テレビが映った1956年から、家族揃って見る『紅白歌合戦』が我が家の大晦日の風物詩となった。
どこにも出かけず、炬燵の中でミカンを食べながら紅白を見る。この習慣は、私が社会人になり、結婚して
別の家庭となっても、形を変えて現在に至るまで続いている。
ただ、最近は断片的にしか見なくなったが……。 紅白といえば、歌手が男女に分かれるだけでなく、司会者も男女に分かれて舌戦を繰り広げるのが見どこ
ろのひとつだが、私が見始めた56年の紅組の司会は宮田輝であった。
司会者が女性に変わるのは翌年から。白組の司会は高橋圭三。
高橋圭三がNHKを辞めた62年から、白組の司会は宮田輝になる。その年の紅組ゲストの水の江滝子に、
裏切り者呼ばわりされていたことを思い出す。
その水の江滝子が57年からの紅組女性司会者第1号だった。
当時の出場歌手は、歌謡曲界からだけでなく、童謡・民謡・タンゴ・シャンソン・ジャズ・ポップスといった、あ
らゆるジャンルから選ばれていた。
代表的な歌手を思い出してみると、タンゴの女王と呼ばれた藤沢嵐子、シャンソンの中原美紗緒、芦野宏、
高英男、ジャズの笈田敏夫といったところか。そういえば、“バッテンボー”(「ボタンとリボン」)の池真理子や、
“デーオ、イデデーオ”(「バナナボート」)の浜村美智子も忘れられない。
東郷たまみ、朝丘雪路、水谷良重(現、八重子)がボーカルトリオで出場したのが58年。
“親の七光りトリオ”なんて言われていたが、個人歌手としても実力はあった。
58年には日劇で第1回ウエスタンカーニバルが開催され、ロカビリー歌手(平尾昌晃、ミッキー・カーチス、
山下敬二郎)が若者に熱狂的に支持されたが、誰一人として選ばれなかった。
マンボズボンにリーゼント姿でひっくり返って歌うロカビリーは、不良のイメージが強く、健全なNHKの体質
には相容れないものだったのだろう。
平尾昌晃、ミッキー・カーチスが紅白に出場したのが60年で、61年には橋幸夫、坂本九といったアイドル
系も出場するようになった。
森繁久弥やフランキー堺といった芸達者が出場していたのもこの頃。「フラメンコ・カッポレ」なんて歌を森繁
は唄っていた。
植木等が出場したのが62年。クレイジー・キャッツの連中が応援にかけつけ、ゲストによる応援合戦が賑々
しくなってくる。
何しろ視聴率が90%以上だったのだから、子どもから爺ちゃん婆ちゃんに至るまで、日本国民の殆どが見
ていたことになるのだ。紅白に出場することが国民的歌手であり、大晦日に紅白を見ることが国民的行事に
なったのである。
この現象は、外国人からみると信じられないことだろう。なんでも横並びの日本人体質のひとつの証明とも
いえる。
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