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君のいた永遠
TEMPTING HEART 1999年香港 監督シルヴィア・チャン 出演金城武/ジジ・リョン/カレン・モク ●115分 東宝東和=アスミック・エース配給 |
| SHIMIZU★★☆「時制のエレジー」。この映画の「永遠(とき)」を、そう呼びたいな、と思いました。'77年の香港を起点に、19歳だった浪人の青年と初体験を済ませていない17歳の女子高生との甘酸っぱい恋の思い出。サンタナのヒット曲「哀愁のヨーヨッパ」もモロに懐かしい。とくに僕のよううな世代には、ね。この恋の行方を、現代の時制から掘り起こす。それがちょっと凝っている。現代部分は、この映画の監督で女優のシルヴィア・チャン本人が劇中でも監督役で、新人の脚本家を雇い、先の男女の恋の行方を描く映画を作ろうと、脚本を練っていく趣向。最初は現代から'77年を追いかけるような雰囲気。つまり、現実から虚構を編み出すような手つきなのです。 多少、現代の監督と脚本家が物語を解体するようなポジションで、物語の暗転的な役割に思えたのですが、次第に過去が現代に追いつき、時制がシンクロしてくるあたりが、とてもスタイリッシュな作劇だ、と思いました。たとえば、主人公がヒロインとの交際を反対され、彼女の母親と自分の母親を挟んで話し合いを持つレストランのシーンが点のようにポンとイメージショットの如く放置される。やがて、その時の実情が再度、フラッシュバックされ、「謎」が解かれる。そういう時制演出が随所にあるのです。 ふと、僕が思いだしたのは、セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』での時制のマジック。あの映画でも「点」のような時制が線をなすようにイメージされていましたが、この映画にもその片鱗を感じました。僕が「時制のエレジー」、あるいは「時制のポエジー」とでも呼びたい部分です。ただし、主人公とヒロインとの関係を描く演出が最初ギクシャクした印象だったり、時制のなかに潜む謎や展開が予想通りで、作為がすぎると思ったり(とくにカレン・モクのパート)、不満もないわけじゃありません。でも、最後に写真を使って「愛が時を超えていく」という感覚は、まさに「時制のエレジー」という感じで、結構ジーンとさせるラストシーンでした。ヒロイン役の女優が美人で清楚。金城武も彼の主演映画のなかでは、好キャラクターといえるかも。(99/10/04 東宝東和試写室) YAZAKI★★☆男と女が「結ばれない」ことで、崇高な輝きと永遠性をおびる恋愛を描いたという点で、『マディソン郡の橋』のティーン版と名づけたい繊細な青春ラブストーリー。劇の作りが凝っていて、シルヴィア・チャン扮する女流監督の体験に基づくドラマと、モデルになった初恋の男性&監督の現在のエピソードが交錯し、さらに時間操作を加えた手法がとられている。作劇にメイキングの趣向を織り込んだところは、スタンリー・クァン監督の『ロアン・リンユイ』を思わせる雰囲気。 片想いの彼が見ているのは自分か、それとも隣にいる親友か? 男の気持を確かめようとするヒロインが、親友のそばをそっと離れて彼の視線を追う場面など、高校時代のヒロインの乙女心の機微をとらえた描写が、バツグンにうまい。ヒロイン役ジジ・リョンの清潔感あふれる女子高生ぶりも魅力たっぷり。 それに比べると、ティーン時代とその後のエピソードが、ニキビの有る無しでしか区別のつかない金城君の芝居は、もうちょっとなんとかならんもんかと思うが。でも、彼の主演作としては、『世界の涯てに』に次ぐ佳作であることは確か。日本と香港に遠く離れて住み、別々のパートナーと結婚して現実の生活を営む男と女が、それぞれの心に築いた異世界で愛を育みあっている――そんなふたりの「止まった時間」が、永遠に向かってフッと昇りつめていく感じを、男の撮り続けた空の写真に託して物語る演出には、メロドラマを超えた感動が宿っています。(99/09/16 東宝東和試写室) | |
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タイムトラベラー/きのうから来た恋人
BLAST FROM THE PAST 1999年アメリカ 監督ヒュー・ウィルソン 出演ブレンダン・フレイザー/アリシア・シルヴァーストーン/クリストファー・ウォーケン ●113分 日本ヘラルド映画配給 |
