心穏やかに/エッセイ

イタリアン・グレーハウンド・Qちゃんのいる日々

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 ■第53話/Qちゃんのいる日々■

Qちゃんその1 我が家に3頭めになる愛犬、イタリアン・グレーハウンドのQが来てから、早いもので1年が経過した。日々接していると、なかなか気づきにくいものだが、ちょっとした時に改めてQちゃんの姿を見ると、大きくなったなぁと思う。ちょっとは精悍なイタリアン・グレーハウンドっぽく成長してくれたのではないかと思える。

 ペットショップの2段になったガラスケースの下段で、体を丸めて寝ていたQを見たのが最初で、経済事情や、最後の最後まで頑張ってくれた愛犬レオの死のショックなどから、飼うことに大いに悩みながら、何とかなるさ!と格安な金額に値下がりしてしまっていたイタリアン・グレーハウンドを飼う決断をした。このままだと、売れずに残って、きっと殺処分という悲惨な結果になるだろう…と思った。

 少なくともかつてのレオやポッキーといったパピヨンのような可愛らしい犬種ではなく、誰もが可愛い〜と注目する犬種ではないことに加えて、尻尾は折れ曲がっていて、額の部分にはハゲのように毛が薄くなっている部分があった。生後半年を経過していたから、イタリアン・グレーハウンドとしては超格安の5万円という値段がついていた。妻と息子の同意もあり、飼ったと思ったら、即下痢とぼろぼろ抜ける歯に3人で唖然としたものだった。

 それが、今や我が家では強烈な存在感のある家族の一員である。ワンパクである。ものすごく素早い動きである。ものすごい甘えん坊である。そんなQに9月22日、先々の病気の不安を取り除くためにも、と去勢手術をした。Qが我が家に来てから、初めて1日だけだが、お泊り入院だった。たった1日である。ところが存在感が強烈な犬だけに、わずか1日でも筆者にとっても、妻にとっても何やらポッカリと穴が開いたような空虚感である。

 いつもなら外出先から帰宅すると、すっ飛んできて、筆者の顔を確認すると、急いで走っていって、口に何かをくわえてくる。小さなボールだったり、タオルだったり、靴下だったり、小さなぬいぐるみだったり、とにかく遊ぶものをくわえてくるのである。そして筆者に遊んでくれと要求しているわけである。

 どんなに精神的、肉体的に疲労していても、そんなQの姿を見ると、全てすっ飛んでしまう。着替えもほどほどで、とりあえずくわれてきた物で引っ張り合いをして数分間遊び相手になるのが日課である。それが、わずか1日でもいないとなると、何とも妙である。翌日には迎えに行き、タマタマ部分が少々痛々しいものの、Qが帰ってきたが、さすがにその日はおとなしく、いつものワンパクぶりは完全に影を潜めていた。

 当たり前のことであっても心配で仕方なかった。翌日にはすっかりいつものワンパク坊主ぶりが復活し、こうして文章を入力していると、机の下から顔を突っ込み、よじ登ってこようとする。仕方ないからとちょっと遊んでやっても、とにかくタフな犬である。ちょっとやそっとの運動でも疲れ知らずである。日常的な散歩は妻が頑張って実行してくれているが、時間がある時にはもちろん、筆者が散歩相手になる。

 散歩をするQの姿は、少なくとも散歩をしている雰囲気などまったくない。どんどん前に行こうとして、リードに引っ張られて、後ろ足2本だけで歩く羽目になり、犬というよりはまるで猿である。本人はきっと本人なりに一所懸命なのだろうが、その姿は間違っても「可愛い」とは絶対に言えない。むしろ、狂犬病の犬が舌を出して、息も荒々しく、歩いているかのごとくで、きっと小さな子どもが見たら「恐い」と思うだろう。散歩に行けば、必ずウンチをする。当然、その始末はするが、まず100%散歩に行くとウンチをする。

 とにかく毎日がハチャメチャである。ワンパク坊主そのものである。そのくせ、ものすごい甘えん坊である。爆睡すると、完全にお腹を見せて、仰向けで、何とも妙な格好である。あんな格好で辛くないのか?と思えるが、当人は気持ちよさそうに爆睡している。寝ている時以外は、落ち着くこともできない毎日だが、Qの存在は筆者にとってはもちろん、家族にとっても何ものにも代えがたい大きな「癒し」になっている。9月1日からは、筆者が前倒し定年退職で有給休暇消化期間で、家にいるものだから、Qとしてはいつもならほとんど家にいない人が何故こうして毎日いるのだろうか?と疑問に思っているかどうかはわからないが、少なくとも格好の遊び相手として、筆者の都合お構いなしで、要求してくる。

