心穏やかに/エッセイ

心が折れたとき〜忘備録/エッセイ

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 ■第46話/心が折れたとき〜忘備録〜■

 心が折れそうになることがある。きっと誰にでもあることだろう。日々、生きていればもちろん楽しいことばかりではない。むしろ苦痛の方が多いだろう。自身にとってのいわゆるアンラッキーは頻繁に起こる。ある程度の間隔を置いて、そうしたことが発生すれば、とりあえず前のアンラッキーを自身の中で処理し、それをひとつの経験値として、次への対応策に加えていくこともできる。

 しかし、アンラッキーが連続で、ほぼ間隔もなく襲ってくるとこれは結構厳しいものである。前のアンラッキーが処理できないうちに次のアンラッキーが襲ってくる。心は動転し、バタバタとし、落ち着かず、おろおろし、呆然と立ちすくむ。そうした連続がさらに重なってくると、これはもうどうしようもない状態となる。2つの連続するアンラッキーならまだしも、それが3つ、4つと複合的に襲ってきたら、もうひたすら心は折れるだけである。

  世の中には、まさに「この世の春」を満喫している人間も存在する。その一方で、まるでそれを裏返したかのごとく「この世の冬」にこごえている人間が存在する。

 「長い夜でもいつかは明ける」「朝の来ない夜はない」…アンラッキーに遭遇しても、それが永遠に続くわけではない。必ず夜明けは来る…という格言である。確かにそうであろう。しかし、夜が長く続けば続くほど、どこかで疑念の気持ちも頭をもたげてくる。本当に夜明けは来るのか?来てもどんよりと曇った、まるで夜の延長のような朝なのでは?

 …心は非常に気まぐれである。嫌だなぁ、と思うとますます嫌になってくる。辛いなぁ、と思うとますます辛くなる。不運だなぁ、と思うとますます不運に襲われるように思える。対処法は今までにもいくつか学んだはずである。「所詮、小さなこと」「時間が解決する」「心の持ちようによって一変する」…そうした経験値を持っていても、なかなか人間は強くなれないものである。

 そんなこと、気にしない!深く考えなくていいんだ!全ては時間の流れに癒されていくものだ!プラス思考でいこう!…そう思っても、それが自身を確固たるものにするのは、なかなか困難である。

 方丈記はこの世は「無常」だと説く。平家物語は「盛者必衰」を説く。万物は絶えず変化する。そうした大きな心を持った、びくともしない不動の人間になど簡単になれるものではない。

 …きっと、受け入れることへのある種の拒絶感があるのではないだろうか?現実がアンラッキーの連続だとしたら、その現実に対して、こんなはずじゃない、何かの間違いだ。仮に現実だとしても、いくら何でもそんなことが立て続けには起こるはずがない。受け入れがたい現実に拒絶反応を示すと、心はますます沈んでいく。いっそ、立て続けのアンラッキーの大波が押し寄せたら、傍観者的に開き直ることも必要なのだろう。

 アンラッキーの第2の大波が押し寄せ、津波のようにさらに第3の大波が押し寄せ、さらにその後方にも第4の波が控えているような状況のとき、じたばたしたってどうしようもないではないか。また波が来たよ、まいったなぁ…、しかもその後方にも大きな波が見えるぞ、こりゃ結構きついなぁ…こんな具合に第三者的に考えることができれば、多分凌げるのだろう。受け入れてしまえば、身構えて何が何でもはね返してやる…というような硬直した姿勢ではなく、臨機応変に対処できる柔軟性を持った姿勢となるだろう。

 心が折れてしまったとき、それを修復するのは誰でもなく、自分自身の力である。もちろん、自分自身の力といっても、何も歯を食いしばって、耐えに耐えて活路を見出せ…などというのは厳しいものである。もちろん、そうできるなら、それも方法ではある。

 しかし、心を修復するために、あまりがんじがらめになってしまうのもかえって厳しいものである。そんなときは、何か自分の趣味や興味のあることに手をつけてみるのも方法である。音楽を聴く、映画を観る、散歩をする、片付けをする、読書する、誰かと会話する…周囲には結構、心の修復に役立つことが存在している。

 お金の余裕でもあれば、それこそ旅行にでも行くのもいいだろうが、お金の余裕がなくたって、例えば片付けなどはタダでできる。散歩だってそうだ。映画は1800円の入場料がかかるが、それだってもし映画鑑賞によって、心の修復ができるなた安いものだと思えばいい。

 心の治療にかけるお金は少なくたって意外と周囲に存在しているはずである。そうして、視点や思考が今、目の前にある連続するアンラッキーの大波から、ちょっとでも離れれば、ちょっとだけ心に余裕が生まれてくる。そんなちょっとの余裕など、連続する大波に飲み込まれてしまうかもしれない。

 しかし、ほんのちょっとでも余裕が生まれたことは事実であり、それを自身で十分に認識に、自分を褒めてあげればいい。何もせずにただただ大波にかぶっていた自分ではなかた自分を評価してあげるのだ。コツを少しずつでも掴めれば、それを何度か繰り返し試してみる。余裕の幅はちょっとずつでも拡大し、気持ちもちょっとは大らかになるものである。

 拒絶する…ということは結構力を使うものである。足を踏ん張って、暴風に耐えることも確かに大切なことである。しかし、どんな場合にでも、必ずしも当てはまることと、意固地になると、力んでばかりで、ひたすら消耗する。何でもかんでも流れのままに流されればいい、ということではない。根っこはしっかりとしていなくてはならない。その上で、暴風に断固抵抗するのではなく、柳の枝のごとく強靭にしなればいいのである。

 この世の中すべて、万物すべてが「無常」であり「盛者必衰」である以上、変化することに全力を尽くして立ち向かうよりも、その変化にうまく対処していくことが折れない方法である。周囲に飛ぶ鳥を落とす勢いで、ラッキーを満喫し、この世の春を謳歌していても、それはそれ、妬ましく思うことなど必要ない。

 自身にもそんな時があったなら、それがどうだったか理解できるだろうし、これからならそれを心して、決して慢心せずに、謙虚な姿勢を保つことを心がければいいことである。ラッキーな人間を妬ましく思ったところでどうなるというのだろうか?足元もすくって打ち落としてやろう、などと画策することほど馬鹿な行為であり、時間と労力の無駄使いである。無常である以上、全ては輪廻するのだから。

 心が折れそうになったら、とにかく自分自身をしっかりと見つめ、根っこだけはしっかりと地面に張って、力まずに、現実をあるがままに受け入れ、拒絶せず、決して自暴自棄になることなく、深く考え過ぎず、深呼吸をして…。そして、何よりも自分自身を信じてあげることである。これはある意味では現状の自分自身に対する忘備録でもある。


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