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試写状 ディープ・ブルー

DEEP BLUE SEA

1999年アメリカ 監督レニー・ハーリン 出演サミュエル・L・ジャクソン/サフロン・バローズ/トーマス・ジェーン ●105分 ワーナー・ブラザース配給
1999年10月9日より丸の内ルーブルほか松竹洋画系にて公開予定

太平洋に浮かぶ海洋医学研究所でアルハイマーの特効薬を研究するスーザン(バローズ)は、実験用の3匹のサメに脳を肥大させる遺伝子操作を加えていた。やがて訪れた実験の日、成功にわくスタッフに襲い掛かるサメたち。ダイバーのカーター(ジェーン)率いる7人は、大嵐で孤立無援となった研究所からの決死の脱出を強いられることになる。『クリフ・ハンガー』のレニー・ハーリーン監督による海洋アクション。
SHIMIZU★★「浮ぶアルカトラズ」と形容される堅牢な海上医学研究施設アクアティカ。そこではDNA操作によってサメの脳を大きくし、「アルツハイマー病」の特効薬作りに利用ししようとするが、サメが知能を持ち巨大化していたというSFチックな前提。ところが、内容は結局、『ジョーズ』の亜流。冒頭でボート上のカップルがサメに襲われるシーンからして、『ジョーズ』の借り物的印象。劇中、アニマトロニクスの人工サメと本物のサメを駆使し『ジョーズ』以上にサメの全体像を見せることに成功した、と監督は悦に入っているが、サメを見せっりゃコワイというものじゃない。

 サメに腕を食いちぎられヘリで搬送される研究員が、暴風雨のためヘリから落下、再度サメに狙われるのだが、サメがアクティカの海底の透明な耐圧ガラスに研究員をぶつけて破壊するシーンは、なにかマヌケなSFXという印象。サメは4トンもある設定だが、その巨大さが窺えない。

 それより、この映画の妙味は海底で3層になったアクティカから、いかに脱出するか。なにか、『ジョーズ』付きの『ポセイドン・アドベンチャー』という感じで、誰がどんな役割を果たし、誰が死に誰が生き残るか。それが面白さのポイントだと思うが、どの人間のエピソードも冴えない。精々、コメディリリーフ的なコック役のLLクールが一役。オーブンに逃げ込んだ彼がそのオーブンを使いサメをやっつけるあたりが可笑しい程度。サミュエル・L・ジャクソンを起用しながら見せ場のないまま早々に退場するのももったいない。

 僕のお気に入りの豪州女優ジャクリーン・マッケンジー(『エンジェル・ベイビー』)も、マイケル・ラパポートも、ここでは単なるサメのエサ。さて、サメから逃げる7人のうち、生き残るのは何人か。その程度の興味で見たらコーフンする人もいるかも。ジャンジャン。(99/09/02 新宿ミラノ)

YAZAKI★★☆遺伝子操作で賢くなった3匹のサメが、海洋研究所のバリアを突破して海へ逃げ出そうと画策。大嵐の夜、研究所の海底レベルに取り残された男女7人に次々と襲い掛かる。彼らのうち、果たして何人が生きて地上へ脱出できることができるか? という話の枠組みは、『ジョーズ』と『ポセイドン・アドベンチャー』を合わせたものからヒューマンドラマの部分をバッサリ削ぎ取り、『13日の金曜日』をプラスしたようなノリ。はやい話、「ブレインレス」という言葉が当てはまる「見終わったあと何も残らないぞ」系の映画なんだけど、デビュー作『死線からの脱出』から「脱出モノ」を得意とするレニー・ハーリン監督作だけに、全体としては手慣れた娯楽作に仕上がってます。

 私がとくに感心したのは、サメに腕を食いちぎられた最初の犠牲者を、救援ヘリで運び出そうとするシークエンス。視界ゼロのどしゃぶりのなか、海洋基地の上空まで飛んできたヘリは、犠牲者が乗せられた担架をワイヤーで吊るして飛び去ろうとする。が、ワイヤーがうまく巻き上げられず、担架は海中へ沈没。それに引きずられてコントロールを失ったヘリは、基地の管制塔に激突し、基地の地上部分は大破してしまう。

