film

Movie Review


Hitch's mark4=excellent 3=good 2=fair1=bad 1/2=半分加点

kill bill vol.1

後半に『キル・ビル Vol.1』


kill bill:vol.2女殺し屋からブライド、そしてマミーへ。
闘いのあとに広がる「母性の至福」


キル・ビル Vol.2

(04年4月25日公開)


Kill Bill : vol.2
Directed by Quentin Tarantino
☆Uma Thuman/David Carradine/Daryl Hannah
Michael Madesen/Gordon Liu/

STORY★殺し屋軍団「毒ヘビ暗殺団」で最強とうたわれた女殺し屋ザ・ブライド。が、彼女は組織を離れ、身ごもったまま結婚をしようとした。彼を愛するボス、ビルは彼女を許さず、暗殺団を使い、彼女を抹殺しようとした。が、辛くも生きのび4年の眠りからさめたザ・ブライドは復讐の「死のリスト」を作った。オーレン・イシイとヴァーニタ・グリーンの命を頂戴したあと、さらに復讐は続く。残された復讐ターゲットはビルの弟バド(マドセン)、看護婦のエル・ドライバー(ハンナ)、そして最後にビル(キャラディン)。まずはテキサス・エルパソにいるバドを標的にするが、ザ・ブライドはバドにつかまり生きたまま埋葬された…。多難を極める闘いをどう突破し、ビルに到るのか…?!

REVIEWSpoiler!! 以下、見てから読め!

kill bill:vol.1「Vol.1」のレビューの最後で、ボクはこう書いた。『キル・ビル vol.2』の展開はどうなるか。食指が動くリストを挙げてみよう。
1)1作目で描かなかった挙式での惨劇が時制の綾として、リアルに再現されるのか。
2)片目の大柄女ダリル・ハンナ(エル・ドライバー)が『ブレードランナー』以来の肉体アクションを魅せのか。
3)(ビルの弟)バドを演じるリスト4のマイケル・マドセンがヒロインへのシンパシーを見せていたが、初の男の対戦で男の情を発揮されるのか。
4)最後の標的であるビル役のデビッド・キャラディンが日本刀を弄んでいたが、どんなふたりの殺陣となるのか。
そして、第1巻のエピローグで明かされた「秘密」がどう影響していくか。

★開巻劈頭、ビルに襲われ瀕死のブライドの顔のアップ。そこにビルが語る「サド・マゾ」の愛のモノローグ。これは前作にもあった。で、コンバーチブルカーに乗ったブライドが画面に向かって、語りかける。「死のリスト」を作ってリストアップした、と。1人目のヴァニータ、2番目のオーレン・イシイは抹殺した。あと2人も抹殺した。「残るのはラストワン。それはビルを殺すことよ!」と前口上。あとでわかるが、この車のシーンは時制で言えば、リストの4人を殺したあとで、いよいよビルのもとに殴り込みをかける道中の姿。40年代ころのハリッド映画を偲ばせる、グラフィック調の美しいモノクロ映像が印象的です。

★「Vol.1」でご記憶の通り、映画は章立てとなって、時制を入り組ませた構成。本編は第6章の「結婚教会トゥ・パインズの惨劇」から。そもそもザ・ブライドはなぜ刺客を放たれ、いかにして瀕死の重傷を負ったのか。結婚式での「惨劇」が語られる。場所はエルパソ(余談だけど、エルパソと言えば、ボクなど典型的な西部の町を想像する。60年のヒット曲で悲劇のガンマンを歌った「エルパソ」という楽曲があった。日本では「ローハイド」のB面に収録してあった)。さて、結婚式は荒野にポツンとある寂れた教会。このシークエンスも、モノクロだ。惨劇は式前日のリハーサルと起こった。教会のオルガン弾き役でQ映画の常連サミュエル・L・ジャクソンがカメオ出演する。「ラブ・ミー・テンダー」でも弾こうかとザ・ブライドに声をかける。彼はバーケイズ、ドリフターズ、クール&ギャングなどとツアーをした前歴を披露する。ザ・ブライドの相手はトミーとわかる。中古レコード屋の男。ザ・ブライドが息抜きに教会の外にでると、フルートの音。バック音楽はギターとマカロニ・ウェスタン調。フルートを奏でる男がビル、声のみだったデビッド・キラディンが初めて姿を現す。その長い竹竿をくり抜いたフルートを奏でる姿は、70年代に彼の当たり役となった『燃えよカンフー』でカンフーの極意を身につけた流れ者の修行僧クワイ・チャン・ケインの姿とダブってみえる。Q監督の狙いだろう。

