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おんちコーナー


 山縣君を囲む会(H15/9/26)   近況(H15/1/20)  OB会(H12.12.14)  近 況  コーヒーブレイク  獨協大学文化祭(H11)  ♪30th Anniversary♪  仲間へのリンク  お便りコーナー
「山縣君を囲む会」という名目で御徒町の「京町家」へ10人が集まりました。

参加者は Y(旧姓YS)、K(旧姓SK)、RS、TH、AN、KH、TK、TY、MT、HO(時計回りに座った順)席順を憶えているくらいだから、お互いが見えていい集りだった。
「山縣君ご苦労さん」と乾杯をして、ここで名目は終わり。
なんといまはAN君の会社にいるのだという。山縣君はいままでも、やめた何人かの部下をAN君の会社に紹介していたのは知っていたが、最後は自分を紹介したというわけだ。
話題はなんといっても「健康」だった。
私の前はYSだったので、Y君が亡くなったときのことを聞いた
。Y君はアメリカが好きだったのでロス(?)の近くへすこし分骨して残っている骨を、あのつまらない骨壷から気に入った壷に入れ替え居間に置いているという。
そのうち海やどこかいいところがあったらばら撒こうと思うという。いわゆる墓には入れてないそうだ。
「ああ、それはいいね」と私は答えた。
YSはY君を愛していたんだな、いい夫婦だったのだろうと感じた。
彼女自身は乳癌を手術して以来、健康に気を配っているという。女にとって胸を取るのは死ぬよりもショックだと言ってたが私にはやっぱり実感が湧かなかった。YS君ごめんね。
TKは現役の時に初めて開いたコンサートが私の青春そのものだったという。
いまでもあれしかない、というようなことを言っていた。そうだろう、あれは見ていても面白かった。やられたと思った。あれは完全に学生の学芸会そのものだったから。
みんな素人だから「素人が演じるなら学芸会!」というねらいが良かったのだ。学芸会路線に演出したO君の才能はたいしたものだと思った。たぶんTY君の年代、O君の年代、TK君の年代にとっても大学時代の思い出はあの学芸会に尽きるだろうと思う。
そういう思い出を持てるOBはいいなぁと羨ましいかぎりです。
そういう私は大学祭をたっぷり楽しんだのだった。
私がクラブを作ったきっかけは「大学祭に参加しよう、大学祭を楽しもう」ということだった。
私の年代はすべてを大学祭という目標にむかって活動していた。私は「焼きそば」作って「たこ焼き」焼いて着物を着て「走れコータロー」を絶叫してあのお祭り騒ぎは本当に楽しかった。
当初の目的は実行できたからこれで良しとしておこう。

ところで「京町家」という居酒屋は個室で野菜を中心としたあっさり料理を出す店だが私の席の回りはこの店を気に入ってくれた。
7〜9時半までこの店にいて、二次会に移ったのだがこのとき驚いたことに、みなは3階の居酒屋よりも2階の喫茶店「ルノアール」を選んだ。
ここに11時の閉店までいて、閉店とともに解散した。

みんなそういう年齢になったということだ。帰りは御徒町へ出る者と上野へ出る者で「またね!」と二手に分かれた。
今回のメンバーでは、上野はわりに集りやすい場所だと感じた。

さて、ここであらためてOB会のこと。このメーリングリストにもっと参加してもらいたいということ。
例えば今回参加したSK君とMT君はメーリングリストに入ってない。でもMT君はアドレスを持っているという。すぐにアドレスを教えなさい。
SK君は子供がPCをいじるという。だったらさっさとアドレスを取って教えなさい。
多分こういう人がほとんどだろう。
いまさら家にパソコンがないという人はめずらしいだろう。パソコンがあるのなら、さっさと教えてほしい。
ネットで発言するのは大変でも、開いて読んでいるだけでもいいから。そうすれば、みながなにをしているか毎日わかるじゃないか。
お互い顔を知っているから、会わなくてもなんとなくそばにいられる。発言しなくてもいいから雰囲気を味わってほしい。
これがメーリングリストの良さだ。
この良さをみなで楽しんでほしいからメーリングリストを開設したんだ。だからみなさん、あらためて自分の知っているOBに声をかけてください。
アドレスを教えてください。そうしたら、バンバン登録するから。

バンバン登録しても、発言者はかぎられてしまうことも分かっています。だからひとつだけ約束をつくりたい。
それは普段は「見るだけ」でいいけど、年に1回だけ挨拶すること。これは普段見られている人へのエチケットなんです。
ここで「見てるだけ」側の人へ「しゃべる側」へ移動するヒント。
1)キーボードに慣れてください。
  慣れるには、同じ文を何度もつかうこと。
  「おはよう、こんにちは、元気です」はじめはこれだけでいいから。
  そのうち指がタッチの場所を覚えてくれます。そのためには、かならず両手打ち(10本指)で打つこと。絶対に「人差し指だけ」は駄目ですよ。
2)手紙を書こうとしないこと
  電話のやりとり「はい」「いいえ」「わかった」「行きます」「残念だけど都合つかない」という感覚でかまわない。
いわゆる「ひとこと参加」で十分です。
一言でも参加していれば、そのうちだんだん書くようになってきます。

それと、TY君のように携帯電話とパソコンの両方を登録するのもいいです。「パソコンは見るだけ」「ひとこと発言は携帯から」これもOKです。とにかく参加してください。
話がそれたけれど、そういうことです。
ここでメンバー拡大キャンペーンをかけてください。
とはいうものの、メーリングリストは最大50人が限度です。この人数が顔の見える限界人数です。
例えば私はM君やI君とは大学で会ってない年代です。でも顔は知っているから、メーリングリストに入ってもらっても分かります。
でもそれからさらに下にひろがると顔が見えなくなり、見えなくなるとみんなの発言が減るのです。
だからこのメーリングリストを縦方向に広げようとは思わない。その代わり、下の年代のOBはまたそこでメーリングリストを作ればいいでしょう。
下の年代を知っている人はダブって参加すればいいでしょう。そうすることで、縦のクサリもできますから。
つまり、TK君あたりがひとつ下のメーリングリストを立ち上げるといい。
そこで、わがOB会の中で一番若いTK君、下への「つなぎ」をやってくれませんか
メーリングリストの作り方はいくらでも教えます。
いくら作ってもタダなのがいいよね。

