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レオのこと/エッセイ

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 ■第39話/レオのこと■

レオ1 細々と公開している「ともだちMUSEUMブログ」では何度か記してきたのだが、我が家には15歳の老犬レオという犬がいる。犬種はパピヨンで、蝶々のような大きな耳が特徴の犬である。このレオについては、「ともだち絵本館」でも「かぶきいぬレオ」というやすらぎ絵本としてFlashムービーを公開もしているのだが、もう1年近く前から、さすがに年齢的なこともあるが、体調不良である。

 腎臓疾患で、かかりつけの動物病院の先生の話では、元の状態に戻るということはなく、寿命までなるべく今以上悪くならないように注意してあげることくらいしかないとのことである。1年ほど前に、あまりに具合が悪そうなので、久しぶりに病院に連れていった時から、レオの通院生活が始まった。

 今では基本的には1週間に2回、土曜日と日曜日に病院に連れて行き、皮下点滴を受けている。それでも体調不良がひどくなると入院である。そして今まで5回ほど入退院を繰り返している。入院の期間も最長でも1週間程度、短くても4日程度で、入院すれば静脈注射で治療をするから、通常の通院による皮下点滴よりははるかに効果があるようだ。

 1週間に最低でも2回通院するわけで、当然その費用もバカにならない。1回皮下点滴で治療を受けると3,150円也である。そして、入院でもすれば、1日約1万円弱はかかり、4日程度の入院でも4万円程度はかかる。1週間入院すれば7〜8万円である。しかも、入院して退院すれば、もうそれで大丈夫というわけではなく、その後も1週間に2回は通院して点滴を受ける。今はペット保険などもあるが、飼い出した頃はそのようなものもなく、今さら保険に入れる年齢や状態でもない。よって保険もきかない。

 入院するほどの状態になるのも、不定期でひたすら様子を見て、判断するしかない。人間と違って言葉を話すわけでもないから、一体どのような具合なのか、日常の様子で推測するしかない。何も食べなくなってしまうと、もう黄信号である。吐いたり、下痢をした時でも要注意である。

 我が家では、犬を病院に連れていくのは筆者の役割…というか、筆者しかいないのが実情で、もう1年近くは、そんなわけで土・日も必ず車で犬を病院に連れていく状態となった。お金はそれこそ飛ぶようになくなっていく。1ヶ月で最低でも3万円近くがかかるわけで、その間にも薬代や血液検査をすれば、さらに出費はかさむ。動けるのも筆者のみ、お金を出すのも筆者のみ…少しでもお金を貯めてなどと考えても、それはまったくの無駄である。厳しい状態である。

 しかし、だからといって病院通いを放棄できるだろうか?もう15年も一緒なのである。人間でも生まれてから15年たてば15歳で、中学生である。犬の年齢ではもう80歳程度になるらしい。一般的にパピヨンという犬種の場合、12〜16年が平均寿命らしい。その意味からも我が家のレオも、間違いなく寿命に限りなく近づいていることは、考えたくなくても厳しい事実である。

 皮下点滴の治療を受けている時、先生に聞いたことがある。「ダメになる場合は、どのような形でダメになるものでしょうか?」と。先生曰く、最も多いのはこの年齢になると、人間でいう老衰のように眠るように苦しまずに死んでしまうことが多く、場合によっては呼吸困難で死ぬ場合もあるとのこと。ただし、呼吸困難は非常に苦しいゆえ、動物の場合、人間と違って安楽死が認められているから、どうしても苦しくて可哀そうな場合にも、注射でその苦痛を取り除いていげることができるので、あまり考え過ぎなくても大丈夫…とのお話だった。しかし、少なくとも安楽死など選択できるものではない。もういいから死なせてください…などとは断じて言えない。もちろん、犬の苦痛は決して理解できるものではないから、あまりに苦痛の状態を見たら、そうした選択もせざるを得ないのかもしれないが。

