心穏やかに/エッセイ

自分の人生

徒然エッセイ
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 ■第60話/自分の人生■

 夜勤の仕事を始めてから早5ヶ月が経過しようとしている。日々の生活ペースは徐々につかみつつあり、だいぶ落ち着いてきたように思うが、相変わらずの赤字状態は脱することができず、現在もWワークのバイトを探している状態である。バイト探しといっても時間と場所の制約があり、最も可能性の高いのは早朝の清掃バイトだと思っている。今の夜勤が午前4時定時だが、まったく残業しないと収入が減るため、ある程度の残業をしつつ、その帰りにそのまま3時間程度のバイトができればと目論んでいるのだが、なかなか見つからない。

 早朝清掃のバイトとなると、多くは6時〜9時か、もしくは7時〜10時なのだが、6時からの仕事なら5時まで1時間残業をしても、武蔵村山市内の自宅近辺であれば、そのまま車で直行すれば間に合うことは何度かのシュミレーションで確認できているのだが、なかなか希望通りの仕事が見つからない。毎週日曜日の求人チラシはもちろん、ネットのバイト情報等もチェックはしているのだが…。

 もちろん、夜勤1本で毎月の赤字が解消できればそれが一番いいのだが、残業時間に厳しい制限があり、制約内で最大の残業時間をこなしたとしても赤字の解消はできないことがわかっているから、それならば、ある程度の残業で見切りをつけて、もうひとつのバイトを探すのが得策である。2つの仕事をしても計算上では赤字の完全解消は不可能だが、少なくとも今の退職金持ち出しの金額を少しでも減らさないことには「破産」の現実が迫ってしまう。

 毎月の生活費を切り詰めると言っても、ある程度の限度があるから最悪でも年内にはWワークの実現だけは必須である。こんな状況に陥るなら、いろいろあったにせよ前倒し定年退職などして、ハローワークに通って、厳しい状況下で再就職などしなければよかったのに…と第三者なら当然思うだろう。筆者も正直に言えば、まったくそういう気持ちが頭をもたげることがなくもないことは認める。

 …が、やはりどう考えても以前の勤務先では継続は不可能だったとしか思えない。そして、苦心の末、ようやく採用された某健食の会社もわずかな短期間で見切りをつけたこともどうだったのかと思うが、こちらもやはりどう考えても不可能だった。だから、今のような厳しい状況に追い込まれながらも、自分自身のためにはよかったと思うのである。

 以前の勤務先のかつての同僚からメールで近況状況等を知り、またその同僚は、筆者が無事再就職先にそのまま勤務していると思っているのだが、じつはかつての同僚や会社仲間には別に夜勤の仕事に早々と「転職」したことは連絡していない。別に連絡する義務もないし、所詮連絡したところで結局は「他人事」であり、別にどうということもないことだからである。

 実際のところ、自分の人生がこのような展開になるとは、確かに「想定外」かもしれない。順風満帆だった時期もあった。その頃は、まさか56歳になって、こんな状況になるとは想像もしなかった。余裕を持って定年を迎え、あとはヒマつぶし、体力維持という意味合いで気楽にある程度の仕事について…と考えていた。しかし、現実は家のローンも減額によって返済期間が長くなり、60歳の定年どころか、最低でもバリバリで65歳までは何とか働かなくてはならない。

 よくメディア等で老後の蓄えとして最低いくら必要…などという話を耳にするが、そんなお金いったいどこにある?という状況である。蓄えなどまったくなく、数ヶ月先の心配しかできない状況である。しかし、強がっている面もあることは正直に認めるが、「自分の人生」として考えた時、なぜか自分らしいな、と思えるのだ。正直なところ、身分や地位で人に対して優越感を持ったり、パワハラ的に人を威圧することが平然とまかり通るような世界では自分は生きていけないし、そんな世界はもううんざりである。デスクワークで、さもクリエイティブな仕事をしています、なんていうかつての自分はもうたくさんである。今は肉体労働で、体を動かしているが、その方がどんなにサッパリするかと思っている。

 自分の年齢を十分に認識し、自分の立場を十分に理解し、とにかく毎日を懸命にこなし、不透明な先に不安を抱きながらも、それは自分の選択した結果だし、人間的に病んでしまうよりどんなにいいかと思うのだ。今はまだ、いろいろなことがまったく余裕もなく、1日、そして1週間、1ヶ月をこなしていくことだけで精一杯だが、あくまでも「自分の人生」である。誰かに話すための人生ではない。誰かに自慢するための人生ではない。誰かと比較するための人生ではない。

 大切なのは自分の人生として自分が納得できることである。人は1人で生きるものではないから、どうしたって第三者の目や評判が気になるものである。それはいつの間にか、自分の人生のはずなのに、第三者への見栄や評判などを意識した見栄えの人生にすり替わってしまいがちである。他人からどう思われようと、何を言われようと、この世の中に自分は唯一1人である。誰も自分を肩代わりしてくれるものはない。

 高齢化社会となり、自分自身がいったいいくつまでこの世の中に生存するのか、わからないが、さすがに56歳という中高年年齢になると、この世を去る時期も身近なものとなる。その時が来て、自分自身が100%でなくても納得できる人生は、やはり誰かが作るものではなく、あくまでも自分自身でいろいろな分岐点で選択し、歩んでいくものである。自分の人生である。何が大切かが見えてくる。そして自分自身を信じることが大切なことである。


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