なぜそんなにOBネットを拡大したいのか。
それは私たちがOBだから。OBは現役のクラブがあって成立するものだから。幻のクラブのOB会じゃさみしいから。
そのために現役を支援したいから。

いまはもう創立から30年以上過ぎたはず。すくなく見積もって毎年5人のOBがいるとしても150人はいるはず。
この150人が毎年1000円カンパすると15万円の寄付ができるはず。現実にこんなに集まるはずはないし、毎年こんなにたくさん寄付したら学生が甘えるだけだとも思う。でも主旨はこういうことです。
「支援はするが口は出さない」というカッコイイOB会を作りたい。
それとともに私は個人的に K、I、H、A、U、Iなどの声が聞きたいです。
彼らをさがして、メーリングリストへ参加してもらいたい。

それとは別に、この「Singing-OB会」以外で個人的にメーリングリストを作りたい方、いくらでも立ち上げ方をお教えします。ご遠慮なくどうぞ。

私はいま、地元のテニス仲間、この「Singing-OB会」、中学クラス会と、3つのメーリングリストを立ち上げています。
参加しているのは社会保険労務士仲間のものが2つ。
ある研修を通して出来上がったのが2つ。現在、1年間の研修期間中で、レポートをやりとりしているものが1つです。
つまり、私にとってメーリングリストは仲間と趣味と生活と仕事の一部分です。
この中ではテニス仲間が一番活発にやっています。現在20人です。毎週顔を合わせながら、あの時のゲームはどうだった、サーブはこうすればいい、などと話がつきません。
すると参加しなかった人がぜひ次回は行こうという気になります。とても楽しく機能しています。

はい、ながながと、ダラダラと、文体もそろえず失礼しました。
それではTK君と皆さん、仲間拡大キャンペーンをよろしく!

クラブ創設者の一人、HOより

□ 平成12年12月14日、ランタンでSingingOB会を開催。
 6時半開会予定だったが、この時集まっていたのは佐竹君のみ。しかし、彼は皆が集まる8時頃には帰途に着かなければならなかった。
宮古にいる久保田君の海の幸のプレゼントに舌鼓を打ちながら、昔の話題に花を咲かせ、終電ギリギリまで楽しんだ。
事前にハガキで案内状を30枚程発送しました(もちろん地方の人にも)が、3分の1の10名が参加してくれ上々です。
特筆すべき話題としては
「一人100万ぐらい出せば銀座で店を出せる」「店の名前ほもちろん『シンギング』」ここで、勝手に好きな歌をうたって酒でも飲み、我々団塊の世代が集まれる場所にしましょう。というものでした。
どうでしょうかこの構想は?
左から、渡辺・山縣・金子・平石・橋本・小川・根本・竹下・長塚


□ 当OB会の連絡係り(山縣・橋本)から近況が届きました。H14末、東銀座で忘年会が開催された時の模様です。

■ 品田さん 同期が来ないかな〜、吉田とか文ちゃんは?帰りに竹下さんに何か仕事を依頼しようかなー。
■ 川波さん 同期の昌子ちゃんとかが来ないんですね〜。いつだかランタンに行った時貸切で入れませんでしたヨ!次回は土曜日当りにスインギングがランタンを貸し切って昔の歌を唄いたいですね。
■ 速水さん 先日60人くらいを連れてソウルに行ってきたよ。中国には仕事で100回くらい行った。今度は済州島に行きたいね〜。
■ 平石さん 今日は女性の参加が少ないので、近くに来ている女房を呼ぶから、宜しく。年2回は家族でラスベガスに行っている。帰りに竹下と子供時代の事でも話すか、彼も小学・中学はは同じ広島だったから。
■ 吉田さん (電話)近くの新橋駅前で接待中の為参加できません。4人くらいで会社を興して数年立ちました。子供は3人です。上は既に働いており、次が大学生、下が高校に入学しました。仕事は外国の家庭用品を輸入する代理店です。フィンランドやドイツに出張することもあります。今、大変に苦労していると皆さんに伝えて下さい。
■ 石黒さん (メール)OBが近くに沢山いるとすぐに集まれていいですね〜。仕事面は1月から薬品部に出向ですよ。「脳みそ若返り法」を送りましたから皆さん参考にして下さい。
■ 山縣さん 仕事面ではこの5年間異動が続いており、いまや支店を牛若丸のように転勤しています。今日は新橋の支店から徒歩で来ました。足腰を鍛えるため、昼は立食そば、夜は立呑みのこの頃です。
■ 竹下さん 仕事は検査部門に異動となり、茨城の工場にも社内検査に行きます。最近やっとメール機能付きの携帯に機種変更しましたが、皆さんの所へ発信するのには少々時間がかかりそうです。
■ 渡辺さん (電話)本日の事は我が家へのファックス連絡らしいけど見てないよー。今日は新橋の近くで接待!9時に終わったら連絡するから。(・・・10時になっても連絡無し)
■ 河合さん 息子も二十七、八になりました。若い人はメールを楽しんでいるけど、私はついていけません。
■ 橋本さん 今、派遣会社に勤務しています。もう〜仕事が楽しくて、しょっちゅう獨協大学に行って仕事の斡旋をしています。先日行った時に食堂で写真を撮ってきました。これが最近の独協ランチです、皆さん!
■ 佐竹さん (メール)仕事で行けません。マア〜、なんとかやっています。K君に今度呑みに行こうと伝えておいてください。
■ 岩崎さん 本日は当デニーズをご利用いただきまことにありがとうございます。この東銀座店は最近出来たばかりなんです。ワインやオードブルを差し入れさせていただきます。
■ 昇平さん 独協高校時代からの知り合いがこのクラブに多くて、半分このクラブの人間のようなものです。いつもオブザーバーとして参加させてもらい昔話をさせてもらっています。最近女房と娘が喧嘩してしまい、孫の顔が見られないのが寂しいです。
■ 山田さん 昇平さんのお伴で参加させてもらっています。若い頃はOBの方々にお世話になりました。それにしてもこの方々が昔歌を唄っていたとはとても信じられません。特に、KHさんやTHさん達が・・・。
■ 高木さん 12月15日に現役のコンサートを見に突然上京しました。諏訪に出している店の売上が少ないので畳もうか思案中です。当日は息子達も連れてきました。(現役のコンサートを見学した後、新宿で数人のOBと昔話。夜9時の列車で帰る予定がその夜はホテル泊まりとなりました。硬派でならした高木さんの息子の耳にはピアスが光っておりました。相変わらず元気の様です)