★ザ・ブライドとビルが教会のベランダで接近する。ふたりが歩み寄る顔と足下を交互に切り返す対峙ショットはワクワクさせる。本作では、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタンにおけるトレードマークだった、クローズアップ(とくに目のアップ)とフルショット(建物など全景)の緩急のブレンドが、本作の映像タッチを支配するといっていい。要所にエンリオ・モリコーネの楽曲を使いマカロニ・ウェスタン調に染め上げていく。「Vol.1」がヤクザ映画やアニメといった「和」のムードをベースにしたが、「Vol.2」はこのマカロニ・ウェスタン・ムードがQ監督の映画的遊びのひとつ(ちなみに最後の感謝のクレジットで、セルジオ・レオーネの名があり)。

★「お前はいつも寂しい女だ」とビルがザ・ブライドに言う。この言葉が終盤、ザ・ブライドの寂しさの所以を語るシーンとリンクしていく。花嫁衣装を着たザ・ブライドをハイキーな映像で、より輝くとように捉えた映像が美しい。「美しい?」とザ・ブライドがビルに無邪気に訊く。「Yeah」と応えた。次ぎの瞬間、教会前に「毒ヘビ暗殺団」の4人が銃をもち立ち並ぶ。ここからQ監督の意表を突く演出。彼らの後ろ姿を捉えたショットからはじまり、彼らが教会内に踏み込み銃声がとどろくあたり、映像は教会のみをフルショットからクレーンの俯瞰映像へと移動する。つまりは観客側は惨劇自体を直視せず、想像のなかでザ・ブライドの悲劇を追体験するという趣向だ。うまい。
kill bill:vol.2★映画は「過去」語りのモノクロから「現在」のカラーに切り替わる。第3のターゲット、バドの登場だ。バド役は『レザボア・ドッグス』でカミソリで刑事の耳を削ぎ落とす狂気のギャングを演じたマドセン。本作ではトレーラーに住み酒浸りで、用心棒稼業にも遅刻し、店のボスから罵倒されても、反撃したりするわかじゃない。兄のビルがバドにザ・ブライドの復讐を電話で告げる(ザ・ブライドの本名をビルが言うが、ここではピー音で伏せてある遊びも)。バドは「あの女は復讐して当然だ。オレたちも殺されて当然だ」と言い、「服部半蔵」が作った日本刀も質屋に売ったと告白する。かといって、バドは情も男気もある男じゃない。根からの殺し屋。そう簡単にザ・ブライドにクビをとられるようなタマじゃない。

★て、わけで、第7章「ポーラ・シュルツの寂しき墓」ははじまる(表題のポーラ・シュルツは68年、エルケ・ソマー主演のロマンチック・コメディ『彼女の不道徳な夢』The Wicked Dreams of Paula Schultから。相手役の男の役名はビル)。舞台は砂漠のなかのトレーラーハウス。トレーラーの下にザ・ブライドが忍びの態勢。トレーラーハウスをフルショットとアップを交えてで捉える映像は、先に言った通りレオーネ調だ。「Vol.1」でのザ・ブライドの闘いを見ている分には、今回も相当、ザ・ブライドのスーパーな闘いぶりが見られるのかと期待するだろうが、派手さはない。いや、同じ派手さを追求しても、結果一本調子に見えることを避けた巧みな作劇なのだ。今回の闘いぶりは趣が違う。彼女の底力がジワジワと発揮される、本当の強さを示す闘いぶりなのだ。バドの闘いではあっさり、銃弾で胸を撃たれる。銃弾に岩塩を仕込んだという殺さず苦痛を与えるバドの戦略。殺す方法はもっとも苦しみを与える殺し方というのが、バドのプロのこだわり。それはザ・ブライドを生きたままお棺に入れ、墓に埋めてしまう方法だ。
kill bill:vol.2★絶対絶命のザ・ブライドがどう難局を突破するのか。そう思うと、第8章「パイ・メイの猛修業」で、いかに彼女がスーパーパワーを身につけたかが語られる。実は彼女はボスのビルの肝いり、少林寺の僧60人を拳で倒したという伝説の高僧パイ・メイのもとで苛烈な修業を収めた身とわかる寸法だ。「Vol.1」で千葉真一演じる服部半蔵が剣の師で笑いのポイントだったが、「vol.2」ではゴードン・リュウ演じるパイ・メイが拳の師(声の吹き替えはQ監督自身が担当)。人間の5つのツボをおさえれば、5歩歩いて絶命するというリーサル・ウェイポン的拳の極意の持ち主という設定(最初の脚本では「10のツボ」だったそうだが)。日本刀の極意を収めたというザ・ブライドに、パイ・メイが腕試しの相手をする。ひょいとザ・ブライドの刀の上に乗っかる図など、武侠映画モードの面白さ。ふたりの修業ぶりはジャッキー・チェンの一連の修業拳ものに通じる面白さ・可笑しさでもある。友人の小原くんの感想では、このシークエンスのエピソードは、『北斗の拳』に通じる味わいなのだそう。ぼくは漫画に疎いので、そんな味もあるんだ、と思ったりして。パイ・メイは「Vol.1」ではクレイジー88の猛者ジョニー・モーを演じていたから、2役。パイ・メイは相手に命令したり感心したするとき、白いあごヒゲを手でしごいてみせるポーズをとり見栄を切る。その姿もユーモラスだが、パイ・メイとは中国語で「白い眉毛」を意味するのだそう。なかなか、凝った笑えるキャラだと思うよ。て、わけで、こととき取得した「板割りの拳」が脱出に役立つという趣向だ。

