心を穏やかに/エッセイ

レオのこと〜その2〜/エッセイ

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 ■第40話/レオのこと…〜その2〜■

レオ1 前回第39話で愛犬レオの状況を記した。そこでも記していることだが、腎臓疾患のために皮下点滴で毎週土・日と車で通院し、極端に状態が悪くなると1週間前後の入退院をし、通院を始めた昨年5月頃から入退院も7回を数える。

 そんなレオが先月7月初め頃に状態が悪く7回めの入院となった。そして、翌日には退院予定という前日、病院から家に連絡が入った。レオが危篤とのこと。明日の朝まで持つかどうかわからないので、今のうちに面会を…という連絡だった。

 筆者が自宅マンションの敷地内の駐車場に着いて、携帯を見ると妻と息子から何度も着信履歴があった。そして息子からのメールでレオが危篤状態であることを知った。時間は午後10時半近く。慌てて息子の携帯に電話をすると、妻と娘と息子がすでに病院でレオと面会し、タクシーを呼んでもらって、間もなく帰るという。

 そんな!明日まで持つかどうかわからないという状態で、オレは面会できないのか?電話で息子に今すぐ向かうから…と言ったが時間が時間だから…とのこと。諦めて車のエンジンを切り、しばし車の中で呆然としていると、息子から携帯TELが入り、病院の先生が特別面会してもいいから…と言ってくれているという。

 急いで筆者は病院に向かい、レオと面会した。危篤…というからもうグッタリして意識もないのか…と思っていたが、しっかりと立ち上がってどう見ても危篤状態とは思えない。家族総出の緊急面会が功を奏したのか、奇跡的にレオは持ち直したのである。そして、翌日には予定通り、無事退院となった。

 しかし、その約1週間後の7月15日、レオは激しい痙攣発作を起こし、それをきっかけにレオの「老化」は一気に加速したようである。立ち上がってもヨロヨロよろけてしまう。目もほとんど見えないようである。初めての痙攣発作以降は、もういつ逝っても不思議ではない状態に思えた。そしてその時から我が家のレオ24時間看護体制が始まった。といっても、筆者は会社勤務があるし、娘も仕事があり、息子も専門学校とバイトがある。必然的に妻がメインでの看護となるが、まったく寝ないわけにもいかない。それぞれが休みの日やまとまった時間、家にいられる時は交代でレオを看護することになった。

 もっとも痙攣を起こしたら何もできず、せいぜい体をさすってあげるくらいで、その後の激しい息づかいがおさまるまで静観するしかないのだが。毎日がレオとのお別れの覚悟の日々となった。どうしてあげればいいのかわからない。苦しいのだろうか?何をしてあげられるのか?どうしてほしいのか?言葉を話すわけでもないゆえ、ひたすら推測するしかないもどかしさ。

 そんな状態が数日続くと、家族の中でも、苦しませるのは可哀想だ…という気持ちも出てくる。連日の看護で精神的にも体力的にも疲労してくる。前回のエッセイでも記したが、通院している時、病院の先生と話をしたことを思い出した。「動物の場合には、人間と違って安楽死が認められていますから、苦しませないで逝かせてあげることはできます」…しかし、そんな決断などできるだろうか?意志の確認もできず、ただ推測だけで安楽死などさせられるものか?

 レオはその後も痙攣発作を起こしながらも、自力で立ってオシッコもし、排便もし、少量ではあるが食べる時にはものすごい勢いで食べる。立ち上がってはフラフラし、周囲を囲ったクッションのあっちこっちにぶつかり、ヨロヨロして最後は疲れて倒れるように横になる。

 最初の痙攣発作を起こしてから、1ヶ月が経過する。当初はついにダメか?と覚悟を決め、その日を生き延びてくれると次の日には今日でダメか?とまた覚悟を決める。そんな日の繰り返しとなった。痙攣発作もなく、しっかり食べて、出すものも出したりするのを見ると、もしかしたら奇跡が起こるのか?などとつい思いたくなる。

 しかし、残念ながらそのようなことはない。7月15日の痙攣発作の瞬間から、間違いなくレオのXデーに向かってのカウントダウンの時計のスイッチは入ったのである。そのカウントダウンはあと何日分あるのか?それももちろんわからない。明日かもしれない。1週間先かもしれない。1ヶ月先かもしれない。痙攣発作もない日もあるが、1日に2度起こすこともある。

 病院で先生と話をしている時、その病院で扱った犬の最高齢は15歳だったと聞いた。その時、じゃあレオがその記録を更新できるかな?などと話したことがあった。また前回のエッセイでも記したが、レオとは男同士(?)の約束で「17歳まで頑張るんだよ。それを過ぎたら好きにしていいから」と話したこともあった。17歳までという男の約束は到底叶うまでもないが、レオを一体いつまで頑張れるのだろうか?

 確かに痙攣発作を見るのは辛い。その後の激しい息づかいも、まるで狂犬病のようなすさまじい形相であえぐ姿なども見ていて辛いものがある。フラフラ、ヨロヨロする姿も痛々しい。可哀想である。しかし、筆者は思うのである。そうした見たくないような辛い姿を見守るのも飼主の義務であると。

レオ2 レオは確かに辛いのかもしれない。苦しいのかもしれない。しかし安楽死など考えない。レオが苦しければ、何もできなくても一緒に辛い思いをすればいいのだ。見たくなくても目をそむけてはいけないのだ。見守ることしかなす術がないのなら見守るのだ。

 できることを精一杯やってあげるのだ。そう思うようにしている。7月15日の最初の痙攣発作直後は、ついに短期戦となったか…と思えたが、それが今は長期戦とは言えないかもしれないが、中期戦の様相となり、毎日心のどこかで「もしかしたら?」とレオの安否を気遣う日々である。もう、以前のように元気に家の中を勝手気ままに歩き回ることもできない。

 周囲をクッションなどで囲い、約1畳ほどに敷き詰めたオシッコシートの範囲内で思いついたように立ち上がったり、フラフラしたり、痙攣を起こしたり、寝ていても小刻みに軽度の痙攣を起こしているような状態である。今は決して過保護にはせず、出来る限りレオのやりたいようにさせ、その日が遠くない覚悟をしながら、心の片隅で起こりえない「奇蹟」も信じつつ…。

 間違いなく近い将来訪れてしまうその日が来ても、涙ではなく「レオ、がんばったね。ありがとう!」…そう言ってあげたい。そう言えるようでありたい。

 


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