 そのために何か集中してやっていても、必ず中断させられる。まとまって何かやるならQの昼寝時間帯や夜の爆睡している時間である。こうして書くと、癒されている反面、自分の時間もかなり潰されているように思われるが、確かにそういう面も多々あるが、筆者はそれをムダな時間とは思わない。何故なら、レオやポッキーに対して、本当に後悔しないように接してきたか?と振り返ると、後悔だらけだからである。

 ポッキーに至っては、溺愛していたものの、わずか9歳で亡くなってしまったこともあり、後悔だらけである。その後、1頭となって腎臓に病気を持ちながら最後の最後まで、頑張ってくれたレオについても、最後の1年間は毎週土・日と皆勤賞で病院に通院し、何度かの入退院の繰り返しなど1年間で軽く100万円を超える支出があったものの、それはレオに対するせめてもの至らなかった飼い主としてのお詫びのつもりだった。

 我が家にとって最高だったレオとポッキーというパピヨンも、亡くなった時に思ったのは、「我が家の愛犬でいてくれてありがとう」という感謝の気持ちと同時に、「我が家のような飼い主でごめんね」という申し訳ない気持ちだった。そんな愛犬が亡くなったショックから、もう3度もあのようなショックや悲しみは味わいたくない…と思った。それでもQを家に迎えたのは、それなりの覚悟を持ってのものだ。今はワンパクぶりを遺憾なく発揮しているQだって、10数年後には間違いなく死を迎える。

 もしかしたら、Qより先に筆者がこの世から消えてしまうかもしれないが、順当に行けば、我が家で一番早く逝ってしまうのは、悲しいことにQである。その強烈なショックの時、もうレオやポッキーの時に味わった後悔の念を絶対に持ちたくないのである。Qちゃんには、その時が来ても、「我が家に来てくれて本当に良かったね!」と心から送りたいのである。

Qちゃんその2     

 以前のエッセイにも記したし、この文章でも前述したが、Qは間違いなく売れ残りだった。購入したペットショップの店長の話では、チェーン店で売上げがもっともいい店ということで、最後に回されてきたのが購入した店とのこと。予防注射の証明書などから推測するとQは神奈川県のチェーン店に置かれていたことがわかるが、そこでも売れず、生後6ヶ月経過した時点で、恐らく最後のチャンスとして、筆者が出会ったショップに回されてきたのだと思われる。

 だから、再三記したが、イタリアン・グレーハウンドとしては激安の5万円まで値下げして、それでも売れずに残ってしまったら、Qはきっと最も悲しむべき結末を迎えていたと思われる。そんなQを救ってあげた…などとは決して思っていない。少なくとも同情心だけで犬を飼えるほど、我が家の家計は余裕があるなどとは間違っても言えない。今だって、Qのものを買ったら、妻も筆者も自分のものを何か諦めているのだ。

 それでも、自分を犠牲にして、やってあげた…などという気持ちには決してならない。それが当たり前なのである。いい飼い主でありたい…などという意識があるわけでないが、Qは犬であっても犬ではないのである。「ペットは家族の一員」とは、よく聞く表現だが、それはまさしくその通りである。親であれば、子どものことが心配で、何とかしてあげたいと思うが、まさにその心境そのものである。自分のことを二の次にしても優先するのがごく自然の感情なのである。

 Qちゃんがいてくれるから頑張れる。頼ってくれているから頑張るしかない。人間の子どもなら成長すれば、やがて一本立ちして親を離れ、家を離れて独立していくが、ペットの場合にはそうはいかない。飼い主がいなかったら生きられない。や〜めた!などと飼い主の義務を放棄することは絶対に許されない行為である。そうした覚悟がなければペットを飼ってはいけないのである。

 Qちゃんがいる日々はハチャメチャではあっても、それは年々年を取って衰えていく妻や筆者に対しての最大の予防薬でもある。Qちゃんの散歩につき合えるだけの体力を維持していかなくては飼い主失格だからだ。健康でいなくては、気持ちはあっても飼い主としての義務を果たせず、結果飼い主の義務放棄になってしまうからだ。Qちゃんのいる毎日、日々を筆者は絶対に後悔のない日々にしたいと思っている。1日たりとも後悔したくないのである。Qちゃんがいてくれることに毎日が感謝の連続である。やはりQちゃんはいろいろな意味でラッキードッグだと思うのである。


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