心穏やかに/エッセイ

Qちゃんのいる日々

徒然エッセイ
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 ■第59話/Qちゃんのいる日々■

Qちゃん 我が家にQちゃんが来てから早いものでもう2年になる。5月12日が誕生日だから我が家で2歳の誕生日を迎えた。去勢手術をしてから少々体重が増えてしまったために現在も減量中だが、なかなか目に見えた効果まで至らず、1kgは減量すべく、日々の食事も従来のものから変更し、何とか理想体重の5kgまで落としたいところなのだが、なかなかうまくいかない。

 散歩でも相変わらず走るのが好きな犬種だけに体重が増えるとそれだけいろいろな部分に支障が出る危険性もある。療法食もやはり一般に販売されている餌に比べれば高価ではあるが、これはやむを得ないと思っている。人間と違って会話をすることができないから、減量させるのも時には可哀想かな…と思うこともあるが、欲しがるからいくらでも与えるしまうことは逆にマイナスと多少は心を鬼にするしかない面もある。

 夜勤勤務になってからはさすがに休日の日曜日くらいしか散歩に連れて行ってあげられず、平日は妻に任せているが、それだけに日曜日はオジサンとしては頑張って走るところは懸命に一緒に走っている。まぁこれもいい運動になっていると思っている。そして散歩のあと、シャワーで洗ってあげる。

 それにしてもつくづく思う。犬は「ペット」ということで扱われるのだが、当然ながられっきとした生き物である。その意味ではまったく人間と変わらない。「ペット」というと何か人間本位で二の次的なイメージがあるから、あまり好きではない表現である。人間とまったく同じに血が流れ、心臓が鼓動し、息をしている生き物である。だから筆者はまったく人間と同じと考えている。まさに「家族の一員」である。

 とにかく気をつけているのは、絶対に自分の気分次第で犬に接しないようにすることである。これには訳がある。以前いたパピヨンのレオは、今から思い出してもとてもお利口な素晴らしい犬だったのだが、一度その時の気分もあったのだが、ちょっとしたことで腹を立て、ついレオを蹴飛ばしてしまったことがあった。しばらくたって、別のことで動物病院にレオを連れていった時、獣医さんから過去にちょっと怪我していた箇所があることを指摘された。特に大きな後遺症として残っていたわけではないが、その形跡が残っていると言われた時、筆者は愕然とした。

 あの時、ついむしゃくしゃしてレオを蹴飛ばしてしまった時の怪我だったことが明らかだったからである。それ以降は、レオが亡くなるまで筆者としては「償いの日々」だった。毎週土・日と皆勤賞で動物病院にレオを連れていったのもすべてレオに許してほしかったからでもあった。何度もレオに謝った。最後はできるだけのことはやってあげたつもりだが、それでもレオに対しては「ちょっとは許してくれただろうか?」と自問自答するばかりだった。

 そんな過去があったから、QちゃんとPOCOに対しては絶対にそんなことはしまい!と強く意識している。甘やかすということではなく、どんな時でも変わらない姿勢で接することを強く心がけている。自分のことをやっている時でも遊んでくれ…とせがまれ、困るときもある。やっていたことを中断せざるを得ないことも何度もある。

 そんな時でもちょっと時間を割いて、相手をしてやり、短時間でまた自分の作業に戻るようにする。本当に集中して作業するなら、そうした時間帯を自分で確保すればいいのだと思っている。幸いにも今は夜勤である。早朝帰宅した時間帯はまだQちゃんもPOCOも寝ている時間帯だから、何とかその時間帯を有効に使えばと思っている。まぁ、夜勤明けゆえ、つい睡魔からウトウトすることが多いからなかなか思うようにいかないのが現状ではあるが。

 それでも、やはりQちゃんがいてくれることはなにものにも代え難い素晴らしいことである。癒しはもちろんだが、それ以上にパワーを与えてもらっている。我が家に来てくれて一員となってくれたQちゃんとPOCOに対しては飼い主というよりも親として守ってあげなくてはならない義務があると思っている。


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