◎ (近況編集後記)この種の集まりには常連参加のはずが、何故か今回は欠席の人が約1名いた事に気づいた人はありますか。彼は前日に集合場所を下見して、当日は他で呑んでいたそうです。私も若い頃、誰かさんの結婚式に間違えて前日に行ってしまい、翌日は何食わぬ顔で列席した事があります。やはり若返り法を実施する必要がありそうです。最近は暑気払と称して夏にも集まっております。参加しようと思ってもからだが言う事をきかない時がいずれ来ますよ。元気な内に参加してみましょう。では、さよなら!


□ 山縣敏男さん

■ (02/10/01) 新橋支店に転勤になりました。
■ (02/02/20) 一年前から横浜まで通勤しております。この地の人達と接して感じた事ですが、私は今まで日本人を都会人と地方の人、と漠然と2種類に分けていたのですが、ここでその中間の人種がいる事に気がつかされました。
■ 特徴は、おじさんやおばさん達が皆気が若く、いろいろな事を良く勉強している事です。これは、ここが港街であるため、常に外国の風を受けているためと思われ、神戸なども同じなんでしょうかね。
■ 東京と比較して、街も人間も若いと感じましたが、常に東京を意識していることは確かですね。思い出の外国船の地は素敵ですよ! 
■ (99/12/10)「投信」って知っていますか。銀行預金はダメ。土地投資もダメ。こんな世の中になって久しくなりますが,投資信託の扱い高では伸び率最高の丸宏大華証券に勤務している、山縣さんが獨協大学の本拠地草加支店から千住支店に転勤になりました。と言っても、草加支店兼務ですので超多忙な毎日には変わりは無いとの事。
■ お金が余っている方は是非とも彼に相談してみてください。

□ 吉田俊仁さん (00/12/20)
■ 卒業以来勤務した潟Iカノアソシエイツの和議が00/2/16に成立した後、潟Iレンジハウスの取締役経営企画部長として00/08末迄勤めました。
■ その後、「残りの人生を自分自身にかけてみたい」との気持ちから、新会社 Park Lane Company を設立し、再出発したところです。
■ 連絡先:パークレーン梶@ 東京都文京区千石4-37-20。
               Tel:03-3946-4488  Emai:syohinbu@park-ane.co.jp

□ 大木孝夫さん

■ (00/10/10)  大学卒業以来30年間も勤めた千代田生命保険相互会社が、更正特例法の申請を行ない、大変な事態になりました。
■ ある程度予想された事とは言え、金融再編の激動の中、企業努力も実らないことがあるのかと空しくなります。ただ、生真面目な本人は飽くまでもお客様のことを心配し、最後の最後まで今の職場で頑張り通すとの力強い覚悟のようです。影ながら応援します。
■  (00/04/01) 千代田生命のダンディ、大木さんをご存知ですか。
彼は、昨年4月に北海道の千歳営業所に転勤していましたが、所長としての任務を無事終え、今年の4月からは新宿の営業所長として東京に戻ってきました。えらくなると異動も早いのですネ。
■ 小渕前総理もそうですが、若くして突然倒れるケースが増えています。働き盛りの我々としては、自分の価値を十分に把握し、万が一の備えに是非とも自分に適した保険に加入すべきです。是非一度大木さんに相談してみてください。
□ 山田 昇さん (00/09/23)
■ 突然の訃報です。出張中、東京のホテルで心筋梗塞による突然死だそうです。衷心よりお悔やみ申し上げます。
■ 最近は土浦駅前に本拠を移し、コンサルタントとして大活躍をしていたのに残念です。9/24に行なわれたお通夜には、山縣、速見、吉田、品田、間の各氏が出席してくれました。

□ 福沢恵介さん (00/06/15)
■ 「生まれてはじめての入院生活をして、点滴のお世話になりました。」との事、お互い体に気をつけましょう。 と、言ってもこんなに活躍しているのだから無理か。
■ 《ステージレストラン ファミリー・トゥリー》をオープン。
  札幌市中央区南5条西2丁目サイバーシティビル12F
    TEL:011-518-7301 FAX:011-518-7302 HP:http://www.familytree.co.jp/
  営業時間 午後5時30分〜深夜2時(日祭日も営業)
■ HBCラジオの「福沢恵介の今夜も貴方とLive&Talk」が200回放送を数え5年目に入りました。 毎週土曜日夜10時からの30分間。1287KHzで聞いてください。
■ 北海道放送(HBCラジオ)「世代断絶バラエティー日曜YAH!YAH!YAH!」毎週日曜正午12:00〜18:00に放送。
■ 8月に野口雨情が作品を書いた常宿の群馬県、伊香保温泉の森秋旅館でコンサートがあります。 「七つの子・シャボン玉」、「船頭小唄」など、去年に続き野口雨情を唄う2回目のコンサートです。
■ 北海道新聞の夕刊のコラム「プラネタリウム」に執筆しています。1回目は5月31日の夕刊に載りました。 2回目は7月上旬の予定です。
Singing Club in 文化祭 (H11/11)
     