★さて、今回のキャラで「オーレン」に負けない面妖な殺し屋キャラが、エル・ドライバーだろう。第9章は「エルと私」。看護婦姿で入院中のザ・ブライドの命を狙おうとした悪女。演じるダリル・ハンナがなかなかの怪演をみせる。『ブレードランナー』のアンドロイド・キャラ再びという感じで、ザ・ブライドとわたりあい、暴れまくり、足をばたつかせ断末魔の叫びをあげる。ふたりが展開するバドのトレーラーハウスでの激闘ぶりは見せ場たっぷり。なぜ彼女が片目にアイパッチをつけているいきさつもわかり、ザ・ブライドの怒りの鉄拳に火をつける。ザ・ブライドが彼女を仕留める方法が、これまたパイ・メイ譲りというオチなのも、面白い展開だ。

★「vol.2」の魅力は、ザ・ブライドはもちろん、ビルもバドもエルも、それぞれ心のうちを語るところにある。Q監督ならではの、饒舌なダイアローグの妙にあるだろう。彼独特の分析的な視点で、人間関係の綾をあぶだす。バドがザ・ブライドから奪った「半蔵の刀」を、エルが買いにくる。エルはどうやら「日本刀」に価値をみいだしてるようだ。バドがエルに尋ねる。エルの宿敵ザ・ブライドがバドの手にかかって死んだと聞いて、「いま、どっちのRを感じるか」と。「リリーフ(安堵)か、リグレット(後悔)か」。エルは「リグレット」と答えるのだが、その後悔というのが男に憎しみを抱く悪女らしい。つまり、最高の殺し屋ザ・ブライドがバドのようなウジ虫の手にかかって死んだからだ。その啖呵の切り方が、凄み満点。ここで「よーく考えよ、女は大事だよ」と思わず、保険屋のCMソングがボクのヘッドをかすめた。思考するに、「vol.1」でヴァニータは幼い娘を遺して死ぬ運命だった。オーレインも男にくいものにされた一家の悲劇のヒロインだった。ビルが「育てた」女たちは殺し屋の宿命を背負い、女として生きる道は閉ざされてきた。不幸な女たち、寂しい女たち。映画の最後のクレジットに流れる梶芽衣子の「恨み節」倣えば、これは男の翻弄されてきた不幸な女たちが自らの力で不幸の宿命から脱却し、新たな自分と出会うまでの映画である。フェミニズムとは言い過ぎだが、立派な「女性映画」の境地であります。

kill bill:vol.2★クライマックスがいい。ザ・ブライドはビルと対峙する。そこには「Vol.1」のエピローグで語られた通り、死んだと思った娘がビルに育てられている。銃を構えてザ・ブライドを迎える拳銃ごっこの出迎える姿は、すでにザ・ブライド予備軍のような、危うい環境か。幼い娘が寝る前にビデオを見るという。それが『子連れ狼』(画面はでてこないが、大五郎の英語モノローグが聞こえる)というのもQ監督らしい。

