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マイケル・ジャクソンDVD〜独断珍論文/エッセイ

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 ■第45話/マイケル・ジャクソンは神の子?「THIS IS IT」DVD発売〜独断珍論文

 大ヒットとなった映画「This is it」…そのDVDが発売され、初日の売り上げがあの「崖の上のポニョ」を軽々と超えて新記録を達成したとかの記事が新聞に載っていた。映画を通算17回観た筆者としては、当然のことながら予約購入した。今回のDVDはブルーレイも含め、4種類のものが発売されたが、DVDボックスというTシャツなどがオマケについているものは、限定生産だったこともあり、あっという間に売り切れとなり、筆者も入手できなかったが、それ以外の3種類についてはしっかりと購入した。筆者の場合、現時点ではブルーレイディスクを再生できるプレーヤーは持っていないのだが、それでもとりあえず購入したのである。

 さてDVDだが、コレクターズ・エディションとデラックス・コレクターズ・エディションと2種類あり、もちろんデラックスの方が価格は高い。どこが違うのかと言うと、デラックスの方はDVD2枚組で、特典映像なるものが多く収録されている。製作の舞台裏(3種)、ダンサーについて、バンドについて、ヴォーカリストについて…この映像の有無の違いである。もちろん、特典映像は多いに越したことはないゆえ、おすすめとしてはデラックス・コレクターズ・エディションの方である。

 本編は筆者の場合、前述の通り通算17回も鑑賞しているから、とりあえず特典映像から見たが、まぁ映画では見られない数多くのシーンが満載である。映画はもちろん素晴らしかったが、この特典映像はさらに舞台裏についての多くの知られざるシーンがある。非常に面白く、興味深く、まさに「特典」である。そして、つくづく感じることは、「主役」は確かにマイケル・ジャクソンという偉大なアーティストである。しかし、主役1人では舞台にはならず、ストーリーもない。そもそも1人では主役も何も、その役自体が存在しないではないか。特典映像では、幻のコンサートとなった「This is it」で主役を演じるマイケル・ジャクソンをサポートするたくさんの「脇役」を十分に紹介している。

 デラックス版の方に入っているダンサーやバンドメンバーやバックコーラスの紹介は、それこそ1人ずつ丁寧にコメントも交えて紹介しているし、非常に見ごたえがある。と、同時にバックで脇役を演じる役者のハイレベルさに驚嘆し、全員が一流なればこその雰囲気にあふれている。

 これはつくづく思うことだが、何かをグループで作り上げる時、参加しているメンバーが二流・三流だったりすると、オレがオレがと目立ちたがり、足の引っ張り合いをして、結果ロクなものが出来上がらないものである。ところが、お互いが一流同志だと、そうしたくだらない感情が不思議と生まれないようである。お互いがお互いを認め、尊敬しているから、足の引っ張り合いもなく、誰か特定の人物を集中的に批難したりなどしない。むしろ、相手を尊敬し、負けないようにもっと頑張らなくては…という意識があるから、さらにレベルがアップする。そうした意識が全員にあるから、レベルはどんどん上がる。そして結果的にまさに最高のものが出来上がる。

 今回のツアーに参加したメンバーはダンサーのように信じられないほどの高いハードルをクリアして選ばれた世界各地のダンサーもいれば、以前にもツアーに参加していたメンバーもいるようだが、まさに全員が一流である。その道では実力者として君臨しても不思議ではないメンバーである。そうした一流がさらに兜をぬいで、指導を仰ぎ、より素晴らしいものに向かわせるのがマイケル・ジャクソンということである。

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 一流の人間は、特に技術的なもので一流の人間は、基本的には金で動くよりも、むしろその技術で動くことが多い。求道者は、その求めるものが地位や名声や金銭というよりは、その道でのより高いレベルの技だからである。こうしたピュアな世界に比べると、いわゆる企業内での権力抗争や地位保全や、そうしたものを狙って人を落とし入れ、自分が自分が…という有様はまことに汚いものである。

 ところで、このDVDの特典映像の中でスタッフがマイケル・ジャクソンの想い出として、いろいろとコメントを寄せているシーンがある。もちろん、勘ぐった見方をすれば、主役であるマイケル・ジャクソンの悪口など言うはずがない。まして、死んでしまった人である。批判などしようものなら、それこそ逆に袋叩きにあうだろう。だから、ここで述べられている内容がどこまで本音なのかなどは到底わからない。これは、あくまでも未だアンチ・マイケル論者に対しての断り文句である。