11月1日(月)〜3日(水) 4棟の1階
打ち上げ:11月3日(水) 松原団地駅東口
19時30分
日常の活動日時
水・土
場  所
3棟 210 209
高木・川合・間・福沢

♪Singing Club 30th Anniversary♪

日時:平成11年9月23日(木)
      PM2:00〜6:00(秋分の日で休日)
場所:獨協大学 中央棟10Fホールにて
幹事:山縣敏男 品田良二  小川武志 長塚秀博
   伊藤友乃 大作富士夫 竹谷毅  木村 光男
   鈴木 浩 住谷 満  高橋裕明 三枝直樹
30th Anniversary に参加された皆様方の感想・写真等をを募集しております。
このHPは、Singing Clubに関わった事のある皆様の交流の場として発展させてゆきたいと思っております。
よろしくお願い致します。

さっそく鈴木くんから写真がよせられました。
10枚よせられたうち、取敢えず2枚を掲載させていただきました。
エピソードも含め、さらに送られてくると思います。

Singing Club 30th Anniversaryには残念ながら 時間の都合がつかず 参加できませんでした。
きっと楽しく盛り上がった事と思います。

私のその分は ちょっと貴重なCDを手に入れ 車の中で歌ってました。
当時のフォークのもので Singing Clubでは歌われていたけど それほど ラジオからは流れなかった曲が、かなり入ったものです。
たとえば
 「今日も夢見る」を歌っていたのは? → 万里村レイとザ・タイム・セラーズ
 「朝焼けの中に」          → モダン・フォーク・フォローズ
 「おはなし」
 「青い世界」これなんて 山縣さんも実際ものもを聞いた事ないとか
その中に「女風呂の唄」南雲修治ってあったけど 彼は 獨協じゃないでしたかね。(石黒)

 台風18号が過ぎ、秋とは言うもののかなり暑い1日でした。
私が通学していた30年前とは全く違った東武松原団地駅を下りると、駅前は、ロータリー整備のために工事中でした。
団地の中を通りぬけ、大学前の道路に出ると、昔と変わらぬ光景が広がりました。すっかり大きくなった樹木の向こうには、広いグラウンドの姿は見えませんでしたが、クラブ活動の活発な掛け声が聞こえました。
懐かしさがいっぺんにひろがりました。
正門前に立ち、校舎全体を見渡すと、中央にそびえる10階建ての本部棟を除き、左右に広がる1号館・4号館は、昔の学舎そのままでした。
校内は、7月24日からちょうど2ヶ月間の夏休みの最終日で、ひっそりと静まり返って居ました。

中央棟10階の会場にエレベーターで昇ると、懐かしい皆様の顔がすぐに目に飛び込んできました。現役も含め、約100人程が参加していたでしょうか。勿論、赤ちゃんを連れての参加者もいたことは言うまでもありません。

会は、8ブロックに分かれ、卒業年次の古い順(つまり年寄り世代)から順次、簡単なスピーチ・メンバー紹介等を交え、次々と演奏を進めてゆきました。
1・2ブロックとそれ以後のブロックでの違いは、ボーカルの声が聞こえるか否かのような気がしました。つまり、昭和55年以前のOB達には、楽器らしい楽器も無く、Singing・SingOutらしい雰囲気が感じられましたが、それ以降のブロックでは、ドラムスを中心とした演奏の音が完全にボーカルの声に勝っていました。
それにしても、1999年−1968年=31年間も良くぞ続いてくれた「愛好会」ヨ!! 歴史の重みにただただ感動して、大学を後にしました。(根本)
TEA TIME  No.19      平成15年2月23日
                      
「春のにがみ」

  正月の頃からくらべるとだいぶ日が伸びて、あちこちでムンムン春の気配を感じるようになりました。

  近ごろわが家の食卓には菜の花が登場するようになりました。これは私の大好物です。今ごろになると私が「食べたいぞ、毎日食べたいぞ!」と騒いで食卓への登場をねだります。

  でも困ったことに最近スーパーで売っている菜の花はいくら食べても苦くない。菜の花は、あの苦さがあるから菜の花なのだと思うので、口の中でほのか
な甘みしか伝わってこないとがっかりします。いつのまにか野菜は独特のにおいや舌を刺激する味がなくなっていますが、菜の花もこの運命にあるように思えます。

  菜の花は、さっとゆがいてからカラシ醤油で和え、その上にオカカとモミ海苔をかけるのが私の食べかたです。苦みが少ない分、仕方なくカラシを強くし
ています。

  ところが先日のこと、ほんのりと苦みを感じる菜の花に出遭いました。まだあるんだ、と大感激でした。これはスーパーで買ったのではなく、生協へ注文
したものだそうです。息子はまだこういう野菜が苦手なので、息子の分は喜んで私が引き受けました。 そう、「菜の花のカラシ和え」はやっぱり酒の肴です。

  春の野菜では他にも薄いコロモで揚げたフキノトウの天婦羅も大好きです。
口に入れたとき、熱さとともにジーンとひろがるやわらかな苦みが何ともいえません。土の中からちょこんと顔を出したフキノトウの姿が目に浮かんで、春
のおとずれを感じます。タケノコの苦さもまた、春の勢いを感じさせてくれて嬉しくなります。