| SHIMIZU★★☆粗筋を聞き、ブレンダン・フレイザー主演とくれば、一瞬『原始のマン』ふうの趣向と思ったけど、これが意外に楽しめました。まず、設定が奇抜。反共産主義のパパが自宅に秘密の「核シェルター」を作ったが、折からキューバ危機のニュースにあわてて妊娠中のママと核シェルターに隠れ、家の上に軍の飛行機が落下するアクシデントが重なり、そのまま30年以上も籠城したという設定からしてほら話(トール・テイル)的な世界。そこで生まれた子供が主人公。核シェルター内はスーパーに負けない品揃えで、スペースも十分確保されている。普通なら、この現代に至るまでの「密室劇」がダレるところですが、演じるパパとママが強烈。いかにも「世間離れしたキャラが似合う怪優」、C・ウォーケンとS・スペイセクというのがキャスティングの妙で、核シェルターのつつがない生活が、不気味な面白さ。 彼らの核シェルターの上は店ができている。バーガー屋からラブ&ヒッピーの時代、バリ・ホワイトの甘いバラード流れるバー、パンクの店へ、ひとつの店の変遷が時代の変遷になっいるスケッチ。スラム化した店の廃墟にいる浮浪者状態の店主がシェルターから現れた「一家」を神とあがめ、新興宗教の教祖になる図も可笑しい。核汚染がなくなる35年後、現代に登場するフレイザーが現代とどう折り合いをつけていくか、そのタイムギャップが笑いのポイント。 さて、肝心のフレイザー君。ここでは、パパ譲りの古き良き時代のマナーを身につけ、無垢な青年像を全開させる愛すべきキャラ。地下へ食料を運ぶための働きアリ状態で、まず食料を買い込む。こんなワンパターンのキャラなのに、フレイザーの演技が嫌みがなく、見ているうちに、僕は好感を持ちました。手持ちの「野球カード」がすごい値打ちものだったり。とくに、見せ場はパパに言いつけ通り、地上で女をゲットしてくるため、ガールハントにクラブにでかけるところ。場所が'40年代趣向のクラブ。彼がパパから教わった昔のダンスをふるに活用、2人の女を相手にジルバを見事に踊り「プレイボーイ」ぶりを披露するシーンはなかなか爽快。 ことほど左様に、都合のいいお膳立てのみでお話が進行するのがシラケルといえばシラケルかも。それにブレーキをかけるのが現代のキャラの、ちゃっかり娘アリシア・シルバーストーンだったり(彼女のキャラがあまりWORKしていない)、彼女と同居中のゲイ男だったりするのだが、そのかみ合わせが結構イージーに展開するのが、ものたりないところ。たとえば、昔の「株券」が現代ではすごい優良株で大富豪になっている設定も、もっと2転3転あって、もっと、ドカンとくる笑いがあってもいいと思うけど、ま、静かにハッピーエンドという感じのお気軽コメディーです。(99/10/04 ヘラルド映画試写室) YAZAKI★★☆TVといえば「ジャッキー・グリースン・ショー」、音楽といえばペリー・コモ。古き良きアメリカの価値観で純粋培養された核シェルター育ちの青年が、35年目にして初めて地上の社会を体験。周囲にカルチャー・ギャップのタネをバラバラとふりまく姿を、爆笑モードで綴ったコメディ作。 お笑いのスパイスになっているのは、クリストファー・ウォーケン演じる父親と、シシー・スペイセク扮する母親の浮世ばなれたキャラクター。35年ぶりにシェルターの扉が開いたのに大喜びするふたりが、ツイストを踊り出す場面には笑ったのなんの。その後、シールド服を着て地上に出たウォーケンが、ドラッグクィーンを見てミュータントだと思い込んだり、アダルトビデオの店に仰天して「透明な毒ガスが出てる」と言い出したりと、この世界をSFチックに描写するところも快調に笑わせます。そんなウォーケンが地下から出現したのを見て「神」だと信じ込んだ酒場の男が、次に寝間着姿で現れたスペイセクを「マリア様」、息子のアダムを「神の子」と崇め、その場が教会と化していくルーティン・ギャグも、とびきりのおかしさ。 フランク・キャプラ映画から抜け出たような純朴青年を演じるフレイザーもまことに感じがよく、彼にとっては『原始のマン』以来の当たり役という感じ。(99/09/10 ヤマハホール) | |
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橋の上の娘
LA FILLE SUR LE PONT 1998年フランス 監督パトリス・ルコント 出演ダニエル・オートゥイユ/ヴァネッサ・パラディ ●90分 シネマパリジャン配給 |
