細面の二枚目だった『白馬童子』

 映画がピークを迎えたのは1958年だった。年間の映画館入場者数は11億2745万人。全国の映画館数が7千軒。当時の人口対比でみると、日本人のすべてが1年に12回以上映画を見たことになり、人口1万3千人に対して1軒の映画館が存在したことになる。
 しかし、翌年の皇太子ご成婚に伴うテレビの普及により、映画人口は減少しはじめ、65年には年間入場者数は3億7千万人とピークの三分の1となり、映画館も休館に追い込まれ、5千軒以下となった。

 当初、映画界はテレビの普及には限界がくると考えており、小遣い稼ぎに製作費の安いテレビ映画をテレビ局へ提供していた。特に大量の俳優を抱えていた東映は、増産できる体制にあった。
 そんな中で、チャンバラの東映がテレビ向けに製作し、ヒットしたのが59年の『風小僧』だった。原作は“新諸国物語”シリーズの北村寿夫。『笛吹童子』『紅孔雀』の延長線上にある作品だよ。
 主人公の風小僧は『紅孔雀』に登場したキャラクター。巨万の財宝のありかを秘めた白鳥の球をめぐって、風小僧と悪人たちと戦う波乱万丈の物語。
 少年期の風小僧を目黒祐樹(松方弘樹の弟だよね)が、風小僧の師匠役で山城新伍が出演していた。当時小学生だった目黒祐樹は、中学校へ行くためにワンクール(13回)で降板。代わって青年期の風小僧を山城新伍が主演。
 第2シリーズは北村寿夫の原案を離れ、普段は城の若殿だが、事件が起こると風小僧となって悪人を退治するという設定にかわった。風に乗って空を飛ぶというのが、スーパーマンみたいでカッコよかったなあ。

 東映のニューフェースだった山城新伍はこれで人気が出て、つぎの『白馬童子』の大ヒットで、知名度は全国的なものとなった。
 白装束に白覆面、獅子のようなたて髪をなびかせ、愛馬“流れ星”に乗ってやってくる。愛刀“日輪丸”が鞘走ると、必殺電光二刀流が悪人どもをなぎ倒す。白馬童子の正体は、将軍の落しだね葵太郎なんだよ。
 貴種流離譚の定石を踏まえた娯楽時代劇だった。砂塚秀雄扮するスリの猫七を連れて、長崎から江戸への旅を行く。だいたい4回完結で、1960年1月の長崎を舞台にした「南蛮寺の決闘」にはじまって、「逆襲嵐ヶ原」、「鉄火面の恐怖」、「厳島の決闘」、「悪魔の秘薬」、「黒風党の逆襲」、「お坊主変化」、「お化け白蝶」「怪盗乱舞」と続き、9月まで放映された。「南蛮寺の決闘」は、劇場でも公開されたんだよ。

 主演の山城新伍は、颯爽とした二枚目ぶりをみせ、スクリーンへの登場を期待させたが、映画は衰退期にさしかかっており、東映のスター層の厚さの中で、彼の出る余地はすでになかった。
 奥さんの花園ひろみと共演したTV映画『江戸忍法帖』が、二枚目時代劇スターとしての最後の作品だったような気がするなあ。

 

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