  どうして春は苦さを売り物にする野菜が多いのだろうか、どうして苦さはおいしいのだろうか。などと思っているうち、菜の花もフキノトウもタケノコも
春だけの食べ物で、今どきめずらしく季節を感じさせる数少ない野菜なのだと気がつきました。 

 毎年いまごろになると、フキノトウはまだか、そろそろ菜の花が出る頃だ、と心がさわぎます。それらの品が店頭に顔を出すと、ソレッと飛びつき、春を
楽しんでいます。

  季節を感じさせる野菜が少なくなった中で、これらの野菜はこれからも春だけに出てほしい、にがみを持ち続けてほしいと願います。

コーヒーブレイク  No.14
      平成15年4月4日       社会保険労務士 奥田事務所 

= 退職後の「国民健康保険」と「健康保険の任意継続被保険者」=

1. 国民健康保険

退職後は原則として国民健康保険(国保)に加入することになります。保険料額は「市町村ごとに決められている式」で計算されます。
つまり保険料は市町村ごとにちがいます。国保の保険料がいくらになるかは市役所等の国民健康保険課に前年度の収入と家族構成を言えば教えてくれると思います。
国民健康保険証は1世帯に1枚が原則です。

2. 健康保険の任意継続

国保に加入するのとは別に、健康保険の退職者を対象とした「任意継続被保険者(任継)」になる方法があります。
ただし、退職から2年間です。

会社に在籍している間、健康保険の保険料は会社側と本人が半分づつ負担していますが、退職者を対象とした任継は会社からの負担がなくなって全額を本人が支払うことになり、健康保険料は原則としていままでの倍になります。
こちらもいちがいに高いとは言えないので検討する必要があります。

3. 任継の保険料(どちらか低いほう)

1)健康保険組合の場合
保険料は勤めていたときの倍になりますが、全社員の平均給与と当人が得ていた給与との、どちらか低い方の額を基準にして算出されます。
 具体的な保険料は健康保険組合が教えてくれます。

2)政府管掌健保の場合
30万円と退職前給与とのどちらか低い方を基準に算出されます。
 組合健康保険と同じように算定基準に天井が設定されています。また、任意継続は被扶養者がみとめられます。

4.国保と任意継続の比較をする

 国保と任継の保険料を問い合わせて比べてください。そして低いほうを選んでください。
ただし、任意継続を選んだ場合でも有効期間は2年ですから、それ以降は国保に加入することになります。

5.任意継続の存在意義

 国保は「当人の前年度の収入を算定要素にする」ので、退職前給与が高額だった場合、国保の保険料はかなり高いものになってしまいます。
でも任意継続は保険料に天井があるので、高額だった人も比較的低い保険料で加入できます。
 定年退職者の場合、以後年金生活に入りますと収入は減りますので1〜2年後に国保へ移ってもいきなり高い保険料を請求されることがなくなります。
 このように任意継続は国保へゆるやかに移る手段として設定されています。

6・任意継続の注意点

 1)健康保険の傷病手当金を受けている人
  傷病手当金は標準報酬(ほぼ給与額)の60%が支給されます。このとき退職して任意継続に加入し、健康保険料のクラスが低くなった場合は、以後の手当金のクラスも低くなってしまいます。
例えば、退職前の給与が60万円だった人の傷病手当金額は36万円でしたが、任意継続に加入して給与が30万円クラスに下がりますと傷病手当金額は18万円になってしまいます。
任意継続はこのように傷病手当金の額に関連することをくれぐれもご注意ください。

 2)任意継続の手続は退職後20日以内
  任意継続を選んだ場合は退職後20日以内が手続の期限です。これに遅れると加入できませんので充分にご注意ください。


問合せ先
国民健康保険  :自分の住んでいる区役所、市役所、役場の国民健康保険担当課
健康保険    :勤めていた会社を管轄する社会保険事務所
組合健康保険  :勤めていた会社が加入している健康保険組合

コーヒーブレイク  No.13
      平成15年2月21日       社会保険労務士 奥田事務所 

= 企 業 秘 密 漏 洩 に 刑 事 罰 導 入 =

今回は新聞記事の抜粋です  (日本経済新聞 H15.02.15 「お茶の間法律相談」より)
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経済産業省は社員が秘密情報を漏らした場合に、最長で3年以下の懲役や罰金などの刑事罰を導入する「不正競争防止法」の改正案を今国会へ提出する。

「不正競争防止法」とは他社の物まね行為などを規制し、事業者間の公正な競争の確保を目指す法律。
例えば、[ディズニー]などの名称を勝手に使ったり、オーストラリア産牛肉を熊本産と偽って販売するなどの行為を規制する。

権利を侵されたら民事上の差し止め請求や損害賠償請求などの手段を使って不正行為を止めさせることができる。食品の産地偽装など犯罪性の高い不正行為には刑事罰が適用される。
  → 3年以下の懲役または300万円以下(個人の場合)の罰金(法人に対する罰金は3億円以下)
どんな情報を社外へ漏らすと「犯罪」になるのか
  企業秘密の漏洩に対する規制
   規制対象(現在):企業秘密を窃盗や詐欺、脅迫などの不正手段で入手して使ったり、特定の者へ示したりする行為。
   これらは現行では損害賠償請求など民事上の手段でしか責任を問えない。現在は刑事罰の対象になっていない
   例えば、社員が設計図などモノ(有体物)を他に横流しした場合は、刑法の窃盗罪が適用できるが、企業秘密を写真に撮ったり、内容を憶えて他社へ伝えても刑事責任は問えない
   米、独、仏、韓、中国などは無体物としての情報(⇒営業秘密など)を漏らす行為にも刑事罰が適用されているが、日本はまだ適用されてないのでこの方向で法改正しようとしている。
それでは社員が会社を辞めるまで覚えた情報を漏らせなくなると、その社員は同業他社へ就職できなくなるか?
   経済産業省は、元社員が在職中に通常の勤務の中で正当に得た情報を退職後に利用しても、刑事罰の対象にはしない方針。
   例えば、営業職の元社員が同業他社へ再就職し、前の会社で担当していた顧客へ営業活動をしても処罰の対象にはならないようにする。
処罰の対象
 1) 企業秘密へのアクセス権がないにもかかわらず、在職中にその秘密を入手する
 2) 退職する間際に秘密書類を自宅に持ち出す
  そしてこれらを退職後に利用するなど、不正が明らかな場合にしぼる。
不正な情報漏洩の範囲
   競合他社を利用することを目的とする場合とする
企業不祥事における内部告発との関係
   企業不祥事など反社会的な情報は企業秘密に該当しない、という見解

