飛べなくなったとき★エッセイ

飛べなくなったとき★エッセイ

徒然エッセイ
管理人室トップ管理人プロフィールぽえむコーナー徒然エッセイ展示室

 ■第10話/飛べなくなったとき、ふたたび飛ぶために
 当サイトの「独断でおすすめの1冊」コーナーでは絵本を中心に管理人である筆者の独断と偏見で本を紹介しているが、その記念すべき第1回めで紹介しているのが「リトルターン」という本である。まだご覧になっていない方は是非まず先に「独断でおすすめの1冊コーナー」をご一読いただきたいが、簡単に紹介すれば、主人公であるリトルターン(コアジサシ)というあまりなじみのない鳥が、ある日突然飛べなくなってしまうお話だ。鳥というものは当然ながら、空での生活が基本であるが、そのメイン舞台ともいうべき空を飛べずにコアジサシは、やむなく地上での生活を送ることになる。当然、最初はなぜ自分が飛べなくなったのか理解できず、自身の体を点検してみるが、どこにも支障はなさそうである。となると飛べなくなってしまった原因は内面の精神的なものなのだろうか?とコアジサシは考える。不本意ながら地上の生活を送るうちにコアジサシは今まで見たこともなかったものや体験したことのなかったことに遭遇する。そして知りあいになったゴーストクラブ(ゆうれいガニ)からいろいろなことを教わる。そしてコアジサシは自身の「影」の存在に気づき、それが以前からあったものにも関わらず気づかない存在であったことを理解する。ある日、コアジサシはまったく自然にふたたび空へ戻っていく。…このコーナーでまた同じ内容を繰り返しても仕方ないゆえ、大まかな内容を紹介したが、主人公・コアジサシは突然飛べなくなり、そしてふたたび自然に空へ戻っていった。

 ところで、今は世の中不況である。リストラも日常茶飯事だし、収入の激減なども当たり前の厳しい世の中である。今までそれこそ骨身を削って働いてきた人でも突然解雇されたり、不当な処遇を受けたりすることがまかり通っている。「なぜ?」…この疑問符を自身に投げかけた人も多いと思う。実際のところ、世の中には理不尽とも思えることも多い。いや、むしろそんなことばかりかもしれない。そんな「落ち込み」から立ち直る手段…そうした意味も含めてこの「独断でおすすめの1冊」コーナーでは前述の「リトルターン」を紹介したつもりである。そして第2回で紹介している「小さいことでくよくよするな」という文庫本も同様である。

 さて、「リトルターン」であるが、結末として主人公・コアジサシはふたたび空に戻っていった。以前と同じようにメイン舞台である空を飛ぶことができるようになったのである。が、ここで考えてみたいのが、このコアジサシ(リトルターン)がふたたび戻っていった空は果たしてかつてと同じだろうか?ということである。筆者の独断で記させてもらうが、間違いなくその空は違うと思う。景色も同じかもしれない。しかし、間違いなくそれは違うのではないだろうか。

 何が言いたいのかというと、人は誰でも必ず大きな障害にぶつかる。このコアジサシと同じように突然、飛べなくなってしまうことも多くの人が経験しているはずである。もちろんその度合いは千差万別だし、その障害の種類もいろいろだろう。そんな時、いったいどうすればいいのか、誰だって途方に暮れてしまうものである。このようなヒーリング絵本を読むのもひとつの脱出手段である。「小さなことにくよくよしない」と心をおおらかに持とうと考えることも有効な手段だろう。結果的には同じようなことの繰り返しになってしまうかもしれないが、筆者が思うにはふたたび飛ぶ手段としてこう考えてはどうかということを記したい。それはふたたび飛ぼうと思う時の心構えのようなものである。「かつてと同じように飛ぼうと思わないこと」…である。

 人は誰でも過去のイメージにとらわれる傾向がある。以前はこうだったから…と思う。それはかつて自身が経験したことに基づくゆえ、ある意味では安心感を覚えるからではないだろうか。未知のことよりも体験のあることの方が「知っている」のだから。それはそれで決して間違いではないだろうが、飛べなくなった時、そしてふたたび飛ぼうと思った時にはちょっと違った考え方をしてみてはどうだろうか。必ずしも以前と同じである必要はないのではないだろうか。同じに飛ぼうと思うと逆に難しい。過去のイメージにとらわれていると、それを模倣しようとすることばかりに気をとられかねない。そしてちょっとでも以前と違うと何やら違和感を覚える。「こうじゃない!」と否定する。しかし、それが逆にふたたび飛ぼうとすることを妨げる結果になるのではないだろうか。

 以前の自分自身は以前の自分自身でしかすぎない。今となっては過去の自分である。これは過去を否定するという意味ではなく、あくまでも今ある自分自身を見つめるべきだと思うということである。「過去の栄光」というものがあれば、誰だってその時の栄光をふたたび再現したいと思う。しかし、それがどうだというのだろうか。「あの頃はこうだった」という思いにとらわれていて先があるだろうか?それを模倣しようとすることに何の意味があるのだろうか?