| SHIMIZU★★☆大好きなルコント監督なだけに期待大。橋の上で自殺志願の娘と、彼女を助け「命を預かった」ナイフ投げの男。ふたりの「純愛」の物語です。ルコント監督の作品には、いつも三島由紀夫のような「性と死」の美意識を感じる僕なのですが、ここでも画面を「モノクロ」に設え、「性と死」をなぞうるような妖しい雰囲気が漂います。この映画で最も僕が気に入った気絶的なシークエンスは、光がこぼれる小屋で、ナイフ投げの男が初めてバネッサ・パラディを標的にしてナイフ投げの試技を心みるところ。バックに流れるのはマリアンヌ・フェースフルの歌声で、何度聞いても切なくなる物憂いバラードが、この映画の「性と死」の美意識を一心に表現した名シーンといえましょう。 さて、この早い予告編のようなシークエンスのあと、「死」を背負ったふたりの「生=性」はいかにめぐっていくのか。その激しくも劇的な瞬間を求めて、SHIMIZUめはふたりを見守ろうとしてのですが、その瞬間がなかなかやってこない。こないどころか、ナイフ投げ男は、彼の元をさっていった橋の上の娘の妄執につかれ、どんどん世界(中東など)を彷徨しエトランゼ化。ほとんど、もぬけの殻状態。 宣伝の人間によれば、ナイフ投げの男はすでに死んでいる、とうがった見方をする人もいたとか。でも、それはないでしょうが、とにかく、最後の最後で結ばれる純愛だとしても、ふたりの道程が、どうにもこうにも、思わせぶりで、じれてしまいました。どうだ、うまいだろうという感じダニエル・オトゥイユが主人公役というのも、いまいち面白い展開にならなかった遠因かも。サントラは中近東ふう音楽を満載したルコント好み(『髪結いの亭主』の延長線上のサントラ・)の快作で、しばしカーステレオで聞いておりましたが、エトランゼ気分に浸れること請け合いです。余談ですが、試写の当日、すごいカメラの放列があり「なんじゃい?」と思ったら、巨乳の桜庭あつこが招待されて見に来ていたことを、翌日のワイドショーで知りました。(99/09/03 徳間ホール) YAZAKI★★☆バネッサ・パラディの演じるアデルは、ちょっといい男を見かけるとセックスせずにはいられない奔放な娘。でも、そんな女に本当の愛がみつけられるわけがなく、男にポイポイ捨てられてばかりの日々に絶望した彼女は、セーヌ河の橋の上から身投げしようとする。そこに通りかかったのが、ナイフ投げの名人ガボール。「死ぬ勇気があるなら的になれ」とばかり、彼女をスカウトした彼は、ふたりでコンビを組んで巡業の旅へ。とたんに、それまで下り坂だったガボールの運も好転し、カジノがバカ勝ちしたり、宝クジに大当たりといったツキが舞い込んでくる。 が、アデルの男グセの悪さは相変わらずで、興行のために乗り込んだ客船で、こともあろうか花婿を誘惑して駆け落ち。結果、残されたガボールはトンとツキから見放され、トルコの橋の上から身投げしようとするまでに追い詰められてしまう。 と、いきなり粗筋を書いちまいましたが、これを読んでもらってわかるとおり、話の要点だけ見るとラブストーリーとは呼べない雰囲気。なんだけど、ナイフを投げる瞬間、的になる女に生死の境目をのぞかせることで彼女を犯す感触を味わう男と、その行為にエクスタシーを感じる女が、セックス以上の濃密な関係で結ばれるところが、ひじょうにエロチックに描写されています。 映画の魅力は、このナイフ投げのシーン一点に集約されていると言ってもいいかも。ナイフがビュンと飛んでくるたびに、ハッと身を竦めて目をキラリと輝かせるヴァネッサ・パラディの表情は、ソソる魅力満点です。 ただ、映画全体が独特の空気感で満たされていくルコントの語りのうまさが好きな私には、情感が持続しない今回の演出は、ちょっと不満に感じられました。前作の『ハーフ・ア・チャンス』もそうだったけど、最近のルコントは、映画を自分の一色に染め上げようとする「粘り」がなくなった感じ。それと、“カラー”。ルコントの映画は、映像の色調が映画そのものの香りになっていたり(『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』)、シーンのなかでパッとある人物に目が行くような色使い(『イヴォンヌの香り』『タンゴ』)に特徴があるのだけど、今回は、あえてモノクロに挑戦した分、やっぱり武器をひとつ欠いた印象。 とはいえ、ヌメっとした質感のモノクロ映像はそれなりに美しく、とくに、パリとトルコの橋の場面では効果を発揮しています。通り過ぎる船の視点から、橋の上の人物をあおって捉えた構図が、絶品。(99/09/03 徳間ホール) | |
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ペルディータ
PERDITA DURANGO 1999年アメリカ 監督アレックス・デ・ラ・イグレシア 出演ロージー・ペレス/ハビエル・バルデム/ハーレイ・クロス ●126分 日本ヘラルド映画配給 |