コーヒーブレイク  No.10
      平成14年9月28日

                     社会保険労務士 奥田事務所

= 雇用保険料の引上げ =

給与計算担当の方【来月から新しい雇用保険料率で控除することにご注意ください】
職安のパンフで「雇用保険料率はいままで1000分の15.5でしたが、平成14年10月から 1000分の2引き上げられます。これを会社側と従業員がそれぞれ1000分の1づつ負担します。」と言われて「そうなんですか」とうなづいてはみたものの、実感としてピーンと来るでしょうか。
そこで、このように言い換えたらどうでしょう。
いままで雇用保険料は給料1000円につき15.5円徴収されていましたが、今後は1000 円について2円アップします。アップ分は会社側と従業員がそれぞれ1円づつ余計に負担することになりました。
【もっと実感するため、月給20万円の人、30万円の人について試算します】
                    会社負担       従業員負担
月額 20万円      いままで    1900円        1200円
              10月から    2100円        1400円
月額 30万円      いままで    2850円        1800円
               10月から    3150円        2100円

10月から、月給20万円の人は200円、30万円の人は300円多く控除されることになります。

【雇用保険料は会社側と従業員で折半ではない?】
はじめに「会社側と従業員が1000円につきそれぞれ1円づつ余計に負担」すると言いましたが、実際には会社負担の方が多いのです。
その理由は、失業保険部分は折半ですが、会社側はこの他にまた1000円について3.5円を「雇用三事業分」として徴収されているからです。
これが雇用安定事業、能力開発事業、雇用福祉事業の原資になっています。これらは雇用保険から支給される助成金や、失業者の職業訓練などを行うために使われています。

それにしても、年度途中で料率を上げること自体とても異常です。つまり厚生労働省はここまで切羽詰るほど失業保険の原資が枯れているのです。
今回上げてもまだ足りないので、来年4月に法改正をして、さらにまた引上げることが予定されています。
実際のところ、どこの職安に行ってもたくさんの求職者があふれています。これではいくら保険料を集めても足りないだろうと思います。いまの時期は仕事に就いていること自体が幸せなのかも知れない、と感じてしまうほどです。


コーヒーブレイク  No.7     平成14年6月27日

                     社会保険労務士 奥田事務所

= 60歳からもらおう厚生年金 =

つい最近、厚生労働省は2003年度から50歳以上の希望者には年金見込み額を試算すると発表しました。これまでは58歳からだったので、だいぶ早まりました。私も来年は社会保険事務所で見込額を聞いてこようと思います。
ところで、よくこんなことをお聞きします。
「年金は60歳からもらうと金額が減るから、65歳まで待って今はまだ手続しません。」
いいえそんなことはありません。60歳からしっかりもらってください。そうしないと損しますよ。なぜなら厚生年金は60歳からもらう年金と、65歳からもらう年金は別の年金でして、この二つはつながってないのですから。
60歳からもらう年金は(特別支給の老齢厚生年金)という長ったらしい名前です。
65歳からもらう年金は(老齢厚生年金)といい、それぞれ別の年金です。
したがいまして、60歳からの年金(特別支給の老齢厚生年金)をもらおうがもらうまいが、65歳からの(老齢厚生年金)にはまったく関係ないのです。
ではなぜ「年金は60歳からもらうと金額が減る」と思われているのでしょうか。
それは国民年金がそのとおりで「60歳からもらうと金額が減る」からです。

年金には厚生年金と国民年金があります。おおざっぱに言えばサラリーマンは厚生年金に加入しており、サラリーマン以外の人、たとえば自営業の人や専業主婦の方は国民年金に加入しています。
厚生年金に加入していたサラリーマンは60歳から年金が出ますから、すぐこれをもらってください。でも国民年金だけに加入していた方は65歳までお待ちください。「60歳からもらうと金額が減りますから」

国民年金は本来65歳から支給されます。でも65歳までは待てないという人のために例外的に60歳から支給する制度があります。これを【繰上げ支給】と言います。
国民年金を60歳からもらおうとするとどうなるでしょうか、この場合は年金額が減額されて、本来もらう額の【70%】になってしまいます。そこで今、これだけ寿命が延びますと「いつ死ぬかわからないから、早いうちからもらっておこう」という考え方はもはや得策とは言えないのです。

ここであらためて確認
【厚生年金の方、まよわず60歳からもらいましょう】
 ※ ただし60歳でもらうのは60歳で退職した場合です。
  60歳以後も働いているとそれぞれの状況によって全額停止、部分停止、全額支給になります。

【国民年金の方、65歳まで待った方がいいでしょう】


コーヒーブレイク      (平成14年2月20日)     = 幸運のイーゲル =

先日、友人とふたりで、それぞれ小さい箱に入ったバレンタインチョコをもらいました。中にハリネズミのチョコがひとつ入っていて「幸運のイーゲル (DER GLUECKLICHE IGEL)」というタイトルといっしょに次の説明がありました。