 この一連のアクションは、「ひとりの人間がサメに襲われてケガを負う」という小さなアクシデントが雪だるま式にふくれあがり、ついには基地の破壊という最悪のシチュエーションにいたるパターン。『ジュラシック・パーク』で言うところの「カオス理論」を、シンボリックに展開させて見せるパートです(サメに遺伝子操作を行うというカオスの大元の原因も、『ジュラシック』の恐竜再生とよく似ている)。こういう理屈の部分を、ジェフ・ゴールドブラムみたいな誰かがセリフで説明するのではなく、スピード感重視のアクションでスパッと見せた点が、私はおおいに気に入りました。

 ただし、サメ自体の「頭のよさ」がアクションにいかされているシーンはほとんどなく、基本的には、ドバッと出てくるタイミングで脅かす演出。実は、これがえらく効果をあげているシーンが1個所あり、私めも「ヒーッ!」と思わず声をあげてしまったのですが、それがどこかは、見てのお楽しみ。

 バイオザメを作りあげる女性科学者役のサフロン・バローズは、『恋はワンダフル!?』で上院議員と婚約するケネディ姓の女を演じたアイルランド美女。ジーナ・デイビスに身体つきや顔立ちがちょっと似てる点が、モロに監督の好みを反映している感じ。もうひとりの主役で、脱出組のリーダーになるダイバーを演じるのは、『死にたいほどの夜』以来、注目していたトーマス・ジェーン。『死にたいほどの夜』のときとは別人のような海の男の身体つきになった彼の、初のヒーローっぷりは文句なしのカッコよさ。もうすぐ来日するので、記者会見に行こうかなと、ひそかに思案しております。(99/08/20 ワーナー・ブラザース映画試写室)

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チラシ バーシティ・ブルース

VARSITY BLUES

1999年アメリカ 監督ブライアン・ロビンス 出演ジェームズ・ヴァン・ダー・ビーク/ジョン・ボイト/ポール・ウォーカー ●105分 UIP配給
1999年10月上旬よりニュー東宝シネマほか東宝洋画系にて公開予定

町中の人々が、高校のアメフト・チームの活躍に熱狂するテキサス州カナン。控えのクォーターバック選手モックス(ヴァン・ダー・ビーク)は、今シーズンでフットボールをやめ、ブラウン大へ進学しようと考えているクールな青年。だが、花形クォーターバックのランス(ウォーカー)が大怪我を負うアクシデントが派生し、モックスが代役をつとめることになる。周囲の不安をよそに、豪快なタッチダウンをキメて一躍スターになるモックス。そんな彼の行く手には、コーチ(ボイト)との激しい対立が待ち受けていた。TV「ドーソンズ・クリーク」の人気者ジェームズ・ヴァン・ダー・ビーク主演による青春スポ根ドラマ。
SHIMIZU★★アメフトを題材にした青春作。ときくだけで、愚鈍な印象で、腰が引けます。舞台はテキサスの高校。チームでナンバー2のQBジョナサンが主人公。鬼のコーチからなぜか目の仇にされレギュラーになれない状態。そのなかでQBが負傷。彼にチャンスが回ってきて活躍。一躍、ヒーローになったジョナサン目当てに女もよってくる。というありがちな展開。
 この手のチームものには欠かせないデブの選手もいれば、コーチの差別でパスをもらえない黒人選手もいる。主役のジェームズ・ヴァン・ダー・ビークは一見、マヌケ面だけど、抑えた演技はクレーバーに見え、結構、映画の途中から好印象を持ちました。映画の展開も、勝利のためには負傷した選手を薬漬けにする鬼コーチへの反発が渦巻き、生徒たち全体が勝利する余韻はそれなりに爽快です。鬼コーチ役のジョン・ボイトが、オーバーアクト気味ながら、この手のコーチのひな型という感じの怪演をみせます。(99/08/31 UIP試写室)

