雑用は楽しいかね?★エッセイ

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 ■第14話/雑用は楽しいかね?
 デイル・ドーテン著、野津智子訳、きこ書房発行の「仕事は楽しいかね?」という本がベストセラーとなり、その続編も出版されたので、お読みになった方も多いのではないかと思う。このストーリーは5月だというのに大雪が吹き荒れ、飛行機でシカゴから帰路につこうと思っていた主人公が空港閉鎖のために足止めを食らってしまう。そこで、マックスという老人と知り合い、「仕事は楽しいかね?」と問われる。全部で14章に分かれたこのお話はその章ごとに教訓的な見出しがつけられており、老人マックスが主人公に問いかけ、教え諭すようなスタイルで、仕事に対する姿勢や成功するための方法論やアイディアが記されている。一般的な教養書とは異なり、老人マックスと主人公との会話が中心になっており、それがひとつの流れをも作っているから、読みやすい。

 「明日は今日と違う自分になる、だよ」「きみたちの事業は、試してみた結果失敗に終わったんじゃない。試すこと自体が欠落してたんだ」「新しいアイデアというのは、新しい場所に置かれた古いアイデアなんだ」…等など、その章の見出しだけでも格言っぽく、思わずうなずいてしまう内容である。が、このコーナーは「独断でおすすめの1冊」ではないから、ここでこの本の内容を説明するつもりではない。たまたま、今回記す内容のタイトルが意図的にこの「仕事は楽しいかね?」をもじってつけたゆえに、まずはその本を簡単に紹介したまでである。まだ、お読みになっていないビジネスマンはぜひご一読を。

 さて、本題だが、「雑用」というとどういうイメージを描くだろうか?一般的には本来、主とした業務があり、それ以外はすべて「雑用」ということになるかもしれない。主たる業務以外の仕事が雑用であるならば、当然のことだが、誰だってメイン業務を持ち、余計なことはやりたくないだろうから、雑用などやりたくないものである。しかし、雑用もひとつの業務であることに変わりはない。ゴミを捨てる、コピーをとる、資料を整理する…その会社によっていろいろな「雑用」が存在するだろう。自分には主たる業務がある、だから雑用はやらない…という考え方は決して間違いではないかもしれない。なぜなら、雑用と思われる業務をやったばかりに主たる業務がおろそかになろうものなら、その人の評価にはマイナスとなる可能性があるだろうから。

 では、事実存在するそうした雑用はいったい誰がやるのがいいのか?やらなくていいことならやる必要はないかもしれない。が、雑用という聞こえは悪いかもしれないが、歴然とした必要な業務であれば、いつかは誰かがやらなくてはならない「仕事」なのである。ゴミ捨ては?コピーとりは?資料整理は?放ったらかしにしておいたら、いつの間にか自動的に出来るのならいいが、結局は誰かがやるのである。では、そうした雑用をやる人は損なのでは?…そう、残念ではあるが、それはある意味では当たっている。

 しかし、よ〜く考えてみてほしい。では、この世の中に果たして本当に「雑用」というものが存在するのかどうか。じつは存在しないのではないかと筆者は思っている。自分にとっては主たる業務の範疇外だから雑用…かもしれない、…が、それを主たる業務にしている人もいるのである。仕事に上下は決してないのである。確かに「格好いい」仕事と「格好悪い」仕事はあるかもしれない。しかし、それは単にイメージの問題にすぎないのである。

 よく見かけるパターンだが、なぜか人は偉くなると雑用をしなくなる。偉くなる…とはあくまでもそのひとつの小さな「会社」や「組織」という世界に中でのことに過ぎないのだが、どういう訳か、ほとんど多くの人が勘違いをする。身分的に何やら肩書きがつくと、もうそれだけで自分は大人物になったように錯覚する。言葉遣いも変わってくる。自分勝手になる。人に対する思いやりがなくなる。そうなれば、必然的に「そんな雑用は自分のやるべきことではない」と思う。「そんな雑用はあいつにやらせておけばいい」とまで傲慢になる。言い古された格言だが「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、はるか彼方である。

 「雑用」をどんどんやろうじゃない。もちろん、自分の主たる業務をおろそかにしてまでとは言えないが、時間が空いているのなら、ちょっとでも余裕があるのなら、すすんでどんどん「雑用」をやろうじゃない。会社に勤務時間があり、拘束されるのならその時間内は自分で納得できることをやる方が精神的にもいいではないだろうか。誰もが雑用としてやらないことを自分自身の業務にしてしまえば、それはそれで立派なひとつの定型業務になるではないか。仕事であることに変わりはないのだから、仮に他の人からすれば「雑用」と言われる仕事であってもそれをやる人は立派に会社に貢献しているのである。

 お茶汲みばかり、電話番ばかり…いいじゃん。それも立派な業務である。「雑用」という妙な言葉に惑わされるからつまらないと思えるのである。ひとつの業務とみなせば、仕事に上下はないのだから、何も恥じる必要はないのである。ゴミ捨てやお茶汲みや電話番や資料整理が雑用とみなすのなら、他の仕事もみんな雑用である。偉そうにしている人だってしょせんやっていることは雑用ということになるのである。仕事はどれもが平等に重大なのである。

 「仕事は楽しいかね?」と問うマックスも、その本の中では、すべてはその姿勢を見直すべきことを言いたかったのではないかと思うが、その意味からすれば、今自分自身のやっている仕事に疑問を持ったり、つまらないと嘆いているビジネスマン・ビジネスウーマン、そしてどんな形態にしろ働いている人すべてに「雑用は楽しいかね?」と問いかけ、「雑用」を楽しもう…と言いたい。最も大切なものは何者でもない、自分自身なのだから。


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