「イーゲルはドイツ語でハリネズミの意味。ヨーロッパではイーゲルにあうと、幸運をつかむという言い伝えがあります。」ああそうだったのか、と思い当たることがあります。
20年前、ドイツの小さな町に暮らしていたとき、職場の仲間であるドイツ人から招かれて彼の家へ遊びに行きました。
ビールをご馳走になって同僚と歓談していたとき、その家の息子が庭から息を切らして「イーゲルだ!イーゲルだ!」と叫びながら家に飛び込んできたのです。
すると、その家の家族全員がいっせいにゴソゴソと庭へ出て行きます。「イーゲルってなに?」と聞くと「イーゲルはほれ、イーゲルだ」と言って一緒に見ろといいます。たしかに見たほうが早いだろうと思って、かれらと一緒に芝生の庭へ出ました。
息子が指さす庭のすみにいたのはかわいいハリネズミでした。ちょうどカメの甲羅にハリをいっぱい背負った感じでした。じっとうずくまっています。末っ子の娘が触ろうとするのを、父親がそっとしておきなさいと制して抱きあげました。
息子がいつの間にかお皿にミルクを入れて持って来ました。それをイーゲルの前に置くと、イーゲルはちょっと考えたあと、チョロチョロのみ始めました。へえ、イーゲルはミルクが好きなんだ。イーゲルはよく見かけるの?いいや、そんなにちょくちょくは見ないなあ。
私たちはイーゲルがミルクを飲み終わるの見とどけて家に入りました。しばらくしてふたたび庭へに出ると、イーゲルはもうどこかへ消えていました。

この家は古い田舎町のちょっと外側に、新たらしく広がった住宅地域の端にあります。庭の先はなだらかな丘になって畑が続いている、畑の先は低い山というか森が寝そべっている、そんなところにあります。ここではそんなにちょくちょくではないけれど、イーゲルは姿を現すのだそうです。
イーゲルチョコをもらうまで、あのとき家族が喜んでイーゲルを見に行ったのは、久しぶりに出遭ったからだろうと思っていました。
そのとき「イーゲルを見ると幸運をつかむ」という言い伝えまで聞いたかどうかまったく憶えていません。でもこのチョコのおかげで「幸運のイーゲル」をきちんと記憶することができました。
TEA TIME   No.18 (平成11年12月25日)

メリークリスマス!
なんだかんだ言っても今日はクリスマスです。みなさん、どのように過ごされていらっしゃいますか?
12月12日以来、原因が分からぬまま持病の腰痛に悩まされておりましたが、一昨日あたりからようやく痛みが消えまして、なんとか普通に動くことができるようになりました。そして昨日、24日はたまってしまった仕事を片付けるために朝からあちこち動きまわりました。
午後4時ころ、日本橋の客を訪ねました。このお客様のところへ行くときは、いつも地下鉄日本橋で降り、地下道を通って高島屋へ入り、B1からエレベータで1階へ上がって外へ出るというコースを取っています。
ところで昨日の高島屋地下1階のケーキ屋さんは、どこもかしこも長蛇の列。ああそうかイブなんだ、と思い出させてくれました。
5時半に仕事がおわり、帰りにまた高島屋を通り抜けました。1階のマフラー売り場に人だかりがしていました。なるほどクリスマスプレゼントか、と思いつつあたりを見回すと、小物売り場は普段よりも客が多いようでした。
地下1階のケーキ屋さんは前にもまして長蛇の列になっています。今度は勤め帰りのOLやサラリーマンが圧倒的でした。
息子が中学生になった今年のわが家はとても静かです。クリスマスプレゼントについては既得権を主張されたので認めましたが、これもそのうち「貰うばかりでなく贈る喜びも味わったら?」と教えるつもり。
今年ケーキは買いませんでした。
帰りに床屋へ寄って、伸び過ぎてしまった髪を散髪してもらったら、忘れていたそう快さを思い出しました。
家に帰るとクリスマスイブのメインディシューはオムレツで、ごく日常的な献立でした。
明けて今日25日、家内と息子は出かけ、私は家でパソコンに向っています。静かな時が流れます。居間の片隅にあるちいさなクリスマスツリーが豆電球を点滅し、そっとわが家のクリスマスを演出しています。

 TEA TIME  No.17     (平成11年9月17日)

 最近メール仲間同士が結婚しました。 そこで、すでに結婚している仲間は先輩面してみんな言いたい放題です。そんな中でもそれなりに発言者の生活ぶりが想像できて面白いものがあります。たとえばこんなふうに。

 雅夫さん、侑子さん改めましてご結婚おめでとうございます。 初のご夫婦会員ですね!立会人(野次馬とも言います。)が多いので、いつも仲良くしていなければいけない辛さもありますね。(^.^)お2人での、更にパワーアップした発言を楽しみにしています。
 「披露宴は、準備がたいへんでしたが始まってしまうとアッというまに終わってしまったという感じです。」というご感想に同感です。私も「もう一度・・・」のくちです。人生の中で「主役」になれる日は滅多にありませんからね。あの緊張感と興奮はいまだに忘れられません。
 とにかく最初はたくさん喧嘩をして、お互いの免疫力を高めることをお勧めします。なんたって他人同士が暮らしていくのですから。但し、「最後の一言」だけはグッと飲み込んでね!
 まだ結婚10年の駆け出し(?)で、一生を終えてみないとこの結婚生活が成功っだったかどうかわかりませんが長く一緒にいると、相手の考えていることや次の行動が読めてきます。とても不思議なことです。それはそれでなかなか面白いですよ。
 でも、次から次へ新しいことを見つけては、はしゃいでいる私を見て、「なにを考えてるのかわからない。」と主人がボヤくこともありますが・・・・。(^○^)
 しばらくは我慢しますので、新婚所帯の楽しいレポートをアップして下さい。楽しみにしています。
そして私は次のような先輩言を出しました。
 おめでとう。ところでお二人さん、はじめが肝心ですよ。思ったことはグッとこらえて半分にしておきましょう。冗談のつもりで軽口をたたいたら即イエローカード、その後かなり根にもたれますからね・・・くれぐれも気をつけて下さい。
 たえず2人であること、2人のうちの1人であることを意識してバランスを保つことがポイントです。これを24時間やらなけりゃならないから夫婦は辛いもんです。
 でも、お互いの役が分かってくれば自然にできるようになります。夫婦は絶えず演技し合って行きましょう。そうしていっぱしの円満夫婦ということになりましたら、「アカデミー夫婦演技賞」を差し上げましょう。
(……われながら、実にひねくれているなぁ……)