★ビルはザ・ブライドとリビングで対峙し、こんな話をする。ビルは無類のコミックファンで、ヒーローものが好きだ、と。で、彼はスーパーヒーローを分析する。ヒーローには別人格が必ずいる。バットマンならブルース・ウェインという具合。フツーのスーパーヒーローは元々は人間で、ヒーローに変わっていくものだが、「スーパーマン」だけはどのヒーローとも違う。彼は元々スーパーマンで、服を着たクラーク・ケントが別人格なのだ。結局は彼はスーパーマンのまま。ヒーローの孤独を感じている。ケントはいつも人間の弱さを見ている。つまり、ザ・ブライドもまた、根からの「女殺し屋」。「花嫁」になって幸せになれる存在ではない、と。先にビルがザ・ブライドに言った、「寂しい女」の烙印がここで生きてくる。彼女をその烙印から逃れさせようとしたものはなにか。なぜビルの前から逃げたか、ザ・ブライドは語る回想がQ監督らしい面白さ。ザ・ブライドは暗殺ターゲットを料理しようと計画していたとき、体の変調に気づき、妊娠テストを試す。そこに先手を打って、相手方の女刺客が急襲してくる。自分はいま妊娠していると気が付いた、見逃して欲しいと頼み込む。女刺客が妊娠テストを手にとりチェックする。試薬が「青」に反応していれば妊娠。それを確認した女刺客が「おめでとう」と言って去っていく。彼女を変えたものは、母性である。ビルとの闘いは、母性をかけた闘いなのだ。ご覧の通り、最後の闘いは静かに引導を渡すような、安らか闘いだ。あれほど血みどろだった闘いが、最後の最後でかくも、静かに最高の技を持って完結するとは! 「君は素晴らしい」とビルは最期にそんな讃辞を遺すが、観客もまた、ザ・ブライドへの想いが心に広がっていく。ザ・ブライドはその瞬間、マミーとなった。

★もう、見た人はお分かりの通り、ザ・ブライドの実名はベアトリック・キドー(Beatrix Kiddo)。名前を解釈するなら、ベアトリックはベアトリス(Beatrice)の変形。beatitude(ビート・ゼネレーションのビートはここから来ているが)と重なりあう名前で、ラテン語で「幸せ」の意味がある。ベアトリックが「幸せ」の暗喩とみるのはどうだろうか。で、kiddoは「きみ、お前」という問いかけの意味あり。「きみに幸せを」という判じ物にも思える。かくして、愛娘を得たベアトリスは翌朝、ヌイグルミの熊を胸に抱えて、トイレの床に横臥して泣き笑いのラストシーンがジワジワと胸に迫る。「至福」の瞬間であります。

★今回もサントラの選曲が愉しい。ボクが気に入ったのは、愛娘を抱きしめて『子連れ狼』を見るあたりに流れる、ゾンビーズでヒットした楽曲のスロー版『ふたりのシーズン』。

★「Vol.1」は111分、「Vol.2」は136分で2本あわせると、247分、4時間7分。やはり、本作は「Vol.1」の激しさと「vol.2」の静かな情感(とっいても十分に過激)が一対となって、はじめて照らしあう作品。長尺でも1本の作品としてまとめられたものを見たほうが、鑑賞態度としては、相応しかったのでは、と思う次第です。かのセルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(3時間48分)がビクともしない傑作だったように。(ギャガ=ヒューマックス配給 2004/04/15 UPDATED)

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kill bill:vol.1ショウ・ブラザースからマカロニ・ウェスタン、そしてサムライ。
映画の鉄人タランティーノが多彩な素材を料理したB級映画の玉手箱


キル・ビル vol.1

(03年10月25日公開)


Kill Bill : vol.1
Directed by Quentin Tarantino
☆Uma Thuman/Lucy Riu/Vivien.A.Fox
/Sonny Chiba/Julie Dreyfus/Chiaki Kuriyama

