職人が、ほっとする瞬間             
                   ☆望月秀城

 ある日曜日の夜9時頃に渋谷の、
とあるホッピー屋Kに仕事帰り、
ふらっと一人で寄った時の事です。
いつも煤だらけのカウンターに腰
をおろし、ホッピーを頼んで、ふ
と横を見ると馴染みのお寿司屋N
のご主人が一人でモツ焼きをつつ
きながら、ホッピーを呑んでいま
した。
 Kから歩いて10分ほどのお寿司
屋Nが僕は大好きでした。ネタの
おいしさは勿論の事、このご主人
はカウンターの中で、客に媚びる
でもなく、必要な時にしか口を開
かない、黙々とお寿司を握り続け
る職人肌の人でした。僕はこの人
柄と、その店内に漂う緊張感が大
好きで、よく通っていたのです。
 そんなNのご主人と、緊張とは
全く対峙するKのカウンターで隣

合わせになってしまったのです。
僕の頭は混乱しました。ご主人も
僕に気づいたらしく、はにかんだ
笑いを浮かべながら挨拶を交わし
ました。僕らは初めての乾杯をし
て、ポツポツと会話を始めました。
 日曜日は、いつもスポーツジム
に通っていて、今はその帰りだと
いう事。僕は今、仕事の帰りだと
いう事。今時の若い者は、すぐに
ネギトロ巻きばっかり喰いやがる
事。音楽業界が先行き不安な事。
 30分位話したでしょうか。ご主
人はポケットから千円札を数枚取
り出して勘定を済ませると、「じ
ゃあ」と僕の肩を叩いて出て行き
ました。
 一ヵ月位たったある日、僕は仕
事関係の人と3人で、ちょっと緊
張しながら寿司屋Nの門をくぐり


ました。煤なんかついてない真っ
白なカウンターに腰をおろすと、
ご主人はビールを注いでくれなが
ら、Kで会った時のような、はに
かんだ笑顔を浮かべました。その
日はいつもより話をしたように思
います。
 ホッピーは飲み物っていうより、
薬だって事。やっぱりつまみはモ
ツ焼きに限るって事。
 その後、Kでご主人と会った事
はありません。そして、僕にとっ
てKの居心地の良さと、Nの心地
好い緊張感は変わっていません。

 



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