アンラッキーを貯金しょう★エッセイ

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 ■第11話/アンラッキーを貯金しよう
 誰にだって運・不運というものは長い人生のうちには何度も味わうことだろう。どんなことでもそうだが、未来永劫不変ということはあり得ない訳で、ラッキーだっていつまでも続く訳ではないし、アンラッキーも同様である。そんなことは頭では充分に理解していても、やはりあまりにアンラッキーが続けば、誰だって嫌気がさしてくるし、絶望的になり、落ち込んでしまうものである。

 以前、某企業サイトの制作・運営の仕事に携わっていた時、その関連で今はもうなくなってしまったサイトであるが、ある育児サイトの担当者からインタビューを受けたことがあるのだが、その際に今回のタイトルである「アンラッキーを貯金する」という話をしたところ、非常に興味を持っていただいたことがあった。もう2〜3年前のことだったと思うが、この「アンラッキーを貯金する」という考え方は私自身の不運からの脱出法の1つとしてかなり以前から持っているものである。不運続きの人に、少しでもお役に立てればと思い、記してみたい。

 そもそも人間の運・不運というのは果たして誰しもが平等だろうか?残念ながら必ずしもそうとは言えないと思う。もちろん、この運・不運は個人差があるもので、各自の基準で決められるゆえ、どんな局面がラッキーかアンラッキーかは難しい面もある。極度の苦難を乗り越えてきた人からすれば、ちょっとしたことはアンラッキーとは言い難いからである。贅沢に慣れてしまえば、ちょっとしたラッキーでもそうとは思わないものである。だから、ここではあくまでもどんなことがラッキーであり、アンラッキーかといった分析は一切なしにして、単に運・不運と感じた時を前提に記していきたい。

 不思議なもので、不運というものは立て続けに続くときには本当に底なしなのではないかと思えてしまうほど、深みにはまってしまうものである。「どうして、こんなひどいことばかり続くのか」「なんてついていないんだ」と思える時がある。そんな時は実際のところ、何をしても多分ダメである。もがけば、もがくほど逆に深みにはまってしまう危険性が高い。そんな時、当サイトの「独断でおすすめの1冊」第2回めでご紹介している著書「小さいことにくよくよするな」のごとく、「しょせん、すべては小さなことさ」…と受け流して、アンラッキーが過ぎ去るのを待てれば、それに越したことはないのだが、やはりそう簡単に割り切れるものではない。理屈では理解できても、実際問題となると、そう簡単にはいかないものだからだ。

 確かに、すべては「一過性のもの」にしかすぎない…というある意味では達観した思考法をマスターすれば、あらゆる苦難も意外と乗り越えられるものなのだろうが、とりあえず私はタイトルのごとく、「アンラッキーを貯金する」と考えるようにしている。もがけば、もがくほど深みにはまって、立て続けにアンラッキーが襲ってくるのであれば、いっそのこと「貯金」してしまうのである。

 お金なら貯金すれば、それだけ何か欲しいものを買う現実に近づくが、アンラッキーなど貯めてもいったい何になるんだ?…そう思われるだろう。確かにいくら貯金したって、何か買える訳ではない。あくまでも考え方である。人間の運・不運は決して平等ではない…と前述した。その考えは確かに持っているのだが、では不運な人はずっと不運だろうか?いや、必ず幸運だって訪れたはずである。そもそも運・不運の尺度というものは各自に依存されるものゆえ、どんなことがラッキーで、どんなことがアンラッキーかはいちがいには言えない。しかし、どう考えたって世の中のすべてが無常である限り、同じ状態が永続することはないのである。だから、アンラッキーが続いたらとりあえず「貯金」しようではないか。そのアンラッキーの貯金箱がいっぱいになったら、もうそれ以上はアンラッキーが入り込める隙間はないのだと思ってはどうだろうか。

 そうなれば、もうあとは必然的に訪れるのはラッキーしかないということになる。何せアンラッキーの貯金箱は満杯なのだから。何やらいい加減な理屈と言ってしまえば、それまでであるが、あくまでもひとつの物の考え方としてである。全てのことは永続しない。不運も然り、と思うことである。もちろん、逆を返せば幸運も永続しないということである。ラッキーだって使えばお金と同様になくなっていく。使い果たしてしまえば、その後は多少の不運を覚悟しなくてはならないだろう。「アンラッキーを貯金」する作業をふたたび繰り返さなくてはならないだろう。

 もっとも、ここで理解しておかなくてはならないことは、アンラッキーを貯金し、それがある程度いっぱいになり、訪れる「ラッキー」はもしかしたらあなたの望むラッキーとは違うかもしれないということである。「あれだけアンラッキーが続いたのだから、その見返りにジャンボ宝クジで1等が当たって億万長者」…なんていう訳には必ずしもいかない。確かに、アンラッキーの種類もいろいろだから、訪れるラッキーもいろいろである。が、アンラッキーを貯金した分、訪れるラッキーは間違いなくあなたにとって「幸運」なのである。その程度や質は一切関係なく確実にラッキーなのである。例え、その訪れたラッキーがあなた自身の密かに望んでいた種類や質のものでなかったとしても、そのラッキーを充分に味わってほしい。小さな「幸せ」でもいいではないか。ほんの一瞬かもしれないが、それでいいではないか。

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