| YAZAKI★☆『ワイルド・アット・ハート』と言うようりは、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』に近いノリか。奇怪なオカッパ頭で登場するハビエル・バルデムと、女豹を思わせるロージー・ペレスが、野獣のようなセックスに身を任せながら、猟奇の入った仕事(死体の心臓を食うインチキ黒魔術、化粧品用の胎児の死体運び)に手を染め、ラスベガスをめざして突っ走る。 彼らに誘拐される童貞&処女カップルや、ダイ・ハードを地で行くしぶとい麻薬捜査官(ジェームズ・ガンドルフィーニ)のキャラなど、オフビートな笑いを狙った味付けもきかせてあるけれど、全体の印象は「エグい」の一語。『ヴェラクルス』のバート・ランカスターに究極のダンディズムを求めるバルデムは、プレスリーに憧れる『ワイルド〜』のニコラス・ケイジといくつか共通点もある(爬虫類好きなところとか)が、それが『ワイルド〜』のような寓話の色合いにはつながってこない。 むしろ、ペレスの不幸な生い立ちや、白人に対する怨み節など、ヘンに社会派のノリが強調されているきらいがあり、そのあたりにオリバー・ストーンの悪しき影響がしのばれる。ま、私はこのテの映画は苦手ですが、「ヘビメタ系の濃い映画」が好きな人は、モロにハマるかもよ。(99/09/17 ヘラルド映画試写室) | |
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M/OTHER
1999年日本 監督諏訪敦彦 出演三浦友和/渡辺真起子/高橋隆大 ●147分 サンセントシネマワークス配給 |
| YAZAKI★★★「構成台本はあるがシナリオはない」というユニークなスタイルで撮影された映画は、やはり脚本ナシで撮影をすすめていくマイク・リーの作品を思わせるノリ。キャラクターとシチュエーションのみを与えられた役者が、アドリブでシーンを演じていく。そこに醸し出される生っぽい息づかいを大切にしながら、男女の決定的な違いに鋭く切り込んでいくドラマは、ひじょうに繊細かつスリリングです。マイク・リーはもとより、エリック・ロメールの映画が好きな人にも、オススメの逸品です。 三浦友和演じるバツイチ男が、同棲中の恋人に相談なく、前妻との息子を家で預かると決めてきた。子供という異分子の乱入によって、変化を余儀なくされるカップルの生活。それによって、おたがいの本質的な違いが見えてきたとき、ふたりは関係をどう捉え直し、どんな選択をするのか? というのが、ドラマの骨格。 男が勝手に息子を預かると決めてしまったことに腹を立てる女と、彼女の怒りの原因をきちんと把握できない男。物語の導入部から、はやくもふたりの噛み合わないポイントが露見します。ひとことで言うと、男は甘ったれの鈍感体質。「まあいいじゃないか」という妥協を相手に押し付けようとし、自分の行動がどれほどの「迷惑」を引き起こすかという先の読みも甘い。物事を曖昧なまま放置することを、寛容や優しさとカン違いしている。そこんところが、「私とあなたの関係」をハッキリさせたい女のイライラをかきたてるのだけど、鈍感体質の男には、その根本が理解できない。 「息子の面倒は全部オレが見る。食事の支度も全部オレがやる」――そう言っておきながら、結局ズルズルと女に依存する男。かたや女のほうは、彼を愛しているんだからと自分を納得させ、なんとか自分自身を妥協モードに持って行こうとする。が、日々のフラストレーションはつのるばかりで、あるとき、ついにヒステリックに感情を爆発させたりする。そんな彼女に、「そうだよな、オレも悪いと思ってたんだよな」と、対症療法で対応する男。 そんなこんなの出来事を通じて、男の「器」を知ってしまった女は、子供が自分たちの生活に介在しなくなっても、ふたりの関係は元に戻らないと感じる。いっぽう、男のほうは、関係の変化を一時的なものと捉え、子供がいなくなればまた元どおりのふたりに戻れると考えている。 曖昧な領域に身を置いて変化をやりすごそうとする男と、変化を直視して新しい生き方を模索する女。ま、世の中のすべての男女がこうだと決め付けはしないけれど、周囲にいる離婚カップルの例とすりあわて考えてみると、意外にここで描かれている男女の違いは、本質をついているような気がします。 手前勝手な御都合主義で相手に迷惑をかけていることにも気づかず、その場しのぎの言い訳で事を丸くおさめようとする哲郎。基本的には優しくていい人なんだけど、人生を共にする相手としては一考を要する弱い男を、三浦友和が実に巧みに演じています。『東京日和』の助演ぶりを見たときもそう思ったけど、この人は微妙なニュアンスの表現がすごくうまい。日本映画界の隠れた宝かも。(99/08/23 映画美学校試写室) | |