 以上の内容は、最近いただいたメールからの転載です。最近、50才になり、何もかも惰性で生きているような毎日です。そんな時、人生のスタートのお祝いの言葉がいっぱい詰まったメールを戴き、何か忘れていたものをフッと思い出したような気になりました。
皆さんも、時には、自分の結婚式でどのような感激を味わい、どのような祝辞を頂戴したか、時には思い出してみませんか。


お台場レポート (平成11年7月13日)

 日曜に旧友との集いがありました。会場は新橋から「ゆりかもめ」で12分の「お台場公園」。
私がゆりかもめに乗ったのは12時ころでしたが、待ち時間もなくすんなり乗れました。ちょっと驚いたのは若者が多いこと。そして、まだレインボーブリッジを渡る前の駅から乗り降りが多いこと。いわゆるベイ・エリアは本当にナウい場所なんですね。
はじめて「ゆりかもめ」に乗り、レインボーブリッジを渡りました。いつもは首都高速を走って、浜松町あたりからレインボーブリッジを眺めているのですが、向こう側から東京の街並みを眺めるのは気分が変ってとても新鮮です。
青島さんが都市博を中止したこの埋め立て地は、どこからどこまで見渡す限りの原っぱです。そこにいきなり高速道路が走り、モノレールが走り、その間にポツンポツンと奇妙で巨大な建物がニョキニョキ建っています。はるかむこうには大観覧車が見えます。建物と建物の間をパイプになった連絡通路が結んでいます。すべてが徹底して人口的で、異次元の世界に入り込んだ錯覚をおぼえます。
ここにあるのは、私が40年前に読んだ「鉄腕アトム」に描かれた世界です。あのころ、未来は本当にこうなるのかな、でも私は見ることができないだろうなと思いました。でも目の前にその風景が広がっていて、時代の流れは想像以上に早いのです。軽いショックを受けました。
私が行ったのは「お台場海浜公園」で下車して3分の「デックス(DECKS=お台場という意味?)」という建物です。中に入ると外見と違ってとても俗っぽい。いろいろな店が入っています。それはデパートとスーパーと縁日をごちゃまぜにしたようなにぎわいです。
私は5階のレストラン街の一つに入ったのですが、ここにある店はどこも高くない。ランクでいうならファミレスくらいかな。それでいて各店は人口海浜側にベランダを持っていて、そこでレインボーブリッジの向こうに東京をながめながらゆったりできます。
こういう立地が受けるのでしょう、雨がちでしたが、どこも若いカップルや家族連れでとてもにぎわっていました。
この建物の隣はフジテレビだそうで、ここも人気の場所だそうです。家族連れで来た友人は、これからフジテレビ見学に行くと言って別れました。
ちょっとゆりかもめに乗って足を伸ばせば、全体が遊園地のような人口都市がひろがって、たちまち異次元の世界に入り込めます。まだ行ったことのない方一度お試しを。車でなく、ゆりかもめに乗って。
(レポートは「東京の田舎っぺ」でした。)
女性からはこんなメールをいただきました。

住所録の名簿原稿が届きましたが、あまりの原稿なのでどこから手をつけていいか分かりません。
簡単に引き受けて後悔です。ただ作るだけかと思っていたら、このパズルの様ななぞ解きから始めなくてはなりません。
12月までにできればいいかもしれない、少し弱気です。


名簿作りは大変ですが、頑張ってください。このホームページをご覧いただいた方は、名簿作りの一助となるようできるだけ多くの情報をお寄せいただくよう、お願いいたします。


ホームページを開設している皆様を応援してください。


 福沢恵介さんのホームページです。

 札幌でランタンを経営しています。
 北海道に行った時は是非寄ってください。



 石黒晴美さんが運営する TOPSY TIMES のホームページです。

 東北地方のニュース満載です。


お便りコーナー

(1999.10.15: 森 谷
先日も夜遅く10時頃に現役の学生から11/3の学園祭に来るか、来ないか、という電話がありました。ちょっとね、遠いです。皆さんにお会いしたい気持はあるのですが。

私は12月の初めにOB会があるという橋本さんを信じて、ノンビリしていたら、突然の小川さんの催促で、驚きあせりまくりました。
岸野千花子さんに半日読み合わせ等手伝ってもらい、結局一日半で作ったわけです。鈴木康正さんからの資料が重たくて、気も重くなり開封せずに放り出していたのです。筆ぐるめがお役に立ちました。と、弁解ばかりですいません。

昨日は近所に住んでいる、高校の同級生の家に遊びに行きました。新しいパソコンで遊ばせてもらいました。今のデジカメってすごいですね。普通のフロッピで映像を撮り込めるなんて。修正自由自在。それでも最新の機種ではないなんて。

昨年末に父が亡くなったので、今年は慌ただしかったです。まだ12月の一周忌が残っています。大部母も落ち着きましたが、月に二三度は世田谷の実家に顔を出しているので、少し疲れています。二時間ちょっとかかるので。母もすっかり私に甘えるので、悪い癖を付けたなと後悔しています。

私の近況です。マルエツの鮮魚部も、じきに一年になります。仕事は楽しいです。手が魚臭くはなりますが、桃臭いよりは好きなんです。

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