STORY★ザ・ブライド(サーマン)は世界を震撼させた暗殺団の女エージェントだったが、挙式のさなかヘビ暗殺団のボス。ビル(キャラディン)の指揮のもと、かつての仲間によって花婿や参列者10人を惨殺された。彼女は死の淵を彷徨い、かろうじて息を吹き返した。彼女は4年のコーマ(昏睡)時期を経てこの世に甦った。彼女は復讐のリストを作り5人の標的をあげた。1人目は日本人と中国人のアイの子オーレン・イシイ(リュー)。2人目はアフリカ系米人女性エージェントのヴァニータ・グリーン(フォックス)。3人目は片目の看護婦エル・ドライバー(ハンナ)。4人目はバド(マドセン)。そしてザ・ブライドと愛人関係(?)にあった暗殺団のボス、ビル(キャラディン)。ザ・ブライドは眠りから覚めて、沖縄に渡る。服部半蔵(チバ)という人物から日本刀を手に入れるのが目的だ。半蔵は寿司屋に身をやつし、もう「殺しの道具」である日本刀を作ってはいなかった。ザ・ブライドは彼のもとを訪れ、半蔵の日本刀を所望する。最初は耳を貸さない半蔵も、その標的が彼のかつての弟子ビルであることを知り、刀作りを開始する。名刀を手にしたザ。ブライドは、東京でヤクザ組織を牛耳るオーレンの接近。青葉屋を舞台に、彼女の手下である通訳のソフィア・フェータル(ドレファス)、恐怖の17歳殺し屋ゴーゴー・ユウバリ(栗山)、そして88人の刺客と相まみえ、オーレンとの決闘になだれこむ。

REVIEW★『レザボア・ドックス』(92年)『パルプ・フィクション』(94年)『フォー・ルームス』(95年/4話の1話)、そして『ジャッキー・ブラウン』(97年)と米映画界でサブカルチャーの旗手として席巻してきたクエンティン・タランティーノ監督。彼の6年ぶり、51/4目の作品だ。実は彼の監督1作目は69分の中編『My Best Friend's Birthday』(87年)があるから、正式にその中編を1/2と考えれば、53/4。そういうマニアックな気分にさせるのが、愛すべきfucking good guy、Mr.Qことクエンティンタ・ランティーノであります(本作のクレジットでは原案はQ&U。Uはヒロインのユマ・サーマン)。ボク自身、彼の作品(脚本も含め)で1番スキなのは『レザボア・ドックス』、イマジカの試写室でそれを見たとき、ほんとうに酔ってしました。黒いスーツにサングラスのスローモー・ギャングのあのクールさ、優美さ。金の鉱脈を発見した気分。お次は『パルプ・フィクション』。そして脚本作『トゥルー・ロマンス』か。ファンには改め言うまでもないが、ちょっと復習する、と。タランティーノの持ち味はその類い希なる饒舌体の、オリバー・ストーンの追随さえ許さぬダーティ・ダイアローグと、ストーリーを自在に操る「時制」の妙だろう。スティーブン・ソダーバーグが未来をフッシュし現在からことを語る「フラッシュ・フォワード」の名手なら、Mr.Qは過去の時制をフラッシュしながら現在を語る「フラッシュ・バック」、ウェールズ、マンキウッツら映画史の名手を追い越した革新的名手だ。Mr.Qのフラッシュは過去の過去とダブル・フラッシュ(『レザボア』で)劇中で2重の時制を操り、驚かせた。

★さて、『キル・ビル vol.1』でも、やはり初めに「時制」を語りたくなる。彼の職人芸、巧みだ。冒頭は女のあえぎ声から始まる。性か死か。あえぎはヒロインのクローズアップで、絶頂のあえぎでないことはわかる。顔には黒い血しぶき。画面はモノクロで、赤い血はおさえられている。ボクの乏しい映画体験でカラー映画以降、「血」が黒で表現されたのは、モノクロを好んだクロサワの『用心棒』『椿三十郎』での「噴水血しぶき」では。本作ではその噴水血しぶきは、後半でドドッとあふれる。瀕死の彼女に、クローズアップの靴(音)を響かせ、ひとりの男が近づく。彼はハンカチをとりだし彼女の血をふいてやる。ハンカチには「bill」とある。彼女はトドメの銃弾を浴びる。ヒロインは劇中、ファストネームで呼ばれているが、ピーの擬音が入り、字幕では「X印」と伏せられている。ボクの予想ではvol.2で彼女の名前は明かされると思うけど、仮の名称は「ザ・ブライド(花嫁)」だ(『レザボア』でギャングの名にすべて色の符帳を用い「色分け」したMr.Qらしいアイディア)。

