戦場のメリー・クリスマス


監督・脚本:大島渚
脚本:ポール・マイヤーズバーグ
出演:デビッド・ボウイ/坂本龍一/ビートたけし/トム・コンティ/内田裕也/ジョニー大倉/三上博/戸浦六宏


ジャワ山中の日本軍捕虜収容所という、極限状況のもとで出会った男達の邂逅を大島渚が 独特の美学の中に浮き彫りにした傑作。"禍の神"と呼ばれる美男子の英国人将校が収容されてきた事で、 秩序を何よりも重んじる日本軍の捕虜収容所に波紋が巻き起こる。


初めて「太陽の帝国」観たら、普通の人はまず「戦争にかける橋」を思い出すだろう。 しかし、私は「戦メリ」発表から数年しか経ってないこともあり、まずこの作品を思い出した。 それだけ、私の中では日本軍と英国人との邂逅というテーマの代名詞のような作品として脳裏に 焼き付いていたのだ。
「太陽の帝国」は原作者J・G・バラードの体験がもとになっているが、この「戦場のメリー クリスマス」の原作も自伝的色合いが濃い。 原作「影の獄にて」の著者、ヴァン・デル・ポストは、アフリカ生まれ、イギリス国籍の作家である。 1926年、日本の東南アフリカ航路開設第一船の船長として来アした日本人と懇意になり、来日。 その後、アフリカに帰国したヴァン・デル・ポストの幾多の親日的寄稿文が紙面を飾った。 第二次大戦が始まると英軍に入隊。東南アジアで日本軍の捕虜となる。その時の辛酸の歳月を もとにこの「影の獄にて」を執筆。 こういう点は子供の頃上海で収容所生活を送ったJ・G・バラードと非常に似通っている。 この原作はとても美しいので是非とも読まれることをお勧めする。

昔、この映画がロードショー公開された時は、まだ漫才師ビートたけし及びタケちゃんマンの イメージが強くてたけしの顔が出てくるたびに会場から笑いが漏れ、困ったものだった。 そのたけしも今や世界的な映画監督となり、ヨノイ役の坂本龍一も「ラスト・エンペラー」 でアカデミー作曲賞を受賞。世界的な作曲家としてその名を轟かせている。 だが、そんな天才2人の演技の方はというと、絶望的なほどまでに下手くそだった。モゴモゴと何を 言っているのか観客にわからないというのはもはや致命的であり、カンヌ映画祭でグランプリを取れ なかったのは、ここがネックになったのかもと思ったりもした。あ、でも西洋人には日本語わから ないか。
しかし、そのジュブナイルなパフォーマンスをカバーするだけのカリスマが2人にはあった。 現世のしがらみから全て解放され、一切の罪悪を洗い清められたかのような、まるで菩薩の様な 無垢な顔で「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」と言うラストのハラことたけしの顔は今でも 脳裏に焼き付いている。