 制作総指揮を執っていたケニー・オルテガ氏はマイケル・ジャクソンとの長い親交を語る中で、「地上に舞い降りた天使だ」と表現している。そして、最後にはエンタテイメントと創造の「王」であり、全てにおいての「王」であると話し、「この手で王冠をかぶせたかった」と語っている。また、ドラム担当のジョナサン・モフェット氏は「数百年に1人、神は特別な人間をつくる。マイケルがその人」と語り、「人々を啓蒙し、あるべき道を示す存在だ」と続ける。そして、マイケル・ジャクソンは「神からの贈り物だった」と語る。

 人類の長い歴史の中で、確かに偉人とか天才と称された人物が出現しており、まさに人間離れする卓越した能力を持っている人物が存在したことは確かである。天地創造からアダムとイヴの創造…そして人類の歴史が始まるのは旧約聖書でもおなじみである。そして、その節目に出現したのが、イエス・キリスト…神の子である。筆者は一応、立教大学文学部キリスト教学科卒業という学歴を持っているが、それは名ばかりで、知識などはほぼ皆無である。(決して威張って言えることではないが)

 クリスチャンでもなく、特定の宗教に傾倒しているわけでもない。ゆえに、イエス・キリストが果たして本当に神の子だったのか、など論じる資格も知識もない。ただ、歴史的にイエス・キリストが出現し、それまでの神との契約を古いものとして、新たに人間と神の関わりを説いたのが新約聖書となっている。旧約聖書の「目には目を」的な考え方から180度転換し、「右の頬を打たれたら左の頬を出す」…という表現に代表されるように報復的思考から許容的・寛容的思考へと転換させたのだ。

 しかし、ご存知の通り、イエス・キリストは理不尽な迫害を受け、「神を冒とくする者」として、罪人として扱われ、最後はゴルゴダの丘で磔の刑に処せられる。しかし、3日後には蘇り、昇天するという話である。イエス・キリストは確かに何も悪いことはしていなかった。しかし、人智を超越した奇跡やその人々を惹きつけていく言動に、権力者や利害関係がある人間や、または妬みを持った人間が「悪人」と決めつけ、陥れようと目論み、最後は処刑してしまう。

 何か、マイケル・ジャクソンに共通する面がないだろうか?幼少の頃からジャクソン5の一員として活躍し、その天性からやがては独立し、ギネスブックに世界で最も優れたアーティストと認定され、管理し切れない財産と名声を獲得した。当然、「金の成る木」に群がる人間もうようよする。恩恵に預かれる人間は、奉り、利用する。自分に不利益となる人間や、単に嫉妬する人間はマイケル・ジャクソンの存在が面白いはずがない。ネバーランドなるものを建造し、贅沢三昧で生活するKing of popを何とか引きずり下ろしてやろうと思うだろう。

 いわゆるスターにはスキャンダルがつきものである。それは事実もあるし、まったくのでっち上げもある。マイケル・ジャクソンの場合は、槍玉にあげられたのが例の「児童性的虐待疑惑」である。子どもを可愛がっているフリをしつつ、じつは小さな子どもに性的虐待を行っていたというものである。ご存知の通り、最終的には「無罪」となったが、その裁判をめぐってはとにかくいろいろな憶測が乱れ飛んだ。マイケル・ジャクソン=変人であることを証明するために、贅沢三昧の生活ぶりを紹介したり、エレファントマンの骨やアインシュタインの目玉を欲しがったとか…聞いたことがある。

 エルヴィス・プレスリーの娘と結婚したのは、自分がホモでないことの証明とか、まぁ三面記事としては数え切れないスキャンダルがあったのではないだろうか。おまけに整形疑惑や肌の脱色なども加わって、今回のコンサート・リハーサルから死に至るまでは、かつての栄光よりは、むしろダーティで変態として世間に認知されていた。死因については、これまたいろいろな憶測があり、詳細はわからないが、薬物依存等がその主因であるなら、そこまで精神的に追い詰められていたわけで、追い詰めたのは人間である。イエス・キリストは、最後は民衆の声によって、罪人バラバが放免され、イエスが磔の刑になったが、一歩間違えれば、マイケル・ジャクソンも児童性的虐待裁判によって罪人となり、アーティストとしての生命を奪われる瀬戸際だった。