YAZAKI★★高校のアメフト選手を主人公に、コーチとの対立を描いた点は、『栄光の彼方に』(83年)というトム・クルーズの主演作とよく似ている。違うのは、主人公のポジション。『栄光の彼方に』のクルーズは、自分のフットボールの才能を不況にあえぐ鉄鋼町の暮らしから抜け出す唯一の手段とみなし、大学のスカウトに自身の将来を託していた。いっぽう『バーシティ・ブルース』のヴァン・ダー・ビークは、「フットボールだけの人生」に疑問を抱き、自分の力で違う道を切り開こうとしている。彼にはクルーズのような悲壮感はなく、もっと冷静に、俯瞰的な視野で自分と自分の将来をみつめている。このキャラクターの差が、16年という時の流れのなかで移り変わっていった若者の気質の差であり、はたまた絶不調から絶好調へ変貌を遂げたアメリカの経済的な豊かさを物語っている点が、私にはいちばん興味深く感じられました。

 ただし、主人公にフットボールに将来を託す必死さがない分、コーチとの葛藤を描くドラマは希薄な印象。ここでジョン・ボイトが演じるコーチは、選手を「優勝マシーン」のように扱う純悪役として描かれています。選手の健康状態におかまいなく試合に出したり、自分の采配にさからう主人公をいじめぬいたり、黒人選手を「走るだけ」と決め付ける差別をうかがわせたり。「この試合に勝つか否かで、お前らの残りの40年の人生が決まる」と選手を鼓舞しながら、実は「自分が勝つ」ことしか頭にない彼は、人情味のまるでない暴君のキャラクターとして、ひじょうに単純化されています。

 そんなコーチの元で勝利をおさめることに、疑問と抵抗を感じる主人公モックス。チームは勝ちたい、でもコーチを勝たせるのはイヤだ。そう思った彼が扇動役となり、コーチに対して反乱を起こすところが劇のクライマックス。

 かくして始まるコーチ抜きの試合シーンは、アメフトを知らない人間にもそれなりに楽しめるように作られている。MTVフィルムズの作品とあって、スローモーションを駆使した映像なんかもCM調でスタイリッシュ。でも、やっぱり薄っぺらな印象が否めないのは、それまでのドラマで、コーチが少年たちにとっての「乗り越えるべき存在」ではなく、単に「自由を束縛する邪魔物」としか機能していないからじゃないかな。フットボールを中心に世界がまわっている町を舞台にしたものでありながら、フットボールに宿る「神聖さ」を捉えていない点も、私にはひじょうに物足りなく感じられました。(99/09/07 UIP試写室)

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試写状 ハイロー・カントリー

THE HI-LO COUNTRY

1998年アメリカ 監督スティーヴン・フリアーズ 出演ウディ・ハレルスン/ビリー・クラダップ/パトリシア・アークェット ●114分 アスミック配給
1999年10月よりシネマライズにて公開予定

サム・ペキンパーが果たせなかったマックス・エヴァンズの小説の映画化企画を、製作にマーティン・スコセッシ、監督にスティーブン・フリアーズ、脚本に『ワイルド・バンチ』のウォローン・グリーンという布陣で映画化。舞台は、1930年代後半から第二次世界大戦後のニューメキシコ。カウボーイのビッグ・ボーイ(ハレルソン)と、彼を兄のように慕うピート(クラダップ)は、同じ女性(アークェット)をめぐって三角関係に陥るが、彼女が人妻だったことから思わぬ悲劇が起こる。
SHIMIZU★★元々はサム・ペキンパーが映画化を企画していた話。それを聞きつけたスコセッシが製作を買って出て、英国のフリアーズが監督を頼まれたという、いわくつきの西部劇です。結論から言うと、期待はずれ、というか、そもそもフリアーズに向かないテーマを無理に自分の領域で描こうとした。