kill bill:vol.1★先にも述べた通り、Mr.Qの脚本はジグゾーパズルのように細部を語り、全体にいたるものだ。彼は本作でそれらを整理するため番号を使ってる。ストーリーで紹介した通り、ザ・ブライドは復讐のリストをる。1から5まで番号が打たれ、整理されているが、このリスト作りを語りの半ば示すが彼の捻り。復讐の標的はリスト2のヴァニータからはじまるのだ。字幕ではチャプター1の「2」とある。まず、つかみの過激アクションが面白い。ザ・ブライドは小綺麗な家を訪れる。ドアが開けられた途端、女対女の死闘がはじまる。ザ・ブライドはナイフ、片やヴァニータは台所のフライパン。室内の壊れ物は粉々になっていく。ヴァニータはナイフを手にしてナイフ対ナイフに。闘いが佳境になったとき、大きな窓からスクールバスの到着が見える。ヴァニータの4歳の幼い娘ニッキーが帰ってきたのだ。彼女を迎えるふたりは、ナイフを後ろで隠し、ヴァニータはザ・ブライドを「お友達」を紹介する。娘の前は壊れ物で惨状だというのに。この間の可笑しさ、巧みさ。娘は部屋で大人しくしていなさい、と言われ、ひっこむ。女同士がなごみの小休止となり、コーヒーでも飲むとすすめられる。ザ・ブライドはもし自分の娘が生きていたら、同じ4歳になる、と母性をにじませる。彼女は「慈悲と寛容」を示し、娘に免じて、闘いは改めてと譲歩する。実はヴァニータはナイフ使いの名手であるが、ことの顛末は…。

★このあとのチャプター2で時制は過去にもどり、昏睡状態で病院のベッドに横たわるザ・ブライドの姿を俯瞰でとらえる。病院に復讐リスト3に挙げられたエルが潜入、看護婦の出で立ちとなり死の注射を用意する。エルは片目でカリフォルニ・スネークの異名をとる。その顛末は…。彼女が昏睡状態となり4年が経過していたが、彼女が目覚めるきっかけが可笑しい。なんと彼女の柔肌に蚊が吸いついたのだ。彼女が下半身麻痺状態を改善するため、足の親指を動かすことから始める。小技だが、意表をつく変化球満点の笑い。半身不随のザ・ブライドは看護士が連れてきた「客」に強姦される局面が訪れるが、見事に逆襲。車椅子で敵から逃れ、10時間以上かけて親指を動かすリハビリに専念し、彼女は五体満足で甦った。

★時制の入れ子細工が一段落したあと、復讐リスト1の顛末へと話が進む。標的は東京でヤクザ組織を束ねる女親分として力を持ったオーレンだ。その前に、ザ・ブライドはなぜかオキナワに向かう。『ベスト・キット』以来、オキナワは米国映画でなじみの武道の国。 ザ・ブライドは日本刀を手にいれようとやってきた。このオキナワシークエンスは、ボクを含め日本人の観客には嬉しいような恥ずかしいような。嬉しいとは、服部半蔵役のソニー・チバがあの大仰な発声とつたない英語ながら、Mr.Qが愛する「イコン」として銀幕に登場する。Mr.Qは脚本作『トゥルー・ロマンス』の冒頭で主人公が深夜映画を見るとき、チバの作品が上映されている設定にしたほど。 ちょっと気恥ずかしいのはチバと弟子のベタな吉本調(?)の掛け合い。このシークエンスで、Mr.Qがチバを思い入れたっぷりに描いたことはわかるが、冗漫で退屈と指摘した米メディアもいた。少々同感。チバがユマに日本語で喋られる言葉はと問い、「こんにちは」などの日本語の喋りを聞かせる図は、Mr.Qにしては陳腐に思えた。思わず笑ったのは、日本刀を売らないという半蔵に、ザ・ブライドが譲ってほしいと迫るあたりの光景。なぜ日本刀が欲しいか。「切りたいネズミがいるから」とザ・ブライド。「余程大きなネズミだな」と半蔵。敵を「ネズミ」になぞらえるのは日本の時代劇の影響か? そのネズミが半蔵の弟子と聞かされ、半蔵が蒸気で曇った窓に「BILL」を指で書く演出が、ダサ可笑しい。隠し部屋で日本刀を手にしたザ・ブライドが半蔵と腹をさぐりあう。日本刀を抜いたザ・ブライドに半蔵が、いま関心のあるのはこれだ、とベースボールを出す。腕試しを異文化演出で見せる図に、思わず笑ってしまった。半蔵がボールを投げると、ザ・ブライドはボールを一刀両断。日本の劇画にありそうな、歌舞伎方じゃないか。そう、本作は日本の劇画の影響も受けているようだ。米国でカルトな映画ネットの「Ain't it cool」では、本作に『子連れ狼』の影響が見えるとディープな読みをしていたのには驚いた。ザ・ヒロインは拝一刀か。ボクには半信半疑の解釈だが、本作の最後の最後を見たら、それも的はずれではなく、vol.2における隠し味なのかとも思った。余談だが、千葉真一が撮影では3シーン(シークエンスか)撮ったが、ワンシーンがカットされ落ち込んだと残念がっていた。ひょうとすると剣の稽古でもつけるシーンだったのだろうか、ちょうと興味がわく。