 この裁判にしても、恐らく未だにマイケル有罪を主張する人はいるだろう。もちろん、筆者ごときに真相などわかるはずもないゆえ、このことをどうこう論じるつもりはないが、時として多くの圧力や権力や、そして見苦しい嫉妬心が事実をねじ曲げてしまうことが長い歴史上でも数多くあったということである。人は誰だって、自分より優れている人には嫉妬心を抱く。これは決して罪悪ではないと筆者は思う。自然な人間の感情だと思うのである。問題はその嫉妬心をどう処理していくかである。嫉妬の対象を尊敬し、自分も向上する努力をするか、もしくは、悔しいから潰してやろう、抹殺してやろう、陥れてやろう…と思うかである。

 話がかなり逸脱しているが、このDVD特典映像でのオルテガ氏のコメントも、ドラムのモフェット氏のコメントも、まさにマイケル・ジャクソンが「神の子」の再降臨だったことを暗に語っていないだろうかと思える。

前述したが、歴史上で、どこかでそのポイントとなる、つまり歴史を変える人物が出現し、人類の歴史は今のところ何とか維持されている。その歴史を変える人物も、必ずしもいい方向に変えた人物とは言えない場合も多々ある。権力・武力・知力を持って歴史に名を残す「英雄」たちだって、必ずしも全てが善人ではない。そしてそうした武力的英雄とは別に、学問や芸術のジャンルで出現した偉人や天才たち…数え上げればキリがないが、筆者が今回列挙したいのが、ルネサンス時代の万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチである。名画「モナ・リザ」の作者、映画「ダ・ヴィンチ・コード」などでもいろいろと話題となったが、ダ・ヴィンチもまさに孤高の天才であった。出生については明確でなく、ヴィンチ村の孤児だったらしい。画家でありながら、多方面への知識にも精通しており、まさに万能の天才に相応しい、それこそ人間離れした才能の持ち主だった。

 ダ・ヴィンチの場合、人間性を疑われるような極端な迫害に遭ったとかいうことは史実はないようだが、凡人などには決して理解できない天才ゆえの苦悩も多かっただろう。ここで何故、突然レオナルド・ダ・ヴィンチを引っ張り出したかというと、ドラム担当のモフィット氏のコメントが非常に印象的であり、筆者も共感する面があるからである。「神は数百年に1人、特別な人間を作る」…これは歴史的に見ても、なるほどと思える。学問・芸術というジャンルにおいて、マイケル・ジャクソンはルネサンス時代に神から派遣された天才レオナルド・ダ・ヴィンチ以来の派遣された人物だったのではないだろうか。

 ダ・ヴィンチは主に絵画という美術方面で神業を駆使した。そして、神は今や環境破壊を発端とする人類滅亡への警鐘を鳴らすべく、音楽方面でマイケル・ジャクソンを派遣したのである。レオナルド・ダ・ヴィンチは神から派遣された特別な人間だったが、時代背景もイエス・キリストの頃とは異なり、また当人の性格的なこともあり、本来芸術方面、とりわけ絵画でその神業を発揮すべきだったが、いろいろなことに興味を持ちすぎ、万能の天才と称されたが、結果的には関わった全てのジャンルが未完成となってしまった。肩書き(あるのかわからないが)が画家の割にレオナルド・ダ・ヴィンチはその完成作品が極端に少ないのもそのためなのではないだろうか。

 そして、何百年という時間を越えて、音楽面で派遣されたのが、マイケル・ジャクソン。やはり時代的背景の違いから、遠い昔、イエス・キリストが救世主と崇められ、真の「王」と支持者から賞賛され崇められても、決して贅沢な宮殿など建築しなかったし、最後まで質素な姿勢であったが、モノが溢れる現代においては、神の子として派遣されても、なかなか質素に任務を遂行するというわけにはいかない。ネバーランドという宮殿を建設し、豪勢な生活をしていたことは事実だろうし、それが逆に過激なアンチ派を生んだのかもしれない。そこへ数え切れない整形手術の話や皮膚の脱色の話が加わり、さらに周知の幼児虐待疑惑…とその芸術性よりむしろキング・オブ・スキャンダルのみがクローズアップされてしまった。

