラマ14世存命の今ならまだ対話の余地がある。たとえ望
み薄であったとしても、諸外国と連携してチベット弾圧を辞めさせ
、平和的解決を模索すべき。

日本の、世界の未来への切符は、私たちの手の中にある。

 
(了)



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