アニメの前に実写版があった

 その昔、貸本屋というのがあった。レンタルビデオ屋みたいなもので、ビデオの代わりに
本を貸していたのだ。貸本屋で毎月借りて読んでいたのが、雑誌「少年」であった。買えば
120〜150円する本が、1日当り本誌10円、別冊10円の20円で借りられる。この「少年」
にロボット漫画のルーツとなる『鉄腕アトム』と『鉄人28号』が連載されていた。七つの威力
(60ヶ国語を自由にあやつり、人間の心の善悪を感じとり、人間の千倍も聞こえる聴力、
サーチライトの目、送信アンテナの鼻、マシンガンの尻、ジェットエンジンの足)を持ち、10
万馬力で活躍する鉄腕アトム。作者は手塚治虫。1951年4月号に掲載された『アトム大使』
の中で登場し、翌52年4月号から『鉄腕アトム』のタイトルで連載が開始され、68年3月号
まで続いた。当初の予告では『鉄人アトム』となっていたが、キャラクターイメージからして、
やっぱり鉄人でなく鉄腕だよね。

 ひとり息子のトビオを交通事故でなくした科学者の天馬博士が、息子そっくりのロボットを
作るが、背が伸びないという理由(ロボットなのだから当り前)で怒りだし、サーカスに売り
とばしてしまう。サーカスでは、このロボットをアトムと名付けて見世物にする。ちょうどその
頃、地球人とそっくりの宇宙人が地球にやってくる。宇宙人の少年とアトムは仲良くなり、
さらに宇宙人と瓜二つの地球人の少年とも仲良くなる。宇宙人たちは、地球人と話し合い
のすえ、地球に住むことになる。しかし、宇宙人をよく思わない地球人もおり、その中心
人物が天馬博士だった。宇宙人を消してしまう収縮薬を発明して、宇宙人狩りを始める。
宇宙人と地球人の間で戦争が始まろうとした時、宇宙人でも地球人でもないアトムが全権
大使となって紛争を解決する。天馬博士は、誤って収縮薬を浴びてゴミになり、紛争解決
したアトムは、お茶の水博士のもとで生活するようになる。

 アトムは人間以上に優しい心を持ち、悪い心は持っていない。いいことと、悪いことの見
分けはついても、人間を傷つけることはできない。彼はロボットとしての自分に悩む。アトム
の思想性は、雑誌では強く表現されているが、TV化にあたっては、人類の平和のために
戦う、意思を持った正義のロボットとして描かれているにすぎなかった。

 テレビのアトムというと、大ヒットした1963年のTVアニメしか思い浮かばない人が大半だ
ろうが、アニメになる前に実写でテレビ化されたものがあるのだ。59年3月から60年5月
までの放送で、瀬川雅人なる少年がプラスチックのぬいぐるみを着けて、アトムになっていた。
空飛ぶシーンは、はっきり人形とわかったし、縮尺もデタラメだった。およそ特撮とはよべな
い情けない作品だった。

 『鉄腕アトム』が、人間のことばを喋り、自分で考え、判断する力のあるヒューマノイド
型ロボットだったのに対し、横山光輝原作の『鉄人28号』は、意思を持たない破壊兵器
だった。鉄人を操る操縦器が、悪人の手に入れば人類の危機になるし、正義の手に入
ればこれほど心強い味方はないわけだ。SFというより、操縦器をめぐる冒険活劇の要
素が大きかったね。

 『鉄人28号』が「少年」誌上に連載されたのは、1956年7月号からで、アトムに遅れる
こと5年目のことだった。
 太平洋戦争末期、乗鞍岳の秘密研究所でロボット兵器の開発が行われていた。26号
と27号は完成していたが、最強の巨大ロボ鉄人28号は未完成のまま、終戦を迎える。
しかし、鉄人は謎の男の手により完成しており、破壊の権化として登場する。作者の横山
光輝氏の話によると、強力な兵器として造られた鉄人28号は、少年探偵・金田正太郎の
敵として、世の中に恐怖を撒き散らし、溶鉱炉に落ちて滅んでしまうという筋書きを考えて
いたとのこと。ところが人気が出てきたので、うやむやのうちに正義の味方に変わったら
しい。鉄人28号を完成させたのが誰か明確になっていないし、敷島博士が突然現れて、
鉄人の操縦器を完成させたりして、ストーリーも行き当たりばったり的なところがある。物
語の完成度からみると、アトムに遠くおよばないが、人気となると、鉄人の方があったん
じゃないかな。

 アトムの愛・自由・平等・平和・ジレンマといった物語の持つテーマ性は、子どもにはちょっ
とこみいっており、鉄人の操縦器の争奪戦・ロボット同士の対決といったゲーム性のほうが
単純で、子どもにはちょうどよかったのである。

 人気マンガとなった『鉄人28号』は、当然テレビ化されている。もちろん実写版。『鉄腕ア
トム』の実写版もひどかったが、『鉄人28号』の実写版はもっとひどかった。大人の身長よ
り少し大きい程度の鉄人がノロノロ動くだけ。金田正太郎なんて半ズボンをはいているもの
の、顔は二十歳過ぎのお兄さん(後で知ったのだが、当時10歳の内藤雅行氏だったとのこ
と)に見えた。シリーズのアドバイザーとして、星新一氏が参加していたとのことだが、本当
かなあ。60年2月に開始されたが、あまりの情けなさに、4月で打切り。
 私は2〜3回見ただけだが、全部見た人っているのだろうか。

 後に、手塚治虫の『マグマ大使』や、横山光輝の『ジャイアントロボ』の実写版が放映され
たが、巨大ロボの迫力はそれなりに出ていた。アニメさえ実用化していない時代に、アトム
や鉄人の実写版は早すぎたよ。

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