 たかがDVD紹介に乗じて、何やら延々と記してきたが、筆者の結論は、ドラマーのモフェット氏のコメントはまさに言いえて妙なり!と思えるのである。マイケル・ジャクソンは恐らく何百年に1人、神が創造するのか派遣するのかわからないが、そうした1人であると思える。ダンスにしろ、音楽にしろ、さまざまな創造にしろ、ここまで人々を熱狂させるのは神業でしかなし得ないことである。女性ファンがアイドルに対してキャーキャーわめくだけなら、まだ理解できるが、熱狂の対象はまさに老若男女問わずの事実は、まさにイエス・キリストが多くの民衆の支持を得た光景と類似していないだろうか?イエスは神の道を説き、人々を啓蒙し、導こうとした。羊飼いがヒツジの群れを先導するかのごとくである。

 マイケル・ジャクソンは音楽やダンスという芸術を通して、人々を熱狂させ、その過程で子どもや命の大切さを啓蒙し、地球環境の悪化を懸念し、4年のうちに環境を取り戻そうとスタッフに提案した。確かに自らの生活は一般人とはかけ離れた贅沢さだったかもしれない。しかし、彼を信奉する人々は誰一人としてそれを妬むこともなく、ただひたすらその人間離れした音楽とダンスの芸術性に魅了され、熱狂してきたのである。かつてのスタッフで「マイケルは人類史上、もっとも誤解された人間」というコメントもあるようだが、このDVD特典映像での関係者のコメントにも同様のものがある。

 真実は今となってはわからない。しかし、確実なことは、マイケルにとっての晩年、つきまとっていた様々な汚名やスキャンダルを自らの「死」をもって全て払拭し、逆に賞賛を浴びる大逆転劇を演じたことである。「This is it」は、本来ならば50歳になったマイケル・ジャクソンが復活を賭けたコンサートだったと言われた。ロンドンでファイナル・カーテン・コールを行うと大々的に発表した直後から、体力的に無理とか、声が出なくなっているとか、失敗する…とか言われていた。とてもコンサートなどこなせる状態ではないが、借金返済のため、やらざるを得ないのだという情報もあった。

 50回というとてつもない公演回数も、プロモーターの利益からで、マイケル自身はとてもこなせない、せいぜい10回が限度と抵抗した…などという話も聞こえた。そうしたネットやニュースなどから聞こえてくる情報しかない以上、それらの真偽もわからない。ただ、事実は映画として記録されたとおり、リハーサルが行われており、ダンサーもバンドのメンバーもバックコーラスも、そして周囲の関係スタッフも全員が最高のステージを目指していたことは事実である。オープニングで登場するライトマン実現のためのスタッフの努力、大掛かりな仕掛けのための裏方さんたちの努力、最高のステージのために作られていた数々の衣装や靴、そして人類史上最高のエンターティナーの元に集結したミュージシャンやダンサー…すべては、主役であるマイケル・ジャクソンに導かれて、最高のステージを求めてリハーサルを行っていたのである。

 大掛かりな舞台の仕掛けも、奇抜で斬新な衣装も、オープニングの演出なども、全てマイケル・ジャクソンという被写体が演じるからこそマッチするものである。特典映像で紹介されている着用予定だった衣装など、マイケル以外に誰が着られるだろうか、と思えた。他のアーティストが同じような真似をしたら、恐らく茶番だろう。王冠は王に相応しい人物がかぶらなければただ喜劇である。

 繰り返しになるが、本編は17回も観た。そして、今回DVDの発売により、映画では見られなかった特典映像を見た。死の直前まで、まさしくそばで行動をともにしていた多くのスタッフのコメントや、決して知ることのできなかった舞台裏…こうした映像も、マイケル・ジャクソンが死んだことによって、光を見た。映画「This is it」も同様である。予定通り、コンサートが開かれれば、映画の公開もなかっただろう。

 1ファンとしては、50回など、とんでもない回数はいいから、せめて1回だけでも、あのオープニングからスタートし、華麗な衣装を着用し、神のダンスを踊り、歌うマイケル・ジャクソンを見たかった…と残念でならないのと同時に、もしそうであれば「This is it」という映画も観られなかったかも…という矛盾する感情に板ばさみである。

 結論として、マイケル・ジャクソンは多分「神の子」だったのだろうと思う。イエス・キリストを初代として何百年かごとに、必要性に応じて、神が創造したか派遣したかという特別な存在なのだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチ以来の芸術面における使者だったのだろう。そして、マイケル・ジャクソンもイエス・キリスト同様に「死」をもって、自らの存在を証明し、見事に映画やDVDという現代の利器を駆使して復活を果たしたのである。イエス・キリストが予言通り、3日後に復活昇天したのと同様に。

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