 筆者はレオに約束した。「あと2年は絶対がんばるんだよ」と。17歳である。そこまでは絶対にがんばってほしいと約束した。そこまでがんばってくれたら、もう何も言わないからと。あと2年…それに特に意味があるわけではない。2年たてば、自身の状態が現状のどん底から這い上がって、輝かしい状態になっているなどという保証はまったくない。ただ、漠然とそう約束した。もちろん、犬にそれが理解できるはずもないだろう。

 我が家では、このレオを飼いだしてから、1年後に同じパピヨンをもう1匹飼った。ポッキーという名前をつけた。レオとは性格的にも対照的な天真爛漫な犬で、筆者もむしろポッキーを溺愛していた。しかし、ポッキーはわずか9歳という年齢で死んでしまった。原因は多分内臓疾患なのだが、晩年はひどい腹水で、病院に行ってはお腹にたまった水を抜いたりしていたが、これも栄養分まで抜き出してしまうからきれいサッパリ水を抜くこともできず、多分ポッキーとしても日々辛かったかもしれない。ある朝、気づくと舌を出した状態で、動かなくなっていた。

 大きな後悔の念が残った。何もしてあげられなかったことに対する飼い主としての情けなさ…。もっと病院で定期的に検査をするなり、いかにお金がかかろうが、治療食をキチンと食べさせていれば、もしかしたらもう少し生きられたのではないか?…だから、もう二度と同じ後悔をしたくないのである。レオに、今できることをしてあげることが、飼い主としての義務である。

 病院の先生は、腎臓疾患の場合は、良くなることはなく、とにかく悪くなる速度を遅くして、犬にとって不快感を出来る限り取り除いてあげて、それを寿命まで続けるしかない…とおっしゃっていた。しかし、筆者は出来る限りの愛情を注いであげれば、もしかしたら「奇蹟」も起こるのでは?と、バカなことを考えている。レオが、その愛情を感じとってくれ、「生きよう、がんばろう、治ろう」という気持ちを持ってくれれば、世の中にもたまにある「奇蹟」も起こるのではないかと思っている。

 レオはあるディスカウントストア内にあったペットショップで、筆者の妻が一目見て、気に入って飼うことを決めた犬である。その当時は、筆者が胃癌の手術を終えてまだ間もない頃で、筆者ももし自分が死んでしまった場合には、その代わりで…とレオを飼うことにした。筆者がこうして1週間に2回、がんばって病院に連れて行って、お金もやりくりして、「面倒を見て」も、それでもレオにとって、恐らくいちばん好きな人は妻である。

レオ2 しかしそれはそれでいいのである。最も長い時間一緒にいる人、エサや世話をしてくれる人が犬にとっては最優先順位の人間になるのであるから。それでいいのだし、むしろその方が望ましいのである。しかし、それでも筆者はレオに出来る限りのことをしてあげたいと思っている。お金などなくなったって、決して無駄なことに使ってしまっているわけではないと思っている。

 ドライに考えれば、もうこの先せいぜい数年の寿命に、そこまでお金をかけるなどバカらしいと思われるかもしれない。確かにその通りである。突発的な事態がない限り、我が家でもっとも死というものに近いのは間違いなくレオなのである。もう1年ももたないかもしれない。しかし、だからと言って皮下点滴治療を放棄できるだろうか?具合が悪そうな様子を見て、見ぬふりができるだろうか。そんなことなら最初から犬を飼う資格などないのである。

 確かに飼い始めた頃と5〜6年ほど前から収入や生活状態は大幅に悪化した。しかし、だからといって飼い始めた責任を放棄できるだろうか?たかがペットだからと放棄していいのか?自分の子どもなら、人間なら出来る限りの手を尽くしても、犬なら知らんぷりでいいのか?動物なら、人間でなければ死のうが生きようが構わないのか?

 …そんな自問自答を繰り返しもした。どんどん出ていくお金を見て、今の不況で厳しい世の中、自身の年齢や、今置かれている境遇などを考えても、少なくとも今後大きく好転することなど期待すべくもない。しかし、筆者は考える。一体何が大切なのか?今、最優先すべきことは何なのか?生きているかすらわからない数年先を憂うことに何の意味があるか?例え「奇蹟」は起こらなくとも、自己満足のためと思われようとも、今、出来ることをやる…それが筆者のやるべきことだと思っている。


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