 劇中では、古い時代にこだわった「カウボーイ」の姿を芯にしたペキンパー好みのテーマです。ペキンパーなら女をめぐる男同士の心情が彼独特のパノラマ的な映像のなかで活写されたのでは思われますが、ここではフリアーズは2重3重の男女の愛憎入り乱れる世界を描くことに熱心で、古い時代で男を張るハレルソンの存在も、なにかふぬけた時代のイコンという感じになっちゃった。

 冒頭の殺意を伺わせる思わせぶりな行動から回想へ向かい、最後でその殺意の原因がわかるくだりもインパクトなし。牛追いなどの映像は一応スケール感を出そうとしているけど、やはりペキンパーには及ばない。この映画がハイかローかとえわれば、僕にはローに見えました。(99/08/16 メディアボックス試写室)

YAZAKI★★シンプルに要約いたしますと、この映画には3つのドラマが盛り込まれています。ひとつは、カウボーイのビッグ・ボーイと、彼を兄のように慕うピート、そしてビッグ・ボーイの実の弟リトル・ボーイの「兄弟の絆」をめぐる三角関係。ふたつめは、ビッグ・ボーイ&ピートと、彼らが惚れる人妻モナの「男女の愛」をめぐる三角関係。3つめは、牧場に効率経営の波が押し寄せるなかで、牛追いをはじめとする昔ながらの流儀を貫こうとするビッグ・ボーイやピートが遭遇する「時代との闘い」のドラマです。

 この3つの要素が、相互に作用しながら進行していくプロットはなかなか巧みで、大牧場に取り込まれたリトル・ボーイとビッグ・ボーイのあいだに亀裂が生じたり、モナへの愛に苦しむピートがビッグ・ボーイに「秘密」を抱いたことで苦悩したり……と、波乱に富む展開。が、どうもいまひとつ味わいに欠ける。それは、監督のフリアーズが、2番目の「男女の三角関係」に、話のいちばんのポイントを置いているからでしょう。

 確かに、三角関係の愛に重点を置くのが、いまの観客にとってはいちばんとっつきやすいかもしれない。が、それによって「偉大なるカウボーイ魂への挽歌」という、映画自体のポイントが薄れてしまった感じ。ここはやはり、ビッグ・ボーイ&リトル・ボーイ&ピートの3人の関係を中心に据えながら、モナのパートはあくまでも添え物(というか、ビッグ・ボーイに対するピートの葛藤を作りだす鍵)として扱い、カウボーイの時代の終焉を慈しみをこめてみつめる……というふうに描いていくのが、ペキンパー先生の遺志に添うまっとうな道だったのでは?

 パトリシア・アークェットという女優に、私は何の怨みも思い入れもないが、ここでの彼女は、あきらかに出すぎた存在。西部劇に女の視点を持ち込むと西部劇の香りが飛んでしまうという、これは、そのいい例だね。(99/07/16 メディアボックス試写室)

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試写状 ディープエンド・オブ・オーシャン

THE DEEP END OF THE OCEAN

1999年アメリカ 監督ウール・グロスバード 出演ミシェル・ファイファー/トリート・ウィリアムズ/ウーピー・ゴールドバーグ ●108分 ソニー・ピクチャーズ配給
1999年10月中旬よりシャンテ・シネにて公開予定

高校の同窓会が開かれたシカゴのホテルで、ベス(ファイファー)の3歳の次男ベンが行方不明になった。女刑事(ゴールドバーグ)の必死の捜索もむなしく、事件は未解決のまま9年が経過。だが、シカゴへ越したベスの前に、ある日突然、ベンが現れる……。ジャクリーン・ミチャードの原作「青く深く沈んで」を、『恋におちて』のウール・グロスバード監督が映画化したヒューマンドラマ。
SHIMIZU★★タイトルはちょっと分かりにくい。「海の底深く」とは見渡せるはずの海のなかで、深い底を見ることが出来ない情景。そのもどかしさを伝えた比喩なのでしょうか。ま、ここでの海とは母親のこと、その底に沈んでいるのは突然2歳で失踪した息子のこと、と僕は勝手に解釈しました(当たってないかも)。

