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2006年2月18日、都営三田線の板橋本町駅からJR埼京線の板橋駅まで、旧中山道を歩いてみました。
午後3時30分ごろ、都営三田線板橋本町駅を出発。板橋本町駅は、現在の中山道(国道17号)の下にあります。旧中山道は、現在の中山道(国道17号)のすぐそばを平行して走っています。
板橋本町駅から行くと、旧中山道は最終的に現中山道に突き当たります。そこまでずっと商店街でした。古い感じの店が結構多かったですね。左の写真の大きさでは見えていませんが、道の向こうには池袋のサンシャイン60が見えていました。
板橋区教育委員会の説明文によると、いつのころからか、この木の下を嫁入り、婿入りの行列が通ると必ず不縁になるという信仰が生まれたとのこと。この木に祈ると男女の縁が切れるという信仰は今でも続いているそうなので、ご希望の方はどうぞ(^_^;)。 僕は切るより結びたい……(^_^;)。もちろんお祈りなんぞしませんでした。
交番の脇に立っています。2002年に建立された石碑とのことなので、結構新しいものです。板橋宿は1.7キロもあったそうで、日本橋方面からみて平尾宿、中宿、上宿に分かれていたとのこと。左の写真は上宿の碑です。
上の写真の碑がたつ交番の前は、ちょっとした広場になっていて、そこに建っていたのが左の写真のもの。何なのかはよく分かりませんが、昔の建物をイメージしてつくったものなのでしょう。たぶん。
昔よくみたような店構えのお店が結構ありました。写真では見えずらいですが、右側の豆腐屋さんの看板の文字の書体も昔ふうです。
石神井川にかかる橋です。板橋区に、ん十年住んでいますが、「板橋」を見たのは初めてでした(^_^;)。日本橋から2里25丁33間(10キロ642メートル)という表示がありました。現代の人が普通に歩いて2時間半〜3時間といったところですね。現在の橋は昭和47年に架けられたものだそうです。この橋から旧中山道仲宿交差点までが、かつての板橋宿の中宿になります。
板橋本町駅方面から板橋をこえて少し行くと、スーパーのライフが見えてきます。このライフの場所が本陣跡だそうです。ライフの手前を左に曲がってすぐのところに文殊院があります。墓地には史跡として有名な遊女の墓があります(写真撮り損ねました……泣)。板橋七福神の毘沙門天がまつられています。
ライフの板橋駅寄りのお隣は「飯田不動産」。左の本陣跡の碑は、そちらの敷地内(だと思う)にありました。
ライフから300メートルほど(かな)行くと、旧中山道仲宿交差点の手前に遍照寺という寺があります。左の写真は、寺への入り口付近にあった碑です。弘法大師霊場とありますが、詳細は知りません。
板橋からこの交差点まで、現在の住所で仲宿という町です。上宿、中宿、平尾宿の三宿のうち、中宿にあたる場所ですね。ここを右折すると都営三田線の板橋区役所前駅。
平成17年に開設した「いたばし観光センター」。少し前の地図だと、板橋出張所となっている場所です。立ち寄って板橋区の観光マップを入手しました。区役所のすぐそばに出張所があるのも不思議な気もしますが、観光センターがある場所としても、何となく半端な場所にあるような気がしなくもないです(^_^;)。
通り沿いにある銭湯、花の湯。かつてこのあたりに脇本陣(本陣の予備のようなもの、かな?)があったそうです。
観明寺参道入り口には、青面金剛像が彫られたものとしては都内最古の庚申塔があるんですが、写真を撮り損ねました(泣)。やはりもっときちんと予習してから行かないと、いろいろと見落としますね。
旧中山道はここまで、現在の中山道(国道17号)とほぼ平行して走っているのですが、左の写真の場所で高速道路の高架がみえますが、その向こうに平尾交番があります。昔の平尾宿の名前が残った交番ですね。
上の写真の場所から、とりあえず信号を渡らずに左へ行くと東光寺に着きます。15世紀末に開山したと伝えられているそうです。境内には、明治になってから子孫が建てたという宇喜多秀家の供養塔(左の写真)などがあります。
東光寺から来た道を引き返し、信号を渡ってまっすぐ行くと、JR板橋駅に着きます。踏み切りを渡って右折すると東口駅前。駅前の小さなロータリーのすぐそばに、近藤勇の墓所があります。左の写真では見えませんが、右奥にある石碑が近藤勇の墓碑です(土方歳三の名前も並んで刻まれています)。板橋区の観光案内ページとかにも載っていますが、住所は北区滝野川。
午後4時35分ごろ、板橋駅東口に到着。約1時間の散歩でした。