しかし、何と言っても出色なのは、ヨノイを虜にするセリアズ少佐を演じたデヴィッド・ボウイ だろう。結構失敗作が多い彼だが、この作品は「地球に落ちてきた男」と並ぶ彼の最高傑作だ と断言したい。デヴィッド・ボウイは、リンゼイ・ケンプにパントマイムを習っていただけに、 表現力は抜群。死刑を宣告にくる日本兵の前で髭をそるパントマイムを披露してくれるが、これが セリアズのエキセントリックなキャラクターに拍車をかけることとなる効果的なシーンだった。 これほどの表現力を見せてくれた英国人は当時の私の記憶の中では、ピーター・オトゥールだけだった。 あの頃は若かったので今ほど英国人俳優に馴染みがなかったのだ。
セリアズは、自分の容姿に対して人がどのように反応するのか嫌というほど知っていて、ヨノイを 翻弄する。私が気に入っているのは、深夜ローレンスを担いで脱走した時にヨノイと出くわす シーンだ。月の光が青白く闇夜を照らす中、静かに剣を抜くヨノイ。セリアズも剣を抜いて応戦するかに 見えたが、そのまま剣を地面に突き刺してしまう。ヨノイは「何故戦わない! 私を殺せばお前は自由に なれるのだぞ」と剣を構えたまま立ち尽くす。しかし、セリアズはそのヨノイを上目遣いに見つめるだけ だった。そのまま、感情の赴くままに切り捨ててもよかったのだが、ヨノイにはそれができない。 セリアズは彼が切り付けてこないだろうと言う事を見透かしていて、剣を地面に突き刺したのだ。
ヨノイが本当にセリアズに恋していたかというと、それは疑問だ。
ヨノイがセリアズのミステリアスな美しさや堂々とした物腰に惹きつけられたのは確かだろう。 強い憧れは恋に近いが、彼らの間にあったのはシンパシーとかシンクロに近いものだったような 気がする。ヨノイは2:26の決起に参加できずに死に遅れたことを悔やんでおり、自分は 死にぞこないだという。
一方、セリアズは障害者の弟が学校で苛められるのを助けてやらなかったというトラウマを 引きずり、そのため独身を通し、戦争が始まればすぐにとびついた。自分を幸せになる資格のない 人間と思い、困難の渦中に置くことが罪の浄化へ繋がると思っていたのだ。 要するに、2人は 互いの共通性と孤独を敏感に感じ取り、心の中にぽっかり空いた空洞を穴埋めするかのように 惹かれ合ったのだと思う。
この美神は、死を恐れず、秩序を旨とする日本軍収容所を混乱に陥れる。
ヨノイが収容所の捕虜を集合させたときに、唐突に「ここは美しい」とか「歌でも歌えたら」と つぶやいたりする彼には理解に苦しんだものだが、彼の心が既にそこにないことは明らかだった。 頑固オヤジヒックスがヨノイに切られそうになった時、まるで散歩でもするかのように静かに 歩み寄るシーンはもはや詩的ですらある。バックに流れるは坂本龍一の「the Seeds and the Sower」 (種と種を蒔く人)。この場面はほんとに鮮やかだった。一方、この時のヨノイのうろたえようと いったらほとんど恐怖さえ滲ませていて、日本軍人の面目丸ぶるれもいいところ。ヨノイの心 に決して消え去ることのない混乱の種を蒔いたセリアズの彼へのキスはまさに死と隣り合わせの 行為だった。
大日本帝国軍人を侮辱した咎で生き埋めにされるセリアズ。想像を絶する苦しい死を遂げなければ ならないはずなのに、はるか彼方を眺めているといった感じの彼の表情は、不思議なほど穏やかで、 魂は既にここになく、ほとんど肉体的な苦痛からは解放されているかに見えるのが救いだった。 おそらく、苦痛と引き換えに彼は心の平安を取り戻したのだろう。 収容所からは彼の死を悼み、讃美歌が聞えてくる。収容所の捕虜達の身代わりとなって全てを 背負って逝った彼は、まさにゴルゴダの丘に架けられるキリストで、私はこのシーンで思わず鳴咽を もらしてしまった。

この残酷な処刑シーンを観た時、いくらなんでも日本兵がこんな残虐なことするだろうか、という 疑問が湧いたが、同胞の命さえ軽く扱うくらいだから、捕虜の命など虫以下も同然。 映画でも「捕虜になるのは恥」と考える日本兵が捕虜になるのは時の運と考えて恥を知らない 英国人はもはや同じ人間として見なしていないのだ。 捕虜体験者のポストの体験が元となっているから多少の誇張はあるにしても、これに近いことは 行われたかもしれない。

とにかく、「戦場のメリー・クリスマス」は、私にとってあまりにも壮絶な作品だったのだが、 当時の坂本龍一やたけしは、いまいちわかっていないようで「ただのホモの話じゃん」とか 言っていて肩透かしだったのを覚えている。 この凄さをわかっているのは、大島渚とデヴィッド・ボウイだけだった。


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