kill bill:vol.1★さてさて、vol.1のハイライトは復讐リスト1のオーレン・イシイとの決闘(この役名はオーレンが『影の軍団』で志穂美悦子が演じた役名から、イシイは石井輝男、石井隆、石井聡互とMr.Qがスキな3人のイシイから)。舞台は青葉屋(house of blue leaves)。このセットがなんともキッチュ。作りは和風で、1階はステージがあり、3人の女性バンドが演奏し客が踊っている。2階は時代劇の料亭ふうで和室が並ぶ。オーレンはここを会議室がわりに使っているのか。ヤクザ組織の総会は長いテーブルを置いた座敷で行っている。オーレンに抵抗するヤクザの親分もいる。国村準演じるこわもての親分が不満をぶちまけ、「あいのこ」(いまは死語か、混血の侮蔑語だよ)と罵る。それを聞いたオーレンが長いテーブルの上をツカツカと疾駆し、次の瞬間、親分のクビを日本刀ではね、クビを手にもち、さらす。ほかの親分を恫喝する凄みたっぷりの蛮行。米国の客には相当刺激が強そう。オーレンがなぜそこまで修羅の女となったのか。その生い立ちが日本のアニメ(劇画的な泥臭い絵つら)で語られるのが、ある意味オリジナリティ満点。彼女の両親はヤクザの惨殺され、以来復讐を誓い、ヤクザな道を進んできたというのだ。本作はドバドバ血まみれなのに、アニメがある種の映画の趣向を示し、エクスキューズになっている感じだ。これはあくまでリアルなお話ではなく、コミックにあるような空想なのですよ、と。

★このへんの趣味趣向は相当、好みがわかれるかもしれない。Mr.Qのサブカルチャーモードが全開だからだ。彼のサブカルチャー映画玉手箱から、フワフワと煙がでてきて、映画のマジックを見せてくれる。冒頭、ブルース・リーからジャッキー・チェンまで、あるいは本作で格闘振り付けのユエン・ウーピン(そう『マトリックス』)も含め、香港のショウ・ブラザースの会社ロゴを配してオマージュを捧げた。さらに『仁義なき戦い』の「深作欣二監督に捧げる」と献辞もある。本編でMr.Qが試みているのは、大きく見て2つの宝物からの引用。セルジオ・レオーネに代表されるマカロニ・ウェスタン、香港の「武侠映画」からの影響である。さらに隙間(?)はマニアでも知らないB級映画の引用やスプーフ。ちなみにMr.Qが撮影に入る前にユマなどに見せた作品は、ベトナム帰還兵の復讐劇『ローリング・サンダー』(脚本はポール・シュレイダー)、『ジャッキー・ブラウン』で主役を演じたパム・グリアーが70年代に主演したブラックスプロイテーション映画『Coffy』(73年/黒人看護婦コフィがヤク漬けにされ瀕死の状態になった妹の敵に復讐をする)、『ハードボイルド・男たちの挽歌』などを見せたという。一体どうなるとユマが思ったという、チャンポン状態の発想だ。だから、本編ではMr.Q好みの作品をかぎ分け、楽しむオタク的要素が満載であります。ボクはといえば、彼の玉手箱から出てくる煙にむせてしまい、半分もそのサブカルの下敷きに反応できないが。