 飛べなくなった時、ふたたび飛ぶためにもっとも大切なことは、とにかく「飛ぶこと」ではないか?スタイルや場所に関係なく、とにかくふたたび「飛ぶ」ことが最優先させるべきことなのではないだろうか。ならば、以前と同じである必要性はまったくなく、どんなスタイルでも、どんな環境下でも「飛ぶ」ことに変わりはないのではないだろうか。

 もちろん、そう簡単には割り切れるものではない。過去の飛行スタイルが華麗であり、自信に満ち溢れていて、素晴らしい環境下であったならなおさらのことであろう。たとえば勤めている会社で自分自身としても、世間的にも満足できる地位なり、身分なりを持っていた人が突然そのポジションを失ったり、リストラされたりしたとする。新しい職場なり環境は激変する。少なくとも以前よりは悪条件の環境下に自分を置くことになる。そんなことも今の時代では珍しいことでもなくなってしまったが、不幸にもそうした状況に追い込まれた時、どうするだろうか?不平不満を漏らし、やる気をなくすかもしれない。「なぜ、自分がこのような目にあわなくてはならないのか?」と何度も自問自答するだろう。そんな時は簡単に「すべては小さなこと」とは、なかなか割り切れるものではないだろう。

 そんな時は、まず慌てないで、その新しい環境を受け入れ慣れることを最優先にすべきだと思う。受け入れることが大切である。最初から否定的な姿勢を持ってはいけない。そのためには深く考えすぎないことも大切だろう。考えてみていただきた。自分はいったい何者なのだろうか?と。「あなたはあなた自身」だということをよく理解するべきではないだろうか。会社でのあなたは単に会社という極めて狭い世界の中にしかすぎない。仮にその狭い世界の中で大きな権力を持っていたとしてもそれがいったい何なのだろうか。一歩会社を出れば誰もが個人である。会社を離れたあなたはもっと広い、大きな世界でその身分なり地位が通用すると思うだろうか。そんな架空の「尊敬」よりももっともっと大切なことがあるのではないか?個人として、1人の人間として、1人でも多くの人から認められる方がどんなことよりも素晴らしい地位なのではないだろうか。その人の本当の価値そのものなのではないだろうか。

 とにかく「飛ぶ」ことである。つまずいても、落ち込んでも、とにかく自分自身の翼を広げてみることである。どんなに不恰好でもいいじゃないか。優越感に浸っている、くだらない人間からすれば、あなたの飛翔スタイルは格好悪いかもしれない。以前のあなたの華麗なる飛翔スタイルを知る人は、同情するかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいいじゃないか。「飛ぶ」という行動が大切なのだから、どんな格好であろうと、事実飛んでいるあなたは素晴らしいのである。誰が何と言おうと輝いているのである。少なくとも筆者はそういう姿を尊敬する。そして最大限の声援を送りたい。

 飛んでさえいれば、たとえ以前の美しいと思っていた景色に出会えなくても、以前ほどのスピードが出なくても、傍目から見て、たとえ不恰好でも、必ず以前とは違った新しい美しい景色に出会えるはずである。そう思い込むのではなく、あるがままの目で見ていれば必ずそういう自分が見えてくると思う。もう一度、翼を広げてみようか…まずはそう思うことがスタートである。その瞬間にきっと、あなたはすでに傷ついていたかもしれない、あなただけの翼を広げて空中に舞い上がっているのである。そんな素晴らしいあなたを、きっと誰かがどこかで見つめていて、声にならない大きな声で「がんばれ!」と応援してくれているだろう。…最後にこの文章は、大きな壁に突き当たって苦しんでいる人へのひとつの処方箋としての激励文であるとともに、筆者自身へのものとして記したことを付け加えておきたい。

徒然エッセイ扉へ戻る

| トップページ | What's New&サイトマップ | ともだち絵本館 | リレー絵本 | 折り紙教室 | ミニゲームコーナー | ともだちギャラリー | Flashムービー館 | 独断でおすすめの1冊 | ともだちリンク | 絵本作家リンク | 全国の絵本館紹介 | 掲示板 | 管理人室 |

TOMODACHI MUSEUM Copyright(C)SADAO MARUYAMA All Rights Reserved.