一夢庵見聞帖




知らないということ


 仕事の関係で、夏はあまり忙しくない。  両親が三島に居ること、家内の実家が熱海という事もあって、彼方の方でよく過ごす。
 暑さしのぎのビールを飲みながら高校野球のテレビ中継を見ていた。扇風機は回っていたがどうも風がこない。母親にその事を言うと「バーゲンセールで買ったから」と返事が返ってきた。いくらバーゲンセールでも、風のこない扇風機ないだろうとよくよく見ると、何と羽が逆についているではないか。
 娘を連れて家内と三人、三津シーパラダイスに行った。大きな水族館である。その時はイルカのショーを見ていた。イルカよりも水着の女性調教師を見ながらビールを一口。隣に目をやると、やはり家族連れでラムネをちびちび。ラムネの瓶にはビー玉が入っている。飲もうとするとビー玉が飲み口を塞いで肝心の中身は出てこない。ビー玉の始末の仕方を知らないと飲めないわけである。ビールの酔いも手伝って早速、指導をした次第。
 家族連れでデパート行った時の事。女子供は直ぐ喉が渇き、地下の喫茶室へ行く羽目となる。メニューには当然の如くビールはない。目についた「シナモン・ティー」なる物を注文する。何とかパフェーを食べているのを見ているところにシナモンティーが現れる。どうやら普通の紅茶とさして違わないようである。良く見ると、傍らに茶色い棒がある。「肉桂」である。紅茶を一口飲み、肉桂をかじった。子供の頃を想い出した。隣の席にもシナモンティーが運ばれてきたなと見ていると、茶色い棒状の肉桂はかじられたりはしていないのである。単に紅茶をかき回すだけで、用が済めば品良く元の場所で出番を待つだけである。それに引き替えこちらの「シナモン」は、見るも哀れな姿になってしまった。
 歯にはさまった肉桂にてこずりながら、シナモンの残骸をポッケトに隠し、早々に地上に戻った。


修 理


 この処、愛用品を修理に出すことが多い。  子供の頃から不要品でも捨てずに大事に仕舞って置くような環境で育った。今でも捨てられず、物が増えて困っている。団地などを見ると、部屋の整理具合とゴミ捨て場の様子は反比例するようである。今は古い物を捨て、新しい物を買う事を世間が要求している。一方で、ゴミの山が大問題になってきた。
 長年愛用の靴を修理に出した。底の張り替えと、踵の縁の補修である。5、6年前に同じ様な補修をしたので購入価格をはるかに上回っている。大事に履いている為、手元に戻ってきた時は新品同様であるが。やはり、愛用している双眼鏡が壊れてしまい、外国製の物を購入した。30年間の保証付きである。日本の物は保証が殆ど1年間である。故障した双眼鏡も修理することにして、サービスセンターへ持って行った。10年ぐらい前に購入した物だが、「修理できるかどうか少々お待ち下さい」と言われた。何とか出来るということで修理を依頼したが、購入価格をはるかに上回る金額であった。高額修理の場合は新しい物を半額で購入できると告げられたが、故障した物は廃棄すると聞き、それは断った。最近購入した双眼鏡と同じメーカーのカメラを所有している。昭和30年半ばに製造された物である。10年前にオーバーホールをした。日本の代理店の担当者は「今の物とは比べ物にならない位、良くできているから大事にして下さい」と言いながら私に手渡してくれた。
 2年程前、職場に雨ざらしの自転車があった。持ち主が見つかり話を聞くと、大分前に先輩に貰った物で、今は乗っていないとのこと。以前の持ち主は学生時代に、この自転車であちこちの峠道を越え、思い出を作ったらしい。私も若い頃、自転車で峠道を好んで走っていた。私は3人目の持ち主になった。
 伸し烏賊の様になってしまった皮のサドル。萎びた人参の色をし、少し曲がってしまったホークのこの自転車は古いパーツを外され、私の部屋の片隅に1年半程置かれていた。忘れていた訳ではないが、作業半ばで峠越えの頃の想いが薄らいでしまい頓挫していた。この夏にフレームを見ると、再塗装する為に人参色を剥がした部分に錆が浮いていた。
 この自転車は東京に昔から有る、サイクリストには名の通った店の物である。早速、この店にフレームを持ち込む。店の主人は私と同じ様に歳を取っていた。主人は剥がさずに置いたその店のマーク見つけ、20年程昔に自分の店から走り出して行った自転車と知った。あまり感情を露にしない人だが声の張りが少し昔に戻っていた。
 フレームの色は「黒」と言ったら「それは良い」と喜んでくれた。金色の線を引きたいと言ったら「塗装屋さんが老眼で細かい仕事はできない」と残念そうであった。
 店は以前の場所から、しもたやの並ぶ路地に移っていた。店の前に留めた私の車にクラクションが鳴り、話半ばであたふたと店を出た。


Gパンの話


 家内はGパンが好きである。
 昔と違って今では、一流ホテルでも通用する。よそいきに昇格したわけである。
 そう言うわけで幾つもGパンを持っている。何回か着用すると膝のあたりがよれよれしてくる。よそ行きのGパンが本来の作業着となり、ほっと一息かと思う間もなく次のよそいきの購入となる。
 外から戻りビールなどを飲んでいると、やたら機嫌良く紙袋をがさがさ言わせ「安かった、安かった」を連発する。新しいGパンが現れ「いくらだと思う?」と今度は質問である。新たに我が家の所有となったGパンが気恥ずかしげに我が目の前に吊されている。安いから買ったと購入の理由を正当化するわけである。こう言うわけで我が家にGパンのサイクルが出来る。
 何時も安物のGパンを買うのを見て、たまにはブランド物を購入したら良かろうと近所の専門店に出かけた。安い物から高い物までGパンが所狭しと積み上げられている。ブランド物の高級品の所へ直行したことは言うまでもない。何とか言うアメリカ製の物を何サイズか持ってカーテンの中へ消えた。カーテンの外で我が妻の一流ブランドGパン姿を想い浮かべて待つこと暫し。いよいよカーテンが開きファッションショウかと思いきや、Gパンの束を抱えた汗まみれ。バーゲン品に慣れた下半身は一流ブランドを受け付けなくなっていたのである。
 その後、何着か試したが結局、体にぴったりのいつもの物になった。