★そのオタク領域に触れられない人にもMr.Qの世界は、吸引力を持っているのは確か。ザ・ブライドはいよいよ東京に上陸、黄色いジャンプスーツに身を包み(『死亡遊戯』でのブルース・リーの出で立ちだ)、半蔵の名刀を手にして青葉屋の乗り込む。ザ・ブライドを迎えうつのは、オーレンの手下であるゴーゴー・ユウバリ(ゆうばりファンタ映画祭へのオマージュか)、淫行目的の中年男に入れたいかと迫り、逆にナイフで腹をえぐり「こちらが入れちゃった」と不敵な笑いを浮かべる17歳。『バトル・ロイアル』の栗山千明が不気味な存在感で、『ブラックレイン』の松田優作のキャラにも負けない凄みたっぷりの殺し屋キャラであります。ザ・ブライドとゴー・ゴーとの対決では、ザ・ブライドが天井にへばりついて隠れる忍者アクションからスタート。青葉屋の階段も縦横に使った空中戦がダイナミックで展開する。階段の欄干もツタツタとはね回るワイヤー・アクション振り付けは面白い。武器の対決は、ザ・ブライドの日本刀に対して、ゴーゴーは草刈りガマふうの飛び。くさりがザブライドのクビに巻き付く。さらにクサリの先にはベイブレードのような鋭利な刃物。2店転の死闘のあと、ゴーゴーの死に方が、強烈だ。お次はザ・ブライドがオーレンの手下88人を相手にする大量殺陣の図で、本編最後に勝新太郎への感謝もあったから、「座頭市」も影響しているのかも。とにかく、手下の手足がばさばさ切り刻まれ、先にも言った通り「噴水血しぶき」の雨あられ。いやはや。

★意外に思ったことは、日本部分ではザ・ブライドとオーレンが頑張って日本語のセリフに挑戦していたこと。このセリフ回しがたどたどしいインチキ外人の日本語で、喋るたびに妙な可笑しさがわきあがる。オーレンがヤクザの総会で、親分のクビをとったあと、日本語で語るが途中から「この先は英語で話す」と断る妙に律儀な姿にも笑ってしまった。日本でタレント活動をしているフランス人のジュリー・ドレファスがバイリガルの通訳兼秘書役で登場し、物語のブリッジ役となっている作劇の配慮も、Mr.Qらしい几帳面さか。

★終盤はよりスタイッシュなアクション。手下と闘うザ・ブライドが電気が消され闇となった部屋で、障子の蒼白い薄明かりをバックにシルエットの殺陣を見せる。オーレンとの対決では、障子を開けるとそこは雪が降り始めて日本庭園。獅子おどしの音が響くなく、オーレンは白無垢のキモノ姿で、ザ・ブライドと相対する。オーレンがザ・ブライドに、許しを乞うようなエールの交換は、互いに復讐の人生を歩んできた同士の共感か。最後で半蔵の剣は、オーレンも驚く力を発揮するが、その顛末は…。資料によれば、このシーンは藤田敏八監督の『修羅雪姫』でのヒロイン梶芽衣子のイメージから発想したそうですが、ボクは『修羅雪姫』は未見のため、その関係はわからず仕舞い。ここで梶芽衣子の音楽も流れる(最後のクレジットロールでは「恨み節」までも!)。そうそう、音楽はすべて映画やテレビに使われた既製の曲をMr.Qがセレクトした、これまたオタクの味。「鬼警部アイアン・サイド」のテーマ、アニマルのヒットで知られた「悲しき願い」などなど。オーレンが登場するシーンでは、『新・仁義なき戦い』(00年)のテーマ(布袋寅泰作曲)が妙にハマっていてカッコいいです。

★ボクはこの映画に完全にはまったわけじゃない。エクセレントとも思わない。が、B級の味を目指した映画ならではの、お楽しみは詰まっている。何度か、時間を置いて食べたみたい、庶民の味。多彩な映画素材を名シェフ、Mr.Qがあれこれ工夫して、いろんな味にして仕上げた。好き嫌いはあるだろうけど、ダレにも真似できない唯一無二の無国籍の味わい。Mr.Qが独自の道を行く「映画の鉄人」であることだけは、たしかであります。

★そこで、『キル・ビル vol.2』の展開はどうなるか。上のザ・ブライドとビルの写真はvol.1では現れないvol.2のものだが、ボクの食指が動くリストを挙げてみよう。
1)1作目で描かなかった挙式での惨劇が時制の綾として、リアルに再現されるのか。
2)片目の大柄女ダリル・ハンナが『ブレードランナー』以来の肉体アクションを魅せのか。
3)バドを演じるリスト4のマイケル・マドセンがヒロインへのシンパシーを見せていたが、初の男の対戦で男の情を発揮されるのか。
4)最後の標的であるビル役のデビッド・キャラディンが日本刀を弄んでいたが、どんなふたりの殺陣となるのか。
そして、第1巻のエピローグで明かされた「秘密」がどう影響していくか。
次のメニューも気になり、思わずゴクン!でも、まずは、血のしたたる人肉料理をボナ・ペティ。(ギャガ=ヒューマックス配給 2003/10/20 UPDATED)

hitchhitchhitch