 この映画は前半と後半のトーンが随分遊離した印象をうける家族ドラマです。前半は失踪した子供を追うサスペンスフルな「事件」的な様相。アメリカで問題になっている子供の「MISSING」をテーマにしたものかと思い、ふと失踪した息子を執念で捜しあれる母親を描いた実話『天使の失踪』('83年製作/主演はケイト・ネリガン)を思い出しました。ここではウーピー・ゴールドバーグ演じる女刑事(しかもレズという小ネタをふったキャラ)が母親に協力し捜査が展開します。が、中盤は失踪に悩む母親のアイデンティティが主な話題。家庭にとどまった母親が昔のカメラウーマンの仕事に復帰しながら、自分をとりもどそうとします。演じるはミシェル・ファイファー。このところ母親の役が定番の彼女ですが、ここでは情感を抑えながら、母親の想いを忍ばせた好演です。どうせなら、これは母親の喪失感をそのままひきずりながら、家族の再生を考えたいところ。でも、そこはハリウッド映画、『オリヴィエ・オリヴィエ』のような成熟した世界を望むのは無理。予想通りというか、恐ろしくあっけない状態で失踪した息子が発見され、母親と息子の「修復」に向かう段取り。

 ここからは『普通の人々』みたいに、弟を置き去りにした兄のトラウマを含めた兄弟愛の世界へとなだれこみ、いつの間にか母親の存在は単なる家庭の緩衝剤になる感じ。失踪した息子を育てた養父との関係も都合よく処理されていたり、イマイチ展開に安易な印象がありなのですが、兄弟役の2人の男の子はそれなりに達者で、兄と弟の、過去の記憶をたどる顛末はちょっとジーンとさせるものがあります。(99/07/19 徳間ホール)

YAZAKI★★ちゃんと原作のある映画だけど、私には物語の設定がどうにも不自然に感じられてしょうがなかった。最大の疑問は、誘拐された3歳の子供が「知らないオバサン」を母親だと思って成長し、逆に自分の親の顔を忘れてしまうこと。誘拐犯は、少年を巧みに洗脳していったのかもしれない(そのあたりは映画ではまったく触れられていない)けど、私自身の3歳当時の記憶に照らしあわせると、知らないオバサンを母親だと信じ込むなんて芸当はとてもできなかったと思うわ。

 これと反対に、ミシェル・ファイファー演じる母親のほうは、芝刈りのバイト探しにやって来た12歳の少年を、ひと目で自分の息子と見破る。母のカンは、それほど鋭いってことか!? でも、偶然がすぎるシチュエーションを、母親の本能だけで説明されても、こっちとしては納得するわけにいかんのだよね。むしろ、少年はファイファーを母親だとわかるが、ファイファーのほうは彼が息子だと気づかない――というシチュエーションに持っていったほうが、自然だったんじゃなかろうか。

 ドラマの核になるのは、次男の誘拐事件をめぐって家族がそれぞれに抱く罪悪感。弟に対する漠然とした嫉妬から、誘拐のきっかけを作ってしまった長男。彼に次男の世話を頼んだ自分を責め、笑顔を見せることにすらうしろめたさを感じる母親。彼女のピリピリした態度にフラストレーションをつのらせる夫。そんな崩壊の火種を抱えて生きる家族のもとに、9年後、突然戻ってくることになった次男。彼もまた、2つの家庭のあいだで揺れ動く自分自身を責め、「なぜ犠牲者のボクが苦しまなくちゃならないんだろう?」と、鬱屈した思いをつのらせる。

 彼らの心にあるのは、自責の念と被害者意識、そして「私はなんて不幸なんだろう」という自己憐憫の思い。そういう内省モード一本槍で攻めまくるドラマのムードは、終始うっとおしい。それを崩す役目を、ウーピー・ゴールドバーグ演じる女刑事が果たすと期待しながら見ていたけど、同性愛者に設定された彼女のキャラを生かすエピソードもなく、ネームバリューを求められただけのカメオ出演の面持ち。とにかく、この映画の登場人物全員に、『人生は長く静かな河』(子供の取り違えを題材にした家族の物語)でも見て自分を憐れむのはやめて! と、お願いしたくなりました。(99/09/21 ソニー・ピクチャーズ試写室)

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試写状 200本のたばこ

200 CIGARETTES

1998年アメリカ 監督リサ・ブラモン・ガルシア 出演ベン・アフレック/ケイシー・アフレック/コートニー・ラヴ ●102分 アスミック配給
1999年11月下旬より恵比寿ガーデンネマにて公開予定

1981年、大晦日のニューヨークを舞台に、恋のアバンチュールを求める男女18人の人間模様を綴ったアンサンブル・コメディ。弁護士志望のバーテンダーにベン・アフレック、セックス・ピストルズに憧れるパンク小僧にベンの弟ケイシー、彼にナンパされる田舎娘にクリスティーナ・リッチなど、キャストは多彩な顔触れ。
SHIMIZU★★舞台はNYの大晦日の夜。限定された時間のなかで、いろんなタイプの若者たちが寄り道をしながら、最終的にパーティに参加するという、いまどきの群像ドラマです。自分ではモテると思っているバーテンダーのベン・アフレックとか、セリフ回しを聞いて「これは90年代のゴールディ・ホーン」とメモったら、後で本当のホーンの娘だと分かって納得した初体験志願のシンディ役のケイト・ハドソンとか、初めてのパーティ体験にワクワクのクリスティーナ・リッチとギャビー・ホフマンの旬のティーン・コンビとか、パーティを主催したのに誰も来なくてガッカリのマーサ・プリンプトンとか。それにジェイ・モアやコートニー・ラブ。それなりに旬の若手俳優たちを配しキャラ設定も面白い。

 でも、映画全体を動かし、その世界に誘い、若者たちの「モザイク」に仕上げるほどの巧みさに欠けるし、新鮮さも感じませんでした。全体がボワーッとしたスナップショットの連発。どこかで見た映画の「記憶」の連なりだけで出来ている、という印象です。彼らのキャラだけに頼ったような野放し演出に見えましたが、どうでしょうか。最後に、最近出たがりのエルビス・コステロがパーティ客として登場するのはご愛敬。(99/08/19 ヘラルド映画試写室)

YAZAKI★★カメオ出演のエルヴィス・コステロを含む18人の登場人物を、チェスの駒のように動かして織り上げたアンサンブル劇。これだけの人数を配した一夜の物語を、1時間42分にまとめあげた女流監督の腕前はなかなかのもの。人物の交通整理が行き届いているので、軽い恋愛オムニバスとして楽しめる。

 ただし、映画全体を通して訴えかけてくるものはなく、1981年という「エイズにイノセントでいられた最後の時代」を検証しようという意図も感じられない。基本的には、恋のアバンチュールを求める若者たちの人間図鑑という感じだね。

 キャラクターのなかでおもしろいのは、ゴールディ・ホーンの娘ケイト・ハドソンが演じる超ドジなシンディ。処女を捧げた俳優と、この日、初デートとしゃれこんだ彼女は、タクシーに乗り込むところから失敗続き。ベン・アフレックがバーテンをつとめるバーでは、ビリヤード台に酒をこぼしたあげくキューでグラスを割る失態を演じ、インド料理屋でも同様の騒ぎを起こし、しまいには犬のウンチにすべってドレスを台無しにしてしまう。そんな彼女となぜかいいムードになるケイシー・アフレックの、純情パンク青年ぶりもご愛嬌。(99/08/27